今から71年前の12月8日、日本は米英との開戦に踏み切った。この日の朝午前7時、ラジオの臨時ニュースで「帝国陸海軍は本8日未明、西太平洋に於てアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」と流れると、多くの日本人は顔面が蒼白になったという。恐るべき運命が待ち構えていることを、無意識に感じ取ったからだろう。そこで日本人は、民族の遠い記憶を手繰り寄せたのである。だからこそ、開戦の詔書では「皇祖皇宗の神霊上に在り、朕は汝有衆の忠誠勇武に信倚し、祖宗の偉業を恢弘し、速に禍根を芟除(さんじょ)して東亜永遠の平和を確立し、以て帝国の光栄を保全せむことを期す」と書いたのである。アメリカやイギリスの方が文明国であることを百も承知で、自衛のために戦わざるを得なかったのだ。だからこそ、あえて「洵に已むを得ざるものあり、豈朕が志ならむや」との言葉を付け加えたのだった。望んだ戦争ではなかったからだ。しかし、それでも日本人は臆することなく戦い、そして、有為な人材を数多く失った。今私たちが頭を垂れるべきは、戦没者に対してではないだろうか。国のために散華した者たちの願いを、少しでもかなえてやるべきだろう。彼らが守ろうとしたのは、美しい日本の国土であり、日本人の家族愛ではなかったか。日本人であることを否定されてきたのが、戦後の日本の歴史であった。ようやくそれが改められようとしているのだ。戦没者の死は無駄ではなかったのである。
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