草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

12月8日の開戦記念日にあたり死守すべき日本を想う!

2012年12月08日 | 歴史

 今から71年前の12月8日、日本は米英との開戦に踏み切った。この日の朝午前7時、ラジオの臨時ニュースで「帝国陸海軍は本8日未明、西太平洋に於てアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」と流れると、多くの日本人は顔面が蒼白になったという。恐るべき運命が待ち構えていることを、無意識に感じ取ったからだろう。そこで日本人は、民族の遠い記憶を手繰り寄せたのである。だからこそ、開戦の詔書では「皇祖皇宗の神霊上に在り、朕は汝有衆の忠誠勇武に信倚し、祖宗の偉業を恢弘し、速に禍根を芟除(さんじょ)して東亜永遠の平和を確立し、以て帝国の光栄を保全せむことを期す」と書いたのである。アメリカやイギリスの方が文明国であることを百も承知で、自衛のために戦わざるを得なかったのだ。だからこそ、あえて「洵に已むを得ざるものあり、豈朕が志ならむや」との言葉を付け加えたのだった。望んだ戦争ではなかったからだ。しかし、それでも日本人は臆することなく戦い、そして、有為な人材を数多く失った。今私たちが頭を垂れるべきは、戦没者に対してではないだろうか。国のために散華した者たちの願いを、少しでもかなえてやるべきだろう。彼らが守ろうとしたのは、美しい日本の国土であり、日本人の家族愛ではなかったか。日本人であることを否定されてきたのが、戦後の日本の歴史であった。ようやくそれが改められようとしているのだ。戦没者の死は無駄ではなかったのである。


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司馬流に言うなら政治を混乱させたのは「バカ」のせいだ!

2012年12月08日 | 思想家

 司馬遼太郎の『以下、無用のことながら』に収録されている「人間について」のエッセイは、一面ではあたっているが、一面では間違っている。「バカというのは、差別語ではありません」との書き出しからして、ハッと思わせる。そして、バカについての説明をするのだった。「人間の本性にひそむ暗黒の部分のことです。人間は一人で歩いているときは、たいていバカではありません。イヌやネコとおなじくらいかしこいのです。行くべき目的も知っていますし、川があればどうすればよいか、ちゃんとわきまえています」。私もその通りだと思う。人間は一人ではまともだが、集団になると、バカなことをしでかすのである。「少量のバカが、足し算でなく掛け算になって、火山が噴火するように、とんでもない愚行をやるのです」との説もうなづける。しかし、熱狂させるのが「民族・宗教・国家」となると、それには首をかしげたくなる。民主党に政権を渡してしまったのは、日本人がバカになったからで、その報いを自分たちが受けることになってしまったのだ。「民族・宗教・国家」などでは微塵もない。「一度民主党にやらせてみればいい」とマスコミが騒ぎたてて、国民が熱狂したために、とんでもないことになったのだ。司馬が今回の民主党政権の顛末を見れば、どう発言したか興味深い。かえって私からすれば、国家を成り立たせしめる根本が揺らいだことが問題であり、できもしない嘘を見抜けなかった国民がバカであったのだ。


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