芸人の慄きがありかなしみも江戸っ子なれば野暮はなしよと
また一人昭和芸人逝きしかな聞きなれし声雪降らす天
虹の橋晴れたる空に消えしかな小沢昭一「天然の美」よ
ささくれし世に潤いと笑いとを旅芸人のつぶやき今も
助平を人の性とて冗談でまぶしていたね日々のラジオで
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芸人の慄きがありかなしみも江戸っ子なれば野暮はなしよと
また一人昭和芸人逝きしかな聞きなれし声雪降らす天
虹の橋晴れたる空に消えしかな小沢昭一「天然の美」よ
ささくれし世に潤いと笑いとを旅芸人のつぶやき今も
助平を人の性とて冗談でまぶしていたね日々のラジオで
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総選挙に突入して、政治家の愚かさが際立つようになった。一国の総理大臣や現職の市長が公職選挙法を守らないのは、まさしくそれを象徴している。彼らにとっては法律などどうでもいいのである。遵守するに値しないと、内心思っているのだろう。片方は運動員の勘違いで処理し、もう一方は居直った発言を続けている。市長の方は立候補をしているわけではないから、手加減を加える必要はないだろうが、「市長の仕事は判断する仕事。オフィスにいなくてもメールでできます。これが現代の仕事術」としゃしゃと言ってのけたのにはまいった。まさしく詭弁家そのものではないか。この程度の人間しか政治家がいないわけだから、国民が政治に失望するのはあたりまえだ。マックス・ウエーバーは支配の型として「合法的支配」「伝統的支配」「カリスマ的支配」の3つを挙げている。それは同時に、政治家が国民の支持を取り付けるにあたっての型でもある。「伝統的支配」は過去から受け継いだ価値によって権威が与えられ、「カリスマ的支配」では個人にカリスマ性が求められる。これに対して「法的支配」では、法律にのっとっているかどうかが問題視されるのである。現在の日本には、オーラを感じるような政治的指導者は皆無である。せいぜいテレビに出ていたというので、親しみを覚える程度ではなかろうか。伝統にもとづくというのは固定化される傾向がある。今回の総選挙で過半数を占めた政治勢力が政権を担うのは、法にもとづくからだ。その意味からも法律を認めない政治家であれば、いくら口が達者でも、国民からは支持されるわけはないのである。
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