草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

安倍政権は拉致被害者の全貌開明と治安の強化に取り組むべきだ!

2012年12月29日 | 安全保障

 北朝鮮に拉致された可能性のある人が、全国で868人もいるのだという。拉致被害者を支援している市民団体「徳島救う会」の情報公開請求によって、警察庁が発表したもので、まだまだ全貌は明らかになっていないのである。民間の「特定失踪者問題調査会」は約470人とみている。どちらにしても大変な数である。政府はこれまで認定した拉致被害者は17人にとどまっており、第二次安倍内閣がスタートしたのに合わせて、徹底解明が待たれてならない。拉致は国家主権の侵害であり、ある意味では戦争と変わりがない。罪もない日本国民を、武装した外国人が拉致する現場に警察官が遭遇すれば、そこで銃撃戦になっても不思議ではない。絶対に許せない暴挙なのである。これまでも安倍晋三首相は力を入れてきたが、各都道府県レベルでも、真相の究明に全力を挙げるべきだろう。実行部隊の中心になった北朝鮮工作員や、それを背後で支えているネットワークを焙り出すのである。日本国内に張りめぐらされた組織がなければ、日本から連れ出すのは無理である。日本人はあまりにも平和惚けをしていた。とくに、日本のサヨクは、北朝鮮による犯罪を認めようとしなかった。マスコミも同じであった。それを口にするだけで、「右翼」とレッテルが張られたのである。国民の理解を持ってもらうためにも、国を挙が広報活動に力を入れる必要がある。私たちの身近にいた人間が、理由もなく拉致された事実を知れば、国民の意識も変わってくるはずだ。他人事ではないのである。さらに、北朝鮮がそこまでしたわけだから、それ以外の国々も、日本の各機関に浸透している可能性は否定できない。民主党政権によって、それに拍車がかかったことも、容易に想像がつく。対抗策として、国は早急に公安や警備を充実させ、治安の強化に取り組むべきだろう。


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三島由紀夫の戯曲『喜びの琴』と林房雄の『悲しみの琴』の音色は一緒だ!

2012年12月29日 | 思想家

 三島由紀夫の戯曲『喜びの琴』を取り上げながら、見出しを『悲しみの琴』と間違ってしまった。後で気が付いて訂正したが、私にとっては、林房雄の『悲しみの琴』の印象が強かったからだろう。林があえて本の題名を『悲しみの琴』にしたのは、頭のなかに『喜びの琴』がまずあったからではないか。共産党の活動をして、治安維持法違反でぶち込まれた林は、転向した後で、一時は大東塾に接近した。思想的には左から右、極端から極端である。しかし、根っこの情念の部分においては、うぶな純粋さを維持していた。それを三島さんは『林房雄論』で高く評価したのである。ただ、三島さん自身は、天空から聞こえてくる琴の音色に満足せず、その先を目指そうとした。純粋であることを立証するために、それを行動で示そうとしたのだ。そこに林は、三島さんの孤高な悲しみを見たのではないか。「喜び」から「悲しみ」になったのには、それなりの理由があるのだ。不純であることを嫌うのは、日本人の習性だといわれる。三島さんは、東大の安田講堂の攻防戦で、極左活動家が死を選ぶことを警戒していた。思想に殉ずるということで、時計台の上から投身自殺をされたら、とんでもないことになると心配していた。おとなしく投降したために、そうした結末にはならなかったが、三島さんは本気で危惧していたのである。口先だけでは、人々の心を動かすことはできない。三島さんの義挙が今なお語り継がれるのは、死を厭う者たちの前で、実際に死んで見せたからだ。歴史に名をとどめるのは「人生古より誰か死無からん/丹心を留めて汗青を照らさん」(文天祥・「過零丁洋」)なのである。二人が耳にした琴の音色は共通しており、そこから湧いてくるイメージが一緒だったために、お互い意気投合したのだと思う。

 
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三島由紀夫の戯曲『喜びの琴』のようにスパイが暗躍する日本を憂う!

2012年12月29日 | 思想家

 安倍第二次内閣に対して、マスコミの偏向報道があまりにも酷過ぎるので、色々と考えてしまう。中共や北朝鮮などのエージェントがいるのでは、といった思いもしないではない。スパイということになると、三島由紀夫の『喜びの琴』だろう。真面目な警察官が、上司が極左分離党から公安警察に潜り込んだスパイであることを知って、人間不信に陥り、絶望感を味わうことになった。筋金入りの反共主義者が、実際は「言論統制法」が国民から総スカンされるように、陰謀をめぐらしたのだ。その策略にまんまと引っかかってしまったのである。三島さんは『喜びの琴』のなかで、思想の相対性がはらむニヒリズムを問題にするとともに、情念の純粋性に一縷の希望を見出したのである。その警察官は、同僚の警察官が口にしていた「デモの合間に聞こえてくる琴の音色」が耳元に流れ、それで救われたのだ。いくら騙されても、自らが殉じようとした情念は絶対なのである。日本が将来思想的に混乱することを見込んで、三島さんは死んで見せたのではないか。国を売る者たちが暗躍すればするほど、それに立ち向かう純粋性が求められるからだ。民主党が政権を取ったことで、公安や警備もズタズタにされたのではないか。権力とサヨクが接点を持つことを、三島さんは一番恐れていた。日本の国民はとんでもない選択をしてしまったのだ。安倍首相がリーダーシップを発揮するのを邪魔するのは、スパイであった上司のような人間たちである。彼らは、国のために命を惜しまない人間を、愚か者と決めつける。ニヒリスト特有の冷めた物言いである。日本を守るためにも、今こそ私たちは、三島さんが言いたかったことを思い起こすべきではないだろうか。


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