神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 10

2024年02月12日 19時46分42秒 | 甲越軍記
 定国の姉、小澤はその美貌を信虎に愛されて側室となっていたが、此度の定国の処分において信虎の命令で親戚宅に軟禁されていた。
小澤は定国の無念の知らせを聞くと、奥まった小部屋に閉じこもったきり出てこなかったが、信虎の人とも思わぬ悪行を憎み恨んだ。

信虎は信国の切腹で満足したものの、同じく切腹を命じた倅、弥太郎が出奔したのは16,7の子供自ら思いつくことはない、恐らく小澤がそそのかしたのであろうと考え憎しみを持ち「直ちに小澤を捕えて庭先に引きづりだせ」と命じた。

捕えられて庭先に投げ捨てられた小澤に対し信虎は「縛り上げよ」と命じる
痩せた肩から細腕を折れんばかりに高手小手に縛り上げて、その縄端を庭木の枝に通して吊り上げれば、細腕はミシミシと音を立てて折れんばかりである
両の足も宙に浮き、細き肩と腕だけで体を支える痛みに耐えている。

小澤はこのように細身でありながら、芯も根性もそこらの男に勝る気丈の女であったから、弱音を吐かず、恐れる様子もなく潔よし
信虎を上から睨みつけ、腕の痛みに息絶え絶えながらもこう言った
「いかに信虎公、縁あってご寵愛を賜りましたが、それが仇となり、このような憂き目に遭ってしまいました、ついては黄泉の先駆けとなりましょう
さりながらこのように悪事ますます増長し、お家の災いを招きましょう
信虎さまの代で無くとも三代がうちにお家は必ずや滅びましょうぞ
恨みの一言、お耳に徹しよく覚えたまえ」と苦しい息の中で言ってから
「いつしかに 恨みの深雪枝を重み 千尋のたけだ耐えざらめもや」と詠んだ

信虎は、これを聞くと「カラカラ」と笑い
「おのれ女 日頃腰折れ歌とて面白からぬさえずり言、やかましく思ったが、今のこのように白刃を細首につきつけられながら、健気にも詠んだものである
この歌の下句『千尋のたけだ耐えざらめもや』は恨みが積もり、その重さに引かれて竹の雪に耐えられず折れるように、武田の家もくじけると、竹に武田をかけて詠むとは、これ儂を罵る怨言であろう、許しがたいが、その心胆の丈夫なること男子も及ばぬ
故に一命を許そう、恩を感じたならば、ここでわが世の永く栄える歌を一首詠んでみよ」
信虎は悪逆非道の人間であるが、意外にも小さな忌事を気にする小心な所があり、今小澤が詠った句が気にかかっている
これを解消するには、小澤を許し、そのかわり心が晴れる歌を所望したのである。
小澤は信虎の腹を見透かして(片腹痛し)と思えども、苦しい息の下から声を絞り出して
「目を懸ける籬(まがき)やいずこかけてしも よもぎさかゆるあとをこそ見め」と詠むと、信虎は頭を傾けて聞いていたが、その意味が分からず、しかし
下の句に「栄える国」と理解して、これは祝言なりと思い、左右に命じて小澤の戒めを解くように言いかけた時、笠井孫右衛門という者が信虎に向かって
「これは最初の歌よりひときは恨み罵る歌でありますぞ」そう言ってから
「その意味は、昔、呉王夫差と越王勾践と合戦し、越王敗れて呉国の虜となった、呉王のフンまで舐める辱めを受けること三年、その後呉王は勾践を本国に帰らせた。
しかし越王は何としてでも呉王を滅ぼそうと考え続けていた
知謀の臣、范蠡(はんれい)に相談して呉王の心を怠らせようと西施という美女を献上した。
呉王が西施を収めようとしたとき、家臣の伍子胥がまかり出て「君、これを受けとってはなりませぬ、是は越王の謀で君を怠らせて備えが緩くなったころに攻め寄せるつもりです」と言ったが、美女に目がくらんだ呉王は伍子胥の諫言など耳に入らず,西施のために新たな宮殿を作って寵愛し、夜な夜なその肉体に溺れた
伍子胥はそれでも三度までも諫言を申し立てたが聞く耳持たぬ呉王は怒り、挙句に伍子胥に死を命じた。






2月9日 散歩道

2024年02月12日 09時28分04秒 | 散歩道
メインストリートの裏の流れがなぜか気になる
小学生時代の記憶がよみがえる



長い坂を歩く度に「落ち葉の物語」を口ずさんでいる
コンクリートに囲まれた側道には、優しいあの女(ひと)は現れるはずも無いのだが

この先に何があるのか、そしてそこを見たくなって登っていく

集合住宅の団地
アパート、マンションの類に住んだことはない
だけど新潟市の石山団地のおばさんのアパートにはよく訪ねて行った
もうおじさんも,おばさんも亡くなったけど、アパートを見るたびに
懐かしい思い出がよみがえる



海が見える丘陵は気持ちよい
潮風はここまで届くのだろうか

今どきの猫は家につながれて一生を終えるのか
人の都合で猫も犬もずいぶん窮屈になったもんだ。