馬の口には枚を含ませていななかぬように静かに海野口間近まで着いたのは丑の刻半ば(深夜2時頃)であった
前日、武田勢が引き揚げたあと平賀源心は間者に探らせると、すでに主力の信虎勢は10里近く(40km)も先にあり甲州へ向かい、殿軍300程が4里先で雪の中難渋して今夜はそこで休息をとるらしいとの報告であった。
殿軍を攻めようと言う声も出たが、総大将平賀入道は甲州勢が引き上げたことに満足して、「包囲の中で敵を何度も蹴散らし、皆疲れておる、論功行賞をした後は思う存分飲み明かして祝おうぞ」と上から下まで城中の兵3000、安堵して大いに飲んで寝てしまった。
晴信は古今に数少ない名将だけに味方の兵の安全を第一に考え慎重に事を進め用心には用心を重ね、屈強の間者を20名ほど放ち周辺に間者や伏兵はないか、城中の備えはどうなっておるかと調べさせた。
報せによると、晴信の推測通り包囲を解かれて安心した城兵は酔って寝静まっているとのことであった。
晴信の兵300は申し合わせの通り三隊に別れて城攻めを始めた。
鬨の声を張り上げ、大手門より若手の精鋭150が攻め寄せた、同時に遠方でも鐘、太鼓が鳴り響き、雪灯りを頼りに城兵がそちらを見ると、おびただしい旗が立ち並んでいる・
「しまった、我らが油断して寝た隙に信虎め再び攻め上ってきおったか」
まだ酔いがさめず、目をこすりこすり何事かもわからずうろたえるばかりの城兵も多い、おぼろげに状況がわかって来た兵は、大手門に駆けつける者、臆病風に吹かれて城外に逃げ出すものと大混乱になった。
今井、教来石ら豪壮の若武者百騎ほど真っ先に櫓の下に取りつき、速やかに石垣を上る、盛んなる足軽50程、壁を伝い上がる蜘蛛の如く石垣を上り、熊手薙ぎ鎌を持って登り、塀に取りついて攻め込んだ
城将平賀入道は黒糸の鎧をつけ、兜はかぶらず鎖を入れた頭巾をかぶり、上から鉢巻を締め、四尺三寸の大刀を携え、手には一丈あまりの八角に削った樫の棒を持って城中を馳巡り、味方に向けて大音声で「敵たとへ大軍といえども我ら力を集結して手段を尽くしてこの城を守り抜こうぞ!」と励まし
「大石を落せ、材木を落せ」と鼓舞するが、肝心の兵は逃げ出す者、右往左往するもの、酔いが抜けずよろめく者ばかり多く、必死で攻めかかる武田勢にまったく太刀打ちできず打ち取られる兵ばかりが増えていった。