年月が過ぎ、成長逞しく勝千代は8歳になった。
そろそろ手習いをする年頃になり、禅宗長善寺の和尚を師として書を習うと、持って生まれた才能なのか、勢いある達筆で、書物を読ませれば一度で覚えて忘れることがない。
和尚も「これは!」と思い、ある時「庭訓往来」というものを取り出して
「これは北畠玄恵法印、という者が書いた書物であります」
勝千代は、これを三日で読み終えて意とするところまで全て理解して言うには
「和尚、これは乱世の今、急いで必要とされる書物ではありませぬ、願わくば兵を用いて、国を治めるのに必要な書物をお教え願いたい」と言う
和尚は気が付いて「それでは」と七つの書物を取り出して、勝千代に与えた
それは、六韜(りくとう)、三略、孫子、呉子、司馬法、蔚僚子、唐太宗問對
これら七書は兵法の書である、五事、七事、攻城、野戦の全てが書かれてある
勝千代は小躍りして「これこそ儂が求めていた書物である」と言って、昼夜惜しんでこれを全て読み覚えた。
また九歳になった三月の事、近臣が「そろそろ青麦の中に雲雀(ひばり)が見える頃ですから、雲雀の子を取りに参りましょう」
そう言って、勝千代を青々と茂る野外に供をして連れ出した。
雲雀のさえずる声、空に舞い上る小鳥、勝千代の心は踊った
近習の壮士、遊び相手の小童そろって麦畑に駆け入ると「ここよ、ここよ」と探し求めるが皆、巣を三つも見つけるのが精いっぱいなのに、勝千代は難なく二十も探し取ったので皆不思議に思い聞いてみると
「鳥は賢き者であるが、また愚かなる者でもある、餌を取りに飛び立ち、人のいることを警戒してわざと巣と離れたところに舞い降りて、麦畑の中を巣まで歩いて戻る、しかし早く次の餌をとりたいと急くあまり、巣から直に飛び立つのではないかと、ふと思いつき、飛び立った場所を探ったらやはり巣があった
それだけのことである」
皆、それを聞いて飛び立つった場所を探すと、なるほどそこに巣があった。
近習そろってわが君の聡明さに驚いたのである。