神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 6

2024年02月08日 18時57分45秒 | 甲越軍記
 山縣河内守虎清、これを制止しようと信虎に詰め寄ると
「おまえまでいらざる諫言をすると申すか、一言でも口を開けばたちどころに切り捨ててくれるわ」と信虎が威嚇した。

虎清ははらはらと涙を流し「われら最初から申し合わせての諫言でござる、今この場を戦場と思い、君のごとき御振る舞いは亡国の所業とにて、いずれ隣国によって新羅殿以来あい伝わって来たこの国を失うことは疑いなし
そのような様を見るより諌死する方がましである、この一命投げ捨て今は聞き入れられずとも、いずれか後に心改めて善道に戻っていただけるなら死して本望でござる」と虎清はその座を動くことなく穏やかに言った。

信虎は聞くやいなや躍り上がり、拝み打ちに山縣の脳天を割り、鼻の所まで一刀に切り込んだ。
山縣はどっと仰向けに倒れたところへ胸の上に乗って「汝への引導を渡す前に聞いておくが良い、われの諫言など聞く気はさらさらなし、これを土産に無間地獄に落ちるが良い」と言うと刀を持ち直して山縣の胸先に深々と突き刺した
惜しむべし、重代の忠臣は暴悪の手によって滅びてしまった。
馬場伊豆守は深手ながら、まだかすかに息をしていたが信虎は馬場をもとどめを刺して殺した、まことに残忍悪行の振る舞いであった。

 信虎が重臣である二人の諫臣を手討ちにしてからは誰一人諫言を申す家臣は居なくなり、信虎の慢心はいっそう強くなった。
信虎の日頃の住居は竹の間と称して、左右前後に隙間なく竹を描かせた、
虎は千里の竹林に棲み威を逞しくするという、信虎もまた自分は虎であると自負して、竹の間にて威を張るのだった。

古今東西 兵(つわもの)合戦

2024年02月08日 06時29分17秒 | ライフスタイル
 この数日、0時前後まで起きていて、朝は7時から8時まで気ままに寝ている
カニ漁の手伝いが無くなった反動なのだろうか、また自由奔放な暮らしに戻った
それなのに気が抜けてしまって、朝は寒いから、昼はみぞれだから、夜は暗いからと理屈をつけて、外出も少なく、すっかり怠けものだ。

怠けものになってみて、ある朝ふと考えた(何の為にもならず、このまま死を迎えるまで生きているだけなのだろうか)
雪国の老人の自殺率が高いのは、こんな冬ではないだろうかと思ったり
私は大丈夫です、なにしろこうしてブログで退屈しのぎができるから。

ブログと言えば、日記の転記もすまないうちに、今度は「旧字体、仮名の漢文調」の書物の現代文変換を始めてしまった
やりだすと面白くて深みにはまるのが私の欠点(長所かも)、ざっと読んで大意をつかむのは1ページ数分だが、転記の為、読めない漢字を上から下から斜めから睨んで解読するのに手間がかかる
だから1ページをブログに上げるのに30分くらいかかる
いかんせん田舎の学校ゆえ、古典の授業は週1時間しかなく、全くの無知に等しいので苦労する
一日1ページ半くらいのアップで、第一部が330ページほどだから毎日書いても200日は超えそうだ、とうぶん退屈はしないだろう。

この書は江戸時代前期に書かれたものを、江戸時代末期の編者が編集したものである、武田信玄、上杉謙信の親の代からその性、戦を事細かに書かれており、また両家の出自も詳しい。
その内容の信ぴょう性は歴史資料としては甚だ疑う学者が多いが、戦記物語としては面白い。
私はいつも、両雄が初めて顔を合わせるシーンが大好きで、この物語も今度初めて読むので、どのように描かれるのか楽しみである。
今現在、信玄は生まれたばかりの赤子、謙信はまだこの世に存在していない。
この本を訳しはじめて気が付いたのは、中国の漢書の故事から引用して諫言する場面が多いことだ
私も中国の三国志や、項羽と劉邦の戦い、伍子胥と楚、呉の因縁など近年興味を持って少しかじったから、多少の文脈がわかる
このあと和歌をたしなむ女性の悲劇も出てくるが、今大河で平安貴族の和歌を楽しむ場面も出てきて、それも少しはうれしかりけれ
和歌はまったく未知の世界なのだが食わず嫌いも解消しないといけないかな

和歌は歌だが、文学では古典、それなのに学校で学んだのは「はるはあけぼの やうやうしろくなりゆく・・・」くらいしか記憶にない。
今さら、こんなことを始めるなんて信じられないが、突然そうなるので神様の思し召しなんだろうか。