天文元年には12歳になられたが、その年の八月中旬の宵
月が朧のたたずまいに、勝千代君は供の者も傍におらずただ一人、何を思うでもなく庭先を眺めていた。
年齢は未だまだ幼いが、毎日弓馬を錬磨し、毎朝必ず馬を乗り回し、その後は射術、体術、剣術と日々励み庭先の向こうは的場で、そこには木馬が置かれてあった。
この時、その木馬が体をゆすると話しかけて来た、勝千代は少しも驚かず、その方を見ると木馬は
「勝千代殿、剣術と軍法はいずれが得意であるか?」と問いかけて来た
勝千代は「玄妙一致いずれも得意なり、是剣術の妙なリ」と言い放った瞬間、飛び上がり木馬の前に降り立ち、小太刀で木馬の頭を何度も叩いた、されども音も立たず。
勝千代は何事も無かったかのようにその場を離れ、その後出会った近習らにも今宵起きたことを離さなかった。
翌朝、掃除の者が庭を掃いていると、茂みの中に大きな古だぬきの死骸があった、背中の毛が抜けて、頭が切られていた。
「誰がこのような事をしたのだろうか」怪訝に思い聞いてみたが誰もわからなかった。
勝千代も話を聞いて、さては昨夕の木馬の正体はこれであったかと思ったが、やはり誰にも話さなかった。
昔より、古だぬきら狐狸天狗の類、人心を試す
但し平凡な人間は相手にせず、千万人にあって、卓越した才の武術の達人や知謀に長けた者だけを試すのである。
昔、京の都の紫野の辺りに、千歳を超える野狐がいた。
ある時、人に乗り移って語るには「われは大徳寺の一休禅師が道心に優れたるものと聞き。憑りついてみようと思い、何度もうかがってみたが禅師の心は微動だもせず、取り付く島がない。
狐狸が人に取りつくのは人の心が揺れ動く隙に、手足の爪と肉の間から入り込むものである・
心と志に満ち足りているものには、その隙が無く取りつくことができない」
そこで友の古狐と示し合わせ良い考えに至った
「一休禅師は閑になると尺八を吹くのが楽しみである、そこで禅師が尺八を吹く時に、尺八の中に友狐が入り込み、音色が出ないようにする
儂は禅師の膝元で構えていて、禅師が音が出ないことにうろたえた時こそ、禅師の爪から取りつこうと待つ」
はたして禅師が尺八を手にしたとき、友狐は打ち合わせの通り尺八の中に入り音道を塞いだ。
禅師が吹くと、案の定音が出ない、ところが禅師は少しも慌てず(これは狐の悪さに違いない)とすでに悟っていた。
そして尺八を逆さまにして音の出口から強く息を吹き込むと、狭い吹き口の方に友狐は吹き出されてしこたま痛い目に遭った。
それ以来、友狐は三か月の間、心身ともに病んでしまった。
誠に出来たる人とは、このようなものでいかなる大事にあっても少しも慌てないものである、わが勝千代君もまた一休禅師同様の胆力、気力を備えた傑物であることは疑いない。