神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 12

2024年02月14日 19時05分22秒 | 甲越軍記
 二人は一日何度も城中に駆けつけて、ついに阿竹という取次の女房に出会うと
「この度、信州の村上義清、小笠原長時の両名は当国の農民をたぶらかし農民もこれに同意して凡そ2万人が韮崎に集結、お館に攻め寄せんと画策しておる由、両家の旗先は原あたりに見えたので注進に参った次第である、危急につき急ぎ参上した、ぜひ御屋形に取次ねがいたし」

阿竹は驚いて、ただちに奥に入り、前夜泥酔して寝ている信虎をゆすり起して、両名からの件を伝えると、たちまち飛び起きて阿竹に長光の大脇差を取り持たせ、目をこすりながら広間に走り出て、「村上、小笠原が押し寄せたとは、その勢いかほどであるか」と問うのに対して、両名は
「一揆が蜂起したとは我らの偽りでござる、騒動はおこってはおりません
我らは近頃の御屋形の行状に耐えかねて諫言に参ったのです
しかるに先の件でお目通りを禁じられ、なんとか目通りいたす方策は無いかと思い、この計を思いついた次第
その昔、馬場伊豆守、山縣河内守諌死なされたが、その後われらは今日までむなしく過ごしてまいりました、しかし山縣ら両名の諌死にも関わらず、御屋形の行状は以前にも増して愚かな振る舞いが目立ち、もはや御家の傾くこと疑いなく我らも諌死するときが来たと御前に罷り越した次第であります。
亡国の根本を思うに四民の業の安泰かなわず、臣が上に背いて去る時には我が国ばかりではなく漢土の王朝もまた亡国のきざしなり
思うに、今井杢之允は戦場にて数度の功をあげた忠臣でありました、それに対して非業の死を賜ったのは彼の御番を怠った罪ではありますが、死罪にするまでの重き罪だとは思われません
またその子、弥太郎には本来なぐさめるべきなのに、親と同じく死罪を申し付けられました、そのため弥太郎は出奔し当家の怨敵である村上義清に身を預けたこと、お味方二人の勇士を失い、敵方には一人の勇士が加わったということは己に三人の敵を得たと同じであります。
弥太郎は若年とはいえ15歳、もう一人前であり御当家の軍法も熟知しております、これは敵方にとって数百の味方を得たも同じ、当家は逆に数百を失ったの道理。
臣民みな御屋形の武威にひれ伏して四方みな敵で溢れかえっても怖れることなしと申されるが、それは死を賜ることを恐れて形のみ従っているだけのこと、いつ離反しても不思議はない
隣国に名将現れて当国の臣民を扇動すれば、たちまち臣民反逆して敵の手の内に罷り出て御屋形より離反するのは必定であります。
先祖より伝わる名家の御当家も、愚かなる御屋形の代で滅亡し群臣零落の姿を見るよりは、首を刎ねていただき、あの世にまかり出て先代以前の御名君に、お仕えいたします」

思い入れて諌める両名の姿こそ、真の忠臣の姿である。
しかるに信虎、短慮の暴君、たちまち真っ赤になって怒り狂い
「気持ちよく寝ているものを嘘の方便で叩き起こし、そのうえ愚にもつかぬ恨み言を並べるとは許しがたい、当家の滅亡などと不吉な言葉を並べくさって、この曲者どもが、近習どもの手を煩わすまでもない、この儂が自ら今生の暇を取らす」
例の長光二尺一寸で工藤下総の頭上より一閃振り下ろし、暴虐の人と言えどその武術は人にも優る手練れなれば、頭まっ二つに切り割った
内藤相模守すぐに刀を奪おうと近づき「無道の暗君、いかに正体無くとも黒白を分かちたまえ」と叫ぶ
信虎、聞く耳持たず右の腕首を討ち落し、返す刀で左の肩口から胸まで切り裂けば、知勇に優れた二臣といえど老体の上、痛手を蒙り倒れるところをとどめの一刀突き刺し殺した。

この日以後、誰一人として信虎を諌める家臣は無く、ますます信虎の暴虐は留まるところをしらず、気に入らぬ者はたちまち命を絶たれ家を失った。


臍(へそ)

2024年02月14日 06時24分42秒 | 時代検証
 臍がどこにあるのか? 意識することがなくなった
今頃になって臍を探す 目を閉じて指で探っても、見当違いの所をいくばかり
もう目で確かめないと正確な位置がわからない

バブルの真っ盛り 連日連夜の不摂生がたたって、顔もお腹もまんまるになり
臍は、半円形の丘の頂にある池のように、大きなくぼみになっていた
お風呂に入ると、臍に湯が溜まって、ますます池のようになったものだ
さすがに今はバブル崩壊の如く、丘もバブル期よりは標高も低くなっている
それでも臍の池は健在だ と、言いつつまた確かめてみる
否、けっこう池も小さくなっている

六年前に、父母が相次いで亡くなり、遺品整理をしていたら
タンスの子引き出しの中に小さな桐箱があった
何かなと開けてみたら、妹のへその緒であった、さすがに現物を見ようとは思わないので、そのまま蓋をして、妹に連絡した。
「そんなのいらないよ」妹は、ひとこと言っただけで全く興味が無い
私のへその緒もあったことは記憶にある、だがどこにあるのかわからない
何かの加減で、もう我が家には存在していない、別に欲しいわけじゃないが

今、わが町には産婦人科が消滅して、町医者も、たった一つの総合病院にも産婦人科がなくなった。
ということは産気づいたら、小一時間かけて隣町まで妊婦を搬送するしかない
さすがに市長や議員の評判が下がって、大学病院から医師が派遣されることになったが、処置能力は50%以上低下した
もっとも人口、婚姻数、出産数も大幅に減っているので深刻な問題かどうかは今の私にはわからない、ただ妊婦にとっては不便で不安だろう

子育て問題を論じる前に、安心できる出産問題の方が優先されるべきだ
不安なままでは子を産む人も減るかもしれないし、不便な町に愛想をつかして安心できる町に出ていく人も増える
2050年にはわが町の人口は今の40%くらいになるらしいから、今でさえ不便で寂しい町は、どんな姿になるのか・・・見ないで済む方が幸せかもしれない

産婦人科の話をしながら気が付いた
私が生まれた頃は上流階級はいざ知らず、庶民階級では自宅に産婆さんが来て
家で子を産むことが多かったことを思い出した
町を歩けば「産婆」の看板もあった気がする、あの頃は医者より産婆だった
出産死亡率とか野暮なことは言わないで純粋に考えれば、産婆という存在はありがたいものだった、ゆえにへその緒も、存在するのだ
今はそんな看板も姿も見えない

テレビドラマ「春が来れば」では主人公の一人、瞳さんは3人だけの出産施設の介護士だ
今回は、リーダーの先生が「私たちの仕事は出産後のアフターフォローがたいせつなの、寄り添って出産後の悩みにもつきあっていくのよ」、そして出産後の悩めるお母さんには「一人で悩まないでなんでも相談して、困ったらいつでも、ここにきていいのよ、泊ったっていいんですよ」みたいなセリフがあった。

シングルマザーも多い現代では出産後、相談相手もなく一人で悩んで子にあたったり、鬱になったりする母親が増えているようだ
医師不足の病院は事務的にならざるを得ないし、忙しい看護婦もつっけんどんになるところもある

臍 普段は気にしないが、母とのつながりが唯一体に残った場所だ
臍を見て、たまに母を思い出すのも良いかもしれない。