それでも勇士はよろめきながらも攻め手が取りつく石垣めがけて多少の石を投げ落して食い止めようとする。
これもすでに晴信の策の中にあり、かねての通り大手口苦戦ならば搦め手より攻めあがる手筈はできている。
晴信は下より暗闇の中、火縄を振って采配とすれば味方の将士一斉に搦め手の石垣をよじ登った。
真っ先に荻原常陸之介、板垣の組下成瀬又左衛門、古川宮内左衛門、猛虎狂象の勇をもって駆け上り、荻原が一番に塀に取りついた
塀を守る敵兵も必死で槍を頭上から繰り出し、荻原の兜を突くが鍛えられた兜に槍が後方まで滑り、その柄を荻原はつかみ取り、ついには七本まで束ね掴んで引く。
成瀬も同様に塀に取りつくところを、敵兵は熊手を成瀬の兜にひっかけてこれを引き上げて首を取ろうという魂胆
成瀬はわざと塀際まで敵の力に任せて引きあげられていたが、櫓際まで上がった瞬間、縮めていた体を跳ね上げて中に飛び込み、抜き打ち様に敵兵を切り倒した。
「海野口一番乗りにて一番首をあげたは成瀬又左衛門なり」と大音声で名乗りを上げた、さらに敵中に躍り込み火花を散らして切りまくる。
古川宮内左衛門は成瀬に先を越され歯がみして、これも櫓塀を乗り越えて城内に攻め込む、次いで荻原も城内に入り、続けて20名ほどが後に続いて城内のあちらこちらに火をかけた。
その時、西風が起り火は東西に燃え広がった、城兵はもはや防ぐ術もなく逃げ腰になった。
裏手から火があがり、物音騒がしく大手の城兵にも動揺が走った
その隙に乗じて教来石の足軽20名ほどが城内に躍り込み、こちらも火をつけて走り回った
すでに城中は逃げ場もない程に火が回り、日頃の忠臣もこれまでと家族を連れて城から逃げ出した
これを見た源信は、もはや落城は免れぬと見て本丸に走り去り、「同じ死すならば妻子を刺し殺し、信虎父子の間に出会い、冥途の道連れにしてくれる」と独り言、妻子の元へと行った。
源信の妻は同国の住人、布施谷兵庫介の娘で十六の娘を頭に男女七人の子があった。末子は六歳の乙鶴という男子だが全てを刺し殺して戸、障子、襖を外して死骸を覆い火を放った
それから本丸を出て武田勢の中に飛び込み、例の樫棒を死に物狂いに振り回し当たる先から武田方は腕を折られ、兜は打ち割られ、脚を砕かれて、たちまち30人ほどが打ち倒された。
その時、大手より一番乗りした武田の勇士、教来石民部景政が源心の前に立ちはだかった。