神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

このごろ気分の良いこと

2024年08月09日 17時02分39秒 | ライフスタイル
 暦は秋の始まり
日中の蒸し暑さは相変わらずだがここ数日、朝夕が過ごしやすくなった
長崎、広島に原爆が落とされた日、そして終戦の昭和20年8月15日は暑い夏日だったとか。
我が父20歳は終戦の時は兵隊で、東京調布の高射砲大隊の中隊の通信兵であったが、天皇陛下の「堪え難きを耐え・・・」の玉音放送を全員整列でここで聴いた。
「戦争が終わった」突然頭が空白になった、戦争中には耳に入らなかったセミの鳴き声が耳に聞こえた。
天皇陛下の敗戦宣言を聞いた大隊長は、演台の上で崩れたあと。何も語らず下りて自室に消えた
父の終戦の日は真夏の一日だった。
そんな父が語った言葉を思い出している午前5時半、未だ涼しい。

この頃気分が良いことがある
毎朝4時半には目が覚めて5時から始まる一日、これが第一
ダメになったまま放置しておいた10か所の網戸を全て取り替えて、今まで風を取り入れられなかった窓から一斉に風が入ってくるようになったのが第二
障子と襖をお盆前に自分で張り替えたことが第三
抗がん剤治療の副反応も最小限度で治まっていることが第四
心配していた病気による体力低下と夏バテが全くなく、食欲旺盛であるのが第五
思ったより日中活動できることが第六、治療終了後のビジョンが出来たことが第七

今日も元気でいられることがありがたい
私を支えてくれているすべての人、すべての事象に感謝。

大宰府天満宮











「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (164) 長尾家 77

2024年08月09日 08時41分45秒 | 甲越軍記
 寄せ手はますます意気上がって勇み、逆茂木を踏み破って城内に入り込んだ
城兵も城門、柵を打ち破られては勝ち目無しと必死の抵抗、大木、大石を転ばし、霰の如く鉄砲を撃ち放てば、寄せ手の死傷者は数知れず崩れ発ってひかんとする。
宇佐美勢の中より高田瀬平、館勢の中より矢野孫八、一様に黒糸縅の具足をまとい、二人等しく躍り出て高梨が新山の城を落したことを悔しく思い、味方が引き下がる中を二人は同時に進みゆき、敵の銃丸降り注ぐ中も少しも怖れず、金梃子を引き下げて柵を打ち破り、塀下に至る
木村伝左衛門もこれを見て、「某もここにあっては両人に劣るべし」と言うと同時に同じく塀下まで駆け寄り三人力を合わせて、金梃子を石垣の角石に差し込み、「えいえい」と力をこめる
城中からは、これにめがけて鉄砲を放つ、これにより矢野孫八は冑の天蓋に銃弾を受けて倒れ死す
高田と木村はこれを恐れず、なおも力を込めて角石一つをついに引き抜いて転がせば、さしもの堅固な石垣も八、九間に渡って「どっ」と崩れ落ちる
誠にめざましき三人の働きであった、宇佐美勢は是を見るなり「これにて城はわが手に入ったも同然」と五千余人、崩れた石垣を足場にしてどっと喚いて乗り入る
高田瀬平は一番に乗り入れ、鉄砲の士をなぎ倒して「高田瀬平一番乗り」と大声にて叫んだ、続いて木村伝左衛門が二番乗りして、これもまた敵を斬りまわる
次々と府内勢が打ち込むと、城兵はたちまち二百余人討たれ、総曲輪を破られて二の丸に立てこもる
大将の金津伊豆守は「もはやこれまで」と最期を決めれば、広間にて最後の酒宴をなさんと扇を開き舞う、剛の者らも交わり相次いで扇を開いて舞えば、女房達もこれを見て大いに笑い出でて、妻女は「されば御肴をたまわらん」と言うと同時に当年十歳の男子と六歳の女子あればとって引き寄せ、短刀を抜くより早く二人の胸を刺し貫きて殺害した、そして返す短刀でわが喉に突き立てて自害する
伊豆守は「見苦しき後を敵に見られるは恥也」と死骸を一所に集めて調度を積み重ねて火を放った
「これにて心安し」と言い「さらば打って出ん」と叫ぶと近士百ニ十人一斉に轡を並べて本丸城戸より、雲霞の如き敵勢の中に真一文字に攻めかかった。