神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

病気で変わる心

2024年08月29日 20時48分09秒 | 心 思い
 人生初の手術が74歳とは、それだけ健康に過ごしてこられたと言うことで、ありがたいのだけれど、入院前と入院中と退院後では、ずいぶん心持が変わった。
人生感が変わったともいえるが、入院前の心持が思い出せないくらい遠い過去に思える。

たしか、あの頃は煩悩がどうしたとか、業がどうとか言っていたことが多かったように思える
だが入院していた20日ほどの間に、余計な何かは、かなりきえさったように思う
そうだ、ずいぶんとコンパクトな思考になったと思うのだ
「憑物が落ちた」とかいうけれど、そんな感じ
病院が随分と住み心地が良くて、しかも空気が良いのか? 鼻の通りも良くなり
眠ければ寝るし、目が覚めれば夜中でも起きるし、そんな生活も覚えた
ようは時間感覚が薄くなった気がする、今が何時であってもかまわない、但し予約とか約束時間だけは守る
断捨離なんかよく言っていたけれど、日記を捨てるとか、レコードを始末するとか言っていたが、今はそんなことは、どうでもよくなって無駄な努力はしないことにした。

なんなんだろう時間が見える、時間がとろみの付きすぎた寒天羊羹みたいにまったりして見える
そんな時間の中を私は急ぐ必要もなく、羊羹同様にまったりと動いている
朝食を6時半に食べるとか、22時に寝るとか、そんなことはどうでも良くて、食べる時間は、調理を終えた時間であり、寝るのは眠くなった時間なのだ
もう、そんな贅沢な時間を送ることができるようになり、それが最大の幸せになった。

思いもよらない大腸がんを患って、手術をして、抗がん剤投与が始まって
それは、まるで夢の中の出来事みたいで、自分はSF小説の中を動き回る登場人物みたいな気分で生きている
入院前から、他人が理解できないような人間関係の中で生きてきたが、今は本当の睡眠の中で毎晩そんな夢を見ている
「夢が現実になった」というが、私は現実が夢になったのだ。

こんな病気を患ったことがなんだか人生の刺激になっている、スパイスと云うのかな・・・
けっして嫌な経験ではなかった、むしろ貴重な経験で、いままでであったことがない数十人の病院スタッフと知り合い、話した、話している、そんな状況がたまらなく好きだ
注射は大嫌いなのに、注射をうつ看護師と短い言葉を交わすのが楽しいし、大好物を食べたくても食べてはいけないと我慢するのも何だか誇らしい。

抗がん剤の点滴をやっている2時間が、やたら静かで、あの静けさも好きだ
まるで座禅をおこなっているような心持になる
点滴室の空気が、それは「し~ん」としていて私の他にも数人いるような気が全くしないのだ、それはスマホ会話が時々聞こえる入院時の大部屋ともまったく異なる。
点滴室の静けさは自分を思うには最適で、何を思っていたのかも点滴が終わると同時に忘れてしまう。

今が多分、一番「生きてる」感が大きいのではないか
一日一日、朝が来るのが待ち遠しく、目が覚めれば、まずは外に出てプランタンの花々に水を撒き、ついでに玄関先にも水を撒き、新聞をもって台所に戻り顔を洗い、歯を磨き、神棚を新たに祀り、仏壇を新たに飾る
そして一坪畑を確認して、少しの収穫と整理をして、それから朝のおかずと汁物を作り食べる、ここまでは毎日同じルーティンになった。

抗がん剤治療が規定回数を終えることが、最大の目標になっている
それは2クールで今はストップしている、年内の行事計画も早くから立てていたが、それも狂いだした
やはり計画とは達成が最終目的地なので、ストレスではある
だから一刻も早く4クールを終わらせることが今の自分にとってもっとも大切なことになっている。

春になって、重い冬の外套やセーターを脱いだような気分が今だ
気分とは気持ちであり心である、ずいぶんと軽やかになった
それは知らぬ間に多くのものを捨て去ったからだ、それは構えて捨てる「断捨離」とは全く別物である
無意識のうちに消え去っていくものもたくさんあるのだと、今思っている
ただ自分は、そうしていても知人や家族が持ち込んでくることがある
それを自分が処理するのは小さなストレスだ、ただそんな刺激も無いと、本当に立ったまま寝てしまいそうだ。






「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(184) 甲越 川中島血戦 11

2024年08月29日 08時23分48秒 | 甲越軍記
 翌日、晴信は、加藤駿河守、山本勘助、原美濃守、小幡織部正を呼び、景虎の武勇、軍術の程を尋ねた。
山本勘助は「景虎の昨日の軍立てを見るに、若大将と言えども噂通りの智勇兼備の名将と存じます
此度は六千の兵を率いてわが一万五千より不利なることを察して、丸備えの陣形をもって先陣より無二無三に攻めかけると見せておき、自分は旗本勢のみを率いて、先陣の戦を脇に見てわが本陣に攻め寄せて一気に勝負を付けようと謀った
されどもわが方の備えの堅さを見て、公の軍術の高さを知って荒働きではとうてい太刀打ち出来ぬことを悟り、早々に軍を引き上げたのは、並みの将にはできることではありません
なかなかの知謀の器かと存じました、勇猛はあくまでも逞しく、健やかにして、差し掛かる軍を回さぬ性質かと存じます
今後の景虎は君を挑発して腹を立たせて、備えの乱れを突いて攻め寄せる策を用いるかと思われます、公は、誘いに乗って御腹立ち無きよう備えを堅め給わるべし
景虎は若年故、当家と戦って勝てば誉れ、敗れても君より若年なれば恥辱とならず、景虎の戦法はこれからも旗本対旗本のしゃにむな決戦を挑み続けると思われます、我らはただ陣法を守り、備えを堅くして長尾の武力に崩されぬよう努めて居れば、勝を得るでありましょう」と言えば
原、小幡、加藤も各々、山本の今の言葉を金言なりと讃える。

大将晴信は「いかにも山本が申すはもっともなり、我勝利しても誉とならず、敗れれば恥辱也、彼の軍立ての賢きは末頼もしき男なり
我が相手になりて矛先を争う者は、景虎なり」と申せば、諸将は晴信の名将の軍慮に感じ入る。

越後の大将長尾景虎は、その夜、陣営にて諸将を集め軍評議を行った
長尾越前守政景、柿崎和泉守景家の猛将は声を揃えて「今日、武田家と初めて戦ってみたが互角の戦とは言え、なおしばし戦えば武田勢を一戦にて打ち破るは必定であった、それなのに兵を引き上げたのは返す返す無念でなりません」
と、こともなげに言うのを、宇佐美駿河守定行が進み出て
「両将の仰せはもっともでござる、されども某、武田の備えをつらつら見るに中々知謀優れたる大将と見受けた
当家の諸将の勇は、鋭きと見て、これにまともに当たればたちまち敗れるを察して守りを堅固にして備えに徹した
ここに両将が攻めかかれば必ずや勝利は疑いなしでござる、去れども一時の勝を得たとしても、すべての勝利とはいえぬは明確でありましょう
卒時に軍を出すよりは、何度も対陣を重ねて敵の守るところを少しずつ奪って敵が怠る時こそ一戦にて全勝を得ることが肝要と存じます」と申せば、景虎もこれに賛同して五日の間、ここに陣を敷いて敵の動くのを待ったが、宇佐美が申した通り、敵は固く陣を備えたまま、とうとう攻め寄せてくることはなかった。
「甲州勢、戦を好まず陣を固めて我らが攻め来るを待つならば、先に攻めれば敗れる道理なり」と景虎は陣払いを決めて、越後に戻った。