神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

調子に乗りすぎたかな

2024年08月06日 18時43分48秒 | yottin日記
この頃 調子が良いから ちょっと調子に乗って 食べ過ぎちゃった 
昨日の 夜から お腹が はった 感じ、ちょっと 苦しい 考えてみれば 食欲と 体調は 別物 そもそも 大腸の一部を 切っているのだから 前と同じような気分で 食べていれば そりゃ あ 調子は悪くなるだろう
 しかも まだ 抗がん剤 半ばに達してないんだ、 まだ治療中の身なのに 一人前に食べようなんて 馬鹿な考えをした 
口が美味いのも考えもんだ 、また 食事の量を 3割減らして ご飯も お粥っぽい 感じに して 消化を助けよう まだまだ 無理は禁物。
と昨夜は少し苦しい思いをして、薬の副反応が出たのかと心配したが一過性だったらしい、暑気あたりというやつだったらしい。
今日は、普段に戻って一安心。

久しぶりに一日中、わりと涼しくて室温は29度、今月初めてエアコンをつけないで済んだ。
襖張りのメインもはかが行って、4枚の内2枚を完成させた
それから兄弟、親戚にお中元を贈ったが、冷凍のサーモンを半解凍してから切って、パッケージしてから荷造り包装、それから宅急便で発送
現役時代の商品発送と同じ手間をかけているから、これだけで2時間かかった
しかもドジャース戦を見ながらの作業だからさっぱり進まない

野球が終了したので、今度は妹の事務所にもお中元を届けに行って、1時間ほど話をしてきた。
そうそう午前中に市の放送があって、広島の原爆犠牲者に黙とうと言うことで、私も家の中で黙とうを捧げた
わが国民が被った都市の四大災害、災難、広島、長崎の原爆犠牲者、東京空襲、東京、横浜を襲った関東大震災、いずれも10万人を超える人が亡くなっている、このような事実を見ても今なお核兵器を作り、それをちらつかせるバカ者が居る、人間とはいったい何者なのか? 平和に楽しくみんなで暮らすことができないのか、結局人間に欲心がある限り無理なのだろう。






「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (161) 長尾家 74

2024年08月06日 09時11分10秒 | 甲越軍記
 城兵らは大手、搦め手、城内と三方に敵の軍勢を引き受けて、すでに敗色濃いと悟り勢いは失われ、大将黒田和泉守の叱咤にも足は萎え、力も失う
黒田和泉守いかに勇なりと言えども従卒の崩れたつ姿に和泉守も力を失い、敗兵と共に城内に引き上げる
高梨源三郎、長尾備中守の勢は敵の引くところに付け入り、一同に城内に攻め入る、この時には搦め手の城兵もまた心臆して色部勢の成すがままに切り立てられていた
すでに二の丸も景虎方によって攻め落とされ、足元には累々の死骸折り重なり城兵は戦うことを忘れて逃げ惑うばかりであった

和泉守も、もはや討死の時と悟り、この上は敵を道連れにせんと八方に当たり、四面に向かい、当たるを幸いに斬りまくれば実に稀代の形勢なり
これに当たって討たれるものは数知れず
黒田の勇将、富田左馬助は城外で山田、宮川の勢と渡り合っていたが、二の丸も最期を迎える様子に、主和泉守の身の上を心もとなしと槍を挙げて主を探し探し、群がる敵をなぎ倒しながら行く
これを妻我孫兵衛が見て馬を寄せ、一文字に撃って懸かり左馬助と渡り合う
ここに山田源五郎も馳せ寄り、左馬之助の馬の太腹を突けば富田はこらえきれず落馬のところを引き敷いて首を取る。

加藤左衛門は脇坂外記に槍をつけられる
この時、黒田和泉守はなおも猛威を振るいて寄せ来る敵を討ちに打って戦っていたが、金石ならぬ身であれば数か所の手傷を負い、働きも次第に自由にならなくなり、今はこれまでと本丸に引き返して自害して果てる。
黒田の勇士、元川半左衛門、神子田但馬、豊田与総次、一柳主馬ら、「主人の最期を見届けて死出三途の川にお供仕らん」と三十余人互いに刺し違えて死する。
その他の兵卒は蜘蛛の子散らすがごとく四方八方に消え失せる
このことを注進するために妻我孫兵衛に山田源五郎を付けて、黒田と富田の首を添えて府内に走らせれば、景虎大いに悦びあって、高梨源三郎に感状を添えて、太刀、馬を賜い、妻我孫兵衛、山田源五郎には「此度の勝利は汝らが働きによるところ大なりと厚く褒賞を賜う
両人は恩を謝して悦び勇んで新山城に帰った。