今日から 第3回目の 抗がん剤治療が始まる、 治療室に入ったら 私よりちょっと年上に見える色の 黒い おばちゃんが いた、 そして 独り言のように「 この部屋に来るようになればもうおしまいだ な」などと言っている
ベッドが10台横並びだ、時間がかかるからテレビがそれぞれにあって、無料で見られるがイヤホンは持参しなければならない
今日は私と、彼女と、年配のおじいさんの3人だけだ
受付が終わって 血液検査に向かった 、順番が おばちゃんが一番 私が2番 隣同士になった
病院では 名前 と 生年月日をいわせる それで気がついた、 このおばちゃんは 高校の時の同級生だった 、だけど 2時間の点滴中に色々話しかけられるのも嫌だから 知らん顔していた
採血が始まったが 若い看護婦は 下手くそで 1回目は 失敗して 2回目は 2本取るところを 1本半で 血が入らなくなったと言って 中止した
これで間に合うかどうか聞いてきますと言って 奥へ行った 、20分 待たされて 結果は もう1回 1本分だけ取る ということになった
今度は ベテランの看護婦に 代わって あっという間に終わった 1回で済むところ 3箇所も 針を刺された
点滴治療室に戻って 血液検査の結果が 分かるまで 点滴ができないので 本を読んで 待っていた
小1時間くらい 待っていたら ようやく結果が出て 担当の外科医が 説明に来た 白血球 赤血球などが 少なく、 白血球は 下限値の 75% 、赤血球は 下限値の 95%、 最も大切な 好中球実数 は 必要数量の 75% ということで 、前回よりも数値が明らかに下がっていた
今回 抗がん剤投与すると 危険な 状態だという 、yottinさんは がん治療ではなくて 予防治療だから 今回は やめても 問題はないということで、 ワンクール 3週間 お休みになった
予防のために やっている 抗がん剤で 、 命を失うようなことがあっては 本末転倒 だから ということだ、僅かな何でもないような細菌に感染しても敗血症 などの 恐れがあるので 、私も 快諾した
ある意味 ちょっと ほっとしたところもある この蒸し暑さの中で 抗がん剤治療するのは 少し きついところもあるのだ
次回は 9月の 上旬 だから 少しは涼しくなるだろう 、ただ このまま帰してもらえなかった
手術後 まだ 一度も検査をしてないので 次回のことも 含めて CT 検査 してから帰るように言われた
CT も もう慣れたけれど 今回も 結局 造影剤 を 血管に 1分半 流すので また 注射だ、 ところが またこの看護師も下手くそで 2回 失敗して 3回目で ようやく うまくいった 、ここでも3か所針を刺されて、両手共に絆創膏3つずつだ
造影剤は 副作用ある 結構きつい 薬で 、体が 一気に 熱くなる、 1回目に 失敗したところに 少し 造影剤が 流れたので しばらく そのあたりは 熱かった、 結局 採血と合わせて 6回も 針を刺された 、2回で済むところを6回 だから 「これじゃあ ハリネズミ だ」と 皮肉を言ってやった
気の短い人間だったら 相当なこと言っただろう 、私は平和主義者だから ハリネズミ くらいにしか言わなかった
これで 抗がん剤治療は 先送りになったので、抗がん剤の 終了も 順調に行っても 3週間 先延ばしだ 、10月まで かかる ことになった
次回も 検査結果では 中止か 薬の量を減らして やるか あるいは 赤血球などの 数値はが基準値に戻れば 普通にやることになる
やはり ガン治療は 一筋縄ではいかない 、部屋を出る時に 同級生に「おい、Yさん、俺たち高校の同級生だよ」と言って顔を見せた、 向こうはマスクしている私を「 わからない」と言ったが 名前を言ったら「 あー 板前さんやってた人だね 」と思い出してくれた
彼女も 癌のようで 私よりも 厳しそうだ 、抗がん剤も私より1週間長い3週間やって、1週間休みだと言う
頭の毛が だんだん 抜けてきて もう カツラを 発注したと言っていた、たぶん抗がん剤の種類も量も違うようで3時間くらいかかるらしい(私は2時間)
まあ元気そうに大きな声で話していたのが 安心材料だが 同級生も かなりの数は 癌に かかっている
10年以上 元気でやってるのもいるし 亡くなった人もいる「 そんな年頃ですね」 と 打ち解けた 担当看護婦 も 言っていた 全くその通りだ 、70代だからと言って 安心していられない
「舟唄」八代亜紀 高音質 1981年 私と同世代、昨年年末に亡くなってしまった、まことに残念だった