神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

地震大国日本と未来空想

2024年08月08日 20時32分34秒 | 自然災害
 今日も海王丸パークへ行って来た
朝まで結構な雨が降っていて涼しかったが8時には止み、お昼前にはまた夏の日差しに戻って暑くなった。
こんな猛暑の時は家にいれば電気料がかさむし、エアコンを使わなければ体が参ってしまう、外はもっと暑いが、海辺に行くとけっこう涼しい風が吹いていて日陰にいると涼しいのだ。

夕方、四国の太平洋側(高知県)から九州南部にかけて震度6の地震が発生した、津波警報も出た
正月早々能登沖地震で始まり、未だに復旧作業ははかどっていない、それなのに能登沖以後も各地で地震が続いている
先日には、富山県から新潟県上越市にかけてこの先、海底震源の大地震が起こる確率が高い発表があった
当然それは私たちの生活圏で少し肌寒さを感じる発表だった
能登沖地震でも相変わらず富山県は大きな被害はなかったが、津波がある程度やって来た
地震には慣れっこのわが地域ではあるが、津波襲来と言うのは能登沖地震が初めての経験だった、結局は数十センチで終わったが、我が家の地域はたぶん海抜10m以下、海岸からは1km少々だから三陸並みの津波が来ればひとたまりもない
能登沖の時にはラジオから「すぐ逃げて」のヒステリックな声に驚いて車ですぐに逃げたが、あれ以来地震と聞くと津波がよぎるようになった。

一週間くらい前に地元業者が同業者に頼まれて、能登沖地震の災害現場の調査に行って来た
災害現場と言うのは輪島市の山間部で、山崩れの現場だった
崩れた山の復旧工事に伴い、山頂部を削って崩れた部分を埋めてコンクリートなどで固めて補強する、災害現場ではよく見られる工事だ。
山の森林を伐採するので自治体は、地主に補償をすることになる、その為に伐採する木の本数を正確に数える仕事なのだ。
調査する現場の山の高さは100mほどで70mほどが崩落しているそうだ
一日目は夜遅くに着いたので七尾市で宿をとり、翌日2時間以上かけて輪島市の現場の山に着いた、山は急傾斜でえぐれており、そこを上って上まで行く
暑いさなかでもあり、そうとう体力がきつくなる
輪島市内も山間部も、途中の村や町も見たがとても復旧が進んでいるようには見えなかったそうだ。
輪島や珠洲など地震被害が大きかった地域では宿もとれないので金沢市まで戻って、そこで一軒家を借りて泊った
翌日は3時間半かけてまた山の現場まで行ったが、土砂降りになってろくに仕事もしないうちに元請け会社から「土砂災害の危険があるから」と強制退去の指示がでて、また金沢まで帰ることになった
さすがにこれでは仕事にならないし、現場が危険すぎると3日目の仕事はキャンセルさせてもらって帰って来たそうだ
彼らの話を聞くと、まだまだ完全復旧は先になりそうだという
山間部が多い過疎の地域の復旧工事は困難が多く、優先度も低いのだろうか
先日の全国知事会でも東京都一強の様相で、都知事の発言に過疎化が進む県知事から反発する意見も出たそうだ
二重三重に高速道路が出来ていく首都圏、災害復旧もままならない財源不足の地方、これを解決しない限り人口の片寄りは進むばかりだ
すでに解決策など無いのかもしれない、もしあるとすれば県ぐるみの強制移住しかないだろう、人口が減っていく地域の住民をあたらしく作った都市ゾーンに全員移住させる、そこは30万とか50万とかの人工的に作った都市、住宅環境、労働環境、アミューズメント施設、文化施設、老後の安心環境、先進的な生活環境を県や国が作って無償提供する、日本から過疎地を無くす、当然それは共産主義国家でなければ現実的ではない。





二人だけ キャロル



「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (163) 長尾家 76

2024年08月08日 09時52分19秒 | 甲越軍記
 この夜、黒田内匠、大鳥玄蕃六百騎、馬も人も音を立てぬようにして館四郎兵衛の陣屋に近づき、鬨をあげて攻め入った。
思いがけぬ夜襲に館勢は驚き、防ぐこともならずたちまち崩れて逃げ出した
黒田内匠は勢いのままに、中条越前の陣に攻め寄せた、中条勢はしばし抵抗したけれど、黒田勢の勢いに抗しがたく、これもまた本陣目指して逃げていく
黒田、大鳥の軍勢はますます勢いを増して「宇佐美の本陣とても中条らが守りと違うことあるまい、一気に本陣を攻め落とし宇佐美の首を取っやろうではないか」と勇み立って馬を走らせた。
中条らの先陣と宇佐美の本陣は約六町あるが、城兵は既に本陣まじかに迫っている、そして本陣の柵に攻め寄せたところ、思いがけず森の中から数百丁の鉄砲一斉に火ぶたを切れば、まさに雷鳴の如し
攻め寄せた城兵は将棋を倒すがごとく、前のめりにバタバタと打倒された
黒田と大鳥は大いに驚き、「さては敵の罠であったか」という間もなく、宇佐美勢が本陣から怒涛の如く騎馬を並べて攻め寄せる
城方は城目指して逃げ出すが、後ろから次々と討たれ、さらに逃げる先には、ここでもまた館勢の伏兵が城方に向けて左右から鬨をあげて攻めかかる
これによって大将の黒田内匠、大鳥玄蕃もあえなく首を取られた
ましてその他の軍兵の哀れなること、城を出た時は六百騎あったものが、城内に逃げ帰ったのは僅か八十騎余に減っていた。
急ぎ城門を閉じて固く守りに入ったが、すでに宇佐美、中条、館の兵は城門間際に攻め寄せて息をもつかせまいと攻めかかる。

黒滝城内では、散々に敗退した痛手に兵らは士気も落ち、このままでは籠城もおぼつかぬと城方の勇将、和田長門守は敵を退けんと三百騎を従えて門を開いて、館の陣中に躍りかかった、館勢は勢いに押されて後退したが、代わって中条勢が和田勢に襲い掛かって来た
これには和田勢もたまらず城中に引き返す、しかし和田長門はこの戦、もはやはかばかしからずと思い、城中に入らず従卒三十騎を率いて東を指して落ちて行った。