神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

今日は病院の歯科を受診

2024年08月19日 17時32分51秒 | 病気と健康
 今日もまた朝から暑い日差しだった
第二クールも今日で終わり、明日から第三クールに入り、明日は抗がん剤点滴の日になる
今日までの一週間は抗がん剤の休養日だったので、まだ一回しか行っていない歯科に行って、二回目の治療を受けた
一回目は前に書いたが、レントゲンを撮って治療の方針を決めただけで、何もしなかった
今日は、これまでの詰め物を外して、虫歯の部分を削り新しい詰め物で仮処置までやった

10時半からの予約だったので10時に受付に行ったが、家を出る前に小トラブルがあった、それは保険証が7月31日で切れていたのを気づいたのである
それで新しい保険証が来ていたはずなので探したが見当たらない、時間はもう9時半、ちょっと焦ったがマイナンバーカードがあるのに気づいて、これが今後の保険証代わりになるのを思い出して、受付の仕方をネットで見たら、暗証番号(なんでもかんでもこれでノイローゼになりそう)が必要
そんなのとっくに忘れているから、またピンチ、保険証が無ければ10割支払いだから、場合によっては今日は中止まで考えた。
どこかに暗証番号を書いたはずだと、思い当たるところを探し回ったらあった
ホッとした。 
暗証番号は個別に変えてあるから覚えられるものではない、いつもこれで手続きが停まってしまう、今日はなんとか見つけて安心した。

病院へ行くと、昨日まで病院はお盆休みと週末でずっと休みだったので、k評は超満員、すでに支払いの窓口には20人くらい並んでいる始末
待合所も、どの科も人であふれている
歯科の前も10人くらい待っていた、受付に行って保険証が見当たらないからマイナカードを使いたいがどんな手続きが必要か聞いた
すると「それは一階の支払い窓口でやってください」というので「じゃあ治療が終わってから手続します、ここでは保険証必要?」と聞いたら、歯科専用の診察券だけで良いと言ったので助かった。
どうせ30分以上は待ち時間があるからと、小説持参で行き、読み始めた
するとすぐに受付嬢が私を呼んで「今、支払い受付にyottinさんの保険証とマイナンバーの事を連絡しておきましたから、そっちに行ってから『歯科から連絡あった』と言ってもらえばスムーズに受付できますよ」とありがたいお言葉
本当に病院の心遣いが良くなって感心している

この病院も全国の過疎地同様大赤字で、近年中にも閉鎖して中核都市の病院との合併話もチラホラ出ている
中核都市までは50kmも離れているから緊急や妊婦はたいへんなことになる
市の議会の様子を見たが、議員の中にはこれを取り上げる者も何人かいて質問したが、関係課長はお決まりの答弁、市長も「今はまだ・・」みたいな呑気な答弁だったので、これから本当にどうなるか心配である。
こうなれば地方は富山も新潟も長野もなく互いに助け合うようにしなければ、どちらも消滅する危険がある。
金沢、富山、長岡、新潟、松本には大学病院も日赤もあるから田舎の人間がもっと使いやすいようなシステムにしてもらいたいものだ。

順番が来て、レントゲン写真で再確認、私の目の前にあるからよく見える
抜歯した歯は一本もなく見た目は一応28本揃っている
だがレントゲンを見ると深めの虫歯が5本、中くらいが2本、浅いのが2本ある
いずれも治療済みだが、4本がボルトを埋め込んであったのを始めて知った
これは全て町医者で治療したものである、病院の医師は今回の治療に際して、このボルトを抜くかどうかで悩んでいたが、いざふたを開けてみたら、ボルトのねじ山は切断されていて抜くことが難しいことがわかってあきらめた

町医者ではだいたい20分くらいの治療で毎週1回、4回くらい通って終了だが、病院は小一時間かけて治療する、もっとも今まで別の医院で行われた治療の修正だから慎重になるのだろう
本当は町医者でやれば良いのだが、抗がん剤治療中なので町医者では日程が難しい、それに外科との薬や治療の兼ね合いもあるから、同じ病院内でやった方が安心なのだ。
この治療があるために、治療も3週間に一度くらいのペースである、回数は4回らしい

町医者との違いは、歯の詰め物を詰めなおしたとき、町医者は消毒しながらピンセットでいろいろ詰めるが、病院はなにかの機械でセメントを流し込むような感じで埋めていくらしい(目隠しされていて見えない)
これは新しい感触で面白かった。
さて明日からはまた抗ガン剤か・・・皮膚科ももう一回行く必要があるし、まだまだ病院とはおさらばできない。



街の灯り/堺正章

「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (174) 甲越10年戦争 血戦川中島 1

2024年08月19日 08時52分37秒 | 甲越軍記
 信州に於いては、甲斐から信州を侵した武田大膳大夫晴信と信州の有力豪族、村上左衛門義清の合戦が止むことなかった。
武田晴信より信州佐久郡岩尾の城を預かる真田弾正忠幸隆は、天文十五年十一月、板垣駿河守、飫富兵部少輔、小山田備中守を岩尾に招き、「晴信公が某を召し出されてより今日までに受けた御恩は泰山の如し、生涯をかけても返すことが出来ぬほどである、某の心の切なることは近隣に城を構えている飫富殿、小山田殿にはわかるでありましょう
某も方々に劣らぬ働きで、お屋形様の御恩に報いたいと思い、ここに一つの謀を考えました、かって信虎公の時、萩原常陸介殿が福島の多勢を少数にて勝利を得たと聞き、某も少数にて敵の多を打ち破る策を考えた次第です
それを皆さまに披露してご意見を聞きたいとお招きした次第であり申す」と三将に囁けば、三将も真田の謀に同調して数刻の密談をしてのち退去した。

真田幸隆は、かっては村上義清の葛尾城に近い真田の庄に城を構えていた信州郷士であれば信濃武士にも知故多く、その中の須野原若狭守、同宗左衛門尉は武勇才智ある兄弟であった、真田幸隆は彼らを招き、味方に引き入れて謀を授けて葛尾城に送り込んだ
彼らが真田に招かれたことは既に葛尾城にも聞こえていたが、両人は村上義清に対面して言うには「某、武田の武威に抗しきれず、真田に招かれて武田方に属するよう言われて、その約束をしました
されども真田弾正忠の態度は傲慢で、某らを塵芥のようにしか見ず、毎度人前に出ては恥辱を被ること耐え切れず無念の思いであります
されどもわれら非力であれば、これに抗うことも叶わず兄弟で密に議して、君の力を借りて恥辱を濯ぎたいと願う次第です
哀れなる兄弟の心底を察し助勢を願えたなら、真田の居城岩屋にお味方を引き入れて真田めを一時に討ち取り、城を奪うのも容易かなと」そう言って熊野牛王に起請文を書いて村上に呈した
義清は合戦の勝ち負け容易につかぬことに焦っていたが、これを聞いて大いに喜び、薬師寺右近進、清野六郎三郎など五百人を選って須野原に渡した。

兄弟の忠節を喜んだ義清は所領の朱印に太刀を添え、更に鞍馬を与えると、兄弟は太刀のみ頂き、朱印と鞍馬は成功の暁に頂戴いたしますと受け取らなかった
精兵五百を引き連れて兄弟は岩尾の城の二の曲輪に引きこもった
須野原兄弟は薬師寺に「ここにてしばしお待ちあれ、某は本丸に行き真田を謀り申す」と出ていき三の曲輪に入った、そして二の曲輪と三の曲輪の門を固く閉じた。
村上勢の兵らはやがて様子がおかしいと思い始めた、その時、三の曲輪より真田の兵が一同に現れ二の丸の頭上から一斉に鉄砲を放った
「謀られた」と気づき曲輪から出ようとするが門は固く閉じて袋の鼠、一人残らず五百の兵は撃ち取られた。