都では大事件が起きた、将軍足利義輝が三好の一派に暗殺されたのである。
越後の上杉政虎は、それを聞くと越後を捨ててでも仇を討つと言って出陣を命じたが家臣たちが諌めてあきらめた
信濃の武田、関東の北条、加えて伊達にそそのかされて反乱を企む、越後阿賀野川の北の土豪集団「揚北衆(あがきたしゅう)」
とても越後を空けるわけにはいかない事情があった。
武田信玄を書いたから、上杉政虎についても一言
政虎の父は長尾為景(ためかげ)と言って越後の守護代だったから、信長の父、信秀よりワンステップ上位だ。
越後の守護は関東の上杉家であったが、越後には来ないで為景に任せていた
為景は織田信秀同様に勇猛で主に越中(富山)へ進行して領土拡大に励んだ、しかし越後(新潟県)は今もそうだが、越中の3倍もある大きな国だから、豪族も多くて守護や守護代の言うことを聞かない者も多かった
守護代である以上、そういった者を従わせるか成敗しなければならないから安らぐ暇はない
そして守護の上杉氏とも戦い殺して、自ら守護を自認した、だが越後は荒れるばかり、そのさなかに病死した。
残された晴景、景虎(かげとら=政虎)ら兄弟は反逆者の攻撃にさらされた、僧修行をしていた虎千代(景虎=政虎)も還俗して兄を助けた。
兄は病弱なので戦上手な政虎が長尾家を継いだ、そして越後をまとめ、越中勢と戦っていたが、信濃や上野(群馬県)から助けを求める豪族が次々とやってきた
信濃は武田信玄が敵、上野は北条氏康が敵であったが、ひるむことなく政虎は戦いを挑んだ、特に有名なのは信玄との11年にわたる川中島合戦、北条を小田原城に閉じ込めた関東遠征が有名である
関東管領上杉憲政から管領職と上杉の姓を譲られて、上杉政虎となった、その後、足利将軍足利義輝から名を貰い、上杉輝虎とも名乗った、そして最後は入道して、上杉謙信となる。
そして加賀(石川県)の手取川で織田信長軍を打ち破って、信長に改めて謙信の戦上手を印象付けた。
しかし生涯、越後国内の裏切りに翻弄された正義の武将であった。
信玄が死んで数年後に追うように謙信も49年の人生を終えた、馬上でも大盃で酒を飲むほどの酒豪であったらしい、卒中で亡くなったと言われる。
領土拡大の野心も持たないから、いつもただ働き、生涯妻を持たず、妾もなく、男色の気もなかったというから、義の戦と、信仰と天皇、将軍へ奉公が生きがいだったのだろう。
織田家に戻す
秀吉が書写山に籠っている竹中半兵衛を訪ねて、断られても断られても、雨が降ろうが槍が降ろうが通い詰めて、ついに半兵衛も根負けして従ったことは
中国「三国志」の中で、三国の中で一番力がない蜀の王「劉備玄徳(りゅうびげんとく)」が策士「諸葛良孔明(しょかつりょうこうめい)」を自分の軍師になってほしいと「三顧の礼」を尽くして、ついに口説き落とした話を引用したものである。
実際は、どのように半兵衛が秀吉の家臣になったのだろうか。
半兵衛は書写山の庵に謹慎したけれど、屈辱を受けた粘着気質の斎藤竜興の怒りは鎮まらず秘密裏に刺客を送った。
危険に気づいた半兵衛は早々に山を下りて尾張を目指して発った
木曽川に沿って山道を隠れ隠れしていくと墨俣城が見えてきた
(話には聞いていたが、これが墨俣の城か、城と言うよりは砦の親分と言った方が良い)
興味を持った半兵衛は足場の良いところを探しながら、城の探索を始めた
斎藤家を出奔したにもかかわらず、折あらばこの城を攻め落としてくれようという軍師魂が燃え上がってきたのだ。
ところが足を滑らせた、物音に「誰だ! おっ怪しい奴がいるぞ」
蜂須賀の手の者がすぐに追いついて半兵衛を縛り上げて、城内に連れて来た
「殿に知らせよ、吟味してもらう」
秀吉がやってきた、詮議がはじまった
「主(ぬし)は誰じゃ、美濃の間者か、なんともドジな男よのう、土手から落ちて捕まるとは間の抜けた間者じゃ」
「・・・」
「なんとかゆうて見よ、名前はなんじゃ」、
「・・・」
「ふふ~ん 口だけは堅そうじゃ、仕方ない三蔵、若くて気の毒だがこいつの首を刎ねて川に流してしまえ」
半兵衛は「これまでよ」と観念した、生死に執着しない自分を発見して半兵衛は苦笑した(儂も案外肝がすわっていたか)
「さあ覚悟しろ、そこが土壇場じゃ、首を亀のように伸ばすのだ、下手に首をすくめれば頭蓋骨を砕いて痛い目に遭うぞよ」
そして引き据えられたところに小六がやってきた
「なんじゃ、なんじゃ」
「美濃の間者を始末するところなのだ、小六殿も見物するがいいわさ」秀吉が笑いながら言った。
「ふーむ、どの面じゃ? 美濃の侍なら儂も多少は知っておる、ちょっと顔を持ち上げて見せて見よ」
子分が半兵衛の顔を持ち上げて小六に見せた
「やや! なんと!」
「おお! 蜂須賀の小六殿ではないか」半兵衛も驚いた
「半兵衛さま」小六も驚いて
「馬鹿者!すぐに縄を解け、このお方は稲葉山城を乗っ取った竹中半兵衛重治様じゃ」
今度は秀吉が驚いた「なに!竹中半兵衛じゃと、急げ急げ、城内にお連れしろ」
それから小六を交えて3人で一刻も語り合い、その夜はささやかな宴も開いた
半兵衛もこうした時間を過ごすうちに「天才は天才を知る」ですっかり意気投合してしまった。
「なんと幸運が自ら転がり込んできたわ、探す手間も三顧の礼もせぬうちに儂の手に入るとは儂は福長者じゃ」
早速、清州の信長に使者を送った「半兵衛殿、明日は儂とともにお屋形様にあっていただく」
「仕方ありませぬ、一度死んだ命これも定めと言うもの、従いまする」
翌日の午後、信長は半兵衛に会った
「なんとあの稲葉山城を乗っ取ったというから、いかなる豪のものかと思えばこれはまた色白の優男ではないか」
信長は少しがっかりした、想像と全く違っていたからだ、柴田勝家のような猛々しい男を想像していたのだ。
「どうじゃ、儂に仕えぬか」ととりあえず言ってみたが、すでに玩具に飽きた子供のような心境になっている
「お仕えしましょう、だがお願いがありまする」
「なんじゃ言ってみよ」
「許されるならば、木下さまの家中としてお仕えしたいのです」
「そんなことか、よし許す、これ藤吉郎、半兵衛をそなたの家臣として使うがよい」
信長はホッとした、どうも竹中半兵衛タイプは苦手だと思った、なぜか一目でそう思った、秀吉に仕えたいと言ったのはもっけの幸いである。
逆に秀吉は喉から手が出るほど半兵衛が欲しかったから、こちらはこちらで棚ボタだったのだ 「ははぁ」土下座しても笑顔がこぼれてしまう秀吉であった
飽きっぽい信長のおかげで秀吉は得難い軍師を得た、これによって秀吉の才に半兵衛の智謀が加わり、さらに小六の武で怒涛の出世物語が始まる
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