同窓会はどしようかい。 なんて思案をしていたのですが、今回も物故者がいるし、私にとっても、最後 ( Last Chance ) になるかも知れないなんて思ったら、ちょっと無理してでも参加しておこうかなぁと言う事にあいなりました。
実は苦い思い出がありまして、昔、親友のホームパーティーに、なんか気が乗らないだけの理由で欠席しました。 彼は癌を患っておりましたが、まさかパーティーの直後、ホスピス行きになるなんて思ってもいなかったのです。 彼も私と会えるのを楽しみにしていたはずです。 ホスピスでは面会が出来ず、次に彼の顔を見たのは斎場でした。 あの時パーティーに行っておけばよかったと悔やみました。
同窓会での会話は前に聞いたような話ばかりですが、「 そこはチョット違うぜ 」 と小さな訂正をぶっこんでくる程度でした。 皆ボケが始まる年齢にきてますから、素面では何回かに一回同じ話、酒が回ってくると、もう話がループ状態になります (笑)。 相槌をうって付き合うのは重労働です。
注目 は、昔の飲み友達が 「 よう、もう一花咲かせようぜ 」 と言ってきた事です。 ただただ、元気いっぱいの 40 代のバブルの頃、彼とは三日にあげずと中洲や天神西通りを飲み歩いていました。 居酒屋、スナック、ラウンジ、キャバクラ、クラブ、ニューハーフ、ライブハウス etc ・・・ 博多中洲と天神西通りで多い時で 25 本のボトルキープしてました。 財布にはいつも 10 万円です。 A スナックを皮切りに 3 ~ 4 件ハシゴし、閉店間際の A スナックにユーターン、A スナックのお姉様を連れて飯を食いに行くというパターンです。
そんなこんなですから、ホステスさんの電話番号もゆうに 30 件を超えていました。 呼び出されるのは同伴出勤か、店を変わりたい、彼がどうの~などの相談事ばかりで、いい事 はひとつもありませんでした ( 本当です ) 。 「 もう一花咲かせようぜ 」 は魅力のある提案です (笑)。 大輪の胡蝶蘭とはいかないまでも、道端のタンポポぐらいならいけるかも ! ( 外野の声 : 間違ってるよ ) なんて虫が騒ぐのでありました。