見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

京都史跡散歩・源平ゆかりの地を歩く(洛南その2)

2013-02-16 21:10:32 | 行ったもの(美術館・見仏)
安楽寿院(京都市伏見区)とその周辺

京都史跡散歩(洛南その1)の続き。近鉄竹田駅で下りて、安楽寿院に向かう。前回は、2009年の「京の冬の旅」で特別公開されていた阿弥陀如来坐像が見たくて訪ねた。現地に来てはじめて、白河院や鳥羽院の院政の地であることを知り、発掘・復元(ほんの一部)されつつある鳥羽離宮の遺跡を興味深く眺めた(※記事)。

非公開日はどうなっているのかな?と思いながら来てみたのだが、人のいる気配はなく、たまに物好きな観光客が立ち止まるくらいで、やわらかな苔に覆われた庭で猫が遊んでいた。

↓近衛天皇陵。


多宝塔を用いた天皇陵はここだけ。というような調べものは、宮内庁の「天皇陵」データベースで検索することができる。

↓鳥羽天皇陵。森閑とした木立に覆われている。


↓白河天皇陵。安楽寿院から少し西へ歩き、高速道路をくぐった先にある。


なぜか駐車場付き…誰が使うんだろう?!


前回はここで引き返したのだが、ついでに城南宮に参拝していこうと思い、歩き続けると、御陵の先、道路沿いに大規模なラブホテルが林立していた。さすが白河院(立地が似合いすぎる)と苦笑してしまった。

城南宮のさらに西、京阪国道(国道1号線)を苦労して横断すると、住宅街の中に鳥羽離宮跡公園(野球場)と鳥羽殿跡の石碑の立つサッカー場があった。



※おまけ。城南宮の参道で買った椿餅。ふとWikiで調べたら「源氏物語」にも記述があり、和菓子の起源とする説もあるそうだ。



むかし(20年以上前)、祇園の八坂神社の南に椿餅だけを売る和菓子屋さんがあったことを知る人も少ないだろうな。餡も入っていなくて、俵形の道明寺餅を椿の葉の間に挟んだだけの素朴なお菓子だった。
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京都史跡散歩・源平ゆかりの地を歩く(洛南その1)

2013-02-16 10:06:07 | 行ったもの(美術館・見仏)
JR宇治駅で降りると、「源氏物語のまち」をPRする看板が目につく。まあフィクションの中ではそのとおりだが、歴史上では、むしろ宇治って、治承4年(1180)の以仁王・源頼政と平家方との戦いや、寿永3年(1184)の源義経軍と源義仲軍との戦いなど、激しい戦乱の故地である。もっと古代にさかのぼれば、藤原仲麻呂(恵美押勝)も、平城京を脱出して宇治へ入り、さらに近江国を目指したのだった。

宇治橋の西詰に立てられた「夢の浮橋」古跡を示す石柱や、まだ新しい紫式部像を見ながら、後世の人間の記憶って恣意的だなあ、としみじみする。

平等院(京都府宇治市)

鳳凰堂は「平成の大修理」で、2012年9月3日から2014年3月31日(予定)まで拝観停止になっている。だが、長年、寺社めぐりをしていると、拝観停止中のめずらしい風景こそ目に焼き付けておきたい、写真に残しておきたい、と思うのだ。↓今、こんな感じ。東南アジアの水上建築みたいで、とてもきれいだ。



ミュージアム鳳翔館では、国宝平等院鳳凰堂平成修理記念『極楽を夢見て』(2013年1月19日~3月29日)を開催中。この中に、昭和の大修理(昭和25~32年)を描いた河原悦人の絵画『鳳凰堂簀(す)屋根』が初公開されている。工事風景を写実的に描いているのに、不思議な抒情がにじみ出ている。どこか日本画ふうの油絵。

源三位頼政の墓所にもお参り。なお、藤原忠実が宇治に隠棲(謹慎)していた邸宅「西殿」跡は、2004年に宇治市宇治妙楽の「宇治市街遺跡」から見つかっている。へえ~これは今、仕入れたばかりの知識なので、次回は様子を見にいこう。

※四国新聞社「藤原摂関家が宇治の町割り/碁盤の目道路跡が初出土」(2004/10/15)

※【新着ニュース】京都新聞「鳳凰堂、平安期の瓦1500枚 創建50年後 屋根ふく?」(2013/2/14)
創建(1053年)の50年後=1103/康和5年。お~白河院の院政時代である。

法界寺(京都市伏見区)

日野に出て法界寺へ。初めて訪ねたのが20年くらい前で、それ以来ではないかと思う。去年の大河ドラマの序盤、「こうして白河院は世を去った」みたいなナレーションの退場場面で、伊東四朗さん演ずる白河院が伏し拝んでいたのが、ここの阿弥陀如来で、あ、ロケ地は法界寺だ、と懐かしく思った。

平等院鳳凰堂の阿弥陀如来坐像によく似ているが、いくぶん厳しい感じのする、こちらのお像のほうが私は好き。動きのある繊細な光背も。20年前もそうだったと記憶するが、受付兼務のお寺の方の説明を少し聞くと、あとはほったらかしなので、堂内を自由に見せていただける。平安の香りを残す巨大な阿弥陀さまと二人きりになる気分はなかなか贅沢でよい。

別のお堂に安置されている本尊・薬師如来は秘仏である。ご開帳ってないのかな…。探してみたら「防災訓練のときに見られる」という書き込みは見つけたが。

平重衝墓

南都焼討で名高い平清盛の五男。この近傍の木津川畔にて斬首されたことにちなみ、重衡妻の大納言典侍が一時身を寄せていた場所とも伝える。

20年前に初めて法界寺を目指して来たとき、偶然、道端でこの石柱を見つけて、感慨にふけった記憶がある(当時から平家びいきだった)ので、再訪してみたいと思った。

法界寺門前の道を北へ15分くらい。「合場川を渡り300mほど」という情報を、あらかじめ得ていたのだが、なかなかそれらしい物件がない。実は、写真↓の金網前に見える石柱が目印。



前(北側)にまわってみると「従三位平重衡卿墓」とある。これ、法界寺側から歩いて来ると見落としやすいなあ。石柱の角を左に折れると、



集合住宅の間の空き地に墓所が整備されている。背後は枝垂れ桜だろうか。花の季節は艶やかだろうと思われた。



向かって右の、鏡餅みたいな五輪塔くずれが微笑ましい。
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