見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

南洋の仏教国/スリランカ展(東京国立博物館)

2008-10-30 21:10:04 | 行ったもの(美術館・見仏)
○東京国立博物館 特別展『スリランカ-輝く島の美に出会う』

http://www.tnm.go.jp/

 仏像、神像から宝飾品、仮面、浣腸器(!)まで、スリランカの芸術作品をまとめて紹介する展覧会。最初の部屋に入ると、大小さまざまの仏像が展示されている。そうそう、スリランカといえば、仏教国だよね。小さな金銅仏は、広い肩幅にスリムな腰まわりの逆三角形の上半身に、長い足をきっちり結跏趺坐した坐像が多く、頭頂部と両膝を結ぶ線が、また見事な二等辺三角形になっている。お顔は親しみやすい、丸鼻の南方系。

 立像には、両手を胸の前に上げ、左手は手の甲を正面に向けて衣の端をつかみ、右手は手のひらを体躯に垂直に立てて「施無畏」をあらわすものがある。日本では全く見たことのない、めずらしい印相。薄い衣の表現は、清涼寺式釈迦如来を思わせる。

 大きい石仏や石柱はレプリカだったが、十分鑑賞に堪えるものだった。面白かったのは、石の門扉を倒したような「小用トイレ」(これも模造)。いくぶん窪んだ石板が用を足すところらしいのだが、え、どうなっているの?と思って覗き込んだら、物陰に小さな穴が穿ってあった。ここから地中に流れ出すというわけか、と納得。

 本展のシンボルになっている黄金の観音菩薩坐像(半跏像)は、高く結い上げた髪とくつろいだ姿勢が、中国なら宋代の仏像に似ている。しかし、解説に「後期アヌラーダプラ時代・9世紀」とあるので、宋代よりは、だいぶ前だ。

 続くポロンナルワ時代から諸王国時代(11~16世紀)に入ると、インドの影響が強まる。ヒンドゥー教が広まり、肉体の隅々まで生命力の漲る、インド風の神像がつくられた。後ろにまわってみて、お尻の張り出し方の立派なことに感心する。それから、キャンディ王国時代(16世紀~)を経て、18~19世紀には仏教が復興する。日本でいえば近代の仏像彫刻にも、それなりに見るべきものがあるのは、敬虔な信仰心が保たれていたからだろうか。

 スリランカ大使館やスリランカ航空とのタイアップ企画ということで、グッズや観光地紹介のパネルも多数。着飾ったゾウのお祭り、見てみたいな。

■展覧会ホームページ
http://www.serendipity2008.jp/index.html
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『鉄歯銅牙紀暁嵐』第4部、撮影はじまる

2008-10-29 21:50:09 | 見たもの(Webサイト・TV)
○新浪網2008/10/28ニュース《鉄歯銅牙紀暁嵐》第四部開機袁立回帰(※中国語)

http://ent.sina.com.cn/v/m/2008-10-28/21532225915.shtml

 こんな話題に注目する日本人は少ないと思うが、個人的に、ものすごく嬉しいニュースを、中華芸能サイトで発見したので書き留めておく。私の大好きなドラマ『鉄歯銅牙紀暁嵐』の第4部の撮影が始まったという。

 今日(10月28日)午前、テレビドラマ『鉄歯銅牙紀暁嵐』第4部が、北京懐柔の飛騰ロケ基地でクランクイン・セレモニーを行った。張国立、王剛、張鉄林の”鉄三角”トリオに”杜小月”が帰ってきて、鉄三角は”四人組(四人幇)”となった。

 ――という、ニュースの書き出しを読んでいるだけで、ニヤニヤと口元が綻んでくる。『鉄歯銅牙紀暁嵐』は、清の乾隆帝の時代を舞台とした時代劇。ネットで検索してみたら「張国立(紀暁嵐)、張鉄林(乾隆帝)、王剛(和坤)というゴールデンおやじトリオの掛け合いが人気のドラマ」と書いている日本人視聴者がいて、全くそのとおりである。フィルモグラフィーが定かでないが、たぶん2001年に第1集、2002年に第2集が作られ、大陸のみならず、台湾その他の華人圏でも人気を博した(当時、ネットの掲示板を見ていて知ったこと)。

 けれど、2004年に制作された第3集は、残念ながら期待はずれだった。その一因は、第1、2集で、フリーダムなおじさんトリオをピリッと締めていた、強気の美少女・杜小月ちゃんが欠けてしまったことにある。だから、第4集に”袁立(杜小月)回帰”というニュースは、とびきりの吉報なのだ。第1集から8年経って、美少女と呼ぶには薹(とう)が立ちすぎているかもしれないが、またテンポのいい掛け合いを期待したい。完成は3月だという。それまでに、スカパーを見られるようにしておかなくちゃね。それとも無料動画サイトで探すか?
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多様な肖像/在日一世の記憶(小熊英二、姜尚中編)

2008-10-28 23:52:00 | 読んだもの(書籍)
○小熊英二、姜尚中編『在日一世の記憶』(集英社新書) 集英社 2008.10

 手に取ろうとして、あまりの厚さと重さに驚いた。全781ページ。新書サイズとしては、掟破りの厚さである。本書は、52人の在日コリアン一世のライフ・ヒストリーの聞き取りを収集したものである。女性17人、男性35人。1910~30年代の生まれで、おおよそ生年順に登場する。インタビューは2003年から始められ、既に「故人」と記された方も散見する。

 「在日一世」という標題は、かなり緩やかな定義である。私は、朝鮮半島で生まれて日本に渡ってきた第一世代を「一世」というと思っていたが、Wikipediaによれば「おおむね1945年以前から日本に住む者」をいうそうだ。したがって、本書には、戦前、在日の両親から日本国内で生まれたコリアン籍(二世と呼びたいところだが)の人も含まれている。また、例外的なケースでは、日本人として生まれながら、朝鮮人男性と結婚し、朝鮮籍に国籍変更した女性の例もある。要するに、日本による植民地支配~戦争~解放~祖国の分断という同時代を、近くて遠い隣国日本で生きてきたコリアン籍の人々、と考えたい。

 私は、こういう無名の人々の伝記は苦手にしている。どう贔屓目に見ても小説ほど面白くはないからだ。しかし、本書は最後まで飽きずに読んだ。これは、1人あたり10~15ページの記述に、それぞれの人生のエッセンスを濃縮して提示した(かなり大胆な)編集の力によるところが大きいと思う。

 52人の人生は、実に多様である。職業を見ても、屑鉄拾い、炭鉱労働者、キャバレーやパチンコ店の経営、キムチ店や焼肉店のオーナー、歴史学者、詩人、画家、教育者、コンピュータソフトの開発者(おお、中韓ワープロでお世話になった高電社!)。やっぱり、同じ一世でも、生まれの早い世代ほど苦労が大きかったようだ。1930年代生まれになると、少しは人生の選択肢が広がっているように感じる。

 性格・個性もさまざま。人がよくて、たのまれごとが断れず、損ばかりしている人もあれば、度胸と要領で大儲けしたことを、明るく語る豪儀なオジサンもいる。コツコツと小さな成功を積み重ねて、満ち足りた人生の終わりを迎えている人もいれば、羽振りのいい時もあったけれど、今はすっかり落ち目になって、でもまあ楽しいこともあったからいいか、という人もいる。別に「在日一世」だから、みんな苦労をしてきたとか、そのことに例外なく恨みを抱いているわけではない、ということが分かる。同様に、2つの(3つの?)祖国に対する距離の取り方もさまざまである。

 「あとがき」に小熊英二氏が書いているように「語り手が選別して語り、聞き手がそれをまとめなおすことで、オーラル・ヒストリーはできあがる」。だから、ここにあるものを、何か特権的な「手つかずの記憶」として読む必要はない。しかし、それでも本書は「在日一世」の多様性を、多様なままに記録しようと努めている点で、価値ある労作だと思う。それと、私は「在日一世」の人々が保ち続けた相互扶助の精神に、たびたび感動した。保守派の論客が好んで論及する”美しい日本の道徳と伝統”が、まさにここに生きているように思った。
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ぶつかり合う潮流/東大東文研公開講座「アジアの濤」

2008-10-26 23:31:12 | 行ったもの2(講演・公演)
○東京大学東洋文化研究所 公開講座『アジアを知れば世界が見える-アジアの濤(なみ)』

http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/

 毎年、秋に行われる同研究所の公開講座も第8回。これまでは、アジアの文学とか美術とか、歴史・宗教・思想哲学など、比較的穏やかで文化的なテーマが多かった。ところが、今年は、いつになく政治的で、危険な香りの論題揃いなので、新鮮な期待を感じて参加した。

 まず、大川謙作氏の『チベット問題報道を読む』は、およそ50年間の、チベット-中国(漢民族)関係の歴史を振り返るもの。ダライ・ラマ14世が要求している「高度な自治」とは、1950年代、建国直後の中国がチベットに認めていた「一国二制度」に類するものであること、「漢民族幹部の引き上げ」とは、80年初め、チベットを視察訪問し、その疲弊ぶりに驚いた胡耀邦が実際に行った政策であることなどを知った。今日の関係悪化の主たる原因は、急速な経済発展を背景とする都市と農村の格差拡大(主たる利益の享受者=漢民族)、それと強権的な宗教規制である。これは、どう考えても共産党政府の失政だと思う。

 今年の春のチベット騒乱は、かつてない国際的な反響を呼んだ。けれども「チベットに住むチベット人は、多くのものを失ってしまったように感じている」という講師の発言が印象的だった。耳を傾けるべきは、当事者(チベットに住んでいる人々)の発言ではないのか、という問いを重く受け止めたい。

 次に真鍋祐子氏の『現代韓国の民衆運動-光州事件から政権まで-』は、韓流ドラマの作り手が、いわゆる三八六世代(民主化運動の世代)であることに着目する。1995年放映の『砂時計(モレシゲ)』は、抗日パルチザンの末裔たちの物語であり、(”なかったこと”とされていた)光州事件の映像が初めて流れたドラマである。韓国の人々は、光州事件の映像が見たくてドラマを見ていたのではないか、と講師はいう。

 民主化運動の「烈士」たちの「民主国民葬」の映像は衝撃的だった。ソウル大学の舞踊学科の女性教授が捧げる創作舞踊は、土俗的なシャーマン儀礼そのものに見えた。動員されたわけでもないのに大群衆が葬儀に参列していることについて、講師は「北の資金が入っているでしょう」という旨のことをおっしゃっていて、これも私には衝撃だった。いや、ちょっと考えれば分かることだけど。北と南って「分断」されながらも、深く絡み合った歴史を歩んでいるんだなあ。

 最後に長沢栄治氏の『中東問題と日本』では、日本人のイスラムをめぐる偏見を正す。イスラム=反資本主義(反近代)という図式化に基づき、「イスラムである限り、貧困は抜け出せない」というのも誤りであるし、イスラム経済にユートピアを見ようとする(典型例が中沢新一『緑の資本論』)のも誤り。また、メディアが suicide bombing(自殺攻撃)を「自爆テロ」とする意図的な誤訳は、イスラム=テロという連想の固定化に加担している。

 という話の後だったのに、質疑では「仏教は命を大切にする教えなのに、どうしてイスラム教徒は命を大切にしないんでしょう」という質問が出て、講師は、この”典型的な日本人的偏見”に、もう一回、言葉を尽くして反論することになった。イスラムを知るのにいちばんいいのは、イスラム教徒と思われる人に近づいていって、実際に話をしてみることです、と講師はいう。国際問題に関心が高く、本や新聞からさまざまな情報を得ている人ほど、実は偏見にはまる確率が高い、という講師の指摘は、自戒として私の心に留めておきたいと思った。
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書誌学の快楽/国立国会図書館貴重書展

2008-10-25 23:58:16 | 行ったもの(美術館・見仏)
○国立国会図書館 開館60周年記念貴重書展『学ぶ・集う・楽しむ』

http://www.ndl.go.jp/

 国会図書館には、閲覧や研修で行ったことはあるが、展示会を見に行くのは初めてである。電子展示会のページを見たら、平成10年に開館50周年を記念して「貴重書展」を行ったらしいが、寡聞にして知らなかった。いや、知っていても行けなかったかもしれない。今回の貴重書展も、会期はわずか2週間、うち2回の日曜日は休館である。ケンカ売ってんのか!と言いたくなる。(この点、国立公文書館が、特別展に関して「会期中無休」の体制を取っていることは評価したい)

 それでも、なんとか土曜日に時間をやりくりして見に行った。記念展にふさわしく、貴重書・準貴重書約80点が公開されている。初めの数点を見て、唸ってしまった。それぞれ200~300字ほどの解説キャプションが付してあるのだが、これが実に的確なのだ。書写・刊本の別、成立年代、形態(大きさ)、内題と外題の別、造本(綴じ方、表紙)、伝本系統、書き入れや奥書・識語の有無など、古い本を見て私の知りたいと思うことが、全て簡潔にまとまっており、重要な奥書・識語は、必ず写真パネルで別掲してある。さすが! こういうプロ集団に扱われる本は幸せだなあ、としみじみ思った。

 第1部「学ぶ」では、著名な古典とその注釈・評釈の伝本を紹介しているが、やけに古活字本が多いのが気になった。もちろん貴重なんだけど「これもか」という感じ。勘ぐれば、平安~室町の写本を出し渋った結果なのだろうか。

 第2部「集う」では、江戸の学者たちにスポットを当てる。私は、平田篤胤の筆跡が一目で気に入ってしまった。字の大きさが揃っていて読みやすく、理系っぽい字を書く。これに対して、馬琴の筆跡はいかにも癇症で、付き合いにくそうである。馬琴旧蔵(?)『平妖伝』には感激。この展示会中、唯一の漢籍(中国刊本)だったと思う。それから、電子展示から『南総里見八犬伝』の「表紙集」と「見返し集」にリンクを貼っておこう。これ、以前の勤務先の図書館で発見したときは大感激だった。

 第3部「楽しむ」は、素朴な丹緑本から豪華な奈良絵本まで。面白かったのは、行幸絵巻や陣立て絵巻を作るのに、武者や従者のハンコを何種類か作り、それを組み合わせて(彩色を変えたり、持ちものを付け足したり)長い行列を作ってしまうという手法。画譜『賞春芳』は、さりげなく若冲の作品を開いて展示。画譜は学術書を扱う「書物問屋」から、師宣や歌麿の絵本は、娯楽本を扱う「地本問屋」から刊行された、という解説を読むと、後者って、現代のマンガの扱いだなあ、と思った。

 最後に、オマケみたいに「重要文化財」のコーナーがあり、見たかった『宗家文書』(対馬宗家倭館関係資料)を発見。でも全1,593冊のうちから、『館守日記』と『裁判記録』の2冊の表紙と、「倭館に虎が2頭立ち入ったので鉄砲で撃ちとめ、1頭は塩漬けにし、もう1頭は頭と皮を日本に送ったこと、残りの肉は館内で食したことなど」を記した『毎日記』のみ。この展示箇所の選び方は、ちょっと奇をてらい過ぎでは?

■参考:電子展示はこちらから。(※おすすめはスライドショー)
http://www.ndl.go.jp/exhibit60/index.html
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説明は抜き?/演劇博物館80周年記念名品展

2008-10-24 22:32:43 | 行ったもの(美術館・見仏)
○早稲田大学坪内博士記念演劇博物館 『演劇博物館80周年記念名品展』

http://www.waseda.jp/enpaku/index.html

 80周年!?と、目を疑ったが、早大演劇博物館の設立は意外と古い(知らなかった)。昭和3年(1928)10月、坪内逍遙博士の古希の齢(70歳)に設立され、この秋、80周年を迎えた。その長い歴史の中から、選び抜いたコレクションを公開する名品展が開かれている。

 紙資料から舞台衣装、スチール写真までさまざまで、何に反応するかは、趣味によって異なるだろう。美術好きなら、近世初期の板絵(もとは絵馬だという)『男舞の図』か。若衆の代表芸であった「大小の舞」を描いたもの。ボリュームのある衣装が美しい。横長の彩色絵本『風流踊図』も面白かった。

 私はやっぱり、文献資料に関心が向く。役者評判記、役割番付、絵入狂言本、長唄正本など。ただ、展示キャプションが素っ気ないので、これは近世の初期かな中期かな、という刊行年代がよく分からない。詳しくは『名品図録』(2,000円)を買えということか。会場に1冊くらい、置いておいてくれてもいいのに。昭和4年受入の西鶴『難波土産』には「饗庭文庫」の印が押されている。坪内逍遙と交友のあった饗庭篁村の旧蔵書かなあ、と思ったが、全然違うのかもしれない。昭和43年受入の「長尾蔵書」、2002年寄贈の「千葉とし子氏」って誰なのかなあ。

 上山草人(かみやまそうじん)という明治生まれの俳優の名前は、初めて知った。早大中退、坪内逍遙の文芸協会に所属する新劇俳優だったが、渡米して創成期のハリウッドで「神秘的な東洋人」の役柄で活躍したという。こけた頬、弁髪姿の似合うスチール写真が残っている。

 企画展示室以外は、常設展示に名品をプラスする構成になっている。「近世演劇」で、ハッとした。2006年に亡くなられた文楽の吉田玉男さんが着用した裃が飾られていたのだ。まだ博物館入りするには記憶が新しすぎて、ちょっと辛い。『国性爺合戦』の正本(?)に「岡鹿之助氏寄贈」とあって、え、画家の?と不思議に思ったが、調べてみたら、鹿之助の父・岡鬼太郎は演劇評論家だそうだ。

 戦後の占領期にGHQが検閲した演劇台本のコレクションもあった。浪曲とか三味線道中とかの、手書きの粗悪な台本に、英語のサインとスタンプが施してある。GHQのオフィサーは、中身は読めたのだろうか。ほかにも、ストリップ、コメディーから、民俗芸能まで、目配りが広くて飽きないが、もう少し丁寧な展示キャプションがあってもいいのでは?
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森川如春庵の世界(三井記念美術館)と数寄者・益田鈍翁(畠山記念館)

2008-10-23 21:46:40 | 行ったもの(美術館・見仏)
 2人の茶人にかかわる展覧会をまとめて紹介しておこう。

■三井記念美術館 特別展 茶人のまなざし『森川如春庵の世界』
http://www.mitsui-museum.jp/index2.html

 森川如春庵(本名・勘一郎、1887-1980)は、尾張一宮の大地主森川家の当主であり、近代を代表する茶人のひとりである。私は、名前を見たことがあっても、じょしゅんあん?にょしゅんあん?という具合で、読み方も知らなかった(後者が正しい)。ただ、私の好きな黒楽茶碗『銘・時雨』と赤楽茶碗『銘・乙御前』(どちらも本阿弥光悦作)が出ているというので、ふらふらと出かけた。

 うう、やっぱりいいなあ。赤楽茶碗『乙御前』は、口の開きが均一でないので、見る位置によって、ずいぶん印象が変わる。正面から見るとガードが固いが、横や後ろに回ると、あけすけな感じになる。このへんが益田鈍翁のいう「たまらぬものなり」なのかしら。黒楽茶碗『時雨』は、ざらっとした外側と、とろりとした内側の釉薬の風合いの違いが面白い。解説を読んでびっくりしたのは、森川如春庵が16歳で『時雨』を入手し(先代に買い与えられた)、19歳で『乙御前』を所持していたということ。なんてヤツだ!! ”中京の麒麟児”とはよくも言ったものである。

 如春庵の優れた審美眼を愛したのが、三井物産の初代総轄にして、伝統にとらわれない新しい茶の湯の提唱者でもあった益田鈍翁(本名・孝、1848-1938)。2人の出会いは大正2年(1913)頃というから、鈍翁65歳、如春庵26歳頃か。39歳の年齢差を感じさせない交友が始まったという。数寄の道を歩み通せば、孫子の世代にも”心の友”が見つかるかも知れない、と思うと、長生きしてみるのも楽しくなるではないか。

■畠山記念館 2008年度秋季展『数寄者 益田鈍翁-心づくしの茶人』
http://www.ebara.co.jp/socialactivity/hatakeyama/

 そういえば、畠山記念館では、益田鈍翁を回顧する展覧会が始まっていたはずだ、と思い出して行ってみた。会場では、ズラリ並んだ5点の掛け軸に陶然となる。宗達の『扇面草花図』に、冷泉為恭の白描、秀吉の仮名消息(奔放な筆跡がいい)、そして鈍翁自身の書が2点。脇役らしい、心づくしの表装も見どころ。

 可笑しかったのは『布き冨草子』。室町時代の絵巻物『福富草紙』になぞらえて、茶人のカエル(富田宗慶)が、数寄者お代官のキツネ?(鈍翁)を招いて茶席を設けるが、緊張しすぎて、放屁の粗相をしてしまうという、お伽草紙ふうのパロディ絵巻。その瞬間のカエルの表情は必見。展示替え後の後期には、イノシシの森川如春庵も登場するそうだ。鈍翁自ら詞を書き、挿絵は画家の田村彩天に描かせたもの。

 畠山記念館の創設者である畠山即翁(1881-1971)もまた、益田鈍翁の年下の友人のひとりだった。鈍翁は、李朝・柿の蔕(へた)茶碗の名品『銘・毘沙門堂』を見出しながら、「隠居の身であるから」という理由で購入をあきらめ、結局、これは即翁のものとなったという。天下の三井財閥の総帥といえども、生涯、金に飽かせた収集をしていたわけではなく、分をわきまえたコレクターだったんだな、ということが分かり、微笑ましかった。

 鈍翁は、自作の書画・茶碗もいいが、腕のある工人を庇護したことも、特筆すべき功績だと思う。大野鈍阿作の鶴首花入は、秀吉→利休→水戸徳川家に伝来した名品『鶴の一声』を写したもので、「写し」といえども、凛とした気迫に満ちている。こういうのは、軽々しく「ニセモノ」と呼ぶことができない。骨董は奥が深いなあ。
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大統領たちの攻防/韓国現代史(木村幹)

2008-10-22 00:03:05 | 読んだもの(書籍)
○木村幹『韓国現代史:大統領たちの栄光と蹉跌』(中公新書) 中央公論新社 2008.8

 議員内閣制の首相と違って、大統領は名実ともにその国の顔である。だから、韓国現代史を学ぶには、歴代の大統領を把握するのが早道らしい。私が韓国史の最初の入り口としたのも、池東旭著『韓国大統領列伝』(中公新書 2002.7)という本だった。

 池東旭の著書が、1人1章の完全な列伝スタイルであるのに対して、本書は、紀年体と列伝体の併用で進む。たとえば、1945年8月15日には、金大中は日系企業の従業員だった。李承晩は亡命政治家としてアメリカにいた。朴正熙は満州国軍人として山岳地帯を行軍していた。大韓民国の建国期(1945~49年)には――という具合に、時代を区切りながら、「のちの大統領」たちが、当時、どこで何をしていたかを語っていく。ひとりひとりの印象はやや薄くなるが、通史を学ぶには、こちらのほうが適していると思う。

 私が興味深く思ったのは、金泳三という人物。金大中とともに韓国民主化を主導しながら、1987年の大統領選挙では、野党の大統領候補の座を金大中と争い、与党・軍人出身の盧泰愚候補に敗れる。ここで金泳三は、与党入りの「政治的ウルトラC」を敢行。その後、囲碁にたとえて「政治九段」と評される(面白いw)政治力で、軍部出身のアマチュア政治家を蹴落とし、ついに次期大統領の座を手に入れてしまう。すごいなあ、これぞ政治家の本懐というものだろう。そして、この盧泰愚→金泳三政権の流れを理解すると、韓国において(80年代の激しい民主化闘争にもかかわらず)体制移行が意外と緩やかなものになり、旧勢力が根強く温存されたわけも分かる。

 ところで、韓国の大統領についていろいろ調べていたら、面白いことを発見してしまった。韓国では1990年代に”実録共和国シリーズ”ともいうべきテレビドラマが放映されているそうだ。朴正熙を主人公にした『第4共和国』は、なかなかの秀作らしい。見たい! 朴正熙については、さまざまな研究・評価がなされていると思うが、「韓国エンターテイメント作品における朴正熙」というのは、かなり論じ甲斐のあるテーマなのではなかろうか。

 さらに、2005年には、全斗煥政権を描く『第5共和国』も放映されているとのこと。日本女性がイケメン俳優中心の韓流ブームに熱狂している間に、こんなドラマが作られていたのか。結局「韓流ブーム」って、選択的に隣国の文化を消費しているだけなんだよなあ。そのことに自覚的なら、何も言わないけど。

■参考:10.26朴正煕大統領射殺事件
http://1026.skr.jp/1026/
労作の個人サイト。来年(2009年)は暗殺から30年目であることに気づく。
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川越祭り2008・秋の気配

2008-10-21 22:02:44 | なごみ写真帖
今年も川越祭りを見に行った。

10/19(日)の夕方、買いもの帰りに川越に寄ったが、まだ明るくて、雰囲気が盛り上がっていない。そこで、一度、家に帰って、夕食を済ませてから、出かけなおした。提灯に灯がともると、祭りは絶好調。夜空に浮かび上がる山車が美しい。のんびりした川越の町が、見物客で埋め尽くされる。

もっとも、京都の祇園祭りのように、全国から人を集めるほどの知名度はない。その、程よく鄙びた感じが、深まりゆく秋の気配とともに、「歓楽極まりて哀情多し」という風情を感じさせる。





いつまで埼玉県民をやっているかは分からないが、川越祭りには、また来たくなりそう。
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『東美アートフェア』と山下裕二氏によるギャラリーツアー

2008-10-20 21:26:54 | 行ったもの2(講演・公演)
○東京美術倶楽部『東美アートフェア 秋-古美術・茶道具・工芸展』 山下裕二氏によるギャラリーツアー

http://www.toobi.co.jp/artfair/index.html

 「東美アートフェア」とは、東京美術倶楽部で行われる3日間の展示即売会。東京美術商協同組合に加盟する94の美術商が出店する。そのホームページに「山下裕二氏をゲストに迎え、出展ブースを一緒に見てまわるギャラリーツアーを開催いたします」というお知らせを発見したのは、1ヶ月ほど前のことだ。「申込:不要(当日、会場指定場所へお集まり下さい)」って、ええ~大丈夫かなあ、と思ったが、とにかく行ってみることにした。

 このアートフェア、当日券1,000円を買えば誰でも入れる催しなのだが、やはり招待状持参のお客さんが多い。男性はスーツ、女性は華やかなワンピースドレスか着物がほとんどで、ジーンズ姿の私は、場違いにたじろぐ。まだ時間があったので、様子を見ておこうと思って会場内へ。初めて目にする光景に、再びたじろぐ。広い会場は整然と区切られ、細い小路の左右に小さなブースが並んでいる。書画あり、仏像あり、浮世絵あり。あふれるほどの品数を並べている店舗もあれば、貴重品を数点のみ展示しているところもある。うわっ、これをどうやって見ればいいんだろう…と呆然としてブースの間を歩いているうち、時間になってしまった。

 さて、ツアーの集合場所に行ってみると、何のかのと50人近い集まりになっている。結局、この人数ではギャラリーツアーは無理ということで、2階のお座敷で山下先生のお話を聞くことになった。「東美アートフェア」を紹介したフリーペーパーを参照しながら、この店には桃山時代の初期洋風画が出ているから見逃さないようにとか、この店は抱一の百回忌を描いた図が面白いとか、”バーチャルギャラリーツアー”をしていただいた。昨日はこのお店で絵を買ったとか、定窯の白磁の皿を買おうとして逃したなど、リアルな「お買い物」体験談も聞くことができた。

 よかったのは、これで、とりあえず各ブースに足を踏み入れてみる度胸がついたこと。4階から1店ずつ覗いていくことにした。繭山龍泉堂は、素人の私でも名前を聞いたことのある中国陶磁の有名店。山下先生は、中国陶磁について、明清の分かりやすい染付が値上がりしすぎで、唐宋など古いものが安すぎるんじゃないか?とおっしゃっていたが、値段を見て、ナルホドと思う。ふうーん。唐代の小さいお皿なら、ほぼ私の給料1ヶ月分で買えるんだな。でも、いちばん心惹かれたのは、やっぱり分かりやすい乾隆年製の黄地緑釉龍文皿。これは230万円で手が出せない。

 と、隣りにいた男性が、店員さんに「拝見します」と声をかけて、白磁金縁の皿(値札なし)を手に取り、慎重に裏返して眺め始めた。これには驚いた。展覧会と違って、即売会というところは、品物を手に取って確かめることが許されるのである。周りを見ていると、けっこう、この権利を行使しているお客さんがいる。宝満堂というお店で、ズラリ並んだ歴代の楽茶碗(1件200~300万円)を見たときは、持ってみたくて手がうずいたが、やっぱり諦めた。スマートに手を出すのは、一見さんでは無理。もう少し修業を積んでからトライしようと思う。

 絵画では、万葉洞で、椿椿山の菊と牡丹を描いた双幅の掛け軸を見つけた。椿山は大好きなので、ちょっと色気を出して値札を見たら、700万円。でも、700万円の掛け軸を、間にガラスもなく、舐めるように眺めることができるのは、展覧会では味わえない無上の幸福である。これ、やみつきになりそう。ちなみに、山下先生の「ツアー」に来ていたのは、東京美術倶楽部に来るのは数回目(でも即売会や正札会は未体験)というビギナーが大半だった。「なるほど。こういうお客さんを呼び込むために、この企画を立てたんですね」という山下先生の言葉に、主催者の方は笑顔でうなずいていたけれど、私は、見事その術中にはまってしまったみたい。

 最後に、本気で目の色が変わりかけたのは、大口美術店。三井記念美術館で見て以来、欲しいと思っていた「茶籠」の特集をしていたのだ。茶籠が10~20万円。茶籠向きのミニサイズの茶道具セットは40万円くらいで買えることが分かった。うーむ。10万円を超す買いものといえば、パソコンしか経験のない私だが、かなり本気で思い悩んでいる。
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