見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

中国のアダルト小話/笑専家

2004-05-31 00:03:29 | 見たもの(Webサイト・TV)
○搞笑専家 http://www.yes888.net/

 紹介するのは最近見つけた中国語のサイト。上記のURLからつながらないときは、中国語Googleなどでサイト名を検索して辿りなおすとつながる。

 「情趣笑話」の「成人編」を拾い読みしてみると、教室では絶対教わらない表現が山ほど見つかって興味深い。

 「お前の母親を××してやる」というのは、英語と同じく、中国語でも、下品な罵り言葉の代表格である。「××」にあたる動詞は「干 gan」(する)を当てると思っていたら、「操 cao」(あやつる、使う)も当てるらしい。

 さて、三国志で有名な劉備玄徳の配下に孫干(日本では孫乾)という武将がいた。魏の曹操にむかって「操、あなたのお母さんは”好”(おげんき)か?」と訊ねた。これは「あなたのお母さんを××して”好”(よい)か?」の意味になってしまう。次に会ったとき、曹操は先手を打って「干、あなたのお母さんは”好”(おげんき)か?」と訊ねた。もちろん意味は...

 乱世の奸雄、曹操も、1800年後?にこんなエロ小話のネタにされようとは思わなかったであろう。

 あまり口にできない単語はアルファベットの頭文字に置き換える。たとえば「性交 xing jiao」は「XJ」。「武侠片」「愛情片」など「○○片」と言えば映画のことだが、「A片」はアダルトビデオのこと。普通の文章でも頻出する「MM」は「妹妹 meimei」(若い女の子)の意味である。

 ところで、「JJ」は男性の性器の意味らしい。そうすると、あの女性雑誌は中国で持ち歩けないかも!

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物見遊山で何が悪い/日本美術観光団

2004-05-30 22:20:09 | 読んだもの(書籍)
○赤瀬川原平、山下裕二『日本美術観光団』朝日新聞社 2004.5

 2週間ほど前に発売になった本。今日は青山ブックセンター本店で、日本美術応援団の団長・山下先生と、団員1号・赤瀬川さん、この本の装丁も担当している南伸坊さんの3人による「公開ゼミ」を聞きにいった。

 このシリーズは2000年の『日本美術応援団』(日経BP社)から年1冊ペースで刊行されている。私は最近いっぱしに日本美術ファンの顔をしているが、このシリーズに教えられてきたことはかなり多い。

 「日本美術は、実物を見なければダメ」というのが、応援団の基本態度である。そこで、シリーズ5冊目の本書では、「そこに行かなければ見ることのできない」全国の美術物件を、2人が「物見遊山」してまわっている。

 私も行ったことのある名所旧跡が並んでいて、自分の感想と比べてみるのが面白かった。それも、2人が「これは知らないだろう」とおっしゃる、宮島の千畳閣や伊勢の徴古館も、知ってる知ってる!という感じで愉快だった。

 しかし、なんといっても読者の目を惹くのは、鳥取県三朝(みささ)の投入堂だろう。山下先生もあとがきで「あえて掲載順を入れ替えて巻頭にもってきた」と書いていらっしゃるけど、命綱もなしにお堂直下の断崖にとりついた住職の写真の、息のつまるような迫力!

 私も自分の体験をまざまざと思い出した。ふもとのお堂で「入山したい」旨を告げると、仏の名号か何かを書いた白いタスキを貸してくれる。大げさな、と思ったけど、山に入るとすぐ、それが大げさでも何でもないことが分かる。普通に二本足で歩ける道は10分かそこら。あとは手足4本を全部使って、木の根をつかみ、岩をさすって、よじのぼり続ける。

 私は1人だったので、もしここで転落したら、と思うとぞっとした。赤瀬川さんと山下さんの行ったあとでも1人亡くなっているとか。そうすると、ふもとのお堂でもらった白いタスキが妙に心の支えに感じられたりするのだ。

 投入堂は世界遺産に立候補しているそうだが、もしそうなっても、観光バスのためのバイパス路とか、絶対に作らないでほしい。今のまま、覚悟のない観光客を寄せ付けない場所であってほしい。

 そして、体力と精神力に相応の自信があるなら、一度は行ってみることを勧める。「公開ゼミ」のお土産にもらった雑誌「一冊の本」(朝日新聞社、2004年6月号)に、今日の3人が「物見遊山は自己責任で!」という鼎談を載せているが、まさに自己責任の物見遊山の究極を味わうことができるだろう。

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イラク日本人襲撃事件/手巾(はんかち)

2004-05-29 21:28:46 | 読んだもの(書籍)
○芥川龍之介「手巾」(はんかち)

 イラクで日本人ジャーナリスト2人が襲撃され、殺害された。61才の戦場カメラマンとその甥だった。それぞれの被害者の、奥様とお母さんが会見する映像がテレビに流れた。

 これに関連して「2ちゃんねる」を斜め読みしていた中に「遺族が薄ら笑いをしていたのはけしからん」という論調があった。「いや、旦那のいちばん望んだ死に方なんだから笑顔で送ってあげるのが正しい」「あの態度は立派すぎる」などなど。

 私はあの会見を見て、ああ、まるで短編小説の「手巾」(はんかち)みたいではないか、と思った。

 大学の先生のところに、指導していた学生の母親が、息子の急死を報告に来る。母親である女性は、口元にかすかな笑みさえ浮かべ、淡々と息子の死を語るので、先生はちょっと不思議に思った。ところが、ふと視線を落とすと、テーブルの下、膝の上でハンカチを緊く握りしめた女性の手は、動揺を抑えるように激しく震えていた。先生は見てはいけないものを見たようで、敬虔な気持ちにとらわれた、というような話。

 大学の国文の授業で読んだ記憶がうっすら残っていたんだけど、芥川だったか、鴎外だったかも定かでなく、「ちくま文庫」の鴎外全集、龍之介全集を片っ端からめくって見つけた。

 この作品、新潮や岩波の文庫には入っていないみたいなので、読んでいる人は少ないだろうねえ。文学の伝統が途絶えるってことは、文化規範とか社会倫理が断絶しているってことだ。芥川からこのかた、たかだか百年なのに。

 「手巾」の母親のように、公(おおやけ)の場では自分の個人的な悲しみとか動揺を極力出さないというのは、日本人の普通のふるまいだったはずなのに。同時に、悲しみに見舞われた人が、たとえ表面は平静に振舞っていても、内心は必ずしもそうでない、というのも日本人のコンセンサスだったと思う。さらに、そういう個人の内面は「見てはいけないもの」であるという倫理観も。

 何でもあけすけに語り、見せびらかすのがいいことで、そうしたがらない人に対してはマスコミや世論が、憶測や覗き趣味取材で裸にしようという風潮、なんとかならないだろうか。
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天龍八部/看中国

2004-05-27 22:31:22 | 見たもの(Webサイト・TV)
○「看中国」http://www.kanzhongguo.com/

 ときどき見に行く中国語サイト。ただしサーバはアメリカにあるらしい。

 下記、あんまり面白かったので貼っておきま~す!!
 文字コードの関係で、全文を引用できないのが残念だが、『天龍』ファン必読!

▼(幽黙網文)央視名嘴与《天龍八部》2004年2月10日 星期二【※補記参照】
 http://www.kanzhongguo.com/news/articles/4/2/10/59622.html

 『天龍八部』の主人公のひとり慕容復が、CCTV(中国中央電視台=央視)の人気クイズ番組「開心辞典」に出演しているという設定らしい。「開心辞典」は日本の「クイズ・ミリオネア」のそっくり番組である。

 CCTVのドラマ『天龍八部』で、悪役の慕容復を演じたのは修慶という若手の俳優さん。2003年の『射[周鳥]英雄伝』でも憎まれ役の欧陽克を演じ、”悪役スターの一番手”(中国反派頭一号)と呼ばれている。

 修慶については、そのうち、改めて書いてみたい。2つのテレビドラマを見て以来、わたしは彼のファンなのである。
 http://ent.sina.com.cn/v/2004-01-30/1132287527.html

※2009/6/12補記※
 上記は5年も前の記事だが、最近、なぜかアクセスが増えていることに気づいた。ついでに、むかしのリンク先を確かめたら、記事が移動していることが分かったので、以下にあらためて貼っておく。ドラマを見た人は笑ってね!

▼(幽黙網文)央視名嘴与《天龍八部》2004年2月10日 星期二
http://www.kanzhongguo.com/news/60274.html

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水越さん/季刊・本とコンピュータ

2004-05-26 21:58:05 | 読んだもの(書籍)
○「季刊・本とコンピュータ」2004春号

 久しぶりに生協の書籍部に行ったら水越伸さんの表紙を見つけた。奥付を見たら3月10日の発売だった。街の本屋さんでは置いてあることの少ない雑誌なのでつい見逃していた。定期的に購読すると決めているわけではないのだが、目次を見るとおもしろそうなので、つい買ってしまう。

 この雑誌が発刊された当時、「本とコンピュータ」はまだ基本的に別カテゴリーの存在だった。「犬と歯ブラシ」や「カレーライスと洗濯バサミ」くらい結びつきに必然性のないタイトルだったと思う。雑誌の中身も、「本」寄りの記事と「コンピュータ」寄りの記事がただ同居しているだけで、あんまり面白くなかった。それが、この数年、インターネットの普及とともに俄然面白くなってきた。

 さて、今号の白眉は、なんといっても水越伸さんへのインタビュー記事である。「共有地の開拓者たち」という連載記事の第三回に当たる。

 1980年代末、新聞研究所(のちの社会情報研究所)で大学院生として学んでいた当時の回想にハッとする記述がある。

 「同じ頃、都市論が専門で「盛り場」を研究にしている面白い助手がやってきたと話題になった。図書館蔵書の貸出記録から同じ本を何冊も借りていることに気づいて、向こうから声をかけてきたその助手が吉見俊哉だった。」

 えええ~!!である。しかし、最近の若者は、これが何をイミしているか、分かるのだろうか? 

 むかし、図書館の本にはカードポケットという封筒が貼ってあって、そこには縦長の貸出カードが入っていた。図書を借りるときは、貸出カードを抜き出して日付と自分の名前を記入し、図書館に置いていったのである。

 しかし、誰がいつどんな本を読んだかという個人情報が他人の目に触れるのはよろしくないという理由で、公共図書館では、1970年代(たぶん)にこの方式は廃れていく。大学図書館の対応は公共図書館より遅かったと思うが、1980年代の末と言えば、多くの大学が、プラスチックカードの数字やバーコードを瞬時に読み取る自動貸出システムを導入し始めていたはずだ。

 天下の東京大学の図書館サービスが、当時、いかに旧態依然とした、個人情報ダダ漏れ状態であったかを想像するとちょっと同情を禁じ得ない。

 しかしまた、図書の貸出記録という、日付と名前だけのわずかな情報を通して、その向こうに、自分と同じ関心を持つ研究仲間(になるかもしれない人)がいるということを察知し、見つけ出したというのは、大げさすぎるかも知れないが、なかなか感動的である。メディア・スタディーズの旗手、吉見俊哉と水越伸にふさわしすぎて、よくできた都市伝説を聞かされているような気もする。

 社会情報研究所(今年度から大学院情報学環に合併改組)図書室は、すでに自動貸出システムを導入済みであるらしい。したがって、今後、この研究所で学ぶ院生や研究者には、2人のような出会いはもうありえないということだ。ちょっと残念...
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「朝鮮」表象の文化誌

2004-05-25 22:49:04 | 読んだもの(書籍)
○中根隆行『「朝鮮」表象の文化誌』新曜社 2004.4

 最近の政治情勢の話ではなくて、これも本の話。先週末に読み終わった。

 近代日本の文化的記憶において「朝鮮」が意味するものとは何か、なぜ日本人は「朝鮮」に対して、怠惰、汚穢、貧乏、停滞といったマイナスの記号を欲望し続けてきたのか、その根底には、日本人の裏返しの自己像が投影されているのではないか...といった話。

 本書は、いくつかの独立した論文を基に博士論文を構成し、さらに加筆修正して成立したものである。そのため、全体のまとまりには欠けるが、細部には、これまで全く知らなかった興味深い事実がいろいろとちりばめられていた。

 例えば、1930年代の朝鮮では、公共図書館が朝鮮人学生に読書空間を提供していたこと(朝鮮半島における公共図書館の開設はいつから始まるのだろう? 日本の植民地支配とともに?)。

 当時の小説によれば「日本人は金があって自分で本を買って読むのだらう。図書館に来るのは大てい朝鮮人だった」とある。さらに「日曜には総督府図書館に行って見ると、おれ等のやうな高等普通の生徒や、専門学校の生徒が開館前からつめかけていた」とある。へぇ!

 この総督府図書館って、帝国議会図書館(今の国立国会図書館)の支部だったのだろうか? (以下、その仮定で書いておくが)図書館員なんて平和な仕事だと思っていたけれど、やっぱり政府機関の一員である以上、植民地政策の一端を担っていたんだなあ。

 このことについて、今の国会図書館はどういう見解を持っているのだろう。寡聞にして知らないのだが。できれば触れずにすませようという態度かしら。それと、現在の韓国中央図書館と総督府図書館の関係ってどうなっているのだろう...と思ってちょっと調べてみたら、蔵書は受け継いでいるらしい。

 そのほかにも、日本語文芸誌の朝鮮における読まれ方・売られ方とか、日本語文壇における朝鮮人作家の登場とか、正統的な「近代日本文学史」は決して触れてこなかった研究課題がたくさんあることを知った。

 もうひとつ、太平洋戦争の末期、日本人になじみの「蛍の光」と同じメロディが、朝鮮では「愛国歌」として歌われていたらしい。

 日本の敗戦が決まると、朝鮮人は祖国の独立と解放を祝い、禁じられてきた「愛国歌」を歓喜とともに歌った。それは、まもなく朝鮮半島から引き揚げを始める日本人入植者たちの耳には、別れを惜しむ「蛍の光」のメロディとして聞こえていたという。なんという皮肉か。

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渤海国

2004-05-25 06:31:12 | 読んだもの(書籍)
○上田雄『渤海国』講談社学術文庫 2004.4

 今日は本の話。週末の旅行に持っていって読んでいた1冊。

 渤海国は7世紀から10世紀にかけて中国東北部に存在した東アジアの古代国家である。当時の日本とは頻繁な往来の記録が残っているにもかかわらず、教科書での扱いも小さく、その存在を知る日本人は少ない。そこで著者は、渤海国と日本のかかわりを多面的に紹介しようと努めている。
 
 読みやすくて飽きさせない本なんだけど、あまり新鮮味はない。平安初期の漢詩文集に収録された渤海使と日本の文人の作品を手がかりにして、両国人の交流のありさまを、できるだけ具体的に掘り起こそうとしてるんだけど、歴史家が文学資料を扱う手さばきって、なんか粗雑なんだなあ。

 あと、史料のところどころに「舞姫」とか「女楽」とかいう単語が出てくると、別に自分が助平な想像をほしいままにしているわけではないという言い訳をつらねながら、男女入り乱れた”華麗な宮廷絵巻”をいっしょうめけんめい読者の前に描き出そうとするのだが、ぜんぜん失敗している。その貧乏くささが、歴史家らしくてほほえましいんだけどさ。

 ちなみに私は数年前、中国東北地方の観光ツアーで渤海国の上京龍泉府遺址を訪ねたことがあるので、この本の写真や記述は懐かしかった。

 それから、3月に京都の島原の角屋を訪ねたとき、そばに「鴻臚館址」を見つけた。平安京の鴻臚館だから、来ていたのは渤海使だね、と同行の友人(日本史好き)と話しあった。この本の末尾にも載せられている「白梅や墨芳しき鴻臚館」という蕪村の句碑が立っていた。

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新緑の奈良/奈良国立博物館

2004-05-23 23:32:23 | 行ったもの(美術館・見仏)
○奈良国立博物館「法隆寺~日本仏教美術の黎明」展

 京都1泊のあと、日曜日は奈良に行った。この法隆寺展は、ディープな法隆寺好き(仏像好き)にはちょっと物足りない企画ではないかと思う。法隆寺からいらしている大型の仏像は多聞天像1体だけだ。あとは小型の金銅仏が主で、それも東博の法隆寺館や韓国・中国から類型の仏像を借りてきて数を埋めているようで、ちょっとずるい。

 ただ多聞天1体でも見る価値はある。ライティングの効果か、実物は写真よりずいぶんいい。着物の袖や裾に施された繊細なドレープなど、細部をじっくり楽しむことができる。四足を踏ん張っている餓鬼をお尻の側から見ることができるのもめったに無い余得だ。

 それから金堂の釈迦三尊の上に吊るされている天蓋と、その装飾である飛天の生真面目な愛らしさも一見に値する。

 また、金堂内陣の(焼け残りの)旧壁画をまじまじと近くで眺めることができたことも幸せだった。のびやかな肢体で虚空に舞う「飛天」の筆致は、何か、文化の絶頂を生きる者の自信を感じさせる。それは、天蓋装飾の木彫の天女や、数多い金銅仏の造形が、まだ初発の厳粛で敬虔な祈りに基づいているのとは、対照的である。

 ひとくちに法隆寺と言っても、仏教美術の黎明と言っても、その内包する時代はけっこう長いし、文化や人々の思想は大きく変遷している。

 どの段階に共感するかは人によって異なるだろうが、私自身は、無数の無個性で稚拙な金銅仏の中から、偶然なのか工人の工夫によってか、「慈悲」や「大智」に値する思想性の表現を獲得した仏像がまさに立ち出でてくるあたり(止利様式の成立と展開と言われるところである)にとても惹かれた。


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まったり京都/京都文化博物館

2004-05-22 21:19:49 | 行ったもの(美術館・見仏)
○京都文化博物館の「白隠・禅と書画」展

 4月からずっと気になっていた「白隠」展に、ようやく、最終日ぎりぎりに行ってきた。

 ビギナー向けの日本美術史の解説書が、鳥獣戯画をマンガの元祖と呼びたがるのは、内実のない、お決まりごとに過ぎないけれど、私の見るところ、白隠の絵は、ほんとに現代マンガと一直線につながっている感じがする。現代マンガというのは正しくないかも知れないが、私が子供の頃(昭和時代)に読んだマンガの匂いが濃厚にするのだ。

 白隠には、墨で輪郭を描き、かつ彩色を施した作品がかなり多い。それも、品のいい水墨画みたいな、色彩の「一点乗せ」ではなくて、僧侶の衣や袈裟、肌などを、淡い水彩とはいえ、はっきりした色目でベタ塗りしている。黒い線描ですでに十分描き切れているキャラクターに、さらにカラフルな色彩を載せた感じが、あまり印刷のよくない少年マンガ誌の巻頭カラーページの「プチ贅沢」な記憶を呼び覚ますのだ。

 あと、びっくりしたのは毘沙門天だか何かのバックを墨で全面ベタ塗りしたものがあった。余白の美なんてあったものじゃない。この感覚は、やっぱりマンガである。

 もちろん斬新なデザインとか、哲学的な主題とか、大人を喜ばせる「美術作品」も無いわけではないが、この人の基本路線はマンガ。そうして70歳や80歳の高齢になっても、ものすごくうまいマンガを嬉々として描き続けている。いいな。このおじいちゃん。

 今月は前半に根津美術館の「南宋絵画」展を見にいき、実はそのハイレベルな芸術性に圧倒されてしまったのである。いや、すごいよ、南宋絵画。牧谿とか梁楷とか、純粋芸術として一点非のうちどころがない。でもこれだけレベルが高いと、見るほうも生気横溢してないと、ちょっと負けちゃうんだよね...

 なので、比べるわけではないんだが、今日の私は白隠でいいかな、なんて気分である。
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はじめまして。

2004-05-21 21:43:15 | 日常生活
昔から読書日記を立ち上げたいと思っていました。
読書量と、おもしろい本を探し出す嗅覚には、けっこう自信があったので。

この数年はすっかり読書量が落ち込んでしまいましたが、そのかわり、博物館や美術館に足を運ぶ回数は増えたし、スカパーで海外のテレビ番組を見たり、ネットの上で変なサイトを探し出して読んでみるというような、新しい暇つぶしを身につけました。

そこで、本とか映像とかWebとかいう種別にとらわれず、私の興味をひいたものを書き留めていくブログを始めることにしました。

とりあえず、明日からの週末は京都と奈良にミニ旅行に行ってきて、帰ったらその報告を書きます。では。



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