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見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

進む再評価と疑問/陳独秀(長堀祐造)

2021-08-30 19:48:56 | 読んだもの(書籍)

〇長堀祐造『陳独秀:反骨の志士、近代中国の先導者』(世界史リブレット 人) 山川出版社 2015.10

 中国ドラマ『覚醒年代』の復習として読んでみたら、思った以上にいろいろなことが分かって興味深かった。中国共産党の設立にかかわった陳独秀が、のちにトロツキズムに傾倒したことはwikiで読んでいたが、中共は、トロツキー派が日本軍から金を貰っていたというデマに固執し、戦後も「新文化運動の主将の座を魯迅に、共産党創立者の栄誉を李大釗に担わせることで、陳独秀を歴史からパージしてきた」という。しかし改革・開放以後、徐々に見直しが行われ、「本来あるべき歴史上の地位が陳独秀にも回復しつつある」というのが、本書の刊行された2015年の認識だったようだ。それから6年。著者の長堀祐造先生がドラマをご覧になっていたら、感想を聞いてみたい。

 陳独秀は、清末に安徽省安慶府懐寧県(現・安慶市)の読書人の家に生まれ、科挙の予備試験に合格して17歳で秀才となる。青年時代は、変法派の人々と交わり、日本に留学したり、テロ組織に加入したり、地方政府の要職に就いたり。やがて上海で雑誌「新青年」を創刊し、北京大学に移って新文化運動をリードしていく。ここから五四運動、共産党創設までは、ほぼドラマで描かれたとおりだった。「新青年」創刊号に掲載された六か条の提言とか、演劇の教育的機能を強調したこととか、五四運動の学生たちの座右の銘となった「研究室と監獄」とか。五四運動で逮捕のきっかけとなったビラ撒きの現場が、娯楽場「新世界」の「最も高いところ」だったこと(清水安三が伝聞の記録を残している!)もドラマと一致していた。

 一方、ドラマでは、やや軽い扱いだった「文学革命」が、独秀にとって政治革命と同じくらい重要だったのではないかというのは、本書を読んで感じたところだ。白話文だけではなく、句読符号も「新青年」が提唱・導入したのだな。そして胡適が主に「形式」面改良の提案をしたのに呼応して、独秀は「内容」面での「文学革命論」を発表する。『詩経』『楚辞』の平易直情、元明の戯曲、明清の小説を称賛し、文章は道徳を伝えるものだという「載道説」を退けた。これは独秀が親しんだ近代ヨーロッパ的な文学観からすれば当然のことだが、毛沢東の「文芸講話」やそののちの中共の文芸政策よりずっと進歩的なものと言える。

 独秀は晩年に至るまで音韻学、文字学への関心を失わず、独自の研究を続けた。1929年3月には「中国拼音文字草案」も書き上げていたという(公刊されず)。そのことを知ると、共産党による陳独秀の名誉回復を単純に喜んでいいのか、疑問が残る。彼の多面的な遺産を「建党の英雄」だけに回収するのは、ちょっと料簡が狭いのではないか。

 1921年、共産党の結党ともに陳独秀はその指導者となる。コミンテルンは、中共党員が国民党に加入するというかたちでの国共合作を指示。この変則的な合作はやがて崩壊するが、中共トップの座にあった陳独秀に批判が集中し、1927年、コミンテルンから職務停止の命令が下る。

 その後、独秀は、トロツキーが中国革命について正しい見通しをもっていたことを知り、支持を表明するとともに、中共内部の民主主義の欠如を批判する。しかしスターリン派が実権を握る中共には受け入れられず、中国のトロツキー派自体も分裂し、1932年には国民党に逮捕される。このとき、胡適や蔡元培が救出に動き、章士釗が弁護に立って「陳独秀は国民党の功臣」などと論じたが、独秀は机を叩いて立ち上がり、自らの弁護人に反論したという。笑った~ドラマのキャストで絵が浮かんでしまった。この後半生こそドラマで見たいと思ったが、あと100年くらい経たないと無理だろうか。

 陳独秀の晩年の思想は、私家版的な出版物『陳独秀的最後見解』で知ることができる。民主的価値の歴史的普遍性を説き、プロレタリア独裁がスターリン主義を胚胎したことを批判しているそうだ。胡適は、この書籍から、トロツキー宛書信などマルクス主義堅持を記した数点を削除したものを公刊し、長文の序を寄せて、陳独秀の自由主義者としての側面を再評価しようとした。しかし、著者の見るところでは、独秀は最後までマルクス主義を捨てていない。文学革命の同志である胡適も「自分にとって望ましい陳独秀」だけを見てしまっているように感じた。

 ドラマと本書を通じて、陳独秀という複雑で魅力的な人物を知ることができてよかったが、現代に近い人物ほど、歴史的な評価は難しいということをしみじみ思った。

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アイスショー"Frends on Ice 2021" 3日目昼の部

2021-08-29 21:50:53 | 行ったもの2(講演・公演)

〇フレンズ・オン・アイス2021(2021年8月29日、12:30~、KOSÉ新横浜スケートセンター)

 荒川静香さんが中心となり、2006年から企画プロデュースしているアイスショーを初めて見てきた。4月の「STARS on ICE」、5月の「Prince Ice World」に続いて、今年3回目の観戦である。ちなみに7月の「Dreams on Ice」はチケット争奪戦に敗北、8月の「THE ICE」とこの公演と、どちらに行くか迷ったが、出演者の年齢層の高いこっちにした。

 出演者は、荒川静香、本田武史、鈴木明子、安藤美姫、織田信成、無良崇人、本郷理華、村上佳菜子、小林宏一、中野耀司、宇野昌磨、田中刑事、坂本花織、樋口新葉、宮原知子。プロ転向組と現役選手が2:1という構成。

 私は、現役選手の、体力と技術で攻めまくる演技を息をつめて見守るのもいいが、それぞれ個性に磨きをかけたプロスケーターの演技を、少しゆったりして気持ちで見るのも好きなのだ。鈴木明子さんの「O(オー)」、織田信成くんの「ゴースト」は、久しぶりで嬉しかった。本田武史さんの「The Perfect Fan」は亡きお母様に捧げるプログラムという紹介があった。本田さんはイーグルを見てるだけで幸せ。本田さん、無良崇人さん、田中刑事さんの「雨に唄えば」も楽しかったけど、三人の誰を見たらいいか、目が忙しかった。

 荒川静香さんは、コラボプロを含め、確か3プロ演じていた。クールでカッコよかったり、神仙姐姐のように神秘的だったり、しっとり情緒的だったり、どんなキャラクターも演じてしまう。そして相変わらず身体の使い方がきれい。現役感バリバリで、しかも日本スケート連盟副会長で、お母さんでもあるって、超人的だと思う。

 現役組は、本格的なシーズンインが間近に迫っていることもあって、それぞれ気合の入った演技を見せてくれた。特に宮原知子さんの「トスカ」。原曲が好きということもあるけど、気持ちが入って少し泣いてしまった。名プログラムだと思う。宇野昌磨くんは高難度のジャンプが続く「オーボエ協奏曲」をノーミスで! 4月に見た「ボレロ」はまだ挑戦を始めたばかりの印象だったけど、だいぶこなれているのだろうな。フィナーレや群舞の表情を見ていても、昌磨くん、大人になったなあと感慨深かった。

 さあシーズンイン。選手のみなさんが、無事に、安全に演技できますように。そして来年こそ、アイスショーに海外のスケーターたちが帰ってきてくれますように。

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茶室「五庵」他を見に行く/パビリオン・トウキョウ2021

2021-08-28 21:21:01 | 行ったもの(美術館・見仏)

ワタリウム美術館企画『パビリオン・トウキョウ2021』(2021年7月1日~9月5日)

 新国立競技場周辺エリアを中心に東京都内各所で開催されている同展を見てきた。各パビリオンは、自由に見学できるものもあるが、予約制のものもある。藤森照信先生の茶室「五庵」は当日予約制のため、同行の友人とはワタリウム美術館の受付で待ち合わせ。13時の参観予約を取って、ランチのあと、現地へ向かう。

 このモコモコした不可思議な建築が茶室「五庵」。交差点を挟んで、斜め向かいは国立競技場。

 1階の小さな出入口から、身体をかがめて中に入る。茶室なので「右足からお入り下さい」と注意される(裏千家か)。

 1階から2階へはほぼ垂直のハシゴのような階段をのぼる。30分単位で10人の参観を受け付けているが、2階の定員はその半分で、残りは1階でビデオ(藤森先生へのインタビュー)を見ながら交替を待つ。藤森先生、竹と和紙の伝統的な茶室をdisっていて、おもしろかった。2階は、壁に沿ったベンチと部屋いっぱいの大きなテーブルが据え付けてあり、釜と茶道具、それに木賊を植えた水盤が置かれていた。

 茶室「五庵」から歩いて、次のパビリオンへ移動。会田誠氏の「東京城」である。ダンボールでできた高くそびえたつ城と、ブルーシートでできた背の低い城が、神宮外苑の銀杏並木の入口の左右に立っている。銀杏並木の入口が(パラリンピックのため?)警官に封鎖されているのと相まって、白昼夢のような光景だった。

 最後に渋谷区役所第二美竹分庁舎を会場とする草間彌生の「オブリタレーションルーム」(ネットで事前予約)。入室時、大小10枚くらいの水玉のシールを渡され、真っ白な展示室内のどこでも好きなところに貼ることができる。

 また、同じ場所で、ワタリウム美術館主催『水の波紋展2021 消えゆく風景から-新たなランドスケープ』(2021年8月2日~9月5日)の展示も行われていた。

 写真は竹川宣彰氏の「猫オリンピック:開会式」。スタジアム状の舞台に1400匹の陶器製のネコが集まっていて壮観。楽しい1日だった。

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近代中国の選択/中華ドラマ『覚醒年代』

2021-08-27 20:30:57 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『覚醒年代』全43集(北京北広伝媒影視股份有限公司他、2021)

 「慶祝中国共産党成立100周年」という冠詞つきで、1910年代の新文化運動から中国共産党結成までを描く。そんな「共産党お墨付き」ドラマが面白いのか、視聴者評価の高得点に驚いて、半信半疑で見てみた。

 主人公は陳独秀(1879-1942)と李大釗(1889-1927)で、日本留学中の李大釗が亡命中の陳独秀に出会うところから始まる。陳独秀は、帰国後「20年は政治を語らない」と宣言して、上海で雑誌「新青年」を創刊し、啓蒙活動に励む。北京大学学長の蔡元培に招かれて文科学長(文学部長)となり、「新青年」の拠点も北京大学内に移す。北京大の図書館主任(教授を兼務)となった李大釗、アメリカ留学帰りの胡適、小説家の魯迅と弟・周作人、そして毛沢東(図書館助理員として勤務)などが徐々に集結する様子にわくわくした。知らない名前があるとWiki等で確認していたが、見た目を実物に「似せる」度も、かなりのものだった。

 新文化運動グループと対立する保守派の描き方も好ましく、辜鴻銘や林紓には、知識人の矜持が見てとれた。陳独秀が「現在の保守派は過去の進歩派、現在の革新派も未来には保守派となる」と言っていたのが印象に残る(蔡元培のWikiにあり)。過激化する学生運動を取り締まり、陳独秀を投獄する警察庁総監の呉炳湘は「食えないヤツ」の感じがよく出ていた。

 新旧知識人のどちらからも慕われ、政治家とも渡り合う蔡元培は理想の学長である。「兼容并包」(どんな思想も受け入れる)を掲げ、温和で腰の低い大人物だが、若い頃は立派な過激派で、爆弾づくりに取り組んでいたことを序盤でちらりと語らせている。まあしかし北京大学の文科(文学部)が中国共産党の誕生にこれだけ深くかかわっているのでは、日本みたいに「文系廃止論」は出ないだろうな。それだけでも羨ましい。

 1919年、第一次大戦後のパリ講和会議で、日本が山東省の権益を主張したことから、五四運動と呼ばれる大規模な学生運動が起きる。北京政府は学生を捉えて大学構内に監禁し、蔡元培は大学を去り(辞職、のち復帰)、陳独秀は投獄される。なお、ドラマで悪役となるのは、日本に対して弱腰な政府とそのシンパたちで、日本そのものへの批判はあまり描かれない。このへん、規制があるのかなと思う。

 五四運動の終息後、出獄した陳独秀は、いま祖国に必要なのは啓蒙や教育ではなく実際の行動だと考えるようになる。北京大を離れ、上海で「新青年」の編集刊行を続けるが、その主張は政治性が強まる。同様にロシア革命こそ中国を救う道だと確信した李大釗と語らい、中国共産党の結成を構想する。ドラマでは、北京郊外の縹渺たる冬の平原で、極貧の流民の集団に出会った二人が、彼らに衣食住と人間の尊厳を取り戻すため、共産党の結成を誓う。武侠世界の英雄の盟約みたいだった。

 そして1921年、中国共産党の結党会議(二人は参加していない)の開催でドラマは静かに終わる。調べてみると、その後の陳独秀は、共産党を除名され、トロツキズムに転向、失意のうちに四川省江津に隠棲して、1942年に死去した。息子の陳延年と陳喬年(ドラマにも登場)が父親より先に、相次いで処刑・殺害されたというのも辛い。李大釗は、国共合作下の1927年、張作霖によって絞首刑に処せられた。ドラマの、希望に満ちた終わり方は何だったんだと思うような史実である。

 ドラマでは、中国はアメリカをモデルにすべきと考える胡適が、ロシア革命とマルクス主義こそ最善と考える陳独秀・李大釗と、ついに思想的に袂を分かつまでが、執拗なくらい繰り返し描かれている。共産党お墨付きドラマであるから、陳独秀・李大釗の選択こそ「正解」なのだが、正直、いまの中国人はこれをどう思って見たのか知りたい。

 また、五四運動の学生たちには、近年の香港民主化デモの若者たちが投影されているように思えてならなかった。愛国心にはやる学生たちは、自分たちが命を捨てることで民衆が覚醒すれば本望と訴えるが、陳独秀は大笑いして「何千年も奴隷的な封建制に慣らされた民族が覚醒するには幾世代もかかる」と言い放ち「だからお前たちは生きて戦え」と促す。この絶望と希望の交錯。共産党お墨付きドラマでありながら、様々な解釈を誘うところが実に面白かった。

 監督は『軍師聯盟』の張永新。出演者はみんなよいのだが、蔡元培役の馬少華さん、2003年のドラマ『走向協和』で孫文を演じた方と分かって懐かしかった。

 以下は蛇足のつぶやき。コロナ禍が終わったら、台北・中央研究院の胡適紀念館と傅斯年図書館に行きたい(傅斯年は北京大の学生としてドラマに登場)。胡適公園にある胡適先生の墓園にお参りし、台湾大学にあるという傅斯年紀念墓園にも行きたい。

 北京大学の図書館があった紅楼旧跡は、新文化運動紀念館になって一般公開されているそうだ。行きたい!(人民網:北京大学紅楼旧跡が一般公開再開 革命関連の貴重な文化財展示 2021/6/30

 魯迅と蔡元培の故郷である紹興にも、もう一度行きたいなあ。

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価値を生む競争関係へ/日韓関係史(木宮正史)

2021-08-24 22:17:16 | 読んだもの(書籍)

〇木宮正史『日韓関係史』(岩波新書) 岩波書店 2021.7

 韓国関連の本、春木育美『韓国社会の現在』を読んだ流れで、もう1冊。本書は「近代化」から今日に至る日韓関係を分析し、特に1945年以後の「非対称から対称へ」という構造変容に注目する。

 19世紀後半、欧米列強の圧力によって開国した日韓両国は、国家体制の改革と近代化という目標を共有していた。しかし日本は自国の安全保障のため、朝鮮に対する排他的な影響力の確保を目指すことになる。朝鮮にとって日本は、自立的な近代化の可能性を摘み取った張本人と認識されている。

 1945年、朝鮮は日本の植民地支配から解放されたが、韓国と北朝鮮に分断される。1950年代の日韓国交正常化交渉は、なかなか進展しなかった。60年代、朴正煕政権は、経済発展の加速によって北朝鮮に対する劣勢を挽回することを企図し、そのために日本の経済協力を必要とした。日本の池田政権も日本製品の市場として韓国を確保することに利益を見出し、米国も経済発展こそが共産主義の抑制に効果的であるという認識からこれを支援した。そして1965年に日韓国交正常化が達成されたが、「領土問題」と「謝罪」は棚上げにされた。

 70年代には、米中・日中の和解によって、東アジアの国際情勢が複雑さを増す。韓国は、自国の対北政策に先んじて、日朝関係が進展することを容認できなかった(これがよく分からない)。北朝鮮をめぐる日韓の緊張が金大中拉致事件を引き起こし、日韓関係は極度に悪化する。米国は、東アジアの緊張緩和から、在韓米軍の撤退を検討したが、朴正煕政権は、核開発に取り組むことを誇示し、米国が韓国の核開発を認めるか、韓国防衛への関与を続けるかという選択を迫った(そんな外交もありなのか…)。こうした「米韓の隙間風」は、日韓の接近を促すことになる。70年代には日韓の議員外交が活発に展開されたが、市民社会どうしの交流はほぼ皆無で、「先進国」「民主主義体制」の日本と「開発途上国」「権威主義体制」の韓国は非対称だった。

 80年代、全斗煥政権は、対米、対日関係に神経を使ったので、日韓関係における米国の比重が再び高まった。韓国は持続的な経済発展によって北朝鮮に対する優位を確保し、1987年には民主主義体制へ大きく舵を切った。日韓は対称的な関係に移行したが、それは「非対称であったから協力が容易であった」状態から、摩擦や競争を意識する局面に入ったことを意味する。

 90年代から現在までの日韓関係の特徴として、著者は「国力の均衡化」「体制価値観の均質化」「多層化・多様化」「双方向化」の4点を挙げる。もはや日韓は(非対称に慣れた人々には受け入れ難いかもしれないが)対称的で対等な競争関係にある。問題は、競争がお互いの社会にプラスの価値を生み出すよう、コントロールすることである。

 ここで思い出したいのは、1997年、金大中政権と小渕政権の下で締結された「日韓パートナーシップ宣言」である。実はすっかり忘れていたが、本書の引用を読んで、あらためて価値ある遺産だと思った。「国際公共財としての日韓関係」という発想はとてもよい。著者は90年代には、日韓関係にかなり楽観的な見通しを持っていたという。思えば私もそうだった。現実には、その後、歴史問題の拡大再生産によって、政治上の日韓関係はひどく悪化してしまった。しかし、若者を中心に文化コンテンツの共有はますます拡大しており、私は楽観的な見通しを持ち続けたいと思う。

 競争が壊滅的な対立を生まないようにするには、お互いの価値観の違いを理解することも重要だと思う。本書には、日韓の価値観の違いが説明されていて、とても興味深かった。

 たとえば「正義」について。日本では「約束や合意を守る」という「手続き的正義」が相対的に重視されるのに対して、韓国では「弱者、被害者も含めた関係当事者が納得し、その同意を得た」というような「実質的正義」が重視される。また、韓国は政治的変動が激しかったこともあり、国内政治においては旧体制における「不正義」を新体制下で裁くことで「正義」を実現する「移行的正義」が一般的である。日韓関係に関しても、以前の「不正義」を新しい日韓関係で正したいという志向が強い。一方、日本では、第二次世界大戦の前後も含めて、そもそも旧体制と新体制との断絶に伴う「移行期」という発想が希薄であり、まして異なる国家間の関係には適用され難いと考える。

 こうした違いを認め合った上で、どのように競争をプラスの方向に転化していけるかが、両国の政治家と市民の課題になるのだろう。

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広重・風景画の魅力/浮世絵・江戸絵画名品選(山種美術館)

2021-08-23 20:12:41 | 行ったもの(美術館・見仏)

山種美術館 開館55周年記念特別展『山種美術館所蔵 浮世絵・江戸絵画名品選-写楽・北斎から琳派まで-』(2021年7月3日~8月29日)

 開館(1966年)55周年を記念し、所蔵の浮世絵と江戸絵画の優品を紹介する展覧会。日本画専門の美術館である同館が、琳派をはじめとする江戸絵画にも強いことは知っていたが、浮世絵の所蔵館であるというのは、あまり意識したことがなかった。本展は全114作品(展示替えあり)のうち、86件が浮世絵(紅絵、錦絵など)で、歌川広重の『東海道五捨三次(五十三次)』は扉+55枚が前後期で全て展示される。

 展示構成はだいたい年代順で、奥村政信の古風な漆絵(墨などに膠(にかわ)を混ぜて漆のような光沢をねらったもの)に始まり、鈴木春信、鳥居清長、歌麿、写楽などの個性的な作品が続く。鈴木春信の『柿の実とり』は、男性が女性をおんぶして、塀越しの枝から柿の実をとる図。ほぼジェンダーレスでお人形さんみたいなカップルなのだが、首の傾け方、腕の伸ばし方、身体の軽さに比べた衣の重さなどには実感がある。

 広重の『東海道五十三次』を、これだけまとめて見たのは久しぶりで、見る者を飽きさせない、変化に次ぐ変化がすごいと思った。山や海の自然美で驚かせるもの、人々の営みでくすっと笑わせるもの、遠景、近景、朝、昼、夜。天候や季節もさまざまで、たとえ五十三次の順番を知っていても、次に来る風景が全く予測できなくて楽しい。ファンには、何をいまさらと言われるだろうが、魅力を再発見できてよかった。

 広重の名作『名所江戸百景 大はしあたけの夕立』も、しみじみよいと思った。手前の大橋が斜め左下がりなのに対して、隅田川の向こう岸が微妙に右下がりに切り取られているのが巧い。実際にこんな眺望の視点があるとは思えず、広重が自分の頭の中で風景を構成しているのだろうな。『木曽路之山川(雪月花之内 雪)』は、白い巨象の群れがうずくまったような木曽の渓谷の雪景色を描く。これもドローンでもなければ、現実には見ることのできない風景である。

 あとは山種美術館ではおなじみの又兵衛や抱一、其一、椿椿山などの作品が出ていた。第2展示室にあった長沢芦雪『唐子遊び図』は記憶になかった。芦雪の描く唐子たちのやんちゃぶりは、芦雪の描く子犬たち(応挙の子犬より自由でやんちゃ)みたいでほのぼのする。日根対山の『四季山水図』も初見のように思ったが、調べたら2016年の開館50周年記念特別展でも見ていて「惹かれる」とメモしていた。こういう「文人画」と言われる山水画、年齢を重ねるにつれて、好きになってきた感じがする。

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人と仏の音楽/雅楽特集を中心に(芸大美術館)

2021-08-22 23:36:58 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京藝術大学大学美術館 『藝大コレクション展2021. I期:雅楽特集を中心に』(2021年7月22日~8月22日)

 気がついたら会期末になっていたので慌てて見てきた。芸大コレクションの中から、雅楽の楽器や舞楽装束、絵画、彫刻や工芸作品70余点を展示する。おや?と思ったのは、昨春、同館は、御即位記念『雅楽の美』(2020年4月4日~5月31日)という特別展を企画していたが、コロナ禍で流れてしまったのである。本展は、その一部リベンジの意味も意味のあるのではないかと勝手に考えていた。

 会場の冒頭には竹内久一作の木像『伎芸天』。堂々として麗しい。この作品だけ写真撮影OKだった。

 パンフレットの解説によると、経典では、左手は掌を上に向けて天華を捧げ、右手は下げて裙(もすそ)をつまむ姿勢であるという。岡倉天心は東京美術学校の講義で「秋篠寺の伎芸天は教伝の伎芸天の形状とは異なり、むしろ観音の形かもしれない」と語っているそうで、本作は、こうした教えを受けた竹内が制作し、明治26(1893)年のシカゴ万博に出品したものである。

 いやもう極上の美品。秋篠寺の伎芸天というより、浄瑠璃寺の吉祥天が降臨したような感じ。

 背後の壁に掛かっている絵画は、明治23(1890)年に制作された巨勢小石の『伎芸天女』で、やはり左手に天華(花籠)を捧げ持つなど、経典に準じたポーズだが、衣装にリボンとフリルが多くて少女趣味増し増し。作者の趣味なのかしら?と思ったが、展示室内に出ていた『浄瑠璃寺吉祥天厨子絵』(鎌倉時代、彩色板絵)を見たら、中央に八臂の弁財天が描かれていて、その衣装にとてもよく似ていた。

 本展は、人間が奏する「雅楽」だけでなく、楽を奏する菩薩や飛天などに関連する作品も多く出ていた。嬉しかったのは、高野山有志八幡講十八箇院『阿弥陀聖衆来迎図』の模本(増田正宗、制作年代不詳)が出ていたこと。高野山霊宝館の名品展第1期を見逃して残念に思っていたので、模本でも久しぶりに見ることができてよかった。

 人間界(?)の雅楽関連では、まず『信西古楽図』(藤原貞幹、江戸時代の模本)が長々と開いていて嬉しかった。冒頭は雅楽の楽器あれこれに始まり、舞楽の演目が続いて、散楽の「柳格倒立」までだったので、ほぼ九割方を一気に見ることができた。本当に楽しい図像集。

 また、土佐光信作『舞楽屏風』の模本(制作者、制作年代不詳)も興味深かった。屏風仕立てではなく、12枚の紙本から成る。左右の端には、右方・左方の楽器と楽人が描かれ、その間に23種類の舞楽の演目(舞人)が密集して描かれる。私は雅楽が好きなので、うん知ってる、見たことあるという演目もあるが、知らない演目もけっこうあった。「新靺鞨(しんまか)」って何?「皇仁庭(おうにんてい)」も知らない、と思ったが、ウェブ検索すると、ちゃんと近年のどこかの公演の写真がある。見たいなあ。

 なお特別出品として、昭和天皇立太子礼奉祝記念に制作された『御飾時計』(秋篠宮家所蔵)が出ていた。人の身長くらいの櫓型(振り子を仕込んであるらしい)で、15分ごとに時を告げる。このとき、文字盤の上の最上階では、小さな人形が腕を動かして太鼓を叩き、屋根にとまった鳩が体をゆらし、翼を広げる仕掛けになっている。地味にかわいい。

 このほか、天平の少女たちを描いた和田英作の『野遊び』は、琵琶や笛を持っているという関連での出品らしい。去年、大阪市美の『天平礼賛』で印象的だった作品である。服部謙一の『桜梅の少将』は舞台に出ようとする平維盛を描いたもの。福富常三『平経正』は、武人でもある経正が甲冑を脇に置き、ひとり琵琶を手にとる表情を描く。源氏では、源義光が笙の名手として知られ、後三年の役で奥州へ赴く途中、足柄山で甥に秘曲を授けたと伝わる。小堀鞆音の『足柄山/下図』はこの場面を描いている。

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禁止と形骸化の歴史/人身売買(牧英正)

2021-08-19 20:49:39 | 読んだもの(書籍)

〇牧英正『人身売買』(岩波新書) 岩波書店 1071.10

 以前から気になっていた名著が「岩波新書クラシックス限定復刊」の帯つきで書店に並んでいたので読んでみた。日本における人身売買の歴史を資料に基づき記述したもの。ただし各時代の記述の厚みは一様ではない。十分な資料が残っている時代と、そうでない時代があるためである。

 古代については意外と詳しい。書紀・続日本紀、それから正倉院文書にも人身売買関連の記録がある。日本の律令制度がモデルとした唐の制度では、人民は「良」と「賤」に分けられ、「賤」のうちは売買してよいが、それ以外の売買は禁止された。しかし日本では、良賤の区別が定着せず、親が子を売ることへの罪悪感は唐制よりも弱かった(刑罰の規定が軽い)。この違い、良し悪しを別にして興味深い。律令法の後、人身売買に関する規制が確認できるのは平安時代末の太政官符になる。平安末から室町にかけて人商人が横行した実態は、説話集・お伽草紙・謡曲などから知ることができる。

 16世紀後半に始まる、南蛮人(ポルトガル人)の日本人奴隷貿易については、初めて知る資料が多く、興味深かった。当初、日本に渡来した西欧人たちは、広く人身売買が行われている社会の実態を見て、日本には法律上の奴隷が存在するものと考えた。だからイエズス会も、ポルトガル商人たちの日本人売買に許可を与える方針をとった。のちに秀吉から「ポルトガル人が多数の日本人を買い、これを奴隷として其国に連行くのは何故であるか」という詰問を受けたコエリョは「日本人がこれを売るから」と答えている。制度と実態の乖離から起こる、こういうディスコミュニケーションは今でもよくある。

 秀吉は全国的な人身売買の禁止令を発出し、江戸幕府もこれを引き継いだ。貨幣経済の浸透も影響し、譜代の下人という奴隷的な身分は徐々に消滅し、年季を限った「奉公」という労働形態が一般化する。なお年季の最長限が10年と定められたのは、御成敗式目で10年を超えると譜代と見なされたことに基づくそうで、現代の有期雇用の無期転換ルールのようで面白かった。

 実態としての奴隷身分が、例外的に残ったのが娼婦(売女)である。本書は、信州追分宿に残された女奉公人の文書の実例を、多数引用しながら解説する。たとえば、父親が一定額の金銭を借り、娘を10年間の質草として奉公に差し出す。債権主は娘をどのように扱ってもよい。債務者である父親は、10年後に借金に利息をつけて返済することで(え~強欲!)、ようやく娘を請け出すことができる。なお、食売女(めしうり女=売女)として奉公すれば、居潰(いつぶし)と言って、年季明けには借金が帳消しになった。だから貧窮に迫られた農民が、金策のため、妻女を一般の下女ではなく、売女として奉公に出すことは選択の余地のない手段であった。女性が自殺した場合は元金の返済が必要で、5割増や倍額とするという定めもある。自殺という逃げ道もあらかじめ封じられているのだ。

 親や家族の危難を救うために身を売る娘の行為が美談とされたことは、歌舞伎や浄瑠璃の演目でおなじみである。売女は固定的な奴隷身分ではなく、無事に年(ねん)が明ければ、結婚もできた。しかし『世事見聞録』(文化年間)の記事等に基づき、本書に紹介されている売女の生活は悲惨である。客の機嫌を損ねれば打擲されたり食を断たれたり、時には責め殺されることもあった。死骸の手足を一緒にくくって犬猫のように埋めるのは、人間に祟ることができないようにするためだという。形式的には契約に基づく奉公でも、実態は奴隷身分であり、人身売買であると思う。

 近代に至り、マリア・ルス号事件(清国人奴隷貿易船事件)をきっかけに、人身売買の禁止と芸娼妓解放令(本書では遊女解放令)が布告されたこと、しかし政府に売色を禁じ遊郭を廃止する意思はなく、娼妓が自由意思による営業者であるという体裁ができればよかったことは、横山百合子氏の『江戸東京の明治維新』等でも読んだ。

 明治5年(1872)の太政官布告は「従来年期奉公等、種々ノ名目ヲ以テ奉公住致サセ、其実売買同様ノ所業」を禁じている。形式でなく実態が「人身売買」に当たる行為を禁じたもので、なかなかいい条文だと思う。しかし、その後、司法省が、売買とはその明証のあるもののみをいう、と後退した指示を出しているのにはガッカリだ。

 戦後、日本国憲法が施行された後になっても、地方的慣行としての「いわゆる人身売買」が問題になっている。「法がいかに詳密になっても、その保護対策がともなわなければ、その響きはむなしい」と著者が述べているとおり、今日の日本でも完全に解決されたとは言えない問題だと思う。

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最も身近な参照例/韓国社会の現在(春木育美)

2021-08-16 19:18:52 | 読んだもの(書籍)

〇春木育美『韓国社会の現在:超少子化、貧困・孤立化、デジタル化』(中公新書) 中央公論新社 2020.8

 韓国へは、2000年前後に3回行ったことがある。その後、しばらく関心が薄れていたので、本書を読んで、変化の速さと激しさにびっくりしてしまった。

 本書は「少子高齢化」「貧困・孤立化」「デジタル化」「教育」「ジェンダー」の5つの視点で、韓国の社会問題、政策とその影響を分析する。最初に著者が述べているとおり、韓国と日本は、共通の問題を多く抱えている。また、韓国法の基礎は日本の植民地時代に整備されたため、法体系がきわめて似ているそうだ。しかし、近年、日本とは異なる政策が次々にトップダウンで実行されている。

 「少子高齢化」では、韓国はとっくに日本を追い越してしまった。2019年の出生率は0.92だという(日本は1.36)。盧武鉉(在任:2003-2008)政権以降、各種の対策がとられてきたが、うまくいっていない。特に著者は、朴槿恵政権の「無償保育」を「典型的なポピュリズム政策」と批判する。韓国は国公立保育園の割合が低く、民間保育に依存していたが、無償化による利用者の増加が、保護者に選ばれるインセンティブの低下と保育ビジネスの乱立を招き、「安心して預けられる保育施設がない」という国民の悩みは解決しなかった。結局、得をしたのは高所得世帯(保育無償化で浮いた分を学習費にまわせる)だけだともいう。

 「デジタル化」の現状には本当に驚いた。ICT化推進の立役者となったのは金大中(在任:1998-2003)である。紙の書類をデジタル化するための行政情報データベース構築作業に延べ10万人を超える若手失業者を短期雇用したとか、国会図書館収録の国会議事録、統計資料や論文なども一斉に電子化されたとか、羨ましすぎて涙が出る。学校教育では、全国どの学校の教員にも1人1台のPCなどの機器整備だけでなく、韓国教育学術情報院が、質の高い教育用デジタルコンテンツを無償で大量に提供し、機器操作やデジタル教材の利活用について、不慣れな現場の教員をサポートする常勤のアシスタントが各学校に配置された。「こうした手厚い支援策にも予算を惜しまないのが、韓国の強みだ」という著者の評価に(我が国と比較して)言葉もない。

 韓国では住民登録番号を通じて、行政、医療、教育、銀行、クレジットカード利用歴まで個人のあらゆる記録が一元管理されており、いまだ紙社会に生きている日本人には夢のような行政サービスが実現している。もちろん弊害もあり、情報漏洩事故も何度か起きているが、そのたびに法改正や対策がとられている点は、日本でも参考にしてほしい。個人的には「eプライバシー・クリーンサービス」(住民登録番号や携帯電話などを入力すると、自分がこれまでに加入したサイトの一覧が表示され、脱退手続きができる)が日本にも欲しいと思った。

 「教育」(特に高等教育)については、日本と類似の経験が多いと感じた。李明博政権は英語の「読む、聞く、話す、書く」の4技能を測る新テスト(記述式を含む)を開発し、大学入試に導入しようとして失敗した。日本で同じことが起きる6年前のことだ。失敗の原因は、時間をかけて取り組まなければならない難事業だったにもかかわらず、李明博が自分の在任期間中に結果を出すよう急いだことにあると著者は分析する。本書を読むと、社会問題には、スピード重視でインセンティブを煽り「走りながら考える」韓国式の対応が適している局面と、そうでない局面があることが分かる。

 また2000年以降、政府は留学生誘致のため、英語講義比率を大学の評価基準に盛り込み、各大学は競って英語講義の拡大に乗り出した。しかし学生も教える側も英語講義の満足度は低い。これも日本の大学の話を聞いているかのように感じた。あと、海外留学に行く学生が多く、留学に来る学生が少ないと、外貨流出で国が貧しくなるという経済的デメリットは、考えたことがなかった。だから日本でも韓国でも、政府は(来る)留学生の獲得に熱心なのか。

 最も悩ましく感じたのは「ジェンダー」について。女性の社会進出、政治参画、賃金格差の是正等は、少しずつではあるが(日本よりは)成果を挙げている。2010年代後半からは、若い女性を中心とする「フェミニズム・リブースト」運動も起きている。一方で若い男性にはフェミニズムに対する拒否反応が強い。ジェンダー平等を掲げる現・文在寅政権の支持率は、20代では著しい男女差が見られるという。日本でも同様の分断の兆候は感じるが、好ましいものではない。日本と韓国が、それぞれの社会の分断や格差を乗り越えるために、互いの経験を参照し、うまく活用できたらよいのに、と思う。

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2021年7-8月@東京:展覧会拾遺

2021-08-15 23:29:00 | 行ったもの(美術館・見仏)

サントリー美術館 開館60周年記念展『ざわつく日本美術』(2021年7月14日~8月29日)

 作品を「見る」という行為を意識して愉しんでみようという展覧会。「うらうらする」では色絵皿や能面、屛風を裏から見てみる。「ちょきちょきする」では絵巻から掛軸へなどの「切断」行為に着目。「じろじろする」では、細かすぎて見えない細部にこだわる。「ばらばらする」では硯箱や蓋付き椀の蓋と身をあえて別々にしてみる。「はこはこする」では美術品の収蔵ケースに注目。そして「ざわざわする」では、美しさだけではない、美術品の魅力を考える。あまり宣伝されていないが、同館屈指の名品『佐竹本三十六歌仙絵  源順』や『泰西王侯騎馬図屛風』や『舞踊図』6面をゆっくり鑑賞することができる。しかも、これらの名品を含め、ほぼ全面的に撮影OK。

 個人的な趣味で写真を撮っておこうと思ったのは『邸内遊楽図屛風』(江戸時代、17世紀)。以前からこのお姐さんが気になっているんだけど、浴衣姿で立膝してる? 色っぽすぎないか?

 もうひとつは『袋法師絵巻』(江戸時代、17~18世紀)。好色な法師が女性の屋敷に侵入し、一夜を共にしたあと、女性が法師を袋に入れて隠している図。右端、赤い布の袋の陰に法師の顔が半分くらい覗いている。怖さと滑稽さ。

三菱一号館美術館 三菱創業150周年記念『三菱の至宝展』(2021年6月30日~9月12日)

 三菱を創業し、4代にわたり社長をつとめた岩崎彌太郎、彌之助、久彌、小彌太の収集品を中心に、芸術文化の研究・発展を通じた三菱の社会貢献の歴史をたどる。ちなみに三菱の「創業」というのは、1870(明治3)年、岩崎彌太郎が土佐藩開成館の事業を受け継ぎ、九十九商会を設立したことを言う。本展は2020年に予定されていたが、新型コロナの影響で会期変更になった。本来なら、世田谷の静嘉堂文庫の移転に先立って開催されていたはずだった。

 6月に世田谷で別れを惜しんできた『曜変天目』に再会。世田谷では見ることのできなかった『禅機図断簡 智常禅師図』や『平治物語絵巻 信西巻』などを久しぶりに見ることができたが、この美術館、どちらかというと西洋絵画向きだと思うので、日本絵画や中国絵画の展示には照明が強すぎないか、少し不安を感じた。静嘉堂の漢籍に加え、東洋文庫所蔵の東西の古籍(チベット大蔵経やコーランも)、地図、博物画など、実は本好きを喜ばせる展示資料が多かった。

江戸東京博物館 特別展『大江戸の華-武家の儀礼と商家の祭-』(2021年7月10日〜9月20日)

 武家パートでは、甲冑や刀剣、乗物(駕籠)など将軍・大名の所用品に加え、祝儀の受取状などを展示。商家パートでは、江戸の大店、鹿嶋屋東店の屋敷神として祀られていた富永稲荷の社殿や祭りの獅子頭などを展示。徳川家康・秀忠がイギリス国王・ジョージ3世に贈った『色々威胴丸具足』(イギリス王立武具博物館)など、興味深い品もあったが、全体の意図がいまいち掴めない展示だった。鹿嶋屋(かじまや)というのは、永代橋の際、新川(現・中央区新川)にあった酒問屋のこと(※埼玉県川口市・株式会社鹿島屋)で、深川島田町(現・江東区木場)に東店があったそうである。

国立歴史民俗博物館 特集展示『黄雀文庫所蔵 鯰絵のイマジネーション』(2021年7月13日~9月5日)

 黄雀文庫とは、 浮世絵研究者で収集家としても知られる佐藤光信氏(平木浮世絵財団理事長)の個人コレクションである。本展は、 初公開の黄雀文庫所蔵の鯰絵コレクション約200点を通して、江戸の民衆の豊かな想像力の一端に触れる。鯰絵は、むかしから好きで気をつけて見ているのだが、初めて見るものがかなりあった。ナマズ、かわいいなあ。着物を着せられ、表情豊かに擬人化されたものも多いが、自然な姿で、のたっと横たわっている図(ほぼ鯨)に魅力を感じる。腹を立てた花魁たちに踏みつけられて喜んでいる鯰もいた(どういう性癖だ)。

 安政大地震は、安政2年10月2日(1855年11月11日)の夜に発生しており、鹿島明神が神無月で不在だったと解されたというのが面白い。なお、恵比寿だけは神様の集会に参加しない留守神なので、恵比寿が鯰を引っ立てている図もある。鯰絵以外にも地震に関する各種の摺り物資料あり。地震を題材にした春画(逸題春画集)があって、笑うより感心した。小さな版型で、あまりきわどい場面は展示していなかった。

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