〇江戸東京博物館 特別展『江戸と北京-18世紀の都市と暮らし-』(2017年2月18日~4月9日)
年度末である。今年は引っ越しが待っていそうなサイクルなので、見逃したくない展覧会は早めに行っておこうと思ってでかけた。本展は、18世紀を中心に江戸と北京のなりたちや生活、文化を展観し比較するもの。開催趣旨にいう「これまで清朝の芸術や宮廷文化に関する展覧会は数多くありましたが、北京の都市生活を江戸と比較する企画は、今回が初めてです」は、しみじみ実感した。北京の都市生活に関する実物資料、看板とか衣服とか子供のおもちゃとか、日本なられきはく(国立歴史民俗博物館)が持っていそうな資料の多くは「首都博物館」の所蔵という説明がついていた。
はじめに『江戸城内廓絵図』と『北京内外城地図』を並べて、「の」の字のように右回りの螺旋状の堀に沿って展開する江戸城下と、紫禁城を中心とした囲郭都市である北京城を概念的に把握する。それから都市民の具体的な生活のありさまを把握するために、北京は『乾隆八旬万寿慶典図巻』下巻(故宮博物院、1797/嘉慶2年)と『万寿盛典』(康熙六旬万寿盛典図)(首都博物館、1717/康熙56年)が展示されている。
前者は、乾隆帝の80歳の誕生日を祝う街頭の人々が細密で華やかな彩色画で描かれている。図巻の左端から右に向かって見ていく順路になっていたので、(一般の絵巻とは逆だと思い)なんだこれは!と怒りかけたら、この図巻は、祝賀の行列が北京城の西直門から紫禁城西華門に至る様子を描いているので、左から右に見ていくのが正解なのだそうだ。面白い。多くの男性が明るい青色の膝丈の上着(長衫)を着て、漏斗を伏せたような夏用の朝帽をかぶっている。紫禁城に近づくと、胸に補子(刺繍)をつけた高官が多くなる。皇帝の車や飾られた白象のそばに、華やかな赤い錦の衣を着た集団がいるのは儀仗兵だろうか。女性の姿は少ないが、皆無ではない。画面全体にゆったりと平和な雰囲気が満ちている
後者は、康熙帝の60歳の誕生日を記録したもの。本来、書物(版本・冊子)であるのだが、巻41・42の148枚の版画をつなげると50メートルあまりになるという。会場にはその一部(つなげた状態)が展示されていたが、白黒であるし、小さくて見にくいのが残念だった(展示台が低くて「見なくてもいい」扱いだったのも残念)。しかし、よく見ると、とりすました『乾隆慶典図巻』より人物に動きや表情があって面白い。特に、大通りの祝賀ムードとは別に、その背後には、さまざまな店舗がふだんどおり営業している様子が描かれている。会場では、この図巻と、当時の看板(幌子)の数々を組み合わせて展示していて面白かった。ほかにも、お茶売りが用いた大きな銅製のやかん、行商人のでんでん太鼓、薬売りが客寄せに鳴らす薬鈴(中国の古装ドラマで見たことがある)など。銅銭(乾隆通宝)もめずらしかった。清代というと、馬蹄銀か銀票(紙幣)のイメージが強くて、こういう昔ながらの穴あき銅銭のイメージがなかった。
一方、江戸については、化政期の日本橋を描いた『熈代勝覧(きだいしょうらん)』を展示。これ、ベルリン国立アジア美術館の所蔵だったのか。「三越前」駅の地下コンコースの壁面に描かれているので、いつでも見られる作品のような気がしていた。絵画資料では、首都博物館所蔵の『老北京三百六十行画冊』も面白かった。日本にも類例のある職人図鑑だが、中国では、こうした絵画資料は、いつの時代からあるのかなあ。いつか全場面を見てみたい。『閙学童図』は、学習中に騒ぐ学童を描いた図で、なぜか一種の吉祥画なのだと思う。蘆雪の唐子図を思い出した。日本にも同様の寺子屋図があって、元気な子どもをいつくしむ視線は変わらないなあと思った。『摔跤図』は中国相撲(モンゴル相撲)で技をかけあう様子を描いたもの。面白い! 中国にも「芸術作品」ではないけど、楽しい絵画資料がたくさん残っているということが、一気に分かった展覧会だった。
最後に「芸術性」の高い首都博物館コレクションも少し出ていた。八大山人を持ってきてくれてありがとう。江戸絵画に大きな影響を与えた沈銓(沈南蘋)も。あと中秋節に供えるという兎児爺の人形があるというのは知らなかった。かわいいな~。欲しい。
なお、本展は「18世紀を中心に江戸と北京のなりたち」云々を比較するということで、会場に掲げられた年表は、江戸幕府の置かれる1603年前後から始まっていた。清が首都を北京に置いたのは1644年だから、それでもよさそうだけど、北京は明でも元でも「首都」だったので、その歴史をカットして「清の北京」から語り始めることは少し残念に思った。
それから、最後に見た首都博物館の写真がとても立派だったので、こんな現代的な博物館が北京にあったっけ?と疑問に感じた。調べたら、もとは北京孔廟内にあったが、2006年6月に北京市西城区に新館が完成し、移転したのだそうだ。そうか、むかし北京孔廟には行ったはずだが…。北京にも久しく行っていないものなあ。もうひとつ、江戸東京博物館の館長が藤森照信先生になっていた(2016年7月より)ことにもびっくりした。藤森先生、ぜひ専門を活かして、面白い展覧会を実施してほしい。
年度末である。今年は引っ越しが待っていそうなサイクルなので、見逃したくない展覧会は早めに行っておこうと思ってでかけた。本展は、18世紀を中心に江戸と北京のなりたちや生活、文化を展観し比較するもの。開催趣旨にいう「これまで清朝の芸術や宮廷文化に関する展覧会は数多くありましたが、北京の都市生活を江戸と比較する企画は、今回が初めてです」は、しみじみ実感した。北京の都市生活に関する実物資料、看板とか衣服とか子供のおもちゃとか、日本なられきはく(国立歴史民俗博物館)が持っていそうな資料の多くは「首都博物館」の所蔵という説明がついていた。
はじめに『江戸城内廓絵図』と『北京内外城地図』を並べて、「の」の字のように右回りの螺旋状の堀に沿って展開する江戸城下と、紫禁城を中心とした囲郭都市である北京城を概念的に把握する。それから都市民の具体的な生活のありさまを把握するために、北京は『乾隆八旬万寿慶典図巻』下巻(故宮博物院、1797/嘉慶2年)と『万寿盛典』(康熙六旬万寿盛典図)(首都博物館、1717/康熙56年)が展示されている。
前者は、乾隆帝の80歳の誕生日を祝う街頭の人々が細密で華やかな彩色画で描かれている。図巻の左端から右に向かって見ていく順路になっていたので、(一般の絵巻とは逆だと思い)なんだこれは!と怒りかけたら、この図巻は、祝賀の行列が北京城の西直門から紫禁城西華門に至る様子を描いているので、左から右に見ていくのが正解なのだそうだ。面白い。多くの男性が明るい青色の膝丈の上着(長衫)を着て、漏斗を伏せたような夏用の朝帽をかぶっている。紫禁城に近づくと、胸に補子(刺繍)をつけた高官が多くなる。皇帝の車や飾られた白象のそばに、華やかな赤い錦の衣を着た集団がいるのは儀仗兵だろうか。女性の姿は少ないが、皆無ではない。画面全体にゆったりと平和な雰囲気が満ちている
後者は、康熙帝の60歳の誕生日を記録したもの。本来、書物(版本・冊子)であるのだが、巻41・42の148枚の版画をつなげると50メートルあまりになるという。会場にはその一部(つなげた状態)が展示されていたが、白黒であるし、小さくて見にくいのが残念だった(展示台が低くて「見なくてもいい」扱いだったのも残念)。しかし、よく見ると、とりすました『乾隆慶典図巻』より人物に動きや表情があって面白い。特に、大通りの祝賀ムードとは別に、その背後には、さまざまな店舗がふだんどおり営業している様子が描かれている。会場では、この図巻と、当時の看板(幌子)の数々を組み合わせて展示していて面白かった。ほかにも、お茶売りが用いた大きな銅製のやかん、行商人のでんでん太鼓、薬売りが客寄せに鳴らす薬鈴(中国の古装ドラマで見たことがある)など。銅銭(乾隆通宝)もめずらしかった。清代というと、馬蹄銀か銀票(紙幣)のイメージが強くて、こういう昔ながらの穴あき銅銭のイメージがなかった。
一方、江戸については、化政期の日本橋を描いた『熈代勝覧(きだいしょうらん)』を展示。これ、ベルリン国立アジア美術館の所蔵だったのか。「三越前」駅の地下コンコースの壁面に描かれているので、いつでも見られる作品のような気がしていた。絵画資料では、首都博物館所蔵の『老北京三百六十行画冊』も面白かった。日本にも類例のある職人図鑑だが、中国では、こうした絵画資料は、いつの時代からあるのかなあ。いつか全場面を見てみたい。『閙学童図』は、学習中に騒ぐ学童を描いた図で、なぜか一種の吉祥画なのだと思う。蘆雪の唐子図を思い出した。日本にも同様の寺子屋図があって、元気な子どもをいつくしむ視線は変わらないなあと思った。『摔跤図』は中国相撲(モンゴル相撲)で技をかけあう様子を描いたもの。面白い! 中国にも「芸術作品」ではないけど、楽しい絵画資料がたくさん残っているということが、一気に分かった展覧会だった。
最後に「芸術性」の高い首都博物館コレクションも少し出ていた。八大山人を持ってきてくれてありがとう。江戸絵画に大きな影響を与えた沈銓(沈南蘋)も。あと中秋節に供えるという兎児爺の人形があるというのは知らなかった。かわいいな~。欲しい。
なお、本展は「18世紀を中心に江戸と北京のなりたち」云々を比較するということで、会場に掲げられた年表は、江戸幕府の置かれる1603年前後から始まっていた。清が首都を北京に置いたのは1644年だから、それでもよさそうだけど、北京は明でも元でも「首都」だったので、その歴史をカットして「清の北京」から語り始めることは少し残念に思った。
それから、最後に見た首都博物館の写真がとても立派だったので、こんな現代的な博物館が北京にあったっけ?と疑問に感じた。調べたら、もとは北京孔廟内にあったが、2006年6月に北京市西城区に新館が完成し、移転したのだそうだ。そうか、むかし北京孔廟には行ったはずだが…。北京にも久しく行っていないものなあ。もうひとつ、江戸東京博物館の館長が藤森照信先生になっていた(2016年7月より)ことにもびっくりした。藤森先生、ぜひ専門を活かして、面白い展覧会を実施してほしい。