見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

東大構内でフレンチ再び

2022-07-29 09:42:29 | 食べたもの(銘菓・名産)

 東大の赤門近くにある伊藤国際学術研究センターに入ってるレストラン「カメリア」で、久しぶりに友人たちと食事をしてきた。

 誘ってくれた友人は、東大の事務職員をしているので、教職員向けのご優待プランである。アミューズ→前菜→魚料理→肉料理→デザートにワイン3杯(スパークリング・白・赤)つき。すべて美味で、見た目もかわいい。

 食事会を計画したのは、コロナが収まったように見えていたときなので、昨日(東京都の感染者が4万人超え)は、おそるおそる集まった。店内が空いていて、最後は私たちだけだったのは、やはり影響があるのかなあ。飲食店の苦境は続くなあ。

 「ここ、以前にも来たことがあるよね」という話になり、記憶と記録をたどったら、2016年2月に(たぶん同じメンバーで)来ていた。本郷通りに近いので大学の外からも入りやすく、知る人ぞ知る感じのお店だが、長く続いてほしい。

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深川・川せがき灯籠流し2022

2022-07-26 22:23:03 | なごみ写真帖

 江東区の情報に詳しいSNSを見ていたら、2022年7月26日(火)に小名木川の高橋(たかばし)橋畔で、3年ぶりの「川せがき灯籠流し」が開催されるというお知らせが流れてきたので、行ってきた。

 せがき(施餓鬼)は、餓鬼道で苦しむ衆生に食事を施して供養すること、またはそのような法会を指すが、日本では先祖への追善として盂蘭盆会に行われることが多い。知識としては知っていたが、実際に施餓鬼会を体験したのは、初めてだと思う。

 Wikiによれば、水死人の霊を弔うために川岸や舟の上で行う施餓鬼供養は「川施餓鬼」といい、夏の時期に川で行なわれる。確かに「川施餓鬼」で画像検索すると、全国各地の祭礼の様子を見ることができる。また、隅田川の花火大会は、享保18年(1733)に川施餓鬼を目的としておこなわれたのが最初だという。

 深川の川施餓鬼は、深川仏教会の主催で、関東大震災や東京大空襲など、河川で亡くなられた方々の供養のために行われている。仕事帰りに立ち寄って、灯籠供養(1,000円)を申し込んでみた。申込書には、霊位(戒名)を指定した供養・〇〇家先祖代々の供養・自然災害死没者供養の三択から、希望を選ぶようになっている。はじめ、新盆を迎える父の戒名を書こうとしたが、母方の祖父は東京大空襲で亡くなっており、この川施餓鬼にふさわしい。しかし戒名は知らないし、母の実家の苗字は私と異なるので、私が施主となっていいものか。いろいろ考えた末、最後の選択肢にしておいた。受付窓口にはお坊さんが並んでいて、灯籠は、担当の方が書き入れて流してくれるとのことだった。

 今朝は土砂降りの大雨だったが、幸い、昼間のうちに雨が上がって、川風が涼しかった。読経する僧侶たちを乗せた小舟が、ゆっくり灯籠の間を回遊する。露店が出るような賑やかなお祭りではないが、橋の上や川岸で、三々五々見物する人たち。

 生と死が仲良く隣り合わせているようで、こんなふうに供養されるのは幸せだと思った。

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アイスショー"THE ICE 2022" 愛知公演2日目

2022-07-25 22:18:46 | 行ったもの2(講演・公演)

THE ICE(ザ・アイス)2022 愛知公演(2022年7月24日 12:00~)

 2018年、2019年と見に行っているアイスショー。2020年は中止、2021年は国内選手のみの変則開催だったので観戦を見送ったが、今年は「完全復活」となったので、さっそく見てきた。

 男子は、宇野昌磨、友野一希、ネイサン・チェン、ヴィンセント・ジョウ、ジュンファン・チャ、ジェイソン・ブラウン、ダニエル・グラスル、マッテオ・リッツオ、ケヴィン・エイモズ、イリア・マリニン。女子は、坂本花織、宮原知子、三原舞依、本田真凜、アリサ・リウ、マライア・ベル。それにペアのりくりゅう(三浦璃来&木原龍一)とチョクベイ(マディソン・チョック&エヴァン・ベイツ)。また、開演直後の次世代スケーター枠では、上薗恋奈ちゃんが演技を披露した。

 出演者は、基本1プロだが、ところどころに意外なコラボプロが挟み込まれていた。ジェイソンの美麗プロ「I lived」(FaOIと同じ)にうっとりしたあと、突然、吉本新喜劇の音楽が流れて、白髪のカツラとちゃんちゃんこで茂造に扮した坂本花織ちゃんが登場、二人でコミカルな動きを見せる。マリニン君の演技のあとに、ちょっとお兄さんのダニエル君が登場して、仲良し中学生が張り合ってるようなコラボも可愛かった。本格的だったのは、ネイサンと昌磨くんのコラボ。重厚なクラシックの楽曲は「ガブリエルのオーボエ」だそうだ。しかしソロパートはともかく、二人が同時に滑り始めると、どちらを見ていいのか、目が泳いでしまう。

 今年は、ヴィンス、エイモズくん、ジュンファンと、私の好きな選手が揃っていて嬉しかった。ゴリゴリに強さとスピードで押していくタイプでなく、しなやかさの中に強さを感じる選手たちである。特にジュンファンは、これから強く推していきたい。現役選手が今シーズンの競技プロを披露してくれるのもTHE ICEの楽しみ。大トリの昌磨くん、初日の昼・夜は新フリーの「G線上のアリア」だったらしいが、日曜は新SPの「Gravity」だった。私は初見だったので大満足。しかしネットの情報によると、やや体調不良で「G線上のアリア」を諦めたとか。心配。

 心配といえば、りくりゅうの「You'll Never Walk Alone」も名プロ誕生の予感がひしひしと伝わってきたが、仕上がりはいま一つで、璃来ちゃんが転倒して肩を痛めてしまい、フィナーレに姿を見せなかったのが気になる。フィナーレでは王子様とお姫様の扮装で登場すると聞いて、楽しみにしていたのに…。坂本花織ちゃん、三原舞依ちゃんも新プロ披露。花織ちゃん、FaOIではオーバーウェイト気味で心配したけど、ちゃんと身体を絞って、キレのある動きを取り戻していて、さすがだと思った。プロ転向の宮原さんは、両腕の動きの美しさに見とれた。しかし、THE ICE名物(仮装)ダンスバトルでは、タイガーマスクの扮装で登場。意外な弾けっぷりが可愛かった。

 ネイサンの「モーツァルト」は、噂は聞いていたが圧巻。モーツァルトのさまざまな楽曲の詰め合わせに、まぎれもなくネイサンのスケートを掛け合わせる。天才×天才みたいなプログラムだった。オープニングでバックフリップも跳んでくれたし、フィナーレでは夏をテーマにした創作ダンス(なつかしのマサルダンスの別バージョン)を真面目に踊っていた。日本滞在を楽しんでくれたら何よりである。

 モリコロパークは、2018年のTHE ICE以来4年ぶりで、新しい施設が増えたように思った(2018年は、まだ温水プールが営業していたな)。今回、SS席にしたのは失敗だった。どうしても前方のアクリル板で視界が遮られてしまうのだ。次回は、よく考えて席種を選ぼう。

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描かれた源平の世界とともに/水のかたち(山種美術館)

2022-07-24 23:33:05 | 行ったもの(美術館・見仏)

山種美術館 特別展『水のかたち-『源平合戦図』から千住博の「滝」まで-』+特集展示『日本画に描かれた源平の世界』(2022年7月9日~9月25日)

 海辺を舞台とし江戸時代に描かれた『源平合戦図』から、千住博(1958- )の「滝」シリーズまで、水を印象的に描きだした優品の数々を展示する。

 個人的には「源平の世界」に期待して訪ねたのだが、最初に目に飛び込んできたのは、奥村土牛の『鳴門』。もちろんこれも大好きな作品。雨に溶けて流れ出しそうな風情の海棠を描いた小茂田青樹の『春雨』や、木立のシルエットがぼやける川合玉堂の『水声雨声』も好き。紺青の海をバックにトビウオが群れ飛ぶ川端龍子の『黒潮』は清々しい。石田武の『鳴門海峡』は、土牛の『鳴門』の4倍?いや8倍くらいある横長の大画面に、滔々と渦巻く巨大な渦潮を描く。土牛の海が明るい若草色をしているのに対して、こちらの海は、北国のような深い青色である。渦の白く泡立つ様子があまりにもリアルで、よくよく近づいて目を凝らして、ああ、やっぱり「絵」なんだ、と確認してしまった。この作品は、16年ぶりの展示だそうだ。

 展示室の最後に、江戸時代(17世紀)の作品である『源平合戦図』六曲一双が出ていた。華やかな金雲の間に、源平合戦の名場面が描かれる。右隻には一の谷の戦い、鵯越え、敦盛と直実などを描き、左隻には屋島・壇ノ浦が描かれている(見どころは、同館特任研究員・三戸信恵さんのYoutube解説動画に詳しい)。小堀鞆音の『那須宗隆射扇図』は、まあ巧い作品ではあるけれど、そんなに感心したことはなかった。ところが、上記のYoutube動画で拡大図を見ると、甲冑装束の細部の描写が呆れるほど凄い。好きだったんだなあ、としみじみする。

 前田青邨の『大物浦』は大好きな作品。義経一行を乗せた船が浮かぶ嵐の海は、わずかな白波も立てず、粘りつくように大きくうねっている。氷の山のようでもあり、砂漠のようでもある。ほの暗い空間のどこかに潜む平知盛の亡霊の存在を感じて、緊張しながら眺める。小品『須磨』もよかった。敦盛を扇で差し招く熊谷直実の素朴な風貌を描いたもの。あとは森村宣稲の『宇治川競先』が出ていたが、源平関係は、え?これだけ?という感じだった。その不満は、第二展示室を覗いて解消された。

 まず、守屋多々志の大作『平家厳島納経』が素晴らしい。海の中に立つ厳島神社の鳥居をくぐっていく船団。中央の船には、錦をかぶせた箱(平家納経が入っているのだろう)を囲んで公達と壺装束の女性たちが座る。舳先には甲冑姿の武者が立ち、艫(とも)では短い衣の水夫が舵を取る。警固の武者だけを乗せた船や、女性だけを乗せた船が並走する。明るい水色の海、朱塗というよりピンク色の鳥居が華やか。前田青邨『三浦大介』は、兜を懐に抱く、眼光鋭い白い髭の老武者像。頼朝の挙兵に呼応して戦死した三浦義明である。前田青邨81歳の作だというのも感慨深い。安田靫彦『平泉の義経』は、僧形の秀衡と義経を描く。智謀と人生経験に裏打ちされた威厳ある秀衡と、まだ海のものとも山のものともしれない、初々しい若武者・義経の対比が劇的である。この三人の歴史画は、甲乙つけがたく、どれもいいなあ。

 今村紫紅の『大原の奥』は、尼姿の建礼門院と大納言佐の局を描く。悲しい場面なのだが、紫紅のタッチには、どこか南国ふうの開放的な空気感があって好き。冷泉為恭の『小督仲国図』と、幻想的な小林古径の『伊都岐島』も見ることができて、深く満足した。久しぶりにカフェで和菓子と抹茶をいただいて帰った。

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歴史と想像力/源平合戦から鎌倉へ(太田記念美術館)

2022-07-23 19:14:06 | 行ったもの(美術館・見仏)

太田記念美術館 『源平合戦から鎌倉へ-清盛・義経・頼朝』(2022年7月1日~7月24日)

 俗に「源平合戦」と呼ばれる治承・寿永の乱(1180-85)から鎌倉幕府の成立を経て、有力御家人たちによる勢力争いへ。大河ドラマやアニメで再び注目を集めているこの時代を取り上げ、平清盛、源義経、源頼朝をはじめ、浮世絵を通して武士たちの栄枯盛衰をたどる。

 展示作品は、水野年方の『常盤御前雪中之図』や月岡芳年の『清盛福原に数百の人頭を見る図』など、おなじみの作品もある一方、私があまり知らなかった作品もあった。水野年方の『寂光院』は、三宅青軒の小説『寂光院』の口絵で、華麗な女房装束の美女(出家前の平徳子)をフルカラーで手前に描き、奥に晩年の姿(草深い庵に尼装束の女性が二人)を淡彩でぼんやり描く。小林清親の『宇治川佐々木高綱梶原景季水馬図』は、宇治川の先陣争いの図だが、両者とも馬がほぼ水中に没して、鼻先だけを水面に出して足掻いており、高綱と景季も、馬にまたがるのでなく、鞍につかまって泳いでいるところに妙なリアリティがあって、おもしろい。天保年間の作品とのこと。

 逆にフィクションの爽快感があふれるのは、歌川国芳の『和田合戦 義秀惣門押破』。剛勇・怪力で知られた朝比奈義秀が身の丈の何倍もある巨大な門をぶち破り、黒い屋根瓦が雨のように降り注いでいる。やはり国芳描く武士のカッコよさは格別。『本朝武優鏡 無官太夫敦盛』の鎧兜に埋もれた白面の美しさ。『名高百勇伝 平重盛』は、衣冠束帯姿のダンディな重盛。『木曽街道六十九次之内 御嶽 悪七兵衛景清』は、奈良の大仏の肩に乗った景清。へえ~景清には、壇ノ浦以後も生き延びて、東大寺大仏供養の際、頼朝の暗殺を企んだという伝承もあるのか。知らなかった。 

 『平家物語』や『吾妻鑑』に取材した作品だけでなく、「義経千本桜」の狐忠信など、歌舞伎・浄瑠璃の一場面を絵画化したものもあった。謡曲「船弁慶」などで知られる平知盛の亡霊もよく描かれる。月岡芳年の『新形三十六怪撰 大物之浦二霊平知盛海上二出現之図』は、品のある知盛の図。海の底の平家一門を描いた、歌川芳虎『西海蜑女水底ニ入テ平家ノ一族ニ見』もそのバリエーションだろう。安徳天皇を龍がお守りしている。

 なお、会場のところどころに、そっと戯画をしのばせているのはズルい。歌川広重『童戯武者尽 源三位・熊谷』は、鵺らしきケモノに芸をさせる頼政の図と、二八そばの屋台をかついだ敦盛を扇で招く熊谷直実。戯画ではないのだが、広重の『義経一代記之内 義経智略一の谷鵯越逆落し』は、鵯越えの峻険な地形が名所絵ふうに遠望で描かれ、よく見ると、ほのぼのタッチのマンガみたいな武者たちが懸命に駆け下りていて可愛い。作者不詳の『かるたあわせ 鎌蔵武勇六家仙』は、源義経、北条政子、江間小四郎(北条義時)ら六人を歌仙に見立てて、やや皮肉なことわざを取り合わせている。戊辰戦争の頃に出版されたもので、当時の情勢も暗に風刺しているものと推測されている。縞柄の袴で「骨折損のくたびれもうけ」と言われている源義経は会津、絣の袴の北条時政は薩摩だろうか。

 太田記念美術館は、以前からnoteというプラットフォームを利用したオンライン展覧会を公開している。購入すると、展示作品全点の画像と作品解説を無期限で閲覧することができるのだ。今回、初めて購入してみたが、紙媒体の図録より安価(800円)で、保管場所に困らないし、画像を拡大して、かなり細部まで確認できるのがとてもよい。もっと広まってほしい試みだと思う。

 また、太田記念美術館と山種美術館では相互割引企画「渋谷で日本美術めぐり」を実施中で、これを記念するコラボ動画もYouTubeに上がっている(無料):スペシャルトーク「今、源平の美術が熱い! ~展示作品の見どころ紹介~」。山種美術館のレポートは別稿で。

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近代の光と影/世界史の考え方(小川幸司、成田龍一)

2022-07-21 21:59:47 | 読んだもの(書籍)

〇小川幸司、成田龍一編『世界史の考え方』(シリーズ歴史総合を学ぶ 1)(岩波新書) 岩波書店 2022.3

 2022年4月から高等学校の新しい科目「歴史総合」が始まることを機会として、あらためて歴史学と歴史教育の架橋をはかり、「歴史叙述」がどのような「問い」と「作法」によって提供されるかを、歴史家との対話によって紹介する。読み応えがありすぎて苦労したが、ようやく読了した。

 本書は時系列にあわせたテーマを扱う5つの章を設け、3冊の課題テキストを編者二人が紹介したあと、テーマに関連する歴史学者をゲストに迎えて対話を行う。5章×3冊の課題テキストは、岩波ジュニア新書や山川の世界史リブレットなど、比較的読みやすいものもあれば、江口朴郎や丸山真男など、かなり「古典」的なものもあった。各章の最後には20冊くらいのブックリストも付いている。歴史を学ぶには、先人の著作を精力的に読み抜くことが不可欠であることを感じる(体力勝負)。

 ゲストの歴史学者は、地域バランスをよく考えて選ばれている。第1章「近世から近代への移行」のゲストが、中国を専門とする岸本美緒さんなのが意外だったが、中国史(東アジア)から見ることで、今の我々が「近代」の典型と考えている「ヨーロッパモデル」の輪郭が明らかになる。中国は、前近代から流動性が高くリスクの大きい自由競争社会だが、それは権利として保障された自由ではなく、放任された自由である。したがって、国家が介入したいときは無制限に介入できる、という分析、とてもおもしろかった。

 第2章「近代の構造・近代の展開」は、イギリス史の長谷川貴彦さんをゲストに、フランス革命、産業革命、そして1848年革命を考える。ヨーロッパは、フランス革命(市民革命)にも産業革命にも成功したように見えるが、そこには同時に「人類が背負う大きな課題」が発生しており、歴史は「成功したか失敗したか」で単純に色分けできるものでないことが示される。1948年革命(ウィーン体制の崩壊)は全然忘れていた。

 第3章「帝国主義の展開」は、アメリカ史の貴堂嘉之さんをがゲスト。デモクラシー発展の歴史として描かれてきたアメリカ史を、誰を国民として統合し、誰を排除するかの選別の歴史として問い直す。このとき、国民の境界となったのが「人種」である。「近代化」というものを、資本主義と国民国家のサクセス・ストーリーに単純化することなく、その構造や影響を多面的に見つめる必要がある。 

 第4章「20世紀と二つの大戦」のゲストはアフリカ史の永原陽子さんで、これもやや意外な人選に感じられられたが、課題図書の荒井信一『空爆の歴史』をめぐって、空からの無差別殺戮の背後には、「帝国」にとって掌握しがたい「野蛮」な人々に対する人種主義があるという指摘を読んで、深く納得した。「20世紀の戦争」の起源は、1900年前後に遡る「帝国主義時代」の植民地戦争にあるという。

 第5章「現代世界と私たち」のゲストは、中東史の臼杵陽さん。確かにイスラエル・パレスチナ問題に目をつぶっては、現代の「グローバル社会」の理解も、未来を語ることもできないだろう。けれども、自分が高校生のとき(もう40年以上前)中東問題をきちんと習った記憶がないし、結局、基本的な知識不足のままになっている。今後は、私のような大人が減りますように。

 私が習った世界史の先生は、かなり教科書を踏み越えて、いろいろなことを教えてくれたので、今でも感謝している。しかし「市民革命」「国民国家の誕生」を、歴史の喜ばしい到達点と捉えているフシがあった。時代の制約か、あるいは高校生相手だから、事象を単純化していたのかもしれないが。本書を読むと「近代」の光と影が双方向から迫ってくる。これを学ぶ高校生も、教える教師も大変だと思うが、頑張ってほしい。

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書の見どころ/よめないけど、いいね!(根津美術館)

2022-07-18 21:53:09 | 行ったもの(美術館・見仏)

根津美術館 企画展『よめないけど、いいね! 根津美術館の書の名品』(2022年7月16日~8月21日)

 書の見どころをわかりやすく紹介する展覧会。展示室1は「写経」「古筆」「墨蹟」をカテゴリーごとに解説し、展示室2は、桃山~江戸時代の「さまざまな書蹟」を展示する。

 私は古筆(平安~鎌倉時代の仮名の書)はかなり好きで、墨蹟(僧侶、特に禅僧の書)も嫌いじゃないが、写経はやや苦手なので、最初のセクションは飛ばそうかと思った。しかし、意外な注目ポイントを紹介する解説がおもしろくて、結局、じっくり見てしまった。写経は1行17文字が決まり(慣れると脱字防止になる)とか、初校・再校とチェックを重ねるとか、それでも間違いがあると削って書き直すとか。

 法華経8巻は開経(無量義経)・結経(普賢経)を加えた全10巻が標準セットなのだが、伝来の過程でバラバラになってしまうこともある。並んで展示されたいた無量義経・普賢経2巻(平安時代)は、どちらも細かい金箔を散らし、金泥で罫線を引いた茶の濃淡ある料紙をつないだもので、書写の筆跡も同じ。しかし、無量義経の奥書(元和9年)によれば、当時、単独で伝来していたものと分かる。異なる伝来経路をたどってきた2巻が、同館で400年ぶりに再会したという解説を読んで、しみじみした。

 奈良時代・8世紀の写本である鴦崛髻経(おうぐつけいきょう)には「蜘蛛の糸のように細い墨線が点画をつないでいる」という説明が添えてあった。え、どういうこと?と訝りながら、添えられた拡大鏡を覗いてみたら、たとえば「時」の右下のハネから最後の点まで、極細の墨線が確かにつながっている。肉眼ではほぼ見えないのに、よく見つけたなあ…と感心する。また、いわゆる目無経も出ていた。

 尼浄阿という人物は、縁の深い人々の菩提を弔うため、寛喜元年(1229)から仁治3年(1242)まで14年かけて大般若経600巻をひとりで書写し、奈良・春日若宮社に奉納した。折本状の写経5件(もとは巻子だったらしい)と、廻向者を記した巻子状の最終巻、そしてこれらを収めた立派な春日厨子も展示されていた。気になって調べてみたら、2015年のコレクション展『菩薩』でも展示されていたらしい。廻向者の冒頭に「八條女院」の名前があるのは今回も気づいたが、「僧信西」は見落とした。あの信西入道なのかな。春日厨子の扉にも長い漢文が書き込まれていて「春華門院」の名前が見えた。春華門院昇子(後鳥羽天皇の第一皇女)は八條女院の養女となり、その遺領を継承した女性である。

 続いて古筆のセクションも、「よめないけど、いいね!」のタイトルどおり、ほとんど内容には触れず、料紙の美に着目する。いや、もうちょっと書跡に触れてもいいんじゃない?と思ったが、唯一、『石山切(貫之集下断簡)』について「よめないけど、スピード感が気持ちいい」と紹介されていたのは納得した。定信の書跡、私も好きなのだ。『山名切(新撰朗詠集)』は、同集の撰者である藤原基俊の筆跡であることから価値を認められたが、「それほどの名筆ではない」と評価されていてかわいそうだった。いや、そう思うけど。

 墨跡は、無学祖元の『附衣偈断簡』が、実は冒頭5行と小字の冒頭1行が切り取られているという解説に驚いた。茶掛けにするために幅を切り詰めたもの。小字の冒頭1行というのは全体の中ほどだが、全く痕跡が見えない。和紙というのは、こういう改竄(?)が自由自在なのだな。私は、一山一寧の『進道語』が気に入った。草書を得意としたというだけのことはある。

 展示室2は、光悦、良寛、池大雅など。奔放に見える良寛が古典をよく学んでいるという解説に納得した。展示室3は、小金銅仏と銅製の掛け仏、錫杖頭を特集。

 階上の展示室5は「歌人のおもかげ-能面と装束でたどる-」と題し、歌人の登場する能の演目「難波」「小塩」「東北」「草紙洗小町」「西行桜」「定家」を紹介。私は、能はぜんぜん詳しくないのだが、興味深かった。展示室6は「暑中の涼-夏の茶道具取り合わせ-」。青磁や古染付などの磁器が、どことなく涼を呼ぶ。

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SFマンガの古典/萩尾望都SF原画展(アーツ千代田3331)

2022-07-16 22:27:37 | 行ったもの(美術館・見仏)

アーツ千代田3331 『萩尾望都SF原画展:宇宙にあそび、異世界にはばたく』(2022年7月9日~7月24日)

 こんな展覧会があることを、開催直前に初めて知った。2016年に武蔵野市立吉祥寺美術館で開催され、各地を巡回してきた展覧会が、6年ぶりに東京に凱旋するのだという。6年前かあ…私は茨城に住んでいた頃だ。今日7月16日は、萩尾望都×星野之宣のスペシャル対談イベントも開催されているはずだが、私が気づいたときは、もう申込み期間が終わっていた。残念。

 会場の「アーツ千代田3331」を訪ねるのは、木下直之先生の『疫病・たいさ〜ん!』以来2度目だが、ずっと広いスペースを贅沢に使って、カラーイラストレーション、コミック生原稿など、約400点のSF原画が展示されている。最も初期のSF作品である「あそび玉」(1972年)の原画があってびっくりしたが、実は原画は失われていて、『SFマンガ競作大全集』に収録する際(1980年、Pt.5らしい。私はこれで「あそび玉」を読んだ)ゲラ刷から起こして修正を加えたものだという。

 私は70~80年代の少女マンガを読んで育った世代だが、愛読誌は、週刊マーガレット、別冊マーガレット、LaLaなど、集英社および白泉社系だったので、小学館系で活躍していた萩尾さんの作品は、雑誌では読まなかった。クラスメイトには萩尾さんファンがたくさんいたので(女子校だった)「ポーの一族」も「トーマの心臓」も単行本が友人の間をぐるぐる回っていて、否応なしに読まされたように思う。「11人いる!」もそんな出会いだったかもしれない。

 結果的には、萩尾さんの作品を好きになり、小学館から刊行された『萩尾望都作品集』(第1期、1977-78年;第2期、1984-86年)は全巻揃えて、何度も読み直した。なので、この時期までの作品が、私はいちばん愛着が深い。「11人いる!」はいわずもがな。「ウは宇宙船のウ」とか「A-A'」とか。展示の中に「11人いる!」の構想メモがあり、縦書き便箋を横に寝かせて、茶色っぽいインクで書かれていた。登場人物の心理の揺れ(不安と安定)を計算し「ボルテージをクライマックスへ向かって上げていく」など、読みやすい字で、冷静に書かれている。また、これとは別に、小さめの紙(A5判くらい)にコマ割りをしてセリフを書き込んだ、未発表原稿の束もあって、詳細は分からないものの、興味深かった。

 光瀬龍のSF小説を原作とする「百億の昼と千億の夜」は、1977-78年に『少年チャンピオン』に連載されたもの。当時、弟が『チャンピオン』を購読していたので、私は毎号読ませてもらっていた。しかし、いま原画を見ても、ついセリフを読みふけってしまうものの、難解な作品だと思う。この作品に限らず、萩尾さんのSF作品は、絵が巧いし美しいし、エンターテイメントな仕掛けも存分にあるのだけど、やっぱり核に難しさ(容易に消化できないもの)があるように思う。

 実は、今日、見つけたのだが、日経新聞が「異端者に寄り添い50年『少女漫画の神様』萩尾望都」(2019/10/5)というインタビュー記事を公開している。萩尾さんの作品の難しさは、私たちが異端者を前にしたときの戸惑いに近いのかもしれない。それでも70年代から80年代の少女だった私たちは萩尾さんの作品に魅了されたが、いまの若者はどう感じるだろう。もはや「古典」すぎると感じるかもなあ、と少し思った。

 90年代以降の萩尾さんが、マンガを描き続けつつ、イラストレーションでも精力的に仕事をされてきたことは初めて知った。角川スニーカー文庫の『∀ガンダム』ノベライズシリーズの表紙や、ハヤカワ文庫のジャック・ヴァンス「魔王子シリーズ」など。会場には、文庫本と原画がともに展示されているが、いや申し訳ないが、文庫サイズだと原画の素晴らしさの100分の1も伝わらない気がする。

 会場の最後には、写真撮影可能なパネルが数枚設置されている。この萩尾さんの描く人体のポージングの美しさはほんと好き。手先をわりと大きく描きがちで、顔つき以上に豊かな感情を表現しているように思う。

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沖縄らしいもの、そうでないもの/沖縄の美(日本民藝館)

2022-07-12 21:33:13 | 行ったもの(美術館・見仏)

日本民藝館 特別展・復帰50年記念『沖縄の美』(2022年6月23日~8月21日)

 琉球王国として独自の文化を形成してきた沖縄。日本へ復帰して50年の節目にあたり、改めて沖縄が「美の宝庫」であることを紹介する。さあ沖縄だ!と勢い込んで訪ねたが、玄関ホールの展示は、あまり「沖縄」っぽくなかった。階段左の展示ケースに並んだ素朴な朱塗の器は、根来か何かに思われた。右の展示ケースには、小型の厨子甕(ジーシガーミ)や流釉の抱瓶(だちびん)など、沖縄らしい品もあったが、鉄の塊から削り出したような無骨な鉄瓶や、昭和の子供のお茶碗のような赤絵梅花文のうつわなど、地域性の薄い品も交じっていた。まわりの壁を彩る四角い布は「紅型風呂敷」だが、紺地に松竹梅など、日本伝統の吉祥文が多い。

 ただ、階段の踊り場に鎮座する屋根獅子(シイサアと振り仮名)だけは、明らかに「沖縄」を主張していた。顔とたてがみの区別がつかない状況で、目尻を吊り上げ、大きく口を開けて威嚇する様子は、威厳と愛嬌が同居していて、水木しげるの描く妖怪を思わせた。

 まずは2階の大展示室へ。紅型(びんがた)・絣・縞などの着物・織物が多数展示されていた。やっぱり水色地に赤や黄色で複雑な文様を配した紅型衣装を見ると、ああ沖縄だな!と思う。しかし、沖縄の人たちが、いつもこのような(沖縄の土産物屋で見るような)紅型衣装を着ていたわけでないことは理解している。白地に青の涼し気な絣や、東北産みたいな紺絣もあった。芭蕉布の着物も展示されていたが、触れないので、感触は想像するだけ。

 着物・織物の間に、やきものなどの工芸品も展示されていたが、昭和初期の「琉球張子人形」が珍しくて目を引いた。調べたら、現代的にアレンジされた人形も売られているみたい。次回、沖縄に行ったら自分用にGETしたい(※おでかけコロカル・那覇編:〈玩具ロードワークス〉の琉球張子はユーモラスで愛嬌たっぷり)。

 2階の階段まわりは、厨子甕(蓮の花が描かれた可憐なもの)など特別展関連でまとめられていた。階段裏のスペースでは、モノクロの短編映画『琉球の風物』(1938年、日本民藝協会企画)が流れていて興味深かった。首里城正殿、守礼之門、玉陵(たまうどぅん)などの史跡のほか、組踊、水汲み、魚市場の女性たち、琉球空手など、さまざまな風景が記録されている。このほか、「沖縄離島の織物」を展示する1室がある。

 特別展以外では「日本の諸工芸」が面白かった。『調馬図』(室町時代)は、3件の断簡をそれぞれ軸装したもの。うち1件は、逃げようとする男の袖(腕?)に白馬が嚙みついており、もうひとりの男が必死で手綱を引いているという、マンガのような場面。「朝鮮工芸にみる文字表現」に出ていた『唐四柱(タンサンジュ)』は、以前にも見たことがあるが、占い本なのだな。ネットの情報では、四柱推命とは似ても似つかぬ占いらしい。『天下絵図』は、街道沿いに丸で囲んだ都市名が書かれた地図で、日本の国絵図に似たところもある。ほかに「柳宗悦と同人」。

 1階「伊万里焼の染付」では、各種の蕎麦猪口を展示。ふだん使いには本当に便利なうつわだと思う。「アメリカ先住民の工芸」にはびっくりした。柳は、1952年にサンタフェを訪れ、北アメリカ先住民による工芸の美に瞠目したという。しかし、ホピ族の儀式用マスクとか、コロンビア・キンバヤ文化の大きな土偶とか、魔術的な念が籠っていそうで、ちょっとたじろいでしまう。最後は染織品を中心とする「昭和時代の沖縄工芸」。

 特別展は、自分の中の「沖縄の美」のイメージと、ぴったりはまったり、はまらなかったり、その揺れ具合が面白かった。玄関ホールの隅に撮影OKの石獅子(17-18世紀)がいるのだが、あまり気づかれていなかったので、写真に収めてきた。かわいいぞ。

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忘れられた戦後美術/彫刻刀が刻む戦後日本(町田市立国際版画美術館)

2022-07-11 22:23:51 | 行ったもの(美術館・見仏)

町田市立国際版画美術館 企画展『彫刻刀が刻む戦後日本-2つの民衆版画運動』(2022年4月23日~7月3日)

 終わってしまった展覧会だが書いておく。気になりながら訪問できなかった展覧会を、最終日に見てきた。マイナーなテーマだと(勝手に)思っていたのに、けっこうお客が入っていたので驚いた。本展は、戦後日本で展開した2つの民衆版画運動「戦後版画運動」(1947~1950年代後半)と「教育版画運動」(1951~1990年代後半)を軸に、これまであまり知られることのなかった版画史の一側面に光を当て、戦後の開発と発展のかたわらにある「もう1つの日本」を浮かび上がらせる企画である。

 「戦後版画運動」というのは、Wikiにも項目の立っていない用語だが、本展の整理によれば、1947年に紹介された中国木刻(木版画)の強い影響を受け、1949年に設立された日本版画運動協会を中心として、1960年代の中頃に至るまで活発な活動が行われた。労働や米軍基地、原子力問題などの社会問題が主題となり、「身近な労働者としての農家の暮らし」も数多く描かれている。

 中国の木刻画は長い伝統を持つ民間芸術だが、作家・魯迅(1881-1936)は、文字を読めない人々にさまざまなメッセージを伝えるメディアとして木刻画を重視し、木刻運動を推進した。魯迅の登場する中国ドラマ『覚醒年代』が、オープニングや時代背景の説明で、木版画ふうのイラストを効果的に使っていたことを思い出す。魯迅にこの着想を与えたのは西洋の版画で、ドイツのケーテ・コルヴィッツ(1867-1945)やフランスのフラン・マズレール(1889-1972)の作品である。コルヴィッツ、初めて知った名前なのだが、リアリズムに強い精神性が盛られていて、すごく好きだ。会場では気づかなかったが、女性なのか! マズレールの『ある男の受難(一箇人的受難)』は、文字のない25枚の木版画でひとつの物語を表現したもので、中国伝統の「連環画」との類似性も感じさせる。そして、彼らを原点とする中国木刻運動の作家たち、汪刃鋒、李樺らの作品にも惹かれる。貧しい農民や労働者の姿をリアリズムで捕えながら、ある種の理想主義が感じられる。

 1947年、東京と神戸で始まった中国木版画は、日本各地を巡回し(当時のニュース映像が残っているのがすごい)、茨城県久慈郡大子町では「木刻まつり」が開催された。この北関東を拠点とする美術家を核として、1949年12月に「日本版画運動協会」が発足する。私の知っている名前では、滝平二郎が参加している。また、同協会が中日文化研究所内で設立されたというのも納得できる。そして、1950年代から60年代に製作された版画作品の驚くべきこと。そこには、身体を張って権力に正対する農民や労働者の姿がある。まるで別の国の芸術のようだ。何が原因なんだろう、日本の戦後史における、この時期の見事な「忘れられ方」は。

 一方、少し遅れて1951年には「日本教育版画協会」が設立され、学校教育の中で版画を普及しようという「教育版画運動」が始まった。無着成恭が主導した「生活綴り方」の実践とも結びつき、「生活作文」と「生活版画」は車の両輪のように推進された。私は1960年代~70年代初めの小学校教育を受けた世代なのだが、思い返すと担任は作文が大好きで、図工の先生(若い女性の先生だった)からは、版画の手ほどきを受けた。構図を決めたあと、何時間もひたすら版木を掘り続ける作業は嫌いじゃなかった。小学校の授業なんて、いつでもどこでも同じようなものだろうと思っていたが、あれは明白に「戦後」の時代性を帯びていたのかもしれない。

 いまの子供たちがどのくらい版画に親しんでいるのか、私はよく知らないが、会場には、教育現場で生まれた数々の作品が展示されていた。とりわけ強い印象を残したのは、青森県八戸市湊中学校養護学級の生徒たちによる、大きな連作版画『虹の上をとぶ船』(1975-76年)。この作品を見ることができただけでも、価値ある展覧会だった。指導したのは、中学校教諭の坂本小九郎氏。展示作品の所蔵者は「五所川原市教育委員会」となっていたが、八戸市美術館、青森県立郷土館も所蔵しているらしい(版画だから原本が複数ある)。ぜひ青森まで、もっとたくさん見に行きたい。

付記:最終日だったので、図録が売り切れだったのは残念。欲しかった~。

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