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見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

敢えて反・日本的/誇り高きデザイン 鍋島(サントリー美術館)

2010-09-30 22:38:47 | 行ったもの(美術館・見仏)
サントリー美術館 『誇り高きデザイン 鍋島』(2010年8月11日~10月11日)

 「鍋島」は大好きだが、有田にも行ったし、伊万里磁器コレクションで知られる戸栗美術館にも何度も通っているので、もう新しい発見はないんじゃないかなと思い、この展覧会に行くのが遅くなった。でも、行ってみると、やっぱり学ぶところがある。本展の展示品は、サントリー美術館だけでなく、戸栗、出光、東博、岡山の林原美術館、有田の今右衛門古陶磁美術館や佐賀県立九州陶磁文化館から集められた140点余り。これだけ揃うと、ひとくちに鍋島と言っても、かなり幅広いことが分かる。

 まずは歴史をおさらい。そもそも鍋島藩は、中国の景徳鎮磁器を徳川将軍に献上していたが、1640年代、明末清初の混乱によって輸入が激減したため、景徳鎮の代替品として開発された献上用磁器が鍋島なのである。17世紀末~18世紀初め(元禄期)には「色鍋島」が全盛期を迎えるが、18世紀後半(宝暦頃?)には、倹約令の影響で色の使用が抑えられ、代わって落ち着いた作風の「染付鍋島」が多くつくられた。1770年頃(安永・天明)には、将軍お好みの「手本」に拠ることとなり、以後、形式化が進行する。

 鍋島には、華麗な「色鍋島」と藍の濃淡による「染付鍋島」があることは知っていたが、後者が倹約令をきっかけに、後から生まれたとは知らなかった。いわば、規制を逆手にとった起死回生策だったわけだ。もしも「染付鍋島」がなかったら、鍋島の魅力はずいぶん乏しいものになっていただろう。また、色鍋島は、青、赤、緑、黄の四色を基本とし、金、紫、黒はめったに使わない。この使用色が、古伊万里と鍋島を区別するポイントだと思うが、なぜ、この四色なのか。金彩を使わずに、デザインだけで金彩以上の高級感を演出するというこだわりがあったのかもしれないと考える。

 私が気に入った作品のひとつに「色絵群馬文皿」がある。色絵と言っても藍色のみ。三方稜花の形の変形皿に3頭ずつの馬が描かれているのだが、馬の姿態がさまざまで、いきいきと変化に富んでいて、実に楽しい。しかし、鍋島の「絵替わり」皿はきわめて珍しいという。え、どういうこと?と思ったが、他の作品を見ていくうちに理解した。鍋島の5客、10客セットは、緻密な連続文様であれ、草花文や山水文であれ、完璧に同一でなければならないのだ。つまり、唯一至高の色と形を追求するデザイン力と、その”完全コピー”を繰り返し生み出す(絶対に劣化しない)技術力こそが、日本の”官窯”鍋島焼の誇りだったと言える。

 うーん、どうも日本人らしくないなあ。日本文化って、もっと当意即妙の機転のほうが得意分野だと思うのに。席画とか和歌・俳句とか。でも、その「反・日本的」なところが鍋島の孤高の魅力なのかもしれない。

 もうひとつ、元禄期以降の鍋島焼は、マンネリ打破のため、有田民窯のすぐれたデザインを積極的に採用する方策を取った。この展覧会では、民窯の参考作品と鍋島焼を並べて、その関連性を検証したものがいくつかあった。確かに似ているのだが、民窯の鶴は民窯の顔をしているし、”官窯”鍋島の鶴は無駄を削ぎ落とされて、スキのない鍋島の顔になっているのが面白かった。採算を度外視しても技術の極点を目指す”官窯”と、自由な発想でおもしろデザインを生み出す”民窯”が両輪となることで、江戸時代の九州陶磁の発展があったのではないかと思う。
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文豪の快楽/谷崎潤一郎マゾヒズム小説集

2010-09-29 22:49:26 | 読んだもの(書籍)
○『谷崎潤一郎 マゾヒズム小説集』(集英社文庫) 集英社 2010.9

 なるほど。こんな直球タイトルのアンソロジーも有りか。かわいい、しかし、よく見ると、かなりイケナイ表紙絵の文庫本を見つけて、にやにやと笑ってしまった。収録作品は「少年」(明治44)「幇間」(明治44)「麒麟」(明治43)「魔術師」(大正6)「一と房の髪」(大正15)「日本に於けるクリップン事件」(昭和2)の6編。老年まで旺盛な創作活動を続けた谷崎にとっては、いずれも初期の短編と言えるだろう。

 確実に読んだ記憶があったのは「魔術師」。エレガントな挿絵の収録された中公文庫『人魚の嘆き・魔術師』は、私のお気に入りだった。物語は全く無国籍なファンタジーふうである。著者は浅草六区を念頭に描いているらしいが、初めて読んだとき、浅草=古い下町情緒という先入観が濃厚で、大正年間のモダン浅草を知らなかった私は、かなり戸惑った。「麒麟」は『論語』に取材した短編。聖人孔子と、美貌で淫蕩な妻・南子の間で揺れ動く衛の霊公を描き、デカダンな雰囲気が漂う。この2編は、虚構の世界をたっぷり愉しませてくれる。

 ほか4編は、同時代の日本を舞台にした、比較的、写実的な小説。「少年」の、かれこれ20年ばかり前、水天宮裏の小学校に通っていた頃、という書き出しは、谷崎自身の少年時代を思わせる。「ようやく十くらい」の少年たちと、少し年上の少女(十三、四歳)が、他愛ない遊びに興じるうち、次第に快楽に目覚めていく様子を描く。オオカミになった坊ちゃんに「動いちゃいけないよ」と命じられ、着物の裾をまくられ、「ぺろぺろと食われ」ながら、湧き上がる喜びに震える主人公の心理描写に、こちらも手に汗にぎる感じがする。「分かる」と言えない、言ってはいけないはずなのに、自分の心の奥にも、主人公の喜びに微かに共鳴する部分があるのだ。ただ、最後は、少女に「燭台の代りにおなり」と命じられて、額に蝋燭を載せられ、蝋の熱さに恍惚となった…という描写までくると、さすがに理解できなくて、吹き出したくなってしまったが。

 「幇間」は、生来の幇間気質で、とうとう、そのとおりの職業を持つに至った男が主人公。「先天的に人から一種温かい軽蔑の心を以て、もしくは憐憫の情を以て、親しまれ可愛がられる性分」と説明されている。この「温かい軽蔑の心」で遇されることが嬉しくてたまらない卑しさも谷崎の一面であり、そういう自分を突き放して描くことのできる冷徹さも別の一面なのだろう。最後の「Professionalな卑しさ」って、そういうことだと思う。

 「一と房の髪」「日本に於けるクリップン事件」はセンセーショナルな題材で、一読するには面白いが、胸の琴線に触れるゾクゾク感はない。巻末に「鑑賞」を書いているみうらじゅんも、やっぱり「少年」「幇間」に反応している。
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軍事は輸送である/鉄道と日本軍(竹内正浩)

2010-09-28 23:11:50 | 読んだもの(書籍)
○竹内正浩『鉄道と日本軍』(ちくま新書) 筑摩書房 2010.9

 日本近代史が好きで「鉄道」も好きという人間なら、かなりハマる1冊である。嘉永6年(1854)、日米和親条約締結のために来日したペリーが、蒸気機関車模型を持参して将軍に献上した。ひとりの幕府の役人が、模型の屋根に試乗した滑稽な様子を、ペリーは冷やかに記録しているが、この旺盛な好奇心こそが、近代日本の技術的進歩を牽引していったのだと私は思う。

 明治2年(1869)鉄道建設が決定し、明治5年(1872)には、早くも新橋-横浜間が開業する。ちょうど本書を読んだ直後に『皇室の文庫(ふみくら)』展で『明治5年 儀式録』の鉄道開業式の箇所を見て、感慨深かった。「天皇は各国公使に会釈を交わし、鉄道頭の井上勝から『鉄道図』一巻を受け取ると(略)南廊をプラットホームに進み、玉車(のちの御料車)に乗り込む」云々。本書は、こんな調子で、登場人物たちの一挙手一投足を語り尽くす。誰が、どこから登場し、どこを通ってどこに至り、何をしたか。小気味いいくらい、曖昧なところがない。

 特にそれは「移動」の問題について顕著である。たとえば、明治10年、西南の役は「征討軍によって鎮圧された」と、普通の歴史書なら書いて済ませるところだが、動員された兵士6万人のうち、半数近い2万6000人が、新橋→横浜間を鉄道で移動し、横浜港から船で旅立ったことを私は初めて知った。明治17年の秩父事件では、「私鉄」日本鉄道の第一区線(上野-高崎)を利用した兵員輸送が行われ、早期の鎮圧に功を奏した。明治27年には、日清戦争の開戦直前、山陽鉄道(神戸-広島)が開業し、明治天皇は広島に置かれた大本営へ御召列車で赴いた。翌年、広島~新橋の帰途も”凱旋”御召列車だった。

 明治37年の日露戦争は、さらに「鉄道戦争」の様相を呈する。開戦と同時に、東海道線・山陽鉄道は「特別運行」体制となった。軍事輸送は、兵員・軍馬・軍需品の同時輸送が不可欠なため(なるほど!)客車編成ほどのスピードが出せない。さらに、給養場のある停車場で兵士の食事休憩が必要だったこともあり、新橋-広島間が55時間半もかかったという。

 戦場では、陸軍の工兵と鉄道局の作業員から成る「野戦鉄道提理部」も活躍した。ダーリニー(大連)に上陸すると、ロシア軍が残して行った鉄道(5フィート軌間)を日本の車両が走れる3フィート6インチに改造する作業を行った。片側のレールはそのまま残し、もう一方のレールを中央に寄せるという無茶な工事のため、脱線事故も多かったという。もちろんロシアも、現実離れした経費節減策(これはこれですごい!)によってシベリア鉄道を整備し、日本の予想をはるかに超える大戦力の動員に成功していた。本書を読むと、軍事(総力戦)とは輸送の問題であること、戦争の遂行には、最新鋭の戦車や戦闘機だけでなく、多数の熟練した技術的人材が不可欠であることが分かる。たぶんこれは、今日でも変わらないんじゃないかな。

 それから、明治5年、新橋-横浜間の開業という早わざに幻惑されて、たちまち全国に鉄道網が整備されたように感じていたが、実はそうでもないことも分かった。本書には、日清・日露戦争直前の鉄道図が掲載されているが、私には意外なほど寂しい敷設状況だった。また、東西両京を結ぶ幹線を東海道筋とするか中山道筋とするかで激しい論争があったこと、あの『坂の上の雲』にも登場するお雇いドイツ人・メッケルが、国土防衛上の理由から幹線は内陸につくるべきと主張していたこと、鉄道=国家プロジェクトとは言いながら、初期の鉄道事業が意外と「私鉄」頼みだったことも興味深かった。最後の点は、そもそも「官」と「民」の距離感が、今と全く違うのだと思う。

 恥ずかしながら、日本の鉄道の父・井上勝(1843-1910)の名前も初めて知った。幕末に英国留学した「長州ファイブ」の1人なのか。調べたら、東京駅丸の内口に銅像があった(現在は撤去)というが、全然記憶していないなあ。本書は、大状況の描写が詳細な分、個々の人物には深入りしていないが、この人のことは、もっと知りたいと思った。
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初の「オープン」展示会/皇室の文庫(ふみくら) 書陵部の名品(三の丸尚蔵館)

2010-09-26 22:43:09 | 行ったもの(美術館・見仏)
三の丸尚蔵館 特別展覧会『皇室の文庫(ふみくら) 書陵部の名品』(2010年9月18日~10月17日)

 本展は、宮内庁書陵部が所蔵する図書、公文書、考古品等の名品を「初めてまとまった形で一般に紹介する」ものだ(入場無料)。書陵部は、これまでも毎年秋に展示会を実施してきたのだが、招待状がないと入れない「半クローズド」のイベントだった。私は幸運にも2回だけ、関係者のツテがあって参観したことがあるが、あとは指をくわえて傍観していた。だから、今回の催しはとてもうれしい。

 冒頭「古典と絵巻」のセクションでは、『日本書記』(鎌倉時代書写)などを紹介。最近、お会いした書陵部関係者の方が「一般の方にも楽しんでいただけるよう、誰でも知っているタイトルを選んだので、研究者にはちょっと…なんですけどね」とおっしゃっていた。なるほど、『竹取翁ならびにかぐや姫絵巻物』(江戸時代)とか『伊勢物語』(江戸時代、奈良絵本)とか、別に書陵部の展示会でこれを出さなくてもいいだろう、と思うものが並ぶ。しかし、最後に『とはずがたり』(天下の孤本)が出ていたのは嬉しかった。

 むしろ、次の「古写経と漢籍」のほうが、いずれも国宝級(たぶん)を揃えていて、すごかった。遣唐使が持ち帰ったことが確実な唐代の古写経とか、中国本土では失われた北宋の皇帝御注孝経とか。後者は版本だが、世界に現存する唯一のものだという。ところで、漢籍の「宮内省図書印」には見覚えがあるが、和古書の『伊勢物語』や『狭衣物語』には、これとは別の「図書寮印」という、やや丸みのある角印が押されていた。由来が違うのだろうか。

 「明治維新期の文書」は、アーカイブズ(記録)資料群である。いちばん人だかりが多かったのは『薩長同盟裏書』。先日、NHK大河ドラマ『龍馬伝』で、福山龍馬がお龍に支えられながらこの裏書を記す場面を、まさに放映したばかりだものなー。でも、ドラマよりも紙の縦幅が短いように感じた。キャプションによると「木戸家文書」なのに、木戸孝允が記した表書は、まるで無視して表装されているみたいで(読めるんだろうか?)苦笑してしまった。文中、龍馬が孝允を「老兄」と呼んでいるのも面白かった。

 隣りにあったのが床次正精による『憲法発布式図』。2004年の書陵部展示会でも見た絵であることをすぐに思い出した。私は当時よりもいくぶん幕末維新史に詳しくなったので、豆粒みたいな人物の顔を見ながら、これは山県有朋かなあ、これは井上馨かも、などと当て推量を楽しんだ。憲法発布式を描いた絵画はいくつかあるが、明治天皇から憲法を下賜される黒田清隆首相が、これほど卑屈に腰をかがめているものはないようだ。

 絵画資料ではもう1点、慶応4年に行われた明治天皇『御即位図』(明治25年『帝室例規類纂』の付録として作成)。紫宸殿の庭に「大地国形(地球儀!)」が設置されているのにびっくりした。事実はフィクションの上を行くみたいだ。面白いなあ、この混沌の時代。ほか、天皇の宸筆、貴族の日記、絵図(九条家の所領として知られる日根野村絵図→日根野駅には下りたことがある)なども。書陵部には、まだまだ面白い資料があるはず。今後も「オープン」展示会を時々はやってほしい。

宮内庁書陵部資料
いつの間にか、「主な所蔵資料(書陵部の主な収蔵資料を紹介します)」なんていうメニューができていて、わずかだが写真画像も閲覧することができる。うれしい。

※9/27追記:刑部芳則『洋服・散髪・脱刀:服制の明治維新』(講談社選書メチエ、2010)の表紙が、床次正精の『憲法発布式図』である。あとで気づいた。
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強くて可愛い女性たち/京劇・擂鼓戦金山ほか(湖北省京劇院)

2010-09-25 23:15:19 | 行ったもの2(講演・公演)
東京芸術劇場 湖北省京劇院訪日公演『擂鼓戦金山・秋江・西遊記~天蓬元帥猪八戒』(2010年9月25日)

 京劇を見に行った。『擂鼓戦金山(らいこせんきんざん)』は、南宋の女将軍・梁紅玉の物語。梅蘭芳が伝統劇を改編した新劇で、1933年『抗金兵』の題名で上演されたという。本来はもっと長い物語なんじゃないかと思うが、今回の上演は、梁紅玉が太鼓を叩いて味方の士気を高め、自ら兵を率いて、金の軍勢に捉われた夫を救い出す一段のみ。歌もセリフもほとんどなくて、華麗な衣装をまとった女主人公の立ちまわりが見もの。京劇初心者には、分かりやすくてよろしい。京劇のキャラクター分類では、梁紅玉みたいな役柄を「刀馬旦(dao ma dan)」というのだそうだ。日本語Wikiは「アクションを専門とする女性」と説明しているが、別のサイトにあった「文武両道にたけた女の将軍」というのが正しいと思う。アクションだけじゃダメなのよ。

 今回は当日券をねらって開演直前に行ったら、思いのほか、最前列のいちばん端が残っていた。見にくいかと思ったら、そうでもなかった。私は目が悪いので、舞台に近いのは、非常にお得感がある。衣装の美しさ、隈取・化粧の美しさ、そして梁紅玉を演じた劉純浄さんの手指の美しさを堪能した。いやー理想だわ。爪を伸ばさなくても塗らなくても、あんなに表情豊かな指になれるものか。

 『秋江(しゅうこう)』は「崑曲の演目だったものを、京劇が、川劇という四川省の地方劇を経由して輸入したもの」だそうだ(加藤徹氏:京劇城)。旅立った恋人を追いかけるため、船に乗せてほしいと頼む尼僧の陳妙常と、世間知らずの尼僧をからかいながら、頼みを聴き入れる老船頭のやりとりがユーモラス。むかし、中国の観光客用のシアターで(?)見た記憶があるのだが、それほど印象に残らなかった。今回は面白かったなあ。老船頭役の談元さん(実は若い!)巧いなあ。潘金欣さんの陳妙常は、世間知らずだけど、芯の強い一途さが感じられて二重に愛らしかった。文楽のヒロインにもありそうなキャラクターだけど、悲劇性がなくて、あくまで明朗なのがいい。たった2人の登場人物だが、息のあったパントマイムで、何もない舞台に川岸の風景や船の姿が浮かび上がってくるようだった。

 前半の2作品で、やっぱり定評のある古典(というほど古くはないが)は面白いなあ、と感じたので、新作書き下ろしだという『西遊記~天蓬元帥猪八戒』にはあまり期待しなかった。どちらかというと、アクロバティックな立ちまわりや雑技が見どころ。大家の令嬢に婿入りした猪八戒をからかうため、孫悟空は一計を案じて新婦の姿に化ける。舞台上では、新婦役の女優さんが「孫悟空の化けた新婦」を演じるため、美しい女優さんが、ときどきサルっぽい表情を見せるのがお茶目で可笑しい。そして、見事に寝室から叩き出される猪八戒。

 強い女性は可愛い。強くて可愛い女性に翻弄されたい。どうもそういう傾向は、日本の男性より中国の男性のほうが強いのではあるまいか。そんなことを勘ぐってしまった3演目であった。

 ところで、プログラムによれば、1986年に始まった京劇の招聘シリーズが25年目を迎え、本公演から「特定非営利法人京劇中心」としての活動が始まったとのこと。私は、随分むかしから日本国内でも京劇を見たいと思っていたが、いつどこで公演が行われているのか分からず、なかなかチケットが取れなかった。近年はネットのおかげで、情報収集が容易になってありがたい。できるだけ質の高い舞台を、今後もたくさん見たいものだ。
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三島の愛した童心と古典/文楽・鰯売恋曳網(いわしうりこいのひきあみ)

2010-09-23 23:11:56 | 行ったもの2(講演・公演)
国立劇場 9月文楽公演『良弁杉由来(ろうべんすぎのゆらい)』『鰯売恋曳網(いわしうりこいのひきあみ)』(2010年9月20日)

 最初の演目『良弁杉由来』は、東大寺の初代別当・良弁上人の出生伝説(鷲の子育て)に取材。しかし、作品自体は『三拾三所花野山』として明治20年に初演されたというから、完全な近代戯曲だ。ええ~そうなのぉ。確かに古い戯曲と比べると、善悪理非のスジが通り過ぎているかもしれない。聴きどころは「桜宮物狂いの段」の鶴澤清治さんの三味線。昨年の『天変斯止嵐后晴(てんぺすとあらしのちはれ)』ですっかりファンになってしまったので、彼が床に上がると、舞台(吉田文雀さんが人形を遣っているのに!)に目もくれず、清治さんの撥さばきを注視し続けた。彼の音色は、私には「口説き」の連続に聴こえる。情念の深さがタンゴみたい…と形容したら、突拍子もないかしら。

 文雀さんをさすが、と思ったのは「二月堂の段」で「の老婆」に身をおとした渚の方が、おそるおそる、良弁上人(実は鷲にさらわれた我が子、光丸)に身の上を語り出す下り。短い片袖を舞台に掛けるなど、小さな所作にも神経が行き届いていて、ほんとに落涙してしまった。綱大夫さんの語りは、聴きやすくていいなあ。三味線は鶴澤清二郎さん。

 『鰯売恋曳網』は、三島由紀夫の新作歌舞伎として昭和29年初演、現在も人気演目のひとつだそうだ。これを、織田紘ニ氏(国立劇場理事 ※理事なのに仕事してるんだなー)が文楽の台本に改め、豊竹咲大夫、鶴澤燕三が「いかにも文楽の古典らしい曲調で」節付けしたものが、本公演で初公開となった。ううむ、文楽って攻める芸術だなあ。これだけ人気があるのだから(ほんとにチケットが取れない)、伝統的な演目を繰り返し公演していてもよさそうなものを、果敢に新作(新しい伝統)の創出に挑むチャレンジ精神に敬服する。

 三島の戯曲は、お伽草子や奈良絵本で愛読された『猿源氏草紙』の物語をもとにしているそうだ。私は『猿源氏草紙』の物語を知らなかったので、鰯売りの猿源氏が惚れた美女・蛍火が、上臈女房でなく遊女であるというのも、蛍火の憧れが鰯売りの女房になることだったというのも、三島の「ひねり」だろうと思った。そうしたら、少なくとも前者は原作のままらしい。当時の読者にとって、遊女=ヒロインは問題なしなんだな。後者は、三島らしいウィットに富んだ展開で好きだ。東国の大名に化けて、蛍火を騙しおおせたはずの猿源氏は、慌てて自分が正真正銘の鰯売りであることを打ち明け、ハッピーエンドになだれ込む。

 男女の機微をいとおしむ繊細さはロココふうで、晴れやかで確固とした結構は古典的な人間喜劇が楽しめる。人形の振付は藤間勘十郎が手がけたそうで、ところどころ、なるほどと思わせる美しい所作が見られる。
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京都いまむかし/私の日本地図・京都(宮本常一)

2010-09-23 20:44:51 | 読んだもの(書籍)
○宮本常一『私の日本地図(14)京都』(宮本常一著作集別集) 未来社 2010.2

 著者が「何回おとずれたか思い出せぬほどである」という京都の思い出を語った本。原本は昭和50年(1975)の刊行だが、大正末年の「参観者の姿をほとんど見かけなかった」ひっそりした国立博物館の様子とか、柳田国男先生から「詩仙堂はいいよ」と勧められた話とか(私もあそこは好きだ)、戦前は清水寺の音羽の滝で水垢離をとる中年の女性が多かったとか、さまざまな古物語が採録されている。

 昭和2年の秋(著者20歳の頃か)、丹波に住む友人の死に遭って、墓参に出かけた帰り、さびしさに堪えかねて嵯峨野で列車を下り、清涼寺(釈迦堂)を訪ねて、友人の供養を願い出ると、すぐに7、8人の僧が支度を整えて本堂で読経してくれた、という話は特に感慨深かった。本来、寺の役割ってこういうことだから、驚くことではないのだろうけど…信仰が生きていた時代のエピソードだなあ、と思った。

 日本の一般民衆は、生涯に一度は「伊勢参り」をするものとされ、同時に京都・奈良・高野山にも参詣した。昭和20年代の関東(湯河原)の聞書でも、ムラの老人たちは、京都には行ったことがあるが、江戸には行ったことがない、と答えていたそうだ。面白い証言だが、この当時、既に若者の意識は「東京」に集中していたのではないかしら。少し世代間格差があると思う。

 著者は、二条城があまり好きでないらしい。いかめしい堀と石垣は、京都の開放的な街衆文化には合わないと見ていたようだ。秀吉が築いたお土居も漸次壊された。「京都市民にとって大切なのは、土居を築いて防衛体制をかためることではない。戦争のない町をつくることであった」という記述には、本書の書かれた「戦後」の影が落ちているような気がする。

 また著者は、京都の町衆が「仮名」を通じて宮廷文化を咀嚼し、全国の民衆にそれを広める役割を果たしたのに対し、「漢文脈」(中国思想)をバックボーンとする江戸文化は武士だけのものだった、というような説明をしている(単純化すれば)。面白いけど、ちょっと整理され過ぎた仮説じゃないかと思う。

 広い見聞と学術的な仮説によって、古代から近現代までを自在に行き来する本書の記述であるが、ほぼ毎ページに(200点以上?)掲載されている白黒写真は、1960~70年代の京都の風景である。寺院の境内や史跡・名勝の様子はあまり変わっていないのに、ちらっと写り込んだ町の様子や人々の服装が、既に古写真っぽくて面白い。
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関西よくばり旅行(2):藤田美術館、湯木美術館など

2010-09-23 00:54:49 | 行ったもの(美術館・見仏)
藤田美術館 平成22年秋季展『季節を愉しむI 秋~新春の美術』(2010年9月11日~12月12日)

 週末旅行、2日目も欲張る。藤田美術館へは、今年の春季展に初めて訪ねて、一目で好きになってしまった。展示施設は、二階建ての古い蔵をそのまま転用している。歩くとギシギシ音がするし、空調設備がないため、真夏と真冬はさすがに開館できないらしいが、厚い壁に守られているので、意外と涼しい。収蔵品は、まだ全貌を掴んでいないが、かなり奥が深そう。今回の注目、ひとつは『両部大経感得図・龍猛(りゅうみょう)』(国宝)。内山永久寺の障子絵だったものだ。日本的な山水を背景に立つ小塔の戸口で、一夜の宿を借りにきた風情の龍猛と、狭い塔内にひしめく阿吽の金剛力士、甲冑姿の天王?が、お伽噺のようで微笑ましい。

 『玄奘三蔵絵』(国宝)は、一目見て、あ、高階隆兼だ!(春日権現験記絵巻の)と分かるような場面が出ていた。第3巻第3段、粉雪舞う天山山脈越えのシーンである。人々の足元低く飛ぶ極彩色の鳥が、想像を絶する異国の山の高さを感じさせる。深海を思わせる緑色の山襞が眩惑的。平安時代の鬼面(追儺)面も興味深い。裏面に「寛平六年」の墨書あり。

適塾(旧緒方洪庵住宅)(大阪市中央区北浜)

 『福翁自伝』を読み、さらに昨年、ドラマ『JIN-仁-』を見て以来、適塾の遺構に一度行ってみたいと思っていた。五姓田義松描く緒方洪庵先生と妻・八重さんの肖像画があった。大阪の町屋建築を体験することができ、蘭和辞書の系統図(ヅーフハルマ=長崎ハルマとハルマ和解=江戸ハルマ)や、洪庵抄訳『扶氏医戒之略』について学べたことも収穫。なお、同じ一角に残る土塀に囲まれた重厚な木造建築は、府内で最も古い大阪市立愛珠幼稚園である(個人ブログ:混沌写真)。現役の幼稚園のため、ふだんは内部を見ることはできない。

湯木美術館 平成22年秋季特別展『上方豪商の茶道具』(2010年9月11日~12月12日)

 適塾遺構から徒歩10分圏内。オフィス街の一角にある湯木美術館を初訪問。『吉兆』の創業者、湯木貞一氏の茶の湯コレクションを公開している。今回の展示では、茶道具の説明に加えて、それを伝えた「○○家」について、創業年や家業の変遷を記しているところが面白い。道入の赤楽茶碗「銘・是色(ぜしき)」が印象深かった。

野村美術館 秋期特別展『一楽二萩三唐津』(前期:2010年9月4日~10月17日)

 京都へ移動。やはり初訪問の野村美術館へ。永観堂の真向かいなので、門前までは何度か来たことがあるはず。茶人好みのやきものを列挙した「一楽二萩三唐津」の言にしたがって、楽焼、萩焼、唐津焼の名品を展示。ひとくちに萩焼と云い、唐津焼と云っても、いろいろあるんだなあ、と思う。その点、一子相伝の楽焼は、なんと言うか筋が通っている。ノンコウ(道入)の「向獅子香炉(銘・極楽)」が、か、可愛い…。

■西福寺(左京区南禅寺草川町)

 南に下り、上田秋成の墓を訪ねたことは別掲

泉屋博古館 創立50周年記念特別企画『住友コレクションの中国美術』(2010年9月4日~10月17日)

 Uターンして北上し、前日に続き、「安晩帖リピート入館券」で同館を再訪。この日(9/19)は1枚ページが進んで「叭々鳥図」が公開されていた。ふわふわの羽毛、人間臭すぎるポーズがいとおしい。これで私は『安晩帖』22面のうち、
・「瓶花図」2007-10-05記
・「蓮翡翠図」2009-03-24記(※粟の穂に雀かと思っていた)
・「魚図①」2010-09-22記
・「叭々鳥図」2010-09-23記
やっと4面を見たことになる。22面を制覇できるのはいつの日か。これって一度に全面を広げられる折本じゃないのね…と、うらみがましく装丁を眺める。

 以上で、仏像・絵画・茶道具・近代建築まで、欲張り尽くした週末旅行は終了である。
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大丸百貨店・心斎橋店(ヴォーリズ建築)

2010-09-22 00:25:49 | なごみ写真帖
 ウイリアム・メレル・ヴォーリズの建築として名高い大丸百貨店・心斎橋店を訪ねた。大阪人にとっては「訪ねた」って、わざわざ言うほどの場所ではないと思うが、東京育ちの私には、念願の初訪問である。2階より上はさほどではないが、外壁と1階の内装はさすがだわー。おのぼりさん丸出しでカメラを構えずにいられなかった。

↓色も形もかわいい。


↓さりげなく大丸マーク。


↓夜の外観。いつもこんなふうにライトアップされているのかな。ロンドンのハロッズを思い出した。


↓さらに写真多数の掲載されたサイト(クリックマークをクリックして進む)
阪神間モダニズム:大丸心斎橋店
これが現役のデパートって、すごいと思う…。
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関西よくばり旅行(1):泉屋博古館、思文閣美術館など

2010-09-22 00:05:25 | 行ったもの(美術館・見仏)
 あらためて、週末の関西ミニ旅行のレポート。金曜の夜、新幹線で大阪入りからスタート。

■第五番 紫雲山葛井寺(大阪府藤井寺市)

 翌朝(9/18)、まずは西国第五番の葛井寺へ。毎月18日は、本尊・十一面千手千眼観世音菩薩(千手観音坐像)の開扉日である。久しぶりのお姿を拝見しているうち、これはもと立像だったってことはないのだろうか、という疑問が湧いてきた。全く根拠のない妄想なので、書き留めておくだけ。調べてみても、古い時代の千手観音「坐像」はめずらしい気がする。「渡航安全お守」を見つけて購入。でも、中国で墓誌が発見された遣唐使・井真成ゆかりの葛井寺では、往きの安全は守られても、帰国できないんじゃないか…と思った。

泉屋博古館 創立50周年記念特別企画『住友コレクションの中国美術』(2010年9月4日~10月17日)

 京都へ移動。私が9月の上洛を考え始めたきっかけは、この展覧会だった。上記サイトのニュース「重要文化財『安晩帖』全22面順次公開!」のニュースを見て小躍りし、ん?ちょっと待て。”順次”公開って…と詳細を読んで愕然とした。曰く、「八大山人の代表作として知られる「安晩帖」は、会期中に全画面の展示替を行います。画冊仕立てのため、一回に一画面しかお見せできませんが、会期中に題跋を含む22 面すべてをご紹介するのは今回が初の試みとなります」。つまり22面全部見るには、22回通わなければならないのだ。「有料入館の方にはもれなく『安晩帖リピート入館券』をプレゼント」をうたっているけれど、それでも11回分の入場料がいる。何より、開館時間が10:30~17:00では、たとえ京都在住であっても、一般人は平日に行くことができない。これは親切なのか意地悪なのか、判断に苦しむところだ。

 それでも宣伝につられて、来てしまった。本日(9/18)の展示は「魚図①」。たっぷりした余白に、半開きの大口に上目づかいの魚一匹が描かれている。でも、この魚の目線に、清初の遺民画家(前王朝への忠節を表現する画家)であった八大山人の心境が表れていると見る人もいる。やれやれ、お前に会いに来たんだぜ、と小さな魚に心の内で呼びかけてみる。

 ほか、石濤、石渓、龔賢、漸江など、明末清初の画家を中心とした、いつものラインナップ。私は、むかしは古い時代の書画を珍重して、明清なんて歯牙にもかけていなかったのだが、この泉屋博古館のコレクションを見るようになって、明清の絵画の魅力に開眼した。ありがたいことだ。それにしても、作者と作品は切り離して考えるべきものだと分かっていても、解説キャプションを読むと、精神異常とか困窮の晩年を送った画家が多くて、沈鬱な気持ちになる。

思文閣美術館 『奈良絵本・絵巻の宇宙展』(2010年8月28日~11月7日)

 美術品・古書売買と出版業を営む思文閣の美術館を初訪問。奈良絵本は、素人には楽しいが、書誌学の専門家にはあまり珍重されない。それで、かえって詳しく学ぶ機会がなかったのだが、「奈良絵本」とは明治期以後に使用された言葉であること、興福寺周辺に住む絵仏師が絵を描いていたから、という説明もあるが、おそらく奈良の土産物として知られた奈良絵の素朴な作風に似ていたからと考えられること、実は京都周辺の絵草紙屋や扇屋に雇われた職人が分業で制作していたことなど、いろいろ興味深かった。

 本展は、奈良絵本を「天正頃」「慶長頃」「寛永頃」「寛文頃」「元禄頃」「享保以降」の5期に分けて紹介。「寛永頃」から絵と詞の分離(分業)が始まり、「寛文頃」が最盛期とされる。本展の協力(監修?)者である石川透氏(慶応大学)は、仮名草子作家・浅井了意の筆跡(自筆の版下を使った版本がある)と共通する筆跡の奈良絵本があることを突き止めている。研究者って、すごいなあ…。また、元禄期には、居初(いそめ)つなという女性の絵本職人の存在を発見。つなの作品は、確かに他の作者に比べて、群を抜いて愛らしい。

 展示品(50余点)には、所蔵先が示されていなかったので「思文閣のものですか?」と聞いてみた。そうしたら「いえ、石川透先生のコレクションです」とのこと。貴重な個人コレクションを公開していただき、ありがとうございます。

相国寺 秋の特別拝観「法堂」「開山堂」「浴室」(2010年9月15日~12月8日)

 考えてみると、承天閣美術館には、しじゅう訪れているのに、相国寺に参拝してご朱印をいただいたのは、ずいぶん久しぶりのことだ。法堂は気宇広壮な建築に見応えがある。天井の龍は狩野光信筆と伝える。復元修復された浴室も面白かった。承天閣美術館の特別展示、応挙筆『七難七福図巻』については別掲。名品展『書画と工芸』では、周文の『十牛図』を初めて見た。思っていたより小さくてびっくりした。

 既に夕方だが、今回は目的がもうひとつ。大阪・心斎橋附近に連泊を決めたのは、ウイリアム・メレル・ヴォーリズの建築として名高い大丸心斎橋店を訪ねることである。以下、別稿にて。
コメント (2)
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