○サントリー美術館 『誇り高きデザイン 鍋島』(2010年8月11日~10月11日)
「鍋島」は大好きだが、有田にも行ったし、伊万里磁器コレクションで知られる戸栗美術館にも何度も通っているので、もう新しい発見はないんじゃないかなと思い、この展覧会に行くのが遅くなった。でも、行ってみると、やっぱり学ぶところがある。本展の展示品は、サントリー美術館だけでなく、戸栗、出光、東博、岡山の林原美術館、有田の今右衛門古陶磁美術館や佐賀県立九州陶磁文化館から集められた140点余り。これだけ揃うと、ひとくちに鍋島と言っても、かなり幅広いことが分かる。
まずは歴史をおさらい。そもそも鍋島藩は、中国の景徳鎮磁器を徳川将軍に献上していたが、1640年代、明末清初の混乱によって輸入が激減したため、景徳鎮の代替品として開発された献上用磁器が鍋島なのである。17世紀末~18世紀初め(元禄期)には「色鍋島」が全盛期を迎えるが、18世紀後半(宝暦頃?)には、倹約令の影響で色の使用が抑えられ、代わって落ち着いた作風の「染付鍋島」が多くつくられた。1770年頃(安永・天明)には、将軍お好みの「手本」に拠ることとなり、以後、形式化が進行する。
鍋島には、華麗な「色鍋島」と藍の濃淡による「染付鍋島」があることは知っていたが、後者が倹約令をきっかけに、後から生まれたとは知らなかった。いわば、規制を逆手にとった起死回生策だったわけだ。もしも「染付鍋島」がなかったら、鍋島の魅力はずいぶん乏しいものになっていただろう。また、色鍋島は、青、赤、緑、黄の四色を基本とし、金、紫、黒はめったに使わない。この使用色が、古伊万里と鍋島を区別するポイントだと思うが、なぜ、この四色なのか。金彩を使わずに、デザインだけで金彩以上の高級感を演出するというこだわりがあったのかもしれないと考える。
私が気に入った作品のひとつに「色絵群馬文皿」がある。色絵と言っても藍色のみ。三方稜花の形の変形皿に3頭ずつの馬が描かれているのだが、馬の姿態がさまざまで、いきいきと変化に富んでいて、実に楽しい。しかし、鍋島の「絵替わり」皿はきわめて珍しいという。え、どういうこと?と思ったが、他の作品を見ていくうちに理解した。鍋島の5客、10客セットは、緻密な連続文様であれ、草花文や山水文であれ、完璧に同一でなければならないのだ。つまり、唯一至高の色と形を追求するデザイン力と、その”完全コピー”を繰り返し生み出す(絶対に劣化しない)技術力こそが、日本の”官窯”鍋島焼の誇りだったと言える。
うーん、どうも日本人らしくないなあ。日本文化って、もっと当意即妙の機転のほうが得意分野だと思うのに。席画とか和歌・俳句とか。でも、その「反・日本的」なところが鍋島の孤高の魅力なのかもしれない。
もうひとつ、元禄期以降の鍋島焼は、マンネリ打破のため、有田民窯のすぐれたデザインを積極的に採用する方策を取った。この展覧会では、民窯の参考作品と鍋島焼を並べて、その関連性を検証したものがいくつかあった。確かに似ているのだが、民窯の鶴は民窯の顔をしているし、”官窯”鍋島の鶴は無駄を削ぎ落とされて、スキのない鍋島の顔になっているのが面白かった。採算を度外視しても技術の極点を目指す”官窯”と、自由な発想でおもしろデザインを生み出す”民窯”が両輪となることで、江戸時代の九州陶磁の発展があったのではないかと思う。
「鍋島」は大好きだが、有田にも行ったし、伊万里磁器コレクションで知られる戸栗美術館にも何度も通っているので、もう新しい発見はないんじゃないかなと思い、この展覧会に行くのが遅くなった。でも、行ってみると、やっぱり学ぶところがある。本展の展示品は、サントリー美術館だけでなく、戸栗、出光、東博、岡山の林原美術館、有田の今右衛門古陶磁美術館や佐賀県立九州陶磁文化館から集められた140点余り。これだけ揃うと、ひとくちに鍋島と言っても、かなり幅広いことが分かる。
まずは歴史をおさらい。そもそも鍋島藩は、中国の景徳鎮磁器を徳川将軍に献上していたが、1640年代、明末清初の混乱によって輸入が激減したため、景徳鎮の代替品として開発された献上用磁器が鍋島なのである。17世紀末~18世紀初め(元禄期)には「色鍋島」が全盛期を迎えるが、18世紀後半(宝暦頃?)には、倹約令の影響で色の使用が抑えられ、代わって落ち着いた作風の「染付鍋島」が多くつくられた。1770年頃(安永・天明)には、将軍お好みの「手本」に拠ることとなり、以後、形式化が進行する。
鍋島には、華麗な「色鍋島」と藍の濃淡による「染付鍋島」があることは知っていたが、後者が倹約令をきっかけに、後から生まれたとは知らなかった。いわば、規制を逆手にとった起死回生策だったわけだ。もしも「染付鍋島」がなかったら、鍋島の魅力はずいぶん乏しいものになっていただろう。また、色鍋島は、青、赤、緑、黄の四色を基本とし、金、紫、黒はめったに使わない。この使用色が、古伊万里と鍋島を区別するポイントだと思うが、なぜ、この四色なのか。金彩を使わずに、デザインだけで金彩以上の高級感を演出するというこだわりがあったのかもしれないと考える。
私が気に入った作品のひとつに「色絵群馬文皿」がある。色絵と言っても藍色のみ。三方稜花の形の変形皿に3頭ずつの馬が描かれているのだが、馬の姿態がさまざまで、いきいきと変化に富んでいて、実に楽しい。しかし、鍋島の「絵替わり」皿はきわめて珍しいという。え、どういうこと?と思ったが、他の作品を見ていくうちに理解した。鍋島の5客、10客セットは、緻密な連続文様であれ、草花文や山水文であれ、完璧に同一でなければならないのだ。つまり、唯一至高の色と形を追求するデザイン力と、その”完全コピー”を繰り返し生み出す(絶対に劣化しない)技術力こそが、日本の”官窯”鍋島焼の誇りだったと言える。
うーん、どうも日本人らしくないなあ。日本文化って、もっと当意即妙の機転のほうが得意分野だと思うのに。席画とか和歌・俳句とか。でも、その「反・日本的」なところが鍋島の孤高の魅力なのかもしれない。
もうひとつ、元禄期以降の鍋島焼は、マンネリ打破のため、有田民窯のすぐれたデザインを積極的に採用する方策を取った。この展覧会では、民窯の参考作品と鍋島焼を並べて、その関連性を検証したものがいくつかあった。確かに似ているのだが、民窯の鶴は民窯の顔をしているし、”官窯”鍋島の鶴は無駄を削ぎ落とされて、スキのない鍋島の顔になっているのが面白かった。採算を度外視しても技術の極点を目指す”官窯”と、自由な発想でおもしろデザインを生み出す”民窯”が両輪となることで、江戸時代の九州陶磁の発展があったのではないかと思う。