見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

変わる?中国/中国人一億人電脳調査(城山英巳)

2011-08-31 20:44:46 | 読んだもの(書籍)
○城山英巳『中国人一億人電脳調査:共産党よりも日本が好き?』(文春新書) 文藝春秋 2011.5

 7月23日に中国浙江省温州市で、高速鉄道(新幹線)の追突転落事故があったあと、ニコニコ生放送で、事故の検証番組をやっていた。事故の情報が中国人民にどう拡散したかという話から、「微博(ウェイボー)」という中国版ツィッターが果たしつつある役割の話になった。

 すでに利用者が1億人とも2億人も言われる微博に対しては、さすがの中国政府の情報統制も「手が回らない」状態のため、規制をすり抜けて、さまざまな情報が流れ出しているのだという。笑った。結局、思想や技術よりも、数の勝負かい!というところが、いかにも中国的だと思った。

 本書は、その番組にも出演していたジャーナリストの城山英巳氏による、体験的中国レポート。前半では、微博に「文藝春秋」の名前で登録したアカウントを使って「あなたの好きな日本人は誰ですか?」「日本といえば何を思い浮かべますか?」等のアンケートを実施している。結果は、だいたい予想のつく範囲なので、あまり面白くない。反日愛国教育は、中国共産党の体制維持に欠かせない愛党教育であり、反日デモは国内の社会矛盾を忘れさせる「ガス抜き」として許容されているという分析も、聞き飽きた感じがした。

 むしろ興味深かったのは、もう少し短いタイムスパンで起きている変化の指摘である。2008年の北京五輪を成功させたことで、09年から中国共産党は強硬化しているという。しかも「対外的」というより「対内的」な強硬化が起きており、2011年には、公共安全費(国内の治安維持対策費)が国防費を上回っているのだそうだ。知らなかった。

 一方で、北京オリンピックと四川大地震のあった2008年は、若者を中心とするボランティアやNGOに活躍の機会を与え、「公民意識」の芽生えが観察されたとの指摘もある。なるほど。私は、この夏の中国旅行で、地方都市の繁華街を歩いていたとき、中国人の若者が近づいてきて、難病の子どもを助けるための募金を求めるビラを渡された。その、押しつけがましくない、さりげない態度が、中国人らしくなかったので(笑)ちょっと驚いてしまった。

 「80後(バーリンホウ)」=80~90年代生まれの若者は、住宅難や就職難を通じて、現体制に強い不満を持っており、変革の力になる可能性を秘めている。しかし、60~70年代前半生まれで、「民主」「自由」を求めた「天安門事件」の記憶が残る世代とは、明らかに考え方が違うという。おもしろい。日本にあてはめれば、後者が「団塊」「全共闘」世代で、前者は「新人類」もしくは「氷河期」世代にあたるのかな。

 「序章」に戻ると、東日本大震災が起きた2011年3月11日、たまたま著者は、日中交流プロジェクトのために来日していた中国人弁護士・研究者・ジャーナリストら5名と一緒だった。そのため、震災を通じて、中国の人々が日本の「何に関心を持ち、何に感銘を受けたか」を、逆に観察する機会にめぐまれた。彼らは、日本人の冷静さ、秩序、忍耐、助け合いを称賛する一方で、「日本の記者は報道の自由があるのに、どうして政府の対応の問題点を批判しないのか」という、至極ごもっともな疑問も呈していたそうだ。

 「おわりに」で、著者は現在の中国を、百年前の清末になぞらえている。いよいよ清末かあ。果たして、歴史は繰り返すのか。巨大な国家権力「官」が腐敗し、動揺するとき、「民」の代表として、新たな孫文や毛沢東は登場するのか。これは、私も気になるところ…。でも、こうした「繰り返し」の発見によって、ああ、百年経ったんだなあ、と実感できるのが、中国史の魅力である。日本の歴史って、何かあると「未曾有」「空前」を言い、「維新」「革新」「刷新」を言い立てすぎて、逆に時の経過を感じないように思うのだ。
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【中国旅行】安徽・湖北・西安2011【更新しました】

2011-08-28 23:12:08 | ■中国・台湾旅行
8月11日から21日までの中国旅行記(安徽・湖北・西安2011)更新しました。
http://blog.goo.ne.jp/jchz/c/56c9a40e4c56046e7ece9a54a23042c5

フォトチャンネル2件(湖北省博物館荊州博物館)とあわせてお楽しみください。

今年は、前半が『三国志』ゆかりの地めぐり、後半は道教と中国武術の聖地(というか、武侠ドラマでおなじみの地)武当山と華山を訪ねた。ちょうど中国北部と南部の境目を東から西へ抜けていく感じで、風景も、南方らしい水田風景と、北方でよく見るトウモロコシ畑が、めまぐるしいパッチワーク状になっていて、面白かった。食事も、米飯あり、麺あり、ワンタンあり。

最後に、武当山北峰の山頂付近で見かけた三毛ネコ。眼光が鋭い。やっぱり武当派かな。


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ネット配信ドラマ『テンペスト』第5回・第6回と解説ブログ

2011-08-23 01:15:37 | 見たもの(Webサイト・TV)
NHK BS時代劇『テンペスト』(2011年7月17日~)

 昨日まで11日間、恒例の夏休み中国旅行に行ってきた。気になっていたのは、BS時代劇『テンペスト』第5回と第6回を見逃してしまったこと。でも、今夜「NHKオンデマンド」で視聴して、追いつくことができた。うーん。相変わらず、面白いな。序盤だけかと思ったら、中盤も好調のようだ。原作の自由奔放な面白さに、ドラマオリジナルの改変が、時にはピリリと、時には抒情的に、いい味わいを加えていると思う。

 第5回では、ヤマトと清国に両属する琉球の立場を、男のフリをする女・真鶴=寧温に喩え、さらにジュリ(遊女)に喩えてあてこするセリフがあって、おお、これ、けっこう際どくないか?と思った。沖縄県民からクレームが出てもおかしくないような。でも、敢えて水面に石を投げて、常識に波風を立てるくらいの覚悟がなかったら、面白いドラマは作れないと思う。そして、Gackt徐丁垓(熱演。謙信よりいいかも)の下品なあてこすりに対し、「私はひとりの人間です」という真鶴=寧温の必死の切り返しには、琉球(沖縄)の地政学な運命が重なるように感じられた。

 第6回は、八重山に流刑にされていた大勢頭部が真鶴を助け、王宮への復帰を手助けするというドラマオリジナルの展開が、登場人物の使い回しと同時に、人間模様に深みを与えていて、巧い。というわけで、掲示板だのtwitterだのでは、いろいろと蘊蓄雑談も盛り上がっている(ように感じる)。とりわけ面白いのが↓こちら。

目からウロコの琉球・沖縄史:歴史家・上里隆史氏のブログ

 『テンペスト』時代考証担当である同氏が、ドラマの進行に合わせて書いている「ネタバレ解説」が、むちゃくちゃ面白い。第4回「阿片疑惑」で、寧温と朝薫を糾明奉行に任ずる尚育王の署名には「実際の花押を採用しています」とか、第5回「宦官の野望」で、徐丁垓が尚泰王から賜った国相就任の辞令書は「当時出すとすれば必ずこうしただろうという様式」で作られているとか、マニアックなこだわりが、いちいち嬉しくてしかたない。

 こういう細部の「事実らしさ」があればこそ、荒唐無稽のファンタジー時代劇も「見られる」映像作品になるのだと思う。『JIN-仁-』の山田順子さんも、すばらしい仕事をなさっていると思っていたけれど。それにしても、馬天ノロの勾玉が「実は戦前まで実際に残っていました」には、びっくりした。ちゃんと参考文献も挙げてくれている。

 上里先生、まるで一視聴者みたいに、第5回の解説に「今回はありえない超展開の『神回』で最後のシーンは僕も大爆笑させてもらいました(笑)」と書いちゃう素直さが大好きだ。今度、ぜひ著作を読んでみたいと思う。

 昨年、高橋哲哉氏が徐京植氏との対談で、2009年は琉球処分130周年、薩摩侵攻400年の節目に当たり、沖縄県内ではさまざまなイベントが行われたが、県外では全く盛り上がらなかった、という趣旨のことを述べておられた。私自身、2009年も2010年も、沖縄のことなど全く考えずに過ごしてきたのに、このドラマのおかげで、俄然、沖縄(琉球)史に興味が湧いてきた。私のような人間は多いに違いない。エンターテイメントの力って、捨てたものじゃないな、と思う。
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安徽・湖北・西安2011【11日目/最終日】西安→成田

2011-08-21 20:01:31 | ■中国・台湾旅行
■西安:陽陵

 最終日。13:00西安空港発の飛行機で上海に向かうが、その前に、空港近くの陽陵に立ち寄る。漢景帝(武帝の父親)の陵。広大な発掘現場が、そのまま覆い屋根の下に保存されていている。

 日本では、2006年、江戸博の『驚異の地下帝国 始皇帝と彩色兵馬俑展』で紹介されている。あと、そうだ、前回(2006年)の西安ツアーのとき、陝西省考古研究所の研究員の方に「漢陽陵には行かないのか」と残念がられた場所でもある。

 漢代の俑は、始皇帝陵の兵馬俑に比べると、ずっと小型。腕は木製のため、失われたものが多い。裸体の人体を製作し、これに布製の衣服を着せる。兵馬俑と同様、文官と武官があり(女性や宦官もいる)、ひとりずつ顔が異なる。写真は江戸博の展示でも印象的だった「家畜世界」。牛・馬・犬・豚など、大量の動物俑が、整然と列をつくって並んでいる。



 以上でツアーの全行程は終了だが、付録をつけておこう。西安で開催中だった「世界花博」のマスコットキャラ、長安花(ザクロ)ちゃん。いよいよ中国も、ゆるキャラが跋扈する時代になるのだろうか? 手前は金閣寺ではなくて、大雁塔と小雁塔だろう、たぶん。



 西安→上海の飛行機が1時間遅れたため、上海→成田も遅延。京成スカイライナー(新ライナーに初乗車)のおかげで、なんとか日付が変わる前に帰宅できたが、危ないところだった。まったく成田は遠いなあ。

(8/28記)
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安徽・湖北・西安2011【10日日】西安、華山

2011-08-20 15:37:36 | ■中国・台湾旅行
■華山(かざん)

 今回の西安1日滞在は、兵馬俑も華清池もなし、大雁塔も陝西省歴史博物館もなしで、華山に登るためだけのものという、かなりツウな計画である。山登りの常道として、朝早くから出かけるのかと思っていたら、遅く起きて、西安市内から華山のふもとまで約2時間。早めの昼食を済ませたあとで、登り始めるという。

 華山は、中国五岳のひとつ。武当山と同様、やはり道教や武侠小説とのかかわりが深い。私は、あまり事前予習をしてこなかったので「どんなところ?」と聞くと、同行の友人たちは「ものすごく道が険しい」と言って、脅かす。前日の武当山で、自分の体力低下を思い知らされていたので、かなり引く。

 しかも、どんどん天気が悪くなってきた。ガイドの小黄(シャオホワン)君に「傘をさして登れるの?」と聞いたら、答えるより先に、フード付きのレインコートを調達してきてくれた。とにかくロープウェイ乗り場に向かう。ここで、中国人観光客の大行列に混じって小1時間待たされる。



 華山は五つの峰で構成されており、ロープウェイは、いちばん低い北峰の頂上の下までしか行かない。ここから最高峰の南峰の頂上(標高2,160メートル)までは、険しい登山道(石段)が続く。幸い、山頂付近は天気がよくて、傘もレインコートも要らなかったが、今度は荷物が邪魔になる。

 とりあえず、ゆっくりしたペースで、行けるところまで行ってみることになったが、たちまち息があがって、汗びっしょり。見栄えを気にする余裕も失せて、滑ったり転んだりしないよう、足元に注意しながら、友人たちについていく。たまに視線を上げると、信じられないような絶景。



 ついに、無理だと思っていた「金鎖関」まで到達! 関をくぐり、少し先の「無上洞」と記された岩壁の前で記念写真を撮って、引き返す。



 下り道は、別ルートが用意されているが、これがまた、ところどころに難所あり。中国人民は、子どもも老人も体力あるなあ。



 そろそろ夕方。下り客ラッシュのロープウェイにようやく乗ることができ、下山。駅に飾られていた模式図を見て、けっこう頑張って登山したことを実感する。しかし、本当の難所は「金鎖関」の先にあるらしい。



 西安市内に戻り、少し遅い夕食。四川料理の火鍋をリクエストしたのだが、びっくりしたのは、1人前ずつ小さな鍋が用意された「ひとり鍋」だったこと。確かに、これだと自分の好みの辛さを選ぶことができて、好都合である。日本にも、こういう火鍋のお店、できないかな。



 ホテルに戻る途中、ライトアップされた大雁塔の前を通る。あまりの光景にカメラを構えるのも忘れて、呆気にとられてしまった。「大雁塔」+「ライトアップ」とか「夜景」で画像検索すると写真が出てくるが、老西安しか知らない人は腰を抜かさないように。

(8/28記)
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安徽・湖北・西安2011【9日日】武当山→西安

2011-08-19 13:14:21 | ■中国・台湾旅行
■武当山:太和宮~金殿

 武当山2日目も霧が濃い。旅遊センターから別ルートの電動バスで、ロープウェイ乗り場に向かい、スイス製(?)の近代的な快速ロープウェイで、一気に標高1612メートル(天柱峰)の頂上附近まで上がる。外が見えれば、けっこう怖いだろうと思うのだが、白い霧で何も見えない。

 しかし、頂上駅に到着すると、少し霧が薄くなってきた。頑張って、さらに石段を登る。



 頂上に鎮座する金殿。金メッキが施された銅製の宮殿は、この建築自体が避雷設備の役割をしていたそうだ。しばらくは、目まぐるしく流れる霧の動きを見物していたが、次第に眺望が開けてきた。やった!これでこそ武当山に来た甲斐があったというもの。観光客&参拝客が、どんどん登ってくるので、狭い頂上は大混雑。



 そろそろ、裏道から下山。龍が腹這うような、苔むした長大な城壁は「紫金城」と呼ばれる。オモテの石段より、日本人好みの風情だと思う。



 ロープウェイ駅の手前の展望台で、「武当特産」胡桃餅(胡桃ケーキ)を試食販売していたお兄さん。モチモチした食感、ほどよい甘さが美味で、これなら日本へのお土産にしても、好印象まちがいなし!と思って買ってしまったが、帰国したときは、乾燥してボソボソになっていた。やっぱり、保存料を使っていない食品は、その場で味わうしかないのね。



 武当鎮のホテルに戻って昼食。湖北省ガイドの老黄(ラオホワン)の仕事はここまでで、われわれは、陝西省西安から迎えにきた新しい車に乗り換える。西安は大雨で車が遅れたため、運転手さんとガイドさんは休憩の時間がなくなってしまい、到着するや否やのトンボ返り(途中のサービスエリアで、慌ただしく食事を取っていた)。

 高速道路を約3時間走り、西安市内に入る。自分のブログで調べたら、2006年の西安6泊ツアー以来、5年ぶりのようだ。上海や武漢に比べると、相変わらず、のんびりした「古都」の面影が残っていて、ホッとする。夕食で、西安特産の羊肉ポーモー(泡[食莫])を初めて食す。美味い。



 われわれが日本語で喋っていたら、相席になった中国人の若いお母さんがウェイトレスさんに「彼らは韓国人?日本人?」と聞いていた。武当山でも「香港人?韓国人?」と聞かれた。最近は、韓国人の旅行客が多いみたいである。

(8/28記)

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安徽・湖北・西安2011【8日日】襄樊→武当山

2011-08-18 10:41:01 | ■中国・台湾旅行
■襄陽(襄樊):襄陽城~襄陽博物館

 昨日の雨に続き、今日も曇り空。武漢の酷暑から、別の国に来たように涼しくなった。襄陽は三国志の舞台であると同時に、モンゴル(蒙元)と南宋軍の激戦地でもある。ここでモンゴルの水軍に大敗した南宋は、一気に劣勢になってゆく。現在の城壁は明代の再建をもとに復元修復されたものだが、城壁の幅がハンパではない。北は漢江に接し、他の三方も堀で囲まれた要害である。



 復元された城壁の内部に襄陽博物館が設けられている(これだけ城壁の幅があると、それも可能)。観光客で、朝からにぎわう孔明超市(コンビニ)。



■武当山:太子坡~紫宵宮~南岩宮

 武当山は、湖北省十堰市にある名山で、道教武当派と中国武術の武当拳の発祥地。山中の古建築群(※人民中国)は世界遺産にも登録されている。私は見ていないが、映画『グリーン・デスティニー(臥虎蔵龍)』の舞台でもある。最近は、中国武侠ドラマのファンも増えているから、金庸の『倚天屠龍記』の舞台と言っても通じるかな?

 まだ日本人には馴染みのない観光地だが、中国国内(および台湾・香港など中華圏)では大人気らしく、空港並みに立派な旅遊センターが設けられていた。観光客は、ここで山中を走る電動小型バスに乗り換える。



 緑の瓦屋根と紅い壁が続く「太子坡」の風景。一瞬、視界から人影が切れたときの写真で、実際は、悪天候にもかかわらず、大勢の観光客がぞろぞろ歩いていた。



 どんどん霧が深くなってきて、何を見ているんだか、分からない状態に…。



 「南岩宮」の龍頭香。断崖に張り付いたお堂(日本でいうと三仏寺投入堂みたいな)の、さらに突き出した石柱の上に香炉が置かれていて、思わず目の眩む光景のはずなのだが、周囲が何も見えないので、恐怖を感じようがない。



※晴れているときの写真はこちらで:南京ツアー・コンサルティング(武当山)

 上記旅行社のサイトには「省都武漢から高速バスで6時間ほど」とあるが、今回、地図を見たら、武漢と西安を結ぶ中国新幹線が武当山のふもとを通っている(新幹線は武当山には止まらないみたいだけど)。

※あわせて:ドラマ『倚天屠龍記』予告編/あらすじ

 おお~、この場所行った行った!と分かる風景が、チラチラ映っている。『射雕英雄伝』三部作の張紀中プロデューサーの写真は、武当山にも飾られていた。翌日も、映画かテレビの撮影があるとかで、山中に馬が運びこまれていたが、何だったんだろう。

※あと、個人の方のブログなのだが:魁!漢塾~灼熱の武漢ブログ

 第三届(2008)第四届(2010)世界伝統武術節の記事が興味深かったので、リンクを貼らせていただこうと思う。

(8/28記)

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安徽・湖北・西安2011【7日日】荊州→当陽→襄樊

2011-08-17 01:10:52 | ■中国・台湾旅行
 朝、荊州を発って、高速道路に乗って北上しようとするのだが、高速道路の入口を探して、荊州城の周りをぐるぐる回る羽目に陥る。友人と「孔明の罠なんじゃない?」「八卦の陣を張られているね」と面白がる。

■当陽:関陵~玉泉寺(鉄塔)

 当陽の関陵は「三大関帝廟」のひとつ。山西省解州の関帝廟(生まれ故郷)、洛陽の関林(首が埋葬されている)には行っているので、これで「三大関帝廟」制覇となる。



 拝殿の後ろの白壁では「有求必応(求めれば必ずかなう)」と朱書された関羽の顔(首)が、自分の胴体の埋葬された塚を凝視している。ちょっと滑稽で、ちょっと怖い。



 玉泉寺。あるとき、老僧普浄のもとに関羽の霊が出てきて「俺の首を返せ」と叫んだ。普浄が「貴公の手にかかった武将たちはどうするのか」と言い返すと、関羽は我に返って、成仏したという。この説話は聞いたことがあるが、こんな大寺院ができているとは、思わなかった。ペンシルロケットみたいな細身の鉄塔あり(北宋)。



 当陽市の中心から、郊外の関陵・玉泉寺に向かう道は「長坂路」という名前がついていた。「長坂坡の戦い」と言えば張飛だろうと思っていたので、車中から通りすがりに写真を撮ったこのカッコいい銅像も、てっきり張飛だと思っていたが、他人のブログを読んでみたら、趙雲だという。そうだったのかー。言われてみれば、得物が蛇矛でなく槍だものな。



■襄樊:古隆中

 さらに高速道路を北上。襄樊は、襄陽+樊城から名づけられた地名だが、2010年12月、襄樊から襄陽に改名されている。三顧の礼の舞台となった古隆中に、それらしく復元された諸葛孔明の草屋。ここもアミューズメントパーク化している。



 襄陽(襄樊)の再開発地区にある新しいホテルに1泊することになっていたが、ガイドさんも運転手さんもホテルの場所が分からず、右往左往する。やっぱり「孔明の罠」のような気がする。何しろ、高層マンション群を控えた広場に、むかしの毛沢東像みたいな巨大な諸葛孔明像を建てて、「智恵の街」で売り出そうとしている街なので。

(8/28記)
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安徽・湖北・西安2011【6日日】武漢→荊州

2011-08-16 23:19:47 | ■中国・台湾旅行
■荊州:紀南城址~江陵楚墓(雨台山古墓群)~荊州城~荊州博物館~元妙観~万寿宝塔

 武漢から車で西へ約3時間。荊州は、魏呉蜀の激しい争奪戦が行われた土地として、三国志ファンには馴染み深い地名である。

 はじめに紀南城址に立ち寄る。春秋戦国時代の楚の都城址であるというが、草に覆われた丘陵地に石碑が立っているだけで、見事に何もない。「江陵楚墓」というのは、紀南城周辺で発見された、おびただしい楚の人々の墓の総称である。発掘された墓地に潜ったりするのかと思っていたら、田園風景の中で車を停めて、少し歩いたあと、「ここです」と言って、写真の石碑を見せてくれた。まわりの農家のおばちゃんたちが、何事かという顔で、われわれを見守っていた。



 今日は見学箇所が多くて忙しいかと思っていたが、あっという間に2箇所終了。昼食のあと、市中に入って、荊州城の城壁に登る。こういう立派な復元遺跡と、さっきのように「何もない」遺跡のどちらが好きかというと、私は意外と前者だったりする。



 続いて荊州博物館へ。ここは「国家級」や「省級」博物館に比べると、1ランク落ちるはずだが、かつて国家文物局の専門家たちによって「全国地方級博物館トップ10」の1位に選ばれたこともあるという。正面の主陳列館ではなく、奥の珍品陳列館から攻めるのがポイント。古代の漆器と絹織物のコレクションはすごい。特に、紀元前の絹製品があんなに残っているのを見てしまうと、もう正倉院展なんて、どうでもいいやという気分になる。

 漆工芸は、あまりにも予想を裏切る造形がたくさんあって面白かった。実は「中国古代文明」って、多くの日本人が考えているより、ずっと豊かで多面的であるように思う。でも、玉器や青銅器と違って、漆器や絹製品を日本に運んで展示するのは、難しいだろうなあ。詳しくは、フォトチャンネルで。ただし、ミイラの写真は(撮ってもよかったのだが)自粛した。

 元妙観(唐代創建と伝わる道教寺院)に寄り、長江河畔の万寿宝塔(明代)を訪ねる。塔の基壇が、現在の地面より、かなり下にあるのが面白い。須弥壇の背後に隠し階段(?)があって、塔の最上階まで登ることができる。外壁にも、仏像や銘板が少し残っているが、内部はさらに多くの仏像タイルで荘厳されている。



 最後に、夜の飲み会用に調達したスナック菓子。「多嘴魚(おっとっと)」には、「三国伝敢達(ガンダム)」の組み立ておもちゃが付いていて、私は「孫権ガンダム」を当てました。



(8/27記)
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安徽・湖北・西安2011【5日日】武漢、赤壁

2011-08-15 00:34:47 | ■中国・台湾旅行
■赤壁古戦場

 「最強熱波」の襲来で、高温酷暑が続く武漢(=江城)。



 今日は、武漢から車で2時間余りかけて、三国志の最も有名な古戦場、赤壁を見に行く。赤壁市は、もと蒲圻(ほきん)市と呼ばれていたが、1998年、現在の名称に変更された。

 高速道路を下りるとすぐ、映画のセットのような巨大な城門が見えてくる。どう見ても下手くそな看板の文字「三国赤壁古戦場」は江沢民氏の筆だ。城内は一種のアミューズメントパークになっていて、三国志の名場面が等身大の塑像や銅像で再現されている。嫌いじゃないけどね。孔明ゆかりの拝風台や龐統の鳳雛庵もある。

 写真は、呉の周瑜が戦の後の祝勝会で、岩壁に剣で「赤壁」と刻んだところ。「赤壁」の二文字を、わざと縦書きにしているのは「本物ではありません」のサインなんだろうか。



 こちらが本物の長江右岸の赤壁。横書きである。もっと雄大な風景かと思っていたら、意外とこじんまりしていた。増水で文字が水没したことがあるというのも頷けた。



■武漢:黄鶴楼~石榴塔

 昼食後、武漢に戻り、フリータイム。黄鶴楼公園で車を下ろしてもらい、李白の詩で有名な黄鶴楼に登る。長江大橋が正面に見える。楼の位置や形は、ずいぶん変わってしまったが、「孤帆の遠影碧空に尽き/惟見る長江の天際に流るるを」と詠まれた面影を残している。



 それから、長江大橋を渡って、漢陽地区の山陽公園にある石榴花塔を見にいく。日本の五輪塔を思わせるような三層の小さな石塔。このとき、長江大橋を無料で渡れるタクシーを拾うのに一苦労。8/15の場合、ナンバープレートの末尾が「5以外の奇数」でないと渡れないのである。

(8/27記)
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