○城山英巳『中国人一億人電脳調査:共産党よりも日本が好き?』(文春新書) 文藝春秋 2011.5
7月23日に中国浙江省温州市で、高速鉄道(新幹線)の追突転落事故があったあと、ニコニコ生放送で、事故の検証番組をやっていた。事故の情報が中国人民にどう拡散したかという話から、「微博(ウェイボー)」という中国版ツィッターが果たしつつある役割の話になった。
すでに利用者が1億人とも2億人も言われる微博に対しては、さすがの中国政府の情報統制も「手が回らない」状態のため、規制をすり抜けて、さまざまな情報が流れ出しているのだという。笑った。結局、思想や技術よりも、数の勝負かい!というところが、いかにも中国的だと思った。
本書は、その番組にも出演していたジャーナリストの城山英巳氏による、体験的中国レポート。前半では、微博に「文藝春秋」の名前で登録したアカウントを使って「あなたの好きな日本人は誰ですか?」「日本といえば何を思い浮かべますか?」等のアンケートを実施している。結果は、だいたい予想のつく範囲なので、あまり面白くない。反日愛国教育は、中国共産党の体制維持に欠かせない愛党教育であり、反日デモは国内の社会矛盾を忘れさせる「ガス抜き」として許容されているという分析も、聞き飽きた感じがした。
むしろ興味深かったのは、もう少し短いタイムスパンで起きている変化の指摘である。2008年の北京五輪を成功させたことで、09年から中国共産党は強硬化しているという。しかも「対外的」というより「対内的」な強硬化が起きており、2011年には、公共安全費(国内の治安維持対策費)が国防費を上回っているのだそうだ。知らなかった。
一方で、北京オリンピックと四川大地震のあった2008年は、若者を中心とするボランティアやNGOに活躍の機会を与え、「公民意識」の芽生えが観察されたとの指摘もある。なるほど。私は、この夏の中国旅行で、地方都市の繁華街を歩いていたとき、中国人の若者が近づいてきて、難病の子どもを助けるための募金を求めるビラを渡された。その、押しつけがましくない、さりげない態度が、中国人らしくなかったので(笑)ちょっと驚いてしまった。
「80後(バーリンホウ)」=80~90年代生まれの若者は、住宅難や就職難を通じて、現体制に強い不満を持っており、変革の力になる可能性を秘めている。しかし、60~70年代前半生まれで、「民主」「自由」を求めた「天安門事件」の記憶が残る世代とは、明らかに考え方が違うという。おもしろい。日本にあてはめれば、後者が「団塊」「全共闘」世代で、前者は「新人類」もしくは「氷河期」世代にあたるのかな。
「序章」に戻ると、東日本大震災が起きた2011年3月11日、たまたま著者は、日中交流プロジェクトのために来日していた中国人弁護士・研究者・ジャーナリストら5名と一緒だった。そのため、震災を通じて、中国の人々が日本の「何に関心を持ち、何に感銘を受けたか」を、逆に観察する機会にめぐまれた。彼らは、日本人の冷静さ、秩序、忍耐、助け合いを称賛する一方で、「日本の記者は報道の自由があるのに、どうして政府の対応の問題点を批判しないのか」という、至極ごもっともな疑問も呈していたそうだ。
「おわりに」で、著者は現在の中国を、百年前の清末になぞらえている。いよいよ清末かあ。果たして、歴史は繰り返すのか。巨大な国家権力「官」が腐敗し、動揺するとき、「民」の代表として、新たな孫文や毛沢東は登場するのか。これは、私も気になるところ…。でも、こうした「繰り返し」の発見によって、ああ、百年経ったんだなあ、と実感できるのが、中国史の魅力である。日本の歴史って、何かあると「未曾有」「空前」を言い、「維新」「革新」「刷新」を言い立てすぎて、逆に時の経過を感じないように思うのだ。
7月23日に中国浙江省温州市で、高速鉄道(新幹線)の追突転落事故があったあと、ニコニコ生放送で、事故の検証番組をやっていた。事故の情報が中国人民にどう拡散したかという話から、「微博(ウェイボー)」という中国版ツィッターが果たしつつある役割の話になった。
すでに利用者が1億人とも2億人も言われる微博に対しては、さすがの中国政府の情報統制も「手が回らない」状態のため、規制をすり抜けて、さまざまな情報が流れ出しているのだという。笑った。結局、思想や技術よりも、数の勝負かい!というところが、いかにも中国的だと思った。
本書は、その番組にも出演していたジャーナリストの城山英巳氏による、体験的中国レポート。前半では、微博に「文藝春秋」の名前で登録したアカウントを使って「あなたの好きな日本人は誰ですか?」「日本といえば何を思い浮かべますか?」等のアンケートを実施している。結果は、だいたい予想のつく範囲なので、あまり面白くない。反日愛国教育は、中国共産党の体制維持に欠かせない愛党教育であり、反日デモは国内の社会矛盾を忘れさせる「ガス抜き」として許容されているという分析も、聞き飽きた感じがした。
むしろ興味深かったのは、もう少し短いタイムスパンで起きている変化の指摘である。2008年の北京五輪を成功させたことで、09年から中国共産党は強硬化しているという。しかも「対外的」というより「対内的」な強硬化が起きており、2011年には、公共安全費(国内の治安維持対策費)が国防費を上回っているのだそうだ。知らなかった。
一方で、北京オリンピックと四川大地震のあった2008年は、若者を中心とするボランティアやNGOに活躍の機会を与え、「公民意識」の芽生えが観察されたとの指摘もある。なるほど。私は、この夏の中国旅行で、地方都市の繁華街を歩いていたとき、中国人の若者が近づいてきて、難病の子どもを助けるための募金を求めるビラを渡された。その、押しつけがましくない、さりげない態度が、中国人らしくなかったので(笑)ちょっと驚いてしまった。
「80後(バーリンホウ)」=80~90年代生まれの若者は、住宅難や就職難を通じて、現体制に強い不満を持っており、変革の力になる可能性を秘めている。しかし、60~70年代前半生まれで、「民主」「自由」を求めた「天安門事件」の記憶が残る世代とは、明らかに考え方が違うという。おもしろい。日本にあてはめれば、後者が「団塊」「全共闘」世代で、前者は「新人類」もしくは「氷河期」世代にあたるのかな。
「序章」に戻ると、東日本大震災が起きた2011年3月11日、たまたま著者は、日中交流プロジェクトのために来日していた中国人弁護士・研究者・ジャーナリストら5名と一緒だった。そのため、震災を通じて、中国の人々が日本の「何に関心を持ち、何に感銘を受けたか」を、逆に観察する機会にめぐまれた。彼らは、日本人の冷静さ、秩序、忍耐、助け合いを称賛する一方で、「日本の記者は報道の自由があるのに、どうして政府の対応の問題点を批判しないのか」という、至極ごもっともな疑問も呈していたそうだ。
「おわりに」で、著者は現在の中国を、百年前の清末になぞらえている。いよいよ清末かあ。果たして、歴史は繰り返すのか。巨大な国家権力「官」が腐敗し、動揺するとき、「民」の代表として、新たな孫文や毛沢東は登場するのか。これは、私も気になるところ…。でも、こうした「繰り返し」の発見によって、ああ、百年経ったんだなあ、と実感できるのが、中国史の魅力である。日本の歴史って、何かあると「未曾有」「空前」を言い、「維新」「革新」「刷新」を言い立てすぎて、逆に時の経過を感じないように思うのだ。