「移民国家」アメリカ合衆国は、どのように形成され、いかに変貌してきたか。特に本書は、ヨーロッパ系移民に比べて論じられることの少なかったアジア系移民に注目しながら、アメリカ移民物語の全体像を描き出そうという試みである。
はじめに建国初期のアメリカについて。1790年の帰化法では、市民権を申請できるのは「自由白人」に限られていた。「アメリカ人」=ヨーロッパ系移民に限定されていたように見えるが、白人の定義は明確でなく、中国人や日本人が市民権を獲得できた場合もあった。そもそも近代国家が「国民」を囲い込み、その移動・出入国を管理できるようになるまでには長い年月が必要で、19世紀中葉まで、アメリカの移民受入港には連邦の行政官が配置されていなかったという。
19世紀中葉までのアメリカは「移民国家」というより「奴隷国家」だった。しかし、1808年に奴隷貿易を停止し、1865年に奴隷制廃止が憲法で定められると(同時期に南北アメリカ諸国が相次いで奴隷制を廃止)、奴隷に代わる労働力を確保するため、「苦力」と呼ばれる大量の隷属的な中国人労働者が導入された。中国人移民は半世紀に約36万人にのぼり、これは黒人奴隷の輸入数とほぼ同規模であるという。そんなに多いのか…。カリフォルニアでは、不当に安い賃金で働く中国人労働者に対して、白人労働者・非WASP系労働者による排華運動が激化する。
この移民をめぐる混乱は「アメリカ人」形成の第二ラウンドだった。アメリカは、国際的な奴隷貿易廃止に乗り出したイギリスに追随し、苦力貿易禁止法に署名し、アメリカに入る移民は全て「自由」労働者とみなした。それは、労働者の側から見れば、実態がどんなに「不自由」労働でも「自由」労働者と名乗ることを強要される状態になったに等しい。現代の日本の労働環境にも思い当たるところがある。
しかし、南北戦争後のカラーブラインドな(=人種差別的でない)国民統合を希求する政治はまもなく挫折し、人種混淆への恐怖、社会の人種化が進行する。1882年には排華移民法が制定され、アジア人を念頭に「帰化不能外国人」というカテゴリーが設けられる。この時代について著者が、不況下で労資対立が激しくなる中、対立を懐柔し新たな社会秩序を維持するため「他者」の創出が必要となった、と述べていることを記憶しておきたい。「他者」は端的に言って「敵」の意味だと思う。
19世紀末から20世紀初頭には、「帝国的な国民統合」のビジョンを掲げたセオドア・ルーズベルトら新世代の政治家の登場と、伍廷芳や梁啓超の活躍もあって中国人の待遇改善が実現する。詳述はされていないけれど、やっぱり中国の経済成長(市場の力)の影響が大きいのかなと思う。そして、このあと排斥の対象は日系人に移る。
明治政府は、開国直後のアメリカ及びハワイ移民が「失敗」に終わった経験から、海外渡航に消極的だったが、1880年代、農村の窮乏化により方針転換する。アメリカに渡った日本人は、排華移民法で流入の止まった中国人移民に代わり、仕事についたが、次第に日本人への排斥運動も強まる。1924年には日本人を「帰化不能外国人」と定めた排日移民法が成立した。
アジア太平洋戦争が始まると日系人は強制収容され、収容所で「忠誠登録」が実施された。初めて読んだその質問文には「あなたは無条件でアメリカ合衆国に忠誠を誓い(略)いかなる外国政府・権力・組織に対しても忠誠も服従もしない、と拒絶することを誓えますか?」とある。私はこの問いを心底酷いと感じるのだが、そう思わない人もいるのだろう。今日の日本でも、他国にルーツを持つ人に対して、これに近い「忠誠」を求める声を聞くことがある。当時のアメリカでは、多くの日系二世の若者が入隊を志願して激戦地に送られ、戦後社会における日系人の社会的上昇に寄与した。しかし、これは「美談」なのだろうか?
戦後、1965年の移民法によって移民の国別割当制が廃止され、アメリカは、よりグローバルで多元的な移民国家へと舵を切った。難民政策の問題、不法移民についての動揺などがあるものの、「アメリカは移民の国」という価値は多くの国民に共有されている。長い年月をかけて差別を克服したアジア系移民が、人権を他のマイノリティに広げる活動を展開しているというのも明るい話題である。2055年には、米国人口の過半数を占める人種エスニック集団はなくなるという。国のかたちは変わっていくのだな。やがて日本もそうなるだろうから、辛い経験をする人のできるだけ少ない変化を選び取りたい。