修二会の十四日目(3/14)を見て、翌日(3/15)は半日だけ奈良にいることができた。新大宮泊りだったので、とりあえず奈良に出る。近鉄のホームで見つけた海龍王寺の特別開帳のポスター(by みうらじゅん)。
まだ人通りの少ない日曜の朝、ぶらぶら博物館に向かおうと思って、行きたいところがあったことを思い出す。昨年、奈良博の『国宝 醍醐寺のすべて』を見に来たとき、醍醐寺の開祖である理源大師を祀るお堂が「もちいどのセンター街」にあると知った。Googleマップの検索結果を見ながら、商店街を南下する。いったん通り過ぎてしまって、慌てて周囲を見回すと、朝市の準備の進む広場の奥、ビルの庇の下に餅飯殿弁財天社の鳥居が見えた。右側の屋根が「聖宝理源大師堂」。
ちなみに前日、二月堂に向かう途中で「東南院旧境内」の文字に惹かれて撮った写真。南大門を入ってすぐの右側。同院も理源大師聖宝の創建である。
石段を上がって、興福寺の境内に入り、大好きな南円堂にお参りして、国宝館をひとまわりしていく。館員のおじさんが無言で「お静かに」の札を掲げていた。ご苦労様。東金堂の壁の習字が更新されたみたいなので、写真を撮っておいた。
奈良国立博物館で、特別陳列『お水取り』(2015年2月7日~3月15日)を見る。確か四回目なので、さほど目新しい品はないが、少し変化をつけてくれているのがうれしい。今回は、足利義満が二月堂内陣を見学した記録が面白かった(修二会の最中ではない。『二月堂修中練行衆日記』だったかな?)。香水を三杯飲んだとか、権力者は羨ましい。
会場には修二会の声明が流れ続けている。沓音や五体投地の板の音、数珠を擦る音も混じり、臨場感がある。最近は堂内に参籠していても、夜が更けるまで観光客の私語が絶えないので、展覧会会場のほうが、本来の雰囲気を味わえるかもしれない。南無観を聞けた。『堂司私日記/公誠』という横長の和綴じノート(現代)が展示されていたが、もとは森本公誠氏の私物かしら?
↑これは博物館の入口に展示されていた大松明。正面から見ると、ヒマワリみたいだ。
まだ人通りの少ない日曜の朝、ぶらぶら博物館に向かおうと思って、行きたいところがあったことを思い出す。昨年、奈良博の『国宝 醍醐寺のすべて』を見に来たとき、醍醐寺の開祖である理源大師を祀るお堂が「もちいどのセンター街」にあると知った。Googleマップの検索結果を見ながら、商店街を南下する。いったん通り過ぎてしまって、慌てて周囲を見回すと、朝市の準備の進む広場の奥、ビルの庇の下に餅飯殿弁財天社の鳥居が見えた。右側の屋根が「聖宝理源大師堂」。
ちなみに前日、二月堂に向かう途中で「東南院旧境内」の文字に惹かれて撮った写真。南大門を入ってすぐの右側。同院も理源大師聖宝の創建である。
石段を上がって、興福寺の境内に入り、大好きな南円堂にお参りして、国宝館をひとまわりしていく。館員のおじさんが無言で「お静かに」の札を掲げていた。ご苦労様。東金堂の壁の習字が更新されたみたいなので、写真を撮っておいた。
奈良国立博物館で、特別陳列『お水取り』(2015年2月7日~3月15日)を見る。確か四回目なので、さほど目新しい品はないが、少し変化をつけてくれているのがうれしい。今回は、足利義満が二月堂内陣を見学した記録が面白かった(修二会の最中ではない。『二月堂修中練行衆日記』だったかな?)。香水を三杯飲んだとか、権力者は羨ましい。
会場には修二会の声明が流れ続けている。沓音や五体投地の板の音、数珠を擦る音も混じり、臨場感がある。最近は堂内に参籠していても、夜が更けるまで観光客の私語が絶えないので、展覧会会場のほうが、本来の雰囲気を味わえるかもしれない。南無観を聞けた。『堂司私日記/公誠』という横長の和綴じノート(現代)が展示されていたが、もとは森本公誠氏の私物かしら?
↑これは博物館の入口に展示されていた大松明。正面から見ると、ヒマワリみたいだ。