○橋本治『双調 平家物語』11~13(中公文庫) 中央公論新社 2010.2-2010.4
『双調 平家物語』8~10の続き。「平家の巻」(11)「治承の巻I」(12)「治承の巻II」(13)と続くこの3冊は、原典・平家物語に描かれた時代に重なる。本書を「平家物語」の現代語訳として楽しみたい向きは、11巻あたりから読み始めるとちょうどいいと思う。
ずっと影の薄かった平清盛も、中年を過ぎて、ようやく出番が増えてきた。11巻で、後白河上皇が清盛と武者たちを従え、八条烏丸の内裏に経宗・維方を召し捕りに赴く、前代未聞の「御幸」の場面にはぞくぞくした。だが、この二人、そのまま天下掌握に突っ走らないところが面白い。崩れそうで崩れきらない王朝の世。またゆるゆると時は過ぎてゆき、12巻では、清盛に寵された白拍子の祇王と仏御前、高倉帝と小督など、女性たちのエピソードがこってり語られる。
13巻には俊寛と従者・有王の物語も。当時の政治権力史を語るだけなら、なくてもいいような脇道だが、やはり平家の物語を名乗る以上、欠かせないという判断なのだろう。そして、この「脇道」に登場する人物たちは、現代的(小説的)な解釈を交え、とても魅力的に描かれている。
12巻の白山の神輿入京(安元事件というのか)の顛末も面白かった。本書を読んでいると、後世の歴史観で「大事件」とされるものと、当時の人々の感じ方には、ずいぶんズレがあるんじゃないかと思う。保元・平治の乱は、せいぜい数百騎の攻防だが、このときでは数千人の大衆が動き、重盛に率いられた三千騎が内裏を警護したという。本当ならすごい規模だ。
本書の重盛は「忠ならんと欲すれば孝ならず」なんて、みみっちい弱音は吐かない(この出典は「日本外史」)。むしろ父・清盛の前に敢然と立ちはだかり、歯ぎしりさせる一徹ものである。足の引っ張り合いに長けた公家たちの中に入って、一門の着実な栄達を目指し、神経をすりへらしながら戦い続けた。弓矢は取らずとも、精神は最後まで武勇の人だったように描かれている。
13巻に登場する老武者・源三位頼政もいい。「戦いを回避する」都の武者として生きてきた頼政は、平治の乱で見た義朝・義平を思い返し、「戦うこと」を本分とする東国武士の姿に受けた衝撃が忘れられず、ついに挙兵を決意する。ああ、人生って、確かにこういうことあるよなあと思う。ある体験が、20年も30年も先に、じわじわ効いてくることって。
そして、迫り来る武士の世に、ふてぶてしく抵抗し続ける王朝の男たちも、それぞれ魅力的である。この時期の重大事件の数々には、亡き信西の後裔がかかわっているものが多いという指摘は、系図を眺めなおして、なるほどと思った。小督も信西の孫なのね。
官を辞して福原に退いていた清盛は、最大の難敵だった息子・重盛の死によって、再び(実質的に)一門を率いて、政局に関与し始める。福原には、すでに唐船を迎え入れることのできる泊が築かれているが、本書はその経緯や清盛が描いた国づくりについては触れない。本書の清盛は、自ら頂きに立とうとする者ではなく、後白河院の寵臣たることを求めて、思い通りにならない怒りと悲しみから、強硬策に駆り立てられていく。あ~こういう解釈もありか。
平氏の武力によって院政を停止された後白河院は(治承三年の政変)、一時鳥羽殿に幽閉された。そこから移された先が、八条烏丸の旧・美福門院御所で、平家一門の(名目的な)棟梁である宗盛の邸宅にも、西八条第にも近かったため、というような説明を読みながら、頭の中に、ふむふむと京都駅周辺と洛南の地図を広げるのも楽しい。
何事も旧例墨守をよしとする貴族たちにとって、頼政の三位昇格が平氏一門の栄達以上に「あさましき」事件と思われたこととか、高倉院の厳島御幸(石清水や賀茂神社をさしおいて)が信じがたい大事件であったことなど、小説の描写に助けられ、想像をたくましくしながら読んでいく。船に乗って海に出るって、我々が南極に行くくらいの勇気を必要としたのではないかな。あと3冊。
『双調 平家物語』8~10の続き。「平家の巻」(11)「治承の巻I」(12)「治承の巻II」(13)と続くこの3冊は、原典・平家物語に描かれた時代に重なる。本書を「平家物語」の現代語訳として楽しみたい向きは、11巻あたりから読み始めるとちょうどいいと思う。
ずっと影の薄かった平清盛も、中年を過ぎて、ようやく出番が増えてきた。11巻で、後白河上皇が清盛と武者たちを従え、八条烏丸の内裏に経宗・維方を召し捕りに赴く、前代未聞の「御幸」の場面にはぞくぞくした。だが、この二人、そのまま天下掌握に突っ走らないところが面白い。崩れそうで崩れきらない王朝の世。またゆるゆると時は過ぎてゆき、12巻では、清盛に寵された白拍子の祇王と仏御前、高倉帝と小督など、女性たちのエピソードがこってり語られる。
13巻には俊寛と従者・有王の物語も。当時の政治権力史を語るだけなら、なくてもいいような脇道だが、やはり平家の物語を名乗る以上、欠かせないという判断なのだろう。そして、この「脇道」に登場する人物たちは、現代的(小説的)な解釈を交え、とても魅力的に描かれている。
12巻の白山の神輿入京(安元事件というのか)の顛末も面白かった。本書を読んでいると、後世の歴史観で「大事件」とされるものと、当時の人々の感じ方には、ずいぶんズレがあるんじゃないかと思う。保元・平治の乱は、せいぜい数百騎の攻防だが、このときでは数千人の大衆が動き、重盛に率いられた三千騎が内裏を警護したという。本当ならすごい規模だ。
本書の重盛は「忠ならんと欲すれば孝ならず」なんて、みみっちい弱音は吐かない(この出典は「日本外史」)。むしろ父・清盛の前に敢然と立ちはだかり、歯ぎしりさせる一徹ものである。足の引っ張り合いに長けた公家たちの中に入って、一門の着実な栄達を目指し、神経をすりへらしながら戦い続けた。弓矢は取らずとも、精神は最後まで武勇の人だったように描かれている。
13巻に登場する老武者・源三位頼政もいい。「戦いを回避する」都の武者として生きてきた頼政は、平治の乱で見た義朝・義平を思い返し、「戦うこと」を本分とする東国武士の姿に受けた衝撃が忘れられず、ついに挙兵を決意する。ああ、人生って、確かにこういうことあるよなあと思う。ある体験が、20年も30年も先に、じわじわ効いてくることって。
そして、迫り来る武士の世に、ふてぶてしく抵抗し続ける王朝の男たちも、それぞれ魅力的である。この時期の重大事件の数々には、亡き信西の後裔がかかわっているものが多いという指摘は、系図を眺めなおして、なるほどと思った。小督も信西の孫なのね。
官を辞して福原に退いていた清盛は、最大の難敵だった息子・重盛の死によって、再び(実質的に)一門を率いて、政局に関与し始める。福原には、すでに唐船を迎え入れることのできる泊が築かれているが、本書はその経緯や清盛が描いた国づくりについては触れない。本書の清盛は、自ら頂きに立とうとする者ではなく、後白河院の寵臣たることを求めて、思い通りにならない怒りと悲しみから、強硬策に駆り立てられていく。あ~こういう解釈もありか。
平氏の武力によって院政を停止された後白河院は(治承三年の政変)、一時鳥羽殿に幽閉された。そこから移された先が、八条烏丸の旧・美福門院御所で、平家一門の(名目的な)棟梁である宗盛の邸宅にも、西八条第にも近かったため、というような説明を読みながら、頭の中に、ふむふむと京都駅周辺と洛南の地図を広げるのも楽しい。
何事も旧例墨守をよしとする貴族たちにとって、頼政の三位昇格が平氏一門の栄達以上に「あさましき」事件と思われたこととか、高倉院の厳島御幸(石清水や賀茂神社をさしおいて)が信じがたい大事件であったことなど、小説の描写に助けられ、想像をたくましくしながら読んでいく。船に乗って海に出るって、我々が南極に行くくらいの勇気を必要としたのではないかな。あと3冊。