○東京国立博物館 陽明文庫創立70周年記念特別展『宮廷のみやび―近衞家1000年の名宝』
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陽明文庫特別展? 文書(もんじょ)ばかりで地味なんじゃないかな、と思ったら、とんでもなかった。名宝・珍宝目白押しで楽しめたが、最も印象的だった「家熙の世界」のパートを中心に紹介しよう。
近衛家熙(いえひろ)(1667~1736)は、江戸中期の近衛家当主。予楽院と号す。私はこの展覧会で初めて知った人物だが、書画・茶道・華道・香道など諸芸を極め、博学多識のマルチ文化人だった。とりわけ、能書家として名高い。
『予楽院臨書手鑑』は、家熙による名筆の臨書を貼り交ぜた折本である。小野道風、行成、公任、空海など名家が並ぶ。へえーすぐに参照できるようにつくった複製便利帖かなあ、と思ったくらいで、あまり感心しなかった。ところが、折本の続きに空海の『風信帖』の写しがあり、さらにその先に、見覚えのある流麗な書が3件並ぶ。私の大好きな
藤原佐理の書だ!それぞれ 『離洛帖』『国申文帖』『恩命帖』の臨書だという。『国申文帖』については、壁面に本物の佐理の書(春敬記念書道文庫蔵)が掛けてあった。
本物と比べてみると、家熙の臨書のすごさが初めて伝わってくる。筆の運びはもちろん、墨の付け方、にじみ方、誤字を上書きしたところまで、全て忠実に真似ているのだ。完璧に形式をなぞることで、対象の核心に到達しようとしている。すさまじい研鑽である。決して、手なぐさみに作られた模写ではないことがよく分かった。このとき、前にいた高校生くらいの男の子が「臨書って、高いところにある門の額だったりすると、ハシゴの上で書いたんだぜ」と、連れの女の子に解説していた(何でそんなこと知ってるんだ、おまえは)。
ちなみに『国申文帖』は、正月の大饗で関白頼忠より先に退席したこと等を謝罪した文面だそうだ。いかにも佐理らしくて愉快。もしかして『離洛帖』(国宝・畠山記念館蔵)の本物も出るのか?と思いついて、慌てて出品リストを確認したら、後期(1/29~)は『離洛帖』に入れ替わるようだ。さらに出品リストをよーく見たら、「伝世の品」セクションの後期に『恩命帖』(三の丸尚蔵館蔵)もあるではないか。うわー佐理ファンとしては、後期にもう一度来るべきか、本気で悩むところだ。
「家熙の世界」後半は、彼の表具・表装(書画を掛軸や画帖に仕立てること)の趣味に注目する。家熙の表具は、一目で分かる「唐物(舶来品)好み」なのだ。たとえば為家の書には、青地に麒麟が躍る唐物裂が使われている。坊門局の書を囲むのは、唐子のような可愛い僧侶(尼?)たち。書の個性(和様/古様)と表具の個性(唐様/今様?)のぶつかり合いによって、新しい「美」を創造することを楽しんでいるようだ。今の美術館では、こんな大胆な実験、絶対許されないだろうなあ。
清朝の官服裂(濃紺に金糸銀糸の龍)は、特に家熙好みだったらしい。表具用に残された布地の中には「IHS」(イエズズ会)の文字入りの花唐草文もあったし、「伝世の品」として、ペルシャ産のモール裂やフランス産の更紗(18世紀~ヨーロッパでインド更紗の模倣生産が始まる)もあった。なんと豊かな国際性。展覧会のタイトル「宮廷のみやび」って、千年の間、いじいじと内向きに伝統を墨守してきたイメージを喚起しがちだけど、実態は全く違うのである。先日読んだばかりの『
東インド会社とアジアの海』が、たびたび頭をかすめた。
本展の構成では、最後の「伝世の品」セクションに、名品中の名品を集めてくれたことに感謝したい。だいたい、みんな最初は熱心にケースにへばりついているのだが、終盤は疲れて、足を早める観客が多くなる。おかげで行成筆『粘葉本和漢朗詠集』も、伝空海筆『益田池銘断簡』も、私はゆったり眺めることができた。
私事ながら、国文学専攻だった学生時代を思い出して懐かしかったのは、伝為家筆『後拾遺和歌抄上』。丹念な勘物(頭注・脚注)のお世話になりました。また、『御堂関白記』寛弘元年2月、春日祭の勅使に立った頼通を案ずる気持ち(と和歌)が裏紙にめんめんと書かれているところは、まさに演習で当たって、翻刻を参照した箇所である。20年を経て原本と対面して、感無量。