○鎌倉国宝館 特別展『大本山光明寺と浄土教美術-法然上人八百年大御忌記念-』(2009年10月23日~11月29日)
鎌倉・材木座の光明寺は、海に面した開放的な雰囲気が好きで、隣りの逗子市の住人だった頃はよく散歩に行った。春は桜、夏は蓮、秋のお十夜も懐かしい。鎌倉国宝館で、その光明寺を特集する展覧会が開かれていることは知っていたが、出ているのは、いつもの『当麻曼荼羅縁起絵巻』と『浄土五祖絵伝』かな、と想像するくらいで、あまり関心を払っていなかった。
それが、最終日直前に行ってみたら、すごい混雑でびっくりした(昨今の仏像ブームか、それとも紅葉シーズンの余波だろうか)。館内の展示物の雰囲気も、いつもとはだいぶ違う。冒頭には、山梨・善光寺の法然上人坐像、次は、福岡・善導寺の聖光上人坐像、という具合で、全国の浄土教寺院から、彫刻・絵画が集結しているのである。しかも、超有名寺院ばかりでないのが、かえって嬉しい。伊豆山浜生活協同組合所蔵の阿弥陀三尊像(伊豆山郷土館寄託)なんて、こうして出開帳してくれなければ、なかなか見る機会がないと思う。
展示室中央の「ステージ」には、横須賀・浄楽寺の阿弥陀三尊(運慶作)。私は何度か拝観しているが、通常、年2日しか公開されていない秘仏である。きりっとした丸顔。髪型は高く結い上げた宋風だが、この顔は日本人だなあ。近くにいたおばさんが「舞の海さんに似てるわねえ」とおっしゃっていたのは、言い得て妙。光明寺ご本尊の阿弥陀三尊もおいでになっていた。目の細いショーユ顔。平安人っぽい、平和的な美形である。教恩寺(鎌倉・大町か。行ったことないかなあ)の阿弥陀像は、眼尻のつり上がったところが快慶風だそうだ。快慶の作風は、繊細、優美というけれど、やっぱり微妙に武家の好みが表れていると思う。滋賀県・阿弥陀寺(ってどこ?)の阿弥陀如来立像は、快慶の弟子の行快の作。師匠の作風の特徴が少しずつ「拡大」されていく感じがする。山梨・九品寺の阿弥陀像について、納衣を吊るす環を使用する形式は運慶を想起させる、と書いてあったことをメモしておこう。言われてみれば、そんな気も…。
展示ケースいっぱいに並べた絵画資料も見ごたえがあった。文献で気になったのは『鎌倉佐介浄刹光明寺開山御伝』というもの。佐介(佐助)といまの光明寺では、ずいぶん離れていると思ったが、Wikiによれば、佐助ヶ谷(さすけがやつ、鎌倉市佐助2丁目)に開創した蓮華寺が光明寺の起源とされているそうだ。詳しくは図録を読もうと思ったが、既に完売。館内では「○○博物館の学芸員」とか「うちのゼミの学生」とかいう会話が漏れ聞こえていて、玄人さんの来場者が多かったのではないかと思う。
鎌倉・材木座の光明寺は、海に面した開放的な雰囲気が好きで、隣りの逗子市の住人だった頃はよく散歩に行った。春は桜、夏は蓮、秋のお十夜も懐かしい。鎌倉国宝館で、その光明寺を特集する展覧会が開かれていることは知っていたが、出ているのは、いつもの『当麻曼荼羅縁起絵巻』と『浄土五祖絵伝』かな、と想像するくらいで、あまり関心を払っていなかった。
それが、最終日直前に行ってみたら、すごい混雑でびっくりした(昨今の仏像ブームか、それとも紅葉シーズンの余波だろうか)。館内の展示物の雰囲気も、いつもとはだいぶ違う。冒頭には、山梨・善光寺の法然上人坐像、次は、福岡・善導寺の聖光上人坐像、という具合で、全国の浄土教寺院から、彫刻・絵画が集結しているのである。しかも、超有名寺院ばかりでないのが、かえって嬉しい。伊豆山浜生活協同組合所蔵の阿弥陀三尊像(伊豆山郷土館寄託)なんて、こうして出開帳してくれなければ、なかなか見る機会がないと思う。
展示室中央の「ステージ」には、横須賀・浄楽寺の阿弥陀三尊(運慶作)。私は何度か拝観しているが、通常、年2日しか公開されていない秘仏である。きりっとした丸顔。髪型は高く結い上げた宋風だが、この顔は日本人だなあ。近くにいたおばさんが「舞の海さんに似てるわねえ」とおっしゃっていたのは、言い得て妙。光明寺ご本尊の阿弥陀三尊もおいでになっていた。目の細いショーユ顔。平安人っぽい、平和的な美形である。教恩寺(鎌倉・大町か。行ったことないかなあ)の阿弥陀像は、眼尻のつり上がったところが快慶風だそうだ。快慶の作風は、繊細、優美というけれど、やっぱり微妙に武家の好みが表れていると思う。滋賀県・阿弥陀寺(ってどこ?)の阿弥陀如来立像は、快慶の弟子の行快の作。師匠の作風の特徴が少しずつ「拡大」されていく感じがする。山梨・九品寺の阿弥陀像について、納衣を吊るす環を使用する形式は運慶を想起させる、と書いてあったことをメモしておこう。言われてみれば、そんな気も…。
展示ケースいっぱいに並べた絵画資料も見ごたえがあった。文献で気になったのは『鎌倉佐介浄刹光明寺開山御伝』というもの。佐介(佐助)といまの光明寺では、ずいぶん離れていると思ったが、Wikiによれば、佐助ヶ谷(さすけがやつ、鎌倉市佐助2丁目)に開創した蓮華寺が光明寺の起源とされているそうだ。詳しくは図録を読もうと思ったが、既に完売。館内では「○○博物館の学芸員」とか「うちのゼミの学生」とかいう会話が漏れ聞こえていて、玄人さんの来場者が多かったのではないかと思う。