見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

いざ、竹橋/安田靫彦展(国立近代美術館)

2016-03-31 23:38:48 | 行ったもの(美術館・見仏)
国立近代美術館 企画展『安田靫彦展』(2016年3月23日~5月15日)

 週末に行った近代絵画展の三つ目は安田靫彦展。実は、土曜日のお昼前から、いちばんに見に行ったのがこの展覧会である。代表作『黄瀬川陣(きせがわのじん)』の頼朝と義経のアップを用いた「待ちかねたぞ」「いざ、竹橋」というコピーがかなり気に入っていた。会場に入ると、なんだか大集団が溜まっていたので、迂回しようと思ったが、どうやら学芸員の方のギャラリートークらしく、作品への愛があふれていて、話が面白いので、私も集団の中に入ってしまった。あとで、本展企画者の鶴見香織さんだったと知った。
 
 安田靫彦(1884-1978)は、10代で小堀鞆音の門に入り、はじめ考証と写実でガチガチの絵を描いていたが、日本美術学院の給費生となり、奈良に滞在して日本の古美術に触れ、大きな影響を受ける。確かに、若描きの『木曽義仲図』や『聚楽茶亭』(永青文庫所蔵!知らなかった)の濃密さに比べると、『甲斐黒駒』や『紅葉の賀』は、広々とした余白、鮮やかな色彩が清々しい。でも写実時代の『守屋大連』は私の好きな作品。これ、聖徳太子と蘇我入鹿で三幅対にする構想だったという話をはじめて聞いた。うわ~どんな作品だったか、想像が広がる。

 『御産の時』では裏箔を使い、『項羽』では内側を暈かすような輪郭線を用いている。「靫彦さん」(学芸員の鶴見さんの表現)らしい、スッキリした線と色を手に入れるまで、さまざまな試行錯誤が続く。注目すべきは、この時期、彼が画業の出発点だった鎧武者を全く描かなくなっていること。ギャラリートークでは、時間の関係で飛ばされたが、あとで戻ってみると、『風神雷神図』をはじめ、仏画ふうや王朝ふうの作品が目につく。『六歌仙』は、ただただ美しい。絵巻『月の兎』も好き。それから梅の木立を描いた『春暁』など、歴史的主題でない草木や人物画も描いているのだな。

 そして、代表作『黄瀬川陣』は1940(昭和15)年の作。紀元二千六百年奉祝美術展に出品(義経の左隻のみ)されたということを初めて知った。これに先立つ1938年には、朝日新聞社が主催した戦争美術展覧会で前田青邨とともに作品の選定にあたり、平治物語絵巻や神護寺の頼朝像などの武者絵を見ているという。時代は画家たちに戦争協力を求めていた。靫彦さんは、日本画家として何ができるか考えたとき、再び鎧武者を描き始める。けれど、戦意鼓舞のために描かれた作品にも、気の抜けた芸術的価値の低いものもあるし、そうでないものもある。靫彦さんの作品は、どんな状況、どんな目的のもとに描かれたものでも、品位を保っていて美しい、と学芸員さんの弁。そのとおりだと思った。

 技術的には、『黄瀬川陣』の白が、胡粉だけの純白だったり、少し他の色を混ぜて明度を下げたり、キラキラする粉を混ぜたり、使い分けられているという話を聞いた。また描かれた武具にはモデルがあるそうだ。ネットで調べたら、頼朝の隣りに置かれた鎧は、伝・畠山重忠所用「赤糸威大鎧」(武蔵御嶽神社蔵)に、義経が着ているのは、源氏の家宝「八領の鎧」の「八龍鎧(はちりゅうよろい)」に似ている。頼朝の隣りには、二振りの太刀も立てかけられているのだが、どちらかが「髭切」なんだろうか。

 1943(昭和18)年11月には『山本五十六元帥像』を描いている。これも好きな作品。モデルになるはずだった元帥が戦死してしまったため、写真を見て描いたそうだ。戦後、所在不明になってしまい、発見時には顔面をかなり傷つけられていたが、修復されたというエピソードを聞いた。作品自体は何の罪もない、品のある肖像画なのだが、戦争はいろいろ不幸を引き起こす。その戦争が終わったあとに描かれた『王昭君』は、運命を受け入れる気高い表情を見せていて、敗戦後の日本人のあるべき自画像として、高く評価されたのだそうだ。作品は、その生まれた時代と切り離しても鑑賞可能だが、背景を聞いてみるのも興味深いものだ。

 晩年の作品では、線はいよいよ冴え、色彩は朗らかになる。靫彦さんの描く歴史上の人物は、みな懐かしい。知らなかった作品では、秀吉を描いた『伏見の茶亭』が好きになった。横山大観を描いた作もよい。二点あって、どちらもさりげなく煙草を持っている。あと、靫彦さんの文字は、絵と同じくらい品があって、愛らしい。
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フランス生まれの近代洋画/黒田清輝(東京国立博物館)

2016-03-29 23:31:37 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京国立博物館 特別展『生誕150年 黒田清輝-日本近代絵画の巨匠』(2016年3月23日~5月15日)

 週末に行った近代絵画展の二つ目は、黒田清輝(1866-1924)の生誕150年を記念した大回顧展。「画業修学の時代 1884-93」「白馬会の時代 1893-1907」「文展・帝展の時代 1907-24」の3期に分けて、黒田の画業と近代洋画の歩みを紹介する。

 私は、2007年に東京藝大美術館の『パリへ-洋画家たち百年の夢』展で、黒田清輝のことを少し知って、好きになった。というか、この展覧会は黒田個人の回顧展だったように記憶していた(確認したら「黒田清輝、藤島武二、藤田嗣治から現代まで」という副題がついていたけど、あとの二人のことはよく覚えていない)。

 黒田の絵は、どの時代の作品も好きだ。フランス留学時代の『婦人像(厨房)』は藝大美術館で、ちょい色っぽい『マンドリンを持てる女』は東博で、見かけると嬉しい作品。あまり知らなかったけど『赤髪の少女』『祈祷』『針仕事』『摘草』などもいいなあ。どれも古典でしっかり存在感のある女性像。印象派ふうの明るい色彩の風景画もいいと思った。

 帰国後の黒田は、京都に滞在して日本的な風俗に魅せられ『舞妓』を描く。ん?この逸話はどこかで聞いたことがある。それから、失われた名画『昔語り』は、パーツ(登場人物)ごとの多数の下絵から、黒田の制作過程が窺える。晩年の『其の日の果て』も同様に完成品は焼失したが、いくつかの下絵が残っている。たぶんこれらは、東博の常設展のミニ特集で取り上げられたことがあるように思う。そういう小さな研究と発見を積み重ねて、特別展の企画になるのかなと、展覧会の舞台裏を覗いた気がして面白かった。

 知らなかったのは、黒田が1914年開業の現・東京駅の帝室用玄関中央本屋に壁画の連作を制作していたこと。ただし構想と下絵は黒田だが、実際の制作は教え子の和田英作、田中良、五味清吉がおこなったそうだ。画題が「運輸及造船」「水難救助・漁業」「鉱業及林業」「操車・工業」等々だというのが面白い。まるで共産主義国の壁画みたいだ。小さな写真帖だけが残っているそうだが、今回の展覧会では、空間が再現されていて、興味深かった。

 また、黒田にはたくさんのアーカイブ資料(手紙、日記、写真など)が残っていて、これらも見どころ。写真や自画像を見ると、若い頃から人の好さそうな丸顔が変わらなくて、かわいい。貴顕の肖像画もたくさん描いているが、晩年の、誰のために描いたのだか分からない、風景や草花のスケッチが私は好きだ。

 師コランや、黒田をとりまく洋画家たちの作品も出ている。浅井忠や久米桂一郎など。山本芳翠の『花化粧』は東博所蔵だというが、記憶にない作品で面白かった。

※お土産はチョコレート(湖畔/自画像/読書)。自画像は要らないかもw


むかし、神奈川歴博で五姓田派の画家を取り上げた『五姓田のすべて』展でもチョコレートを売っていたことを思い出した。
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西洋絵画の礎/原田直次郎展(埼玉県立近代美術館)

2016-03-28 23:24:52 | 行ったもの(美術館・見仏)
埼玉県立近代美術館 企画展『原田直次郎展-西洋画は益々奨励すべし』(2016年2月11日~3月27日)

 週末は近代絵画の展覧会を三つ見て来た。まず、日曜日に駆け込みで行ったこの展覧会から。幕末生まれで日本近代洋画の礎を築いた原田直次郎(1863-1899)の回顧展である。原田の名前は、一般にどのくらい知られているのだろう。私は、2006年、国立近代美術館の『揺らぐ近代-日本画と洋画のはざまに』で、たぶん初めて『騎龍観音』を見て、原田の名前を覚えた。それから、2009年に津和野の鴎外記念館に行ったら、たまたま『鴎外と画家・原田直次郎』という特別展をやっていて、明治の文豪・森鴎外-ドイツ留学時代の友人・原田直次郎-騎龍観音という作品が、ひとつにつながったのである。

 原田は、幕末の遣仏使節団や岩倉遣欧使節団に随行した父を持ち、幼い頃からフランス語を学び、ミュンヘン美術アカデミーに留学し、イタリアやパリを経由して帰国した。なお、東京大学総合図書館の鴎外文庫(鴎外旧蔵図書)に鉛筆で「Naojiro Harada」のサインのあるマックス・シャスラー著『美術批評史』が入っているという。おお、初耳!(図録に写真図版あり)

 1887(明治20)年に原田が帰国した頃、日本は急速な欧化の反動から国粋主義の風潮が強まり、美術界は西洋絵画の排斥に傾いていた。1889(明治22)年、岡倉天心の主導の下に開校した日本美術学校には西洋画科は設置されなかった。ううむ、確かに日本美術の保護は大事だけど、極端だなあ。そこで原田は私塾・鍾美館を本郷に開くなどして、西洋絵画の普及、後進の育成に励むが、病に侵され、36歳で早世する。

 本展には、原田のほか、同時代の画家たちの作品も多数集められていて、「日本近代初期の洋画」というジャンルが、なぜか好きでたまらない私には、とても楽しいものだった。高橋由一『江の島図』(東博)や安藤仲太郎『日本の寺の内部』(神奈川近美)など近県の美術館が所蔵する作品は、見たことがあると分かったが、松岡寿の『ピエトロ・ミカの服装の男』や『凱旋門』(岡山県美)は初見かもしれない。こういう機会があってよかった。原田と同じ頃にミュンヘン美術アカデミーに学んだ画家の作品を見るのも面白かった。

 原田の『靴屋の親父』は、藝大美術館でよく見る。そのほかにも彼は、魅力的な人物画・肖像画をたくさん残している。信越放送株式会社(!)所蔵の『神父』は暗闇に浮かび上がる横顔、白い髯の表現が見事。藝大所蔵の禿頭の西洋人を描いた『老人』には、同じモデルを描いた習作が他にもあることを知った。島津久光、三条実美、毛利敬親の肖像も描いているが、なんとなく寸詰まりである。これが現実の日本人のプロポーションなのだが、西洋人を描くことを学んで来た原田には難しかったのではないかと考える。

 風景画の小品や水彩画も好ましく、鴎外「文づかひ」挿絵のペン画も味わいがあってよい。しかし代表作『騎龍観音』が写真パネルだけだったのは残念。そのかわり、同じくらいインパクトのある『素戔嗚尊八岐大蛇退治画稿』が出ていたのはよかった。キャンパスを破って顔を出す犬が、だまし絵ふうに描かれている。私はこれ、京都国立博物館の『大出雲展』で見たのだった。若い晩年の作『花』は、陶器の花瓶に生けられた牡丹の花が、暗闇を背景につややかになまめかしく光っている図。怖いような美しい作品だった。

 埼玉での会期最終日に慌てて見に行ったが、このあと、神奈川(葉山)、岡山、島根にも巡回する。なお、図録は論考が豊富で、読みごたえがあって面白い。鍵岡正謹氏の「《騎龍観音》巡り」には、留学時代の原田に、彼の子を産んだドイツ女性の愛妾があったこと(鴎外「独逸日記」に記載あり)が語られている。「舞姫」は鴎外ひとりの物語ではないということか。
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ちょっと小説風/イタリア「色悪党」列伝(F. グラッセッリ)

2016-03-25 23:20:02 | 読んだもの(書籍)
○ファブリツィオ・グラッセッリ『イタリア「色悪党」列伝:カエサルからムッソリーニまで』(文春新書) 文藝春秋 2015.7

 出先で読むものが切れてしまったので、街の書店で目についた本書を購入した。黒字に白抜きの大きな文字で「セックスと権力」という帯がついていて、いかがわしげだったが、画家のカラバッジョの逸話が読みたかったので、買うことにした。著者は日本在住のイタリア人。日本語翻訳は水沢透氏による。

 本書が取り上げるのは、古代から現代までの7人。ユリウス・カエサル、ロドリゴ・ボルジア(法王アレッサンドロ六世)、レオナルド・ダ・ヴィンチ、カラヴァッジョ、ジャコモ・カサノヴァ、ジャコモ・プッチーニ、ベニート・ムッソリーニである。私は、新書だから当然、エッセイスタイルなのだろうと思っていたが、各章は主人公に近い人物を語り手に、小説風に進行する。たとえば、カエサルの章では、専属護衛兵のアメリウスが語り手。ダ・ヴィンチの章では、年若い弟子でモデルもつとめるフランコ・ダ・ソンチーノ。ただし著者の「まえがき」によれば、各章の語り手は、架空の人物を設定するか、名前を変えているものが多い、とのこと。

 どの章も、小説的でスリリングなエピソードが選ばれていて(著者によれば「ほぼすべてが史実に基づいたもの」だそうだ)暇つぶしになる程度に葉面白かった。ただ、どの人物も、まあ常識の範囲内での「偉人」「英雄」あるいは「桁外れ」で、人間観が変わってしまうような悪魔的・超人的な印象はなかった。表紙の帯には「悪くて、凄くて、モテまくった」、裏を返すと「権力か、性欲か、それが問題だった7人の男たち」とあるのだが、このキャッチコピーは、どう考えても看板倒れ。せいぜい、カエサルの章くらいにしか当てはまらないと思う。

 いちばん印象的だったのは、レオナルド・ダ・ヴィンチの章。もっと均整のとれた精神の持ち主かと思っていたので、ちょっと意外な一面を知った。しかし「色悪党」というほどではない。気になってWikiを確認したら「交友関係以外のレオナルドの私生活は謎に包まれている。とくにレオナルドの性的嗜好は、さまざまな当てこすり、研究、憶測の的になっている」とあった。本書に書かれていることが「史実」かどうかは、留保したほうがよいだろう。でも、江戸博のダ・ヴィンチ展をちょっと見に行きたくなった。
 
 あと「色悪党(いろあくとう)」という言葉は一般に通用しているのだろうか。検索してみると、本書の書名くらいしか出てこないので、疑問が残る。歌舞伎に「色悪(いろあく)」という用語があるようだけど。
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保守主義の名著/現代の超克(中島岳志、若松英輔)

2016-03-24 21:41:50 | 読んだもの(書籍)
○中島岳志、若松英輔『現代の超克:本当の「読む」を取り戻す』 ミシマ社 2014.8

 表題は「近代の超克」ならぬ「現代の超克」。かつて「近代の超克」という有名な座談会があった。1942(昭和17)年7月に収録され、雑誌『文学界』9月、10月号に連載されたもの。本書のプロローグには「知的エリートたちが、戦争賛美、大東亜戦争の意味づけをおこなった悪しき座談会という文脈で批判的に語られてきた」という表現がある。私も、大体そのようにイメージしてきた。しかしまた、本書はいう、「『近代の超克』について語られたものを読んでいくと、誰ひとりとしてちゃんと読んでいない」と。そうかもしれない。Wikipediaには、出席者13人の名前が並んでいるが、私がこの座談会と結びつけて覚えていたのは、亀井勝一郎と小林秀雄と河上徹太郎くらいだった。本書は、現代日本のさまざまな課題を考えるために、「近代の超克」など、近代日本のいくつかの著作を丁寧に読み直し、「日本人が近代に置き去りにしてきてしまったもの」を考える試みである。

 はじめに取り上げられているのは、柳宗悦の晩年の著作『南無阿弥陀仏』と『美の法門』。私は、日本民藝館で柳の蒐集品は何度も見ているし、先月、まさに『美の法門』と題された展覧会を見て来たばかりである。けれども、柳の思想あるいは信仰を全く分かっていなかったなあと感じ、反省させられた。「柳は、美とは、超越がこの世界に自らの姿をまざまざと顕現させる力強い姿であることに気がつきます。柳は、美にふれることもまた、一個の恩寵の経験だというのです」という、この解説が好き。美しくしようとする計らいを超えた民藝品は「凡夫の成仏の実証である」という言葉も美しい。

 むかし、誰かの著書で、柳宗悦は、ソウルの光化門の破壊には強く反対したのに、韓国の植民地化には冷淡だったという批判を読んだ記憶がある。しかし、柳にとって光化門という具体物が持っていた意味を踏まえなければ、この批判は当たらないということが、ようやく得心できた。余談だが、「南無阿弥陀仏(なんまんだぶ)」という名号が、言葉を越えた「コトバ」であることについて、中島さんの体験談で、真宗の門徒のおばあさんが「NPO」と書いた紙を台所に貼っていて「なんか計らいを超えて人のためにつくしなさいと新聞に書いてあった」と語るエピソードもものすごく好き。

 次にガンディーの『獄中からの手紙』を読み、小林秀雄と福田恆存を読む。柳宗悦がこだわった「多一論」がくりかえし、想起される。神(真理)は一つだが、複数どころか無尽の顕(あらわ)れをする。別の言い方をすれば、真理は実在するが、人間はそれを十分に表現することができない。人類の歴史とは、終わることのない真理顕現の歴程であるというのがガンディーの思想である。これこそ真正の保守主義というべきだろう。ここから(要約すると唐突だけど)日本の憲法問題に言及し、私たちの憲法は、平和という「根本原理」に根差していなければならないこと、不可視なものの顕れとして見えるものを尊ばなければならないことが語られている。

 小林と福田の著作に即しては「死者」を考える。死者は芸術や文学だけの問題ではなく、政治や社会科学も死者に向き合わなくてはならない。中島さんは「憲法は死者の声である」として「死者のデモクラシー」「死者の立憲主義」を提唱する。現代人の多くは、これを奇矯な発想と思うのだろうか。私は強く共感するのだけれど。

 最後に座談会「近代の超克」を読むのだが、これは登場人物が多くて、それぞれの思想的背景について。私に十分な知識がないので難しかった。覚えておきたいのは、この座談会に科学者も参加していること。物理学者の菊池正士は、はじめのうち宗教と科学は別と語っていたのに、次第に大乗仏教の精神に共感を示し、西欧的な「我」を中心とした考え方では飛躍はできないなどと言い始めているところ。菊池は戦後の原子力発電推進の中核を担った人物でもあるという。

 ここから中島さんは、科学技術と宗教の関係に注意を促し、iPS細胞研究で生命倫理の問題が捨象されていることに警鐘を鳴らす発言をしたところ「日本が世界のトップに躍り出ようという技術に文句を言うな」という反応があったそうである。やれやれ。でもこの座談会「近代の超克」が、科学と宗教もしくは倫理の問題を含んでいるということには、初めて気づかされた。近代の多くの思想的遺産、やっぱり原典に当たるということは、とても大切である。
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美人の変遷/勝川春章と肉筆美人画(出光美術館)

2016-03-23 22:42:10 | 行ったもの(美術館・見仏)
出光美術館 生誕290年記念『勝川春章と肉筆美人画-〈みやび〉の女性像』(2016年2月20日~3月27日)

 いろいろなジャンルの絵画を好きになってきたけれど、浮世絵、特に美人画に対しては、今ひとつ熱心になれない。この展覧会もスルーしてもいいと思っていたのだが、版画よりは肉筆のほうが見どころがあるのではないかと思い、行ってみた。

 勝川春章(かつかわしゅんしょう、1726?-1793)は江戸時代中期を代表する浮世絵師だそうだ。本展では、春章の登場に先立って、桃山時代から江戸時代にかけて流行した近世初期風俗画、菱川師宣(?-1694)や宮川長春(1682-1752)の画業が示される。ああ、私はこの時代の肉筆美人画は好きなのだ。寛文年間(1661-72)の前後、無地の背景に女性の立ち姿を描いた、いわゆる「寛文美人図」。黒い着物に白い打掛を羽織った『立姿美人図』や白い着物に黒い打掛の『花持美人図』はその類型に入るのかな(どちらも17世紀中期)。髪は結っているが、襟足に大きく膨らんだ髪が垂れている。

 菱川師宣の『秋草美人図』(17世紀後期)や宮川長春『立姿美人図』(18世紀前期)になると、着物の柄の好みが変わってくる。でも女性のふっくらと健康的な頬、あまり釣りあがらない穏やかな目元は、まだ寛文美人図の伝統を引き継いでいて、私の好みだ。

 上方の絵師、月岡雪鼎や西川祐信を経て、春章の登場。18世紀後半になると、女性は左右に大きく張り出した髷を結うようになるのかな。しかも簪や幅広の櫛を髷の上に載せて、さらに左右への張り出しを強調する。この髪形、実は一種の中国趣味なんじゃないかと思った。目元が釣り上がり、面長が主流になるのもこの頃からか。私はどうもこの浮世絵美人顔は苦手である。だが、肉筆浮世絵の着物の色柄は非常に繊細・優美で、見ていて飽きなかった。

 『芸妓と嫖客図』など、遊里の男女を描いた色っぽい図もあったが「それ以上」の作品はなし。気になって「勝川春章」「春画」を検索したら、たくさん画像がヒットした。版画も肉筆もあるようだった。

 そして、春章が世を去ったあとに登場するのが喜多川歌麿や鳥文斎栄之。栄之の描く女性は、春章と同系統で、さらに面長で長身。歌麿の『更衣美人図』は、足元に着物を脱ぎ捨てたまま、次の黒っぽい着物に着替え中の女性を描いたもので、これについて「圧倒的な存在感をもって迫りくる歌麿の美人は、ある意味では夢想的な勝章の美人画とは対極にあり」「揺り戻しといえるかもしれない」という批評が興味深かった。なお、肉筆浮世絵の表具は、水墨画や禅画とはまた違う趣きがあって面白かったが、図録に収録されていないのは残念である。
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絵師の見たもの、見えないもの/ファンタスティック(府中市美術館)

2016-03-22 00:59:44 | 行ったもの(美術館・見仏)
府中市美術館 企画展・春の江戸絵画まつり『ファンタスティック:江戸絵画の夢と空想』(2016年3月12日~年5月8日)

 恒例、春の江戸絵画まつり。今年は「思わず『ファンタスティック』と呼びたくなるような作品」をテーマに約160点を展示。前期・後期で全作品が入れ替わるので、できれば二回行きたいと思い、まだ桜の開花には少し早い府中に行ってきた。

 会場の構成は、まず「身のまわりにある別世界」が示され、次に「見ることができないもの」が続く。前者は細かく「月」「太陽」「黄昏と夜」等々のテーマで作品を集めている。別にフツーの月の図でも、こうやって集められると、なんとなくファンタスティックに見える。山口素絢の大作『四条河原夕涼図屏風』は1800年前後の風景かなあ。細部を見ていると飽きない。人魚の見世物は怖いけど笑える。「動物の世界」では司馬江漢・鏑木梅渓の『草花群鳥虫図』二幅のうち、鏑木梅渓という初めて聞く画家の作品が印象に残った。

 「天空」では森一鳳の『星図』が面白かった。題名のとおり、薄墨の空に白丸(少し黄色い)で星が描かれている。右側が南斗六星であることは分かったが、左側の四つ星が分からなかった。図録の解説を読んだら、斗宿(いて座)と氐宿(ていしゅく、てんびん座の一部)だそうだ。ん?こんな位置関係にあったっけ? 解説には「なぜ斗宿と氐宿なのかは、残念ながらわからない」とある。この「江戸絵画まつり」は、いろいろ気になる作品を発掘してきてくれるので楽しい。図録を見ると「天空」関係は後期のほうが充実していそうだ。また来なければ。でも原鵬雲筆『気球図』が見られたのは収穫。画家は文久の遣欧使節に加わって、実際に気球を見てきたひとだという。面白い。

 「見ることができないもの」は、まず「海の向こう(外国)」。ガラス絵(ガラスに描かれた絵)『紅毛女人海辺舞踊図』は、今見ても愛らしい調度品。浜松市美術館所蔵で、同館はガラス絵(18~19世紀の伝統的な作品および現代作品)を重点的にコレクションしているらしい。それから「伝説と歴史」。浮田一の『那須与一図』はいいなあ。「神仏、神聖な動物」はかなりヘンな作品もあって、小泉斐(あやる)の『七福神』三幅は、全然おめでたさが感じられなくて異様。小泉斐という画家は、たぶんこの「江戸絵画まつり」に通っているうちに覚えた名前だと思う。「地獄」「妖怪、妖術」は、歌川国芳が目立つと思ったが、後期は国貞も多数登場するらしい。吉川一渓の『白狐図』は怖いんだか、かわいいんだか、気に入った。

 展覧会の後半は「ファンタスティックな造形-いくつかのポイント」「江戸絵画の『ファンタスティック』に遊ぶ」と題して、独自の視点から分析をおこなう。たとえば「見上げる視線」が「ファンタスティック」な感覚を誘発する、というのは面白かった。狩野永岳というのも知らない画家だったけど『唐人物図屏風』の、木にもたれて遠くを見上げるおじさん、好きだわ。あと特筆しておくべきは、巨野泉祐筆『月中之龍図』。紺地に金泥で、雲と満月が描かれていて、満月(らしき)球体の内部に、龍の姿が透けて見える。ある人が語った夢を絵にしたもので、泉祐に描かせたのは松平定信。画中の定信が金泥で賛を入れている。

 今年も魅力的な作品をたくさん発見することができて、まだまだ江戸絵画には「お宝」が眠っていることを感じた。近年の江戸絵画ブームに、この「江戸絵画まつり」シリーズが果たしている役割は、とても大きいのではないかと思う。そして、図録を眺めていると、やっぱり後期も行きたくなった。
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2016年3月@関西:山水(大和文華館)、長谷寺の名宝と十一面観音の信仰(あべのハルカス)他

2016-03-19 15:27:59 | 行ったもの(美術館・見仏)
先週の関西旅行で見て来たもの、いろいろ。

京都国立博物館 常設展(名品ギャラリー)

 絵巻の部屋では「福富草紙とおとぎ草紙絵巻」(2016年2月23日~3月21日)を展示中。重文『福富草紙』2巻ががっつり開いていて、画中詞に丁寧な現代語訳が添えられていたので、とても面白かった。神に祈願して、妙音の放屁の才を授かった高向の秀武が意外と悪人で、隣家の福富に伝授を請われると「朝顔の種を飲め」と嘘を教え、その結果、貴人の前で大失敗をした福富は「朝顔の種が下剤でさることも知らないのか」と妻に罵られる。倫理よりも知恵と才覚が大事というのが面白い。「妙音の放屁」というのは「あやつつ、にしきつつ、こがねさくさく」と聞こえるのだそうだ。画中詞の筆者は後崇光院(ごすこういん 伏見宮貞成親王、1372-1456)と特定されると解説にあり、宮様がこんな卑俗な画中詞を書いていたというのも微笑ましい。絵巻の所蔵者が妙心院塔頭の春浦院であることを初めて認識した。

 中世絵画は「山水」特集で、雪舟筆『天橋立図』がさりげなく出ていた。近世絵画が「花と鳥のパラダイス」特集なのは、MIHOミュージアムで若冲の『鳥獣花木図屏風』』を見て流れてくる私のようなお客を意識しているのかな。何といっても見ものは狩野山雪筆『雪汀水禽図屏風』!! 超現実的で、大好きな作品。左隻なんて、海(湖?)の上空に屋根と垣根が浮かんでいるように見える。長澤蘆雪筆『百鳥図屏風』も好き。蘆雪の描く鳥って、どうにも目つきが意地悪い。

 1階では「雛まつりと人形」特集。これに合わせたのか、染織の部屋で宮廷の装束を展示していたのが珍しかった。しかし直衣と束帯とか、いまいち区別が分からない。書跡は「日記・記録」の特集。歴史好きには興味深い箇所を選んで展示していたが、やっぱり地味だった。彫刻は、金剛寺の大日如来と不動明王の並びに、京都・安祥寺の大日如来坐像が来ていた。宝冠などの装飾はなく、簡素なつくり。くっきりした唇のかたちが印象的だった。

大和文華館 『山水-理想郷への旅-』(2016年2月26日~4月10日)

 会場に入ると、見渡す限り、清新な水墨山水図に囲まれていることが分かって、わくわくする。小さな坪庭の竹林も、このテーマの展覧会がいちばん似合う気がする。本展は、日本、中国・朝鮮、版画の三章に分けて山水図の魅力を紹介する展覧会。いつものように、冒頭の三つのケースには、それぞれ単独で名品が展示されている。浦上玉堂筆『澗泉松声図』は、小さな作品だが、山水の全てが描き込まれているようで、いつまで見ていても飽きない。作者不詳の『京畿遊歴画冊』は何度か見たことがある。今回は「龍門瀧」(奈良県・吉野の?)の場面が開いてあった。『大雅筆山水図屏風縮図』は、池大雅筆『山水図屏風』(原本は現在、個人蔵)を折本仕立ての木版複製にして、知人に配ったものだという。淡い色彩が美しくて、清朝の淡彩墨画を思わせる。言われなければ版画と気づかないが、日本の木版技術はほんとにハイレベルだったんだな。

 ここでメモ。狩野派の山水画は「真:馬遠、夏珪様」「行:牧谿様」「草:玉澗様」に分類されるというので、その区分を意識しながら眺める。室町の作品では、南都の僧侶の余技らしい『瀟湘八景図画帖』(鑑貞筆)が好き。江戸ものでは応挙の『四季山水図屏風(秋冬)』が、新しい風景のとらえ方を感じさせて好き。朝鮮(朝鮮前期)の『雲山図』6図(40cm×60cmくらいの小品)は、どこか童心が感じられる風景だった。

 中国絵画では、方士庶筆『山水図冊』全12図のうち10図を公開(あと2図くらい開けるスペースがあったのに…)。どれも幻想的で、不安な心理を掻き立てる魅力がある。これは「山水」なんだろうか?という疑問が脳裡をかすめるが、「数図は黄山の名勝と類似性をもつ」という指摘が添えられていた。楊晋筆『山水図冊』は12図全て公開。これは淡彩が可愛くて、心和む作品。最後に『台湾征討図巻』も久しぶりに出ていた。

あべのハルカス美術館 『長谷寺の名宝と十一面観音の信仰』(2016年2月6日~3月27日)

 大和の長谷寺は何度も参拝してるから、この展覧会はパスしてもいいか、と思っていたのだが、見て来た友人の評判がよいので、行ってみることにした。長谷寺の回廊を模したアプローチから始まる。天井には、ぽってり腰の膨らんだ大提灯(東大寺二月堂にも同じタイプのものが下がっている)の骨組みだけが下がっていた。正面には、本尊と背中合わせに祀られている裏観音像(江戸時代)。平安時代や鎌倉時代の古仏もたくさん来ていて、左手に水瓶・右手に錫杖という長谷寺式十一面観音菩薩立像が、古くから定型化していたことがよく分かった。特別ゲストで岡寺の金銅仏(如意輪観音半跏像)も。

 あの巨大なご本尊は、さすがにおいでになっていなかったが、ご本尊のパネル写真を中央にして、ふだんその左右に従っている雨宝童子立像(室町時代)と難陀龍王立像(鎌倉時代)は出開帳になっていた。眉根をよせ、顔をしかめた難陀龍王の右肩から頭部にかけては、龍が駆け上がっており、胸の前に捧げ持った盆の上にも多頭の龍のようなものが表されている。仏画・祖師像・白描の儀軌図なども、各時代の面白い作品が多数出ていた。絵巻『長谷寺縁起』も好きなのでうれしかった。大工仕事の場面では、観音だけでなく地蔵菩薩も腕をたくさん出して、仕事を手伝っていた。
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2016年3月@関西:かざり(MIHOミュージアム)

2016-03-18 23:53:02 | 行ったもの(美術館・見仏)
MIHOミュージアム 2016年春季特別展『かざり-信仰と祭りのエネルギー』(2016年3月1日~5月15日)

 今週は4日連続の送別飲み会が入っていて、ブログ更新の時間が取れなかったので、先週末のレポート。どうやら2013年の『根来』展以来らしい、久しぶりのMIHOミュージアムに行ってきた。本展は、日本人が神仏に捧げた信仰のエネルギーと、人々を巻き込み魅了する祭りのエネルギーが結晶した「かざり」をテーマとする。会場の入り口には、水口曳山まつりの天蓋のような花飾りが据えられていた。

 会場のはじめには、仏教の装飾具いろいろ。法隆寺金堂天蓋附属品の鳳凰や飛天、金銅仏など、小さなものが多い。みずらを解いて垂らしたような優美な聖徳太子像(聖徳太子孝養図)は、京都・藤井斉成会有鄰館の所蔵だった。瓦・磚仏など、滋賀県出土の展示品が多いことになんとなく気づく。次室に続く通路には、伎楽や舞楽の面や装束など。古代や中世の伝世品と、現代の作が混在しているのが面白かった。特に面白かったのは、東大寺の大仏開眼1250年慶讃大法要(2002年)に用いられた袈裟。魚鱗文のような八色の遠山模様がリズミカルで美しい。会場には、この袈裟をつけた東大寺管長の姿が小さく写っている法要の写真も飾られていた。

 次いで密教儀礼や阿弥陀信仰のかざり。台座のまわりに宝物がこぼれ落ちている『愛染明王像』(鎌倉時代、13世紀)は、見たことがあったかなあ。図録によると、同館にはもう1幅、別の『愛染明王像』(これは壺から咲きほこる大きな蓮華座がきれい。鎌倉時代、13-14世紀)もあって、どちらも甲乙つけがたく華やか。『阿弥陀二十五菩薩来迎図』は、楽を奏し、舞を舞う小さな菩薩たちが愛らしく、真ん中の阿弥陀様も福々しく優しいお顔。滋賀・浄厳院所蔵(近江八幡?)。石山寺所蔵の密教仏具や、百済寺所蔵の面磬(鳴り物)などが並んでいて、そうか、この展覧会は「滋賀県」を強く意識しているんだな、と理解した。一方で、神奈川・宝樹院の阿弥陀如来の光背など、めずらしい県外からの出品も混じっていた。初めて見たのは、木造迦陵頻伽像(室町時代、15世紀)。裾のふくらんだドレスを着た女人のようで、短い裾から見えているのは鳥の足なのである。可愛いような、怖いような。

 さて、ひときわ広い展示室で待っていたのは、伊藤若冲の『鳥獣花木図屏風』一双(プライス・コレクション)と『樹花鳥獣図屏風』(静岡県立美術館)。うわー若冲生誕300年記念の始まりに、この二作品を同時に見られるなんてラッキー。展示替リストを見たら、3/1-13の期間だけの幸運だった。どうしても「獣」(白象がいる)を描いたほうに注目が集まりやすいが、私は「鳥」集めの図も面白いと思う。同じ室内に、動物つながり(?)で宇賀神や荼枳尼天の図像があったのには苦笑した。

 古神宝等を経て、後半は「祭りのにぎわい」をテーマとする。陽明文庫所蔵の『年中行事絵巻模本』は朝覲行幸の場面。門外で、馬を抑える随身たちが生き生きと描かれている。祭礼図では、何といっても『日吉山王祭礼図屏風』が大好き! 湖面に浮かぶ船の上の神輿、また見たいなあ。

 帰りのバスの時間に余裕があったので、冒頭に戻って、あらためて「ごあいさつ」のパネルを読んだら、辻惟雄先生が同館の館長職を三月で退任されることが書かれていた。それもあって、プライス・コレクションから若冲作品の出陳だったのかな。辻先生の今後、そしてMIHOミュージアムの今後が気になる。

 図録は軽めの造本であるのと、細部拡大図が多いので気に入っている。四天王寺の『銀製鍍金透彫光背』は、展示期間でなかったけれど、たぶん実物を見ても、ボタンほどの円形に描かれた小さな化仏には気づかなかっただろう。
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2016年3月@関西:奈良・東大寺修二会

2016-03-14 22:08:09 | 行ったもの(美術館・見仏)
東大寺修二会(2016年3月12日)

 今年は修二会の前半に参拝しようと思っていたのだが、都合がつかなくて、結局後半になってしまった。しかも今年は土曜日がお水取りの12日と重なっているので、混雑を覚悟して出かけた。お松明は19時半と聞いていたので、30分前には境内に到着したが、二月堂周辺はすでに交通規制で近づけず、裏参道の講堂跡のあたりに集められた。二月堂はかなり遠いけれど、全景が見えるビューポイントではある。

 やがて時間になると、練行衆が上堂を知らせる声と鐘の音が響き、暗闇の中を大きな明るい炎が上がっていく。向かって左の回廊から舞台に上がった松明は、左端で少し静止し、やがて右端に移動する。すると次の松明が進み出て、お堂の左右に松明の火が揃う。右の松明がお堂の裏に消えて行くと、次の松明が左から現れて、また同じように並ぶ。この繰り返し。距離が遠くて、松のはぜる音や松脂の匂いが全くしないこともあって、まるで夢の中の光景のようだった。

 こんな静かなお松明は初めてだ。12日のお松明が特別静かなのだろうか。いや、私は修二会のお松明と言ったら、華やかで勇壮な14日ばかりを見てきたが、ほかの日はこういうものなのかもしれない。音もなくゆれる細長い炎のかたちは、秀吉の『富士御神火文黒黄羅紗陣羽織』の神火に似ていた。もっと俗っぽくいうと「人魂」そのものだった。修二会は、死者と対話する儀式なんだ、と強く感じた。

 お松明が終わって、交通規制が解除されてから、お堂に上がってみた。局に入って、少しでも声明を聴きたいと思ったのだが、どの部屋も「○○講」などの貼り紙がしてあって、関係者であることを示すリボンをつけていないと中に入れてもらえなかった。お水取りの日だけはこうなのかなあ。次回は必ず別の日に来よう。

 寒かったけど、湯屋の前で火が焚かれていて、暖を取ることができた。二月堂のご朱印を書いてもらったら(癖の強い字で「観音力」)日付の横に「お水取り」と書き添えてくださったので「ありがとうございます」とお礼を言ったら「年に一日だけですからね」と言ってくださった。

↓舞台に上がった松明。雰囲気だけ。


↓湯屋の前の焚火。


※私の修二会参拝記録:ブログから拾うとこんな感じ。もっと昔にも何度か行っている。
2015年3月14日 お松明のみ
2014年3月14日 聴聞(韃靼)
2011年3月4日 お松明・聴聞
2009年3月7日 聴聞(小観音出御)
2005年3月5日 お松明(実忠和尚の忌日)
2004年3月14日 聴聞(韃靼)
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