〇平塚市美術館 市制90周年記念『リアル(写実)のゆくえ:現代の作家たち 生きること、写すこと』(2022年4月9日~6月5日)
平塚市美術館には初訪問。というか、東京生まれで神奈川県民だったこともある私だが、平塚駅で下りたのは初めてだと思う。繁華な駅前から15分ほど歩いて、美術館に到着した。本展は、松本喜三郎らの生人形、高橋由一の油彩画を導入部として、現代の絵画と彫刻における写実表現を検証し、西洋の文脈のみではとらえきれない日本の「写実」が如何なるものなのか、またどのように生まれたのかを探る展覧会である。
生人形(いきにんぎょう)というものの存在を知ったのは、たぶん2000年前後、木下直之先生の本ではないかと思う。ブログ内で検索したら、2006年に東博で、二代・三代安本亀八が作った「明治時代少女」「徳川時代大名隠居」など(首だけ?)を見ていた。最近では、2021年の近美『あやしい絵』展で安本亀八の『白瀧姫』を見た。松本喜三郎、安本亀八の故郷である熊本の市現代美術館が「生人形コレクション」を有していることは、かなり前から認識しているが、展覧会があっても、なかなか東京からだと気軽に見に行くことができない。本展には、その熊本市現代美術館所蔵で、展覧会や図書でたびたび取り上げられている名作、安本亀八の『相撲生人形』が出るというので、絶対見逃すまいと決めていた。
展示会場に入る前のロビーには、本郷真也『盈虚-鐵自在イグアナー』(2019-20年)が置かれていた。全身を覆う鱗、背びれのような棘など、どこまでもリアルを追求している。いわゆる自在置物で、電気仕掛けで、ときどき尻尾を左右に振る。
第1室は、高橋由一(1828-1894)の油彩画から始まる。『豆腐』は油揚げ、焼豆腐、木綿豆腐を並べて描いたもの。まな板の濡れているところといないところの描き分けが巧い。『鱈梅花』は素焼き(?)の器に干し鱈(たぶん)と花の咲いた梅の枝を載せ、フキノトウ(たぶん)を添える。なんだかよく分からない取り合わせが、北欧の静物画っぽい。『なまり』は竹皮に乗ったなまり(鰹節)の図。このほかは、現代作家による2000年代の作品が並ぶが、本田健の油彩画『鮭とマーガレット』は、高橋『鮭』のオマージュになっていた。やっぱり「鮭」は、日本の写実絵画の記念碑なのである。他の部屋も、現代作家の絵画や工芸作品を中心にしながら、高村光雲や平櫛田中など、古い作品がこっそり紛れている構成になっていた。
安本亀八(初代、1826-1900)の『相撲生人形』はすごかった。相撲の起源として知られる、野見宿禰(のみのすくね)と当麻蹴速(たいまのけはや)の取組ということになっているが、神話時代の風体ではなく、普通に幕末か明治の普請場や荷揚場にいそうな男二人組で、褌と短い上衣(布製)を身につけている。宿禰は7パーツ、蹴速は6パーツで構成されているそうで(wiki)、組み立てながら衣装を着せるらしい。やや色白の優男ふう(宿禰?)が、色黒で眉も髭も濃いほう(蹴速?)の首を掴み、まさに投げ飛ばそうとしている。両者の全身の筋肉の緊張具合と、下になった宿禰の、動きと無関係な腹の弛み具合、肩に乗せられて必死に堪える蹴速の足指の開き具合、脛にこびりついて乾いた泥、髷のゆがみ方など、見どころばかりで飽きない。
松本喜三郎(1825-1891)は、漢方医の小さな全身肖像彫刻である『黄玄朴像』、『カニ』『兎兜前立』という小品が来ていた。また小谷元彦は、松本喜三郎の構想した義足を図面をもとに再現しており、おもしろかった。小谷の作品は、基本的にアートの範疇だと思うが、佐藤洋二のシリコンを使った義手・義足になると、アートなのか実用なのか、よく分からなくなる。たぶんこの佐藤技研(ホームページ)の代表取締役をつとめる、義肢装具士の佐藤洋二氏と同一人物だと思うのだ。
工芸では、明治の作家だという室江吉兵衛の『鼠置物』が印象に残った。富山の人で「鼠の吉兵衛」の異名で知られたらしい。富山、行ってみたいな。現代の漆芸作家・若宮隆志は、さまざまな見立て漆器を作り出している。よく似た鉄瓶が三つ、少しずつ赤錆が増え、最後は一部が欠け落ちた状態にしか見えなかったのに全て「漆器」というキャプションが付いていて驚いた。時の経過を漆器で表現したものだという。見立て漆器の曜変天目蒔絵椀もよくできていた。これらの作品を所蔵する「古美術鐘ヶ江」は、京都・大徳寺のそばにあるみたい。機会があったら寄ってみたい。