見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

美のかけはし・地霊に護られた110年/京都国立博物館

2006-07-31 00:22:42 | 行ったもの(美術館・見仏)
○京都国立博物館 特別展覧会/開館110年記念『美のかけはし-名品が語る京博の歴史-』

http://www.kyohaku.go.jp/jp/index_top.html

 京都に行ってきた。前回、味をしめた方式で、金曜の夜に京都に入って一泊する。すると翌日は、朝から活動できて、合理的である。

 というわけで、京都国立博物館には9時35分頃に入ったのだが、開館からわずか5分で、既に第1室は人が詰まっている。それなら後半を先に見ることにしよう、と思った。

 最初の数室をすっ飛ばして、奥に進む。と、いきなり、巨大な木彫が目に入って、足が止まってしまった。一目見て、ああ、博物館の正面の破風飾りの原形だ、と分かった。男神と女神が、半身を起こして寝そべっている。変な比喩だが、トドかセイウチくらいデカい。木槌を持った男神は毘首羯磨(びしゅかつま)、書物らしきものを持った女神は技芸天だという。古代日本と西欧の伝統への憧れが、矛盾なく共存しており、健康的な威厳に満ちていて、「明治」という時代の、いちばん好ましい精神を表現しているように思われた。

 同じ部屋には、明治の頃の模写や蔵品目録などがあって、興味深かった。また、天正8年(1592)の年記の入った写本『保元物語』があったが、花山院家に伝わったことを示す旧蔵者印「華山蔵書之印」に、堂々と消印が押してあるではないか(本文の墨色、旧蔵者印の朱色を潰さないよう“配慮”して、緑色のインクで押してある)。うわ~。明治の役人は、やることが大胆である。

 さて、名品セクションに至ると、宗達の『風神雷神図屏風』がある。うれしい。私は、この作品、やっぱり宗達がいちばん好きだ。湧き上がる黒雲を蹴立てて、左側方から踊り込んでくる風神。これに対して、雷神の足元の雲は少ない。斜め上方から滑り落ちてきて(砂丘の斜面を駆け下るように)踏みとどまったポーズのように見える。足の指先にまで力が漲っている。宗達作と言われる作品は、細部に目を凝らすと、上手いのか下手なのか、よく分からないところがあるのだが、それでもなぜか、途方もなく魅力的なのである。

 私は、荒削りな面白さに弱い。笠川正誠氏寄贈の李朝陶器2点にも、そんな魅力を感じた。『鉄砂雲龍文壺』は、雲龍と言いながら、龍であることがサッパリ分からない。解説に「エビか何かに見える」とあったけれど、私には寿司ネタのシャコに見えた。

 嬉しかったのは、岩佐又兵衛『堀江物語絵巻』との対面。美々しい甲冑を身に着けた武者軍団が、どこかの屋敷に攻め入っている。抜き身を下げた髭武者の前に、緋の袴をまとった人物(長い髪、女性か)の、首を切り落とされた骸がころがる。青畳に流れる赤い血潮。深紅の母衣(ほろ)を背負った白面の若武者は、父母の仇討ちを遂げた、主人公の月若だろうか。血とエロスの絵師・岩佐又兵衛の真骨頂を味わえる場面だが、大丈夫なのか、子供の多い夏休みシーズンにこんなものを展示して。私の隣で小学生の男の子がじっと見入っていて、ちょっとドキドキしてしまった。

 狩野元信の『四季花鳥図絵』とか、廣瀬都巽氏寄贈の和鏡コレクションとか、語りたい名品はたくさんあるのだが、割愛して、冒頭に戻ろう。

 第1室は「東山の光と影」と題して、博物館の周辺にゆかりの品が集められている。その中に、土に埋まったままのしころ(兜の一部)があった。実は、博物館の周辺は、後白河法皇の御所、法住寺殿のあったところだ。この品は、博物館のすぐ南の土地から出土したもので、木曽義仲による法成寺焼討ちに遭った院方の武将か、と推定されているそうだ。

 後白河法皇は、私の好きな天皇のひとりである。政治力はともかく、芸術的なセンスは飛び抜けた人物だったと思う。三十三間堂の建立、多くの絵巻物の製作、『梁塵秘抄』の編纂など、実作者としてよりも、パトロンあるいは観賞家としての眼力に魅力を感じる。その後白河法皇の故地に、千年の王城・京都の「宝蔵」としての博物館が建っているのは、なかなか好ましい因縁だと思った。

 倉橋由美子の小説に、主人公の女性のデート相手、「藤原さん」という初老の紳士が、時空を超えて生きている藤原定家そのひとである、というストーリーがあった。京博の特別室にも、嘱託扱いの謎の紳士がいたりして。たまに出勤して、書類に眼を通して帰っていく。普段は仕事らしい仕事もないが、よほど鑑定の難しい物件があると意見を求められる。限られた職員しか知らないけど、それが実は後白河法皇だったりして――なんて埒もない夢想をしてみました。

 さて、私が本展の最後に出会ったのは、博物館の竣工当時に収められた巨大な棟札。これは感動だった。明治28年(1895)でも、まだ棟札の風習って残っていたのだな。書き尽くせないので、もしかしたら続く。
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熊野名物・めはり寿司

2006-07-30 22:20:52 | なごみ写真帖
この「写真帖」は、はじめ、主に花の写真を載せていたのだけど、だんだん、食いものの写真が増えてきた。まあ、それはともかく。
今日のお昼は、特急・南紀(新宮→名古屋)の車中で、めはり寿司弁当だった。寿司といっても魚介類は使っていなくて、高菜の葉でご飯を包んだもの。

今日は紀伊半島を一周してきました。詳細はこのあと。

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凡庸な人生/胡同のひまわり

2006-07-28 00:51:41 | 見たもの(Webサイト・TV)
○張楊監督 映画『胡同(フートン)のひまわり』

http://www.himawari-movie.com/

 久しぶりに満足できる中国映画を見た。文化大革命(1966~1977)末期から1999年まで、激しく変貌する北京の町を背景に、30余年にわたる父と子の葛藤を描く。張楊(チャン・ヤン)監督の自伝的な作品だともいう。

 こういう、大文字の「歴史」の激動と、それに翻弄される個人を描かせたら、中国映画は巧い。『芙蓉鎮』(1987年)とか『青い凧』(1993年)とか、チャン・イーモウの『活きる』(1994年)とか。私が、ふーん、映画って面白いんだなあ、と思うようになったのは、こうした作品のおかげである。逆に、中国の近代史に興味を持つようになったのも、もとを正せば、これらの映画がきっかけだった。

 しかし、最近の中国映画は、遠い古代や荒唐無稽なファンタジーに舞台を定めたり、プライベートな人間関係に的をしぼって描くものが増えてきた。それはそれで名作もあるのだが、私はやっぱり、本作のように「歴史/個人」を両天秤に乗せた作品が好きだ。それに、中国の社会は、相変わらず、世界のどの地域よりも激しい変貌を続けている。意欲ある創作者にとって、題材には事欠かないと思う。

 本作の魅力のひとつは、1970~80年代の胡同(フートン)の風景だろう。手足の細い子供たちが、馬飛びや石蹴りなど、お金のかからない、単純な遊びに興じている。男たちは黒ズボンにランニング姿で肉体労働に精を出し、女たちは家事に余念がない。私が初めて北京の町を歩いたのは1981年の早春のことだった。そこには、まだ幾分か映画のような世界が残っていた。今日でも北京の町を歩けば、胡同に迷い込むことができるが、そこに住む人々の生活は、すっかり変わってしまっている。本作は、北京の鼓楼・鐘楼の辺りを舞台に設定しているが、撮影の大半はスタジオ内のセットで行われたそうである。

 配役で、とりわけ印象的なのは、主人公・向陽(シャンヤン)の父親役を演じた孫海英(スン・ハイイン)。いや、息子が狂言回しであって、彼こそがこの映画の真の主人公であると言ってもいい。文化大革命時代の強制労働で、指を痛め、画家として生きることを断念し、息子に夢を託す。息子は、父に反発しながらも才能を開花させる。

 シャンヤンの作品展の場面では、映画用の小道具ではなくて、実在の画家・張暁剛(ジャン・シャオガン)(いま、注目の中国人アーティストだそうだ)の作品が展示されている。これが、映画に厚みを与えていて素晴らしい。息子の成長だけを気にかけて、己れは何事を成すこともなく生きてきた初老の父親が、息子の作品――魔術的な芸術性を放つ、ジャン・シャオガンの作品――を呆然と(陶然と?)眺めるカットに私は打たれた。

 そして、シャンヤンの父親が、家族の前から姿を消すにあたり、遺していったメッセージが流れる場面では、街頭のさまざまな「父親」世代の姿が映し出された。朝の公園をゆっくりした歩調で散歩する者。同世代の友人と将棋に興じる者。ベンチに腰を下ろし、老眼鏡で新聞を読む者。凡庸な人生の凡庸な終わりを迎えようとしている彼らを、カメラは、讃え、かつ慰撫するようになめていく。

 さて、上記の公式サイトで、父親役のスン・ハイインの紹介記事を読んだら、テレビドラマ『射雕英雄伝』に出演、とある。なに!?と思って、よくよく写真を見て、あっと思い当たった。洪七公じゃないか~。そういえば『射雕』でも、主人公・郭康の父親代わりみたいな役回りだったなあ。

■向日葵:専題頁(新浪網)―中国語
http://ent.sina.com.cn/m/c/f/xrk/index.html
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秘色・青磁の美/出光美術館

2006-07-26 22:00:19 | 行ったもの(美術館・見仏)
○出光美術館 やきものに親しむV『青磁の美-秘色の探求-』

http://www.idemitsu.co.jp/museum/index.html

 「やきものに親しむ」シリーズの第5回だそうだ。気になるので、過去にどんな企画があったか、調べてみた。

I. 世界を魅了したコバルトブルーの陶磁器(2002年)
II. 皇帝を魅了したうつわ-中国景徳鎮窯の名宝-(2003年)
III. 磁都・景徳鎮1000年記念 中国陶磁のかがやき(2004年)
IV. 中国・磁州窯-なごみと味わい-(2005年)

 第1回だけは、行ったかどうか記憶が定かでない。2003年の『皇帝を魅了したうつわ』は印象的だった。明清の皇帝の即位順に、それぞれの時代(治世)の「うつわ」の特徴が説明されていて、とても分かりやすかった。この頃から、俄然、陶磁器の魅力に目覚めたのである。第3回の『景徳鎮』と第4回の『磁州窯』については、このブログにも書いているので繰り返さない。

 さて、今年は青磁である。「やきものは青磁がいちばんいい」という友人がいる。私は「そうね」と言ってみるけれど、本心は染付(伊万里、鍋島、古九谷など)の分かりやすい魅力に動かされてしまう。青磁のシンプル・ビューティが分かってこそ、通人なんだろうけど。

 会場に入ると、なるほど見渡す限り、青磁が並んでいる。しかし、思ったほど一様ではない。えっ、これも青磁?と首をひねりたくなる色合いの器もある。我々が「青磁」と聞いて反射的に思い浮かべるような、明るい空色~青緑色の磁器を安定的に生産できるようになったのは、宋代以降のことだ。それ以前の「青磁」は青と灰色の中間のような色をしている。

 青磁の産地としては、古くは(後漢~西晋時代)浙江省の越州窯が有名である。そもそも青磁の別名「秘色」とは、晩唐の陸亀蒙(りっきも)が『秘色越器詩』の中で「九秋風露越窯開、奪得千峰翠色来」と詠んだ越州窯青磁に由来するそうだ。近年、西安の法門寺から「秘色瓷」と記された文書が、磁器と一緒に出土したため、「秘色青磁」の実体が明らかになった。でも、こんな曖昧な青緑が「秘色」なのか~? イメージ狂うなあ。

 さて、宋代に登場するのが耀州窯(陜西省)、龍泉窯(浙江省)、南宋官窯(浙江省)、汝窯(河南省)など。日本人には「天龍寺青磁」の故郷である龍泉窯が名高いが、今回、私は耀州窯のうつわにハマってしまった!! 初めて見るわけではないのに、「出会い」の瞬間は、突然、来るのである。

 耀州青磁はオリーブグリーン色をしている。典型的な作品は、へらを使った「片切り彫り」で花文を彫り入れ、透明感のある濃緑の釉薬を掛ける。すると氷に閉じ込められた水中花のような文様が浮かび出る。昨年、熱をあげた磁州窯が、粋な町家のおかみさんだとすれば、耀州窯は、優雅で貞淑な貴婦人である。前日、『イギリスの美しい本』展で見た、ウィリアム・モリスの美学にも通じる気がする。来月は西安に行くことになっているのだが、耀州青磁、たくさん見られるといいなあ。

 最後に、関連展示の『盆栽図屏風』(江戸時代、作者不詳)が面白かった。木桶あり、塗物あり、染付、青花、金襴手あり、さまざまな器に盛られた盆栽を描いたものづくし屏風である。
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イギリスの本・アジアの本/千葉市美術館

2006-07-24 23:56:50 | 行ったもの(美術館・見仏)
○千葉市美術館 『イギリスの美しい本』展

http://www.ccma-net.jp/index.html

 この春から、足利市立美術館、郡山市立美術館を回ってきた巡回展である。何人かの感想をネット上で読みながら、いちばん近い千葉に回ってきたら行こうと決めていた。

 会場に入ると、ほとんどモノトーンの、余白の多い大きな本が広げて飾られている。第1セクション「伝統」は、揺籃期(活字印刷の初期)から18世紀までの古書を集めたもので、静謐な空気が漂う。第2セクション「繁栄」に入ると、カラー印刷が現れ、華麗な挿絵本、贅をつくした革装丁が並ぶ。第3セクション「展開」は、再びモノトーンが主となり、19世紀末から20世紀初頭のウィリアム・モリスとプライベート・プレスの活動を紹介する。

 「美しい本」というタイトルを実感するのは、やはり第2セクション、19世紀(ビクトリア朝)だ。Walter Craneの Flora's Feast(花の女神の饗宴)は、むかし、チョコレートのおまけカードになっていた絵だ(森永ハイクラウン!)。繊細なグラディエーションは手彩色にしか見えないのに「多色刷石版」とある。石版って、すごい再現力だなあ。日本の浮世絵に学んだという London Typesもいい。ディエル(綴り不明)の『聖書ギャラリー』の、馥郁と香るオリエンタリズムにも、ぞくぞくさせられる。以上は挿絵本。

 それ以上に、私が目を奪われたのは革装丁の魅力である。ジェーン・オースティン『高慢と偏見』1894年版は、深緑の革表紙を、金箔で描かれた孔雀の羽根が、余すところなく覆っている。タイトル(内容)にぴったり! そのほか、赤、青、緑、茶などの各種の革装丁を並べた展示ケースがあって、私はその前に呆然と立ち尽くした。いずれも完全な新本ではなくて、持ち主に使われた形跡がある。そこがいいのだ。赤の革装が手擦れで黒くなった趣きは、あたかも根来塗の古物みたいである。

 それにしても、イギリスの(西洋の)本は堅牢にできている。特に揺籃期本は、厚い、重い、デカい。一度書見台に据えたら、簡単に動かせそうにない。私は、東アジアの本との差異を考えずにはいられなかった。むかし、雑誌『本とコンピュータ』誌上で、『東アジア共同出版―東アジアに新しい「本の道」をつくる』というプロジェクトの発足宣言を読んだ記憶がある。そこには、「かつて東アジアの人間は、漢字で書かれたテキストを柔らかい軽い紙に木版印刷した本を、国境をこえて共有していた」という一文があった。「柔らかい軽い紙」って、当たり前じゃないか、と思ったけど、こうして見ると、西洋の人々が「Book」に込める思いと、我々東アジアの人間が「本」に託す思いは、必ずしも同じではない、ということが分かる。

 なお、本展では、世界三大美書のひとつ、ケルムスコット・プレス印行の『チョーサー著作集』(ダウズ製本所による特装本)を見ることもできる。もしや関係者の方がお読みでしたら、初日の午後、「特装版」の解説プレートが平装本(厚紙装)のほうに間違って付いていたのを指摘したのは私です。特装本は48部だけ作られ、このうち3部がベラム(羊皮紙)刷だそうである。詳しくはこちら。ちなみに会場に出品されていたのは(株)モリサワの所蔵品(紙刷り・白豚革装丁)だった。
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若冲の動植綵絵 ・第4期/三の丸尚蔵館

2006-07-23 23:33:11 | 行ったもの(美術館・見仏)
○三の丸尚蔵館 第40回展『花鳥-愛でる心、彩る技<若冲を中心に>』

http://www.kunaicho.go.jp/11/d11-05-06.html

 今朝はNHKの新日曜美術館でプライス・コレクションの特集をやっていて、三の丸尚蔵館もチラリと映っていた。これでまた、両展とも観客が増えるに違いない。

 私が本展に出かけたのは、放送前日の土曜日だった。今期は何が見られるだろう? 季節から言って『向日葵雄鶏図』かな。2枚組の『群魚図』はあるかしら。手元に全期の展示リストがあるのだから、チェックして行けばいいのだが、敢えてそれをしない。会場に入ったときの驚きを楽しみたいからである。答えを先に言ってしまうと、今期は『老松白鳳図』『向日葵雄鶏図』『大鶏雌雄図』『群鶏図』『池辺群虫図』『貝甲図』の6点だった。

 若冲の動植綵絵は、無類の絶品である。それが6点も並んでいるのだから、およそどんな作品を並べても、迫力負けするということはあり得ない。しかし、今期は、会場に入った瞬間、私の目は動植綵絵を通り越して、その隣の巨大な画幅に吸い付けられてしまった。同じ若冲の『旭日鳳凰図』である。

 すごい。実物を見るのは初めてだろうか? この作品の存在は知っていたが、あまりいいとは思わなかった。上記のサイトにも小さい写真があるが、ゴテゴテして珍妙で、お世辞にも美しいとは思えないだろう。ところが、実物はいいのだ! これが美術品の不思議なところ。動植綵絵と同様の、華麗な色づかい。曖昧なところが一ヶ所もない、精緻で明晰な造型。しかし、描かれているのは鶏や鸚鵡ではない。空想上の鳥、つがいの鳳凰である(鳳がオス、凰がメス)。一体、これは写実なのか仮想現実なのか。

 鳳凰の体に使われているのは、白、茶、青、緑など、決して派手な色彩ではない。しかし、白の使い方が特徴的なのだ。尾羽根の筋目に沿って、蝶の燐粉のように置かれた白。たてがみを縁取る白は、霜を戴いた松のようだ。そして、レースのような波。飛び散る真珠のような水滴は、鳳凰の羽根の模様に連なっている。

 羽根を広げている方がオスで、閉じている方(ピンクの頬が色っぽい)がメスなのだろう。しかし、一見した印象は、どちらも女性的である。よく知らないけど、江戸時代の花魁ってこんな感じかなあ、と想像した。豪奢な羽根、不釣合いに華奢な脚。そして、艶治だけど表情の読めない人工的な顔つき。

 少し間をあけて、隣に動植綵絵の『老松白鳳図』が並んでいた。ほぼ同じポーズだが、こちらは輝くような純白の羽根に包まれていている。なんだか、花嫁と花魁を並べたようだ。少し離れて2枚を交互に眺めていると、片方の視界に片方の残像が滑り込んでくるようで、興味深かった。

 ところで『老松白鳳図』の画面には、よく見ると、もう1羽、山鳩か何か、地味な小鳥がそっと描き込まれている。松の枝からずり落ちそうになりながら、びっくり眼で白鳳を見つめている姿が、微笑ましい。

 このほかは『向日葵雄鶏図』『大鶏雌雄図』『群鶏図』のニワトリ3連作。若冲のニワトリが魅力的なのは、精緻に描かれた羽毛の美しさもあるけれど、ポイントは”目力”なのではないか、と思った。そこに「生命がいる」ことを訴えてくるような目力が、若冲の絵にはある。

 いや、これでは言い足りないかもしれない。『貝甲図』では、どこにも「目」は描かれてないのに、それでも私は「生命」の視線を感じる。画面の中から呼びかけてくる「生命」の存在を感じるのだから。
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江戸東京気分/江戸のことば(岡本綺堂)

2006-07-22 21:40:13 | 読んだもの(書籍)
○岡本綺堂『綺堂随筆・江戸のことば』(河出文庫) 河出書房新社 2003.6

 買いだめしていた新刊書が切れると、ふだんは行かない文庫本のコーナーで、読むものを探す。じめじめと蒸し暑い長梅雨を忘れるには、平明で格調の高い綺堂の文章なんぞがいいかもしれない、と思って買ってみた。本書は、綺堂が折々に発表した随筆を、編集して再録したものらしい。「江戸のことば」について書いたもの、創作に近い「怪談奇譚」、「明治の寄席と芝居」などから成る。

 綺堂は好きな作家だが、読むのは久しぶりだ。1980年代には、今は無き旺文社文庫に入っていた作品は全部読んでいた。ただし、当時の私は、綺堂作品の持つ時代背景が全く分かっていなかったと思う。最近、幕末から明治にかけての歴史を勉強してみると、江戸を舞台に岡っ引として活躍した半七老人の回顧談を、明治になってから、新聞記者である「わたし」が聞き出す、という趣向の妙――語られる「江戸」と語る「明治」の、近いようで遠い距離感が、少し実感できるようになったように感ずる。

 本書では、さまざまな場面に、この「江戸と東京の距離感」が顔を出している。江戸の武士である勝海舟や榎本式揚は、平生は驚くほどぞんざいな口調だったが、いざとなれば「べらぼうめ」を取り払って「左様でござる」に早変わりをしたとか。明治初年、英国大使館書記官のアストン氏が「東京の町は汚い。しかし、人々は皆チヤーフルな顔をしている。将来、東京がきれいな大都会に生まれ変わったときも、そこを歩く人はこんな顔をしているだろうか」と語ったとか。これらは、著者の体験に基づく記憶である。

 また、本書には、熱のこもった河竹黙阿弥論が収載されている。私は歌舞伎をあまり見ないので、ピンとこない点もあるが、著者の言わんとするところは痛いほど分かった。黙阿弥は江戸の作者であって、江戸を離れては生きられないように出来ていた(この点、元禄を離れても生きられる近松翁とは異なる)。しかし、江戸の町、江戸の文化は翁を遺して消滅し、芝居を全く知らない高官や学者が、演劇改良運動の名のもとに、狂言作者に迫害と圧迫を加える時代になった。黙阿弥は、ただ黙って耐えて生涯を終わった。「思えば実に涙である」と著者は評する。

 しかし、今日、河竹黙阿弥の名は教科書にも載っている(たぶん)が、明治15、6年から24、5年にかけて、演劇改良運動なるものがあったことを知る人は少ないだろう。無理な急カーブを曲がるような、江戸から明治への変化の間に、我々が忘れたり失ったりしたものは、まだまだたくさんあるのだと思う。
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江戸絵画さまざま-プライス・コレクション/東京国立博物館

2006-07-21 22:40:24 | 行ったもの(美術館・見仏)
○東京国立博物館 プライスコレクション『若冲と江戸絵画』展

http://www.tnm.jp/

 先日、『鳥獣花木図屏風』を主に感想を書いたあと、「別項に続く」と宣言しながら、放っておきっぱなしだった。プライス・コレクションの若冲作品は『鳥獣花木図屏風』ばかりではない。『花鳥人物図屏風』は、飄逸というか自由闊達というか、ポップアートに近い略筆で、題名どおり、花、鳥、人物などを描いた水墨屏風である。『黄檗山万福寺境内図』は、若冲には珍しい風景画。「実際には存在しない塔が描かれている」というけれど、そもそも本当に万福寺なのかなあ。7体の僧形の人形を縦に並べた『伏見人形図』は、これもむかし、「新潮日本美術文庫」で見て、ずっと好きだった作品である。

 『紫陽花双鶏図』は『動植綵絵』を連想させる、力のこもった作品で、オフィシャルブログのタイトルバックにも使われている。ただ、実際に見ると、画面の濃密度が、ちょっと足りない。画面左下のニワトリと紫陽花は、極めて精緻に描き込まれているが、その対角線に当たる左上方部は空白が目立つ。『動植綵絵』では、こんなことはありえない。

 もう1枚、『雪中鴛鴦図』は、冬の湖面を泳ぐつがいの鴛鴦を描いたもの。雌のオシドリは水中に深く頭を沈め、尻尾ばかりを水面につきたてている。そして、よく見ると、水面下で、雌のオシドリが長い首を雄に向かって突き出している姿が、下絵のように水墨で描かれている。私は、この作品、何度も見ているはずなのに、雌のメンドリの姿には、気づいたことがなかった。へえー。粘着質の雪を載せた霜枯れの葦と言い、やけに幼い表情の雄のオシドリと言い、シロウト精神分析の立場からでも、いろんなことが言えそうである。

 続けよう。若冲以外で、私がいちばん気になったのは長澤蘆雪である。まだ見たことのある作品は少ないし、人物像もよく知らないのだが、前から気になる存在ではあった。今回は、『幽霊図』『猛虎図』など気になる作品をたくさん見てしまった。とりわけ、忘れられそうにないのは『軍鶏図』。現代のマンガ家が描く淡彩のペン画のようなタッチで、1羽の軍鶏を描いたものだ。この軍鶏が、ふりむきざまに薄ら笑いを浮かべた表情といい、誇示するような筋肉質のボディといい、呆れるほどふてぶてしい。

 蘆雪って性格悪いのかなあ、と思って調べてみたら、やっぱりそうらしい。でもまあ、どこか屈折してるくらいでなければ、いい芸術は生み出せないからね。
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「政治的正しさ」を超えて/「反戦」のメディア史(福間良明)

2006-07-20 23:48:39 | 読んだもの(書籍)
○福間良明『「反戦」のメディア史:戦後日本における世論と輿論の拮抗』(世界思想ゼミナール) 世界思想社 2006.5

 なるほど、上手い。こう言っては失礼かもしれないが、最初に膝を叩いたのは、著者の方法論の切れ味である。戦後60年、日本国民が「先の戦争」に対して示してきたさまざまな反応を、著者は「輿論」と「世論」という2つのタームによって、鮮やかに切り捌いていく。戦後生まれの眼には、もつれた毛糸のように分かりにくかった対立・葛藤・混濁が、きれいに整理されていく様子は、すがすがしいほどだ。

 今日、「ヨロン/セロン」と呼ばれる概念は、戦前には用字で区別されることがあった。「輿論」は、理性的な思考に基づき、政治的な正しさを志向する「public opinion」を指し、「世論」は、私的な体験や感情に基づく大衆的な情念「popular sentiment」を意味した。この区別に基づけば、日本人の戦争認識は、おおよそ「被害者」としての心情に固執する「世論」と、「加害責任」の自覚を求める「輿論」との間で揺れ動いてきたと言える。著者はそれを、政治家や知識人の発言ではなく、戦争映画に対する大衆の反応から読み取ろうと試みている。すなわち、『ビルマの竪琴』『二十四の瞳』『ひめゆりの塔』『きけわだつみの声』など。

 これらの作品は、戦後、一度ならず、繰り返し映画化されてきた。同じ作品であっても、時期によって、制作者の重点の置き方や、観客の受け取り方は微妙に異なる。あるときは「無垢な被害者性」が強調され、あるときは戦争の愚かしさを自覚する「聡明さ」と、それでも国を守ろうとする「勇敢さ」が、折り合いをつけたかたちで提示される。そこには、そのときどきのナショナルな欲望が反映されている。

 80年代以降は、戦争責任を問うことが「政治的に正しい輿論」として、一定の定着を見た。しかし、そのことは「被害者としての語り」を抑圧し、「加害」を自らに向けられた問いとして問い返す契機を失くしてしまった。むしろ、日本人に必要なことは、被害者としての立場を徹底的におしすすめていくことではなかったか。それによって、朝鮮人や中国人の被害者、アジアや太平洋の被害者の姿が見えてくるのではないか――これは、原水爆禁止運動にかかわった岩松繁俊の主張である。

 「世論」「輿論」の二分割法によって、明快に整理されてきた論理は、ここで、鈍器で頭を殴られるようなパラドクスに陥る。岩松は「被害者としての意識の薄弱が加害者としての意識と認識の薄弱さをうむ」とも述べているという。「反戦」の語りの可能性を考えるうえで、示唆的、いや挑戦的と言ってもいい思弁である。

 あの戦争は正しい戦争だった→我々は加害者ではない→被害者を哀悼して何が悪い、という「世論」を、私はこれまで拒絶の対象だと思っていた。だが、そんな受け入れ難い主張でも、とことん耳を傾けて付き合ってみたら、何か違うものが見えてくるのかも知れない。今年の8月15日が来る前に、多くの人におすすめしたい1冊。
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ニュース・文化財の返還

2006-07-19 00:21:08 | 見たもの(Webサイト・TV)
■帰ってきた朝鮮王朝実録、近く韓国国宝に指定(朝鮮日報2006/07/16)
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/07/16/20060716000009.html

 やや身内ネタに属するのだけれど、ここに記録しておこう。過日、東京大学は、朝鮮王朝実録」の五台山史庫本47冊をソウル大学に引き渡した。これは、1913(大正2)年、寺内正毅・初代朝鮮総督が朝鮮国内から持ち出したものが、どういう経緯でか、東大附属図書館に入り、その大半は関東大震災で焼失してしまったが、焼け残りの47冊が、今日に伝わっていたものである。

 ハングルのニュース・サイトを見にいくと(読めない)、素っ気ない漢文の版面を嬉しそうに覗き込む人々の写真などがあって、まあ、よかったのではないかと思う。その価値を知る持ち主のもとに行き着いた書籍は幸せである。

 関連して考えたこと。海外に流出してしまった日本の文化財を、ひとつだけ返してもらえるとしたら、何を返してほしいか? いろいろ考えたが、やっぱり『吉備大臣入唐絵巻』かなあ。 迷うのは『平治物語絵詞・三条殿夜討巻』。個人的な好みだけなら前者だが、後者は、日本美術の常識を超えたところがあって、多くの日本人に一度見てもらいたいと思う。どっちもボストン美術館の所蔵。

 プライス・コレクションの若冲なんかは、あそこにあるのが、作品にとっていちばん幸せなのではないかと思える。だから、今のままでいい。
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