見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

夏はお化けと幽霊画/2024幽霊画展(全生庵)他

2024-08-31 21:09:24 | 行ったもの(美術館・見仏)

全生庵 『谷中圓朝まつり 幽霊画展』(2024年8月1日~8月31日)

 昨年は猛暑の盛りに出かけて消耗したので、今年はどうしようかと様子を見ていた。会期の最終日、じりじり近づく台風10号を控えて、東京は曇り空だったので、思い切って出かけてみたら、若い女性のグループをはじめ、ずいぶんお客さんが多かった。

 展示作品は、昨年と同じものもあれば、入れ替わっているものもある。鏑木清方の『幽霊図』は茶托に載った蓋つきの茶碗を差し出す女性。俯いているので髪型しか見えない。白い着物の袖口から淡いピンクの襦袢(?)が覗いている。この「顔を見せない女の幽霊」シリーズが私は大好き。渡辺省亭『幽女図』は、煙の立つ火鉢の向こうで背けた顔に袖を当てている。池田綾岡『皿屋敷』は、菊を描いた襖の陰に座って、袖で顔を隠す女性。そばには行灯。この行灯(あたりが暗闇であることを示す)と、襖や蚊帳(幽明の境?)は、幽霊画の大事な小道具であるように思う。鰭崎英朋の『蚊帳の前の幽霊』も蚊帳と行灯が舞台装置。両手を白い着物の中に隠し、棒立ちの女の幽霊の横顔が儚げで切ない。

 初めて見たように思ったのは、尾形月耕『数珠を持つ幽霊』。横向きの禿頭の男性が静かに俯き、額に三角巾(天冠)を付け、袖なし襦袢みたいな簡易な着物をまとって、数珠を手にしている。即興のスケッチのようだが、腰から下が描かれていないのが幽霊っぽい。

 伊藤晴雨は、恐ろしげな『怪談乳房榎図』もあったが、印象的だったのは「柳家小さん師匠寄贈」の注記のついた女性幽霊画シリーズ5点。牡丹燈籠、皿屋敷のお菊、姑獲鳥はすぐに分かったのだけど、奥女中か宮廷女房ふうの怖い顔の女性は紅葉狩の鬼女か? 御簾の下でガマの怪物と並んだ女性は滝夜叉姫かな? 姑獲鳥は赤子を抱えた女性の姿だが、肩に羽根が生えていてカッコいい。

 月岡芳年『宿場女郎図』を今年も見ることができたのは眼福。骨と皮だけの手(階段を掴む手と、水平に伸ばした手)が凄まじい。実際に宿場女のスケッチをもとに描いたという伝承があるそうで、現世に生きていた女性の姿なのだが、そのまま「幽霊画」になっている。なお、今年も髑髏の紙団扇をいただくことができ、髑髏のTシャツも買ってしまった。

太田記念美術館 『浮世絵お化け屋敷』(2024年8月3日~9月29日)

 前後期で全点展示替えと聞いたので、ひとまず前期(~9/1)を駆け込みで見て来た。なんだか初めて見る作品があるなと思ったら、前後期約170点の中には、新たに収蔵された初公開の作品38点が含まれているという。うれしい。

 前期の見ものは芳年『奥州安達がはらひとつ家の図』だろうか。逆さに吊り下げられた妊婦の、腹や乳房、さらに乳首の垂れさがり具合に現実味があって、血が一滴も流れていないのにぞっとするほど恐ろしい。しかし隣りにあった国芳『風流人形の内 一ツ家の図 祐天上人』は同じ惨劇の図を描いているのだが、安政3年、深川八幡宮で催された生人形の見世物の図という解説が付いていた。江戸の人々、何を考えているんだか。

 この「一ツ家」もそうだが、お化け・妖怪といえば、繰り返し描かれる画題がある。古くは戸隠山の鬼女、渡辺綱と土蜘蛛そして羅城門の鬼、源平の亡霊や怨霊など。東海道四谷怪談にしても、累の物語にしても、やっぱり物語の全体像を知っていると、絵画作品の解像度が上がる。本展には外国人のお客さんの姿も多かったが、もう少し英語の解説があるといいのに、と思った。

(メモ)国芳『百人一首之内 大納言経信』という作品は、源経信(※『難後拾遺』作者)が月夜に古歌を口ずさむと、外で漢詩を詠む声が聞こえ、見ると巨大な鬼が立っていた、というもの。鬼の口から洩れる「北斗星前横旅雁/南楼月下擣寒衣」という漢詩が気になって調べたら、これは和漢朗詠集に採録された劉元叔(伝未詳)の「妾薄命」で、この説話自体は『撰集抄』に載るという。これ、国芳が『撰集抄』を読んでいたのか、別のかたちで流布していたのか、どっちなんだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

娯楽作で学ぶ現代史/映画・ソウルの春

2024-08-27 22:57:53 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇キム・ソンス監督『ソウルの春』(角川シネマ有楽町)

 話題の韓国映画を見てきた。1979年12月12日、全斗煥と同志の秘密組織ハナ会グループが、粛軍クーデター(12.12軍事反乱)によって政権を掌握する顚末を描く(登場人物の名前は微妙に変えてある)。

 チョン・ドゥグァン少将(全斗煥)は、10月に起きた朴正煕暗殺事件の捜査本部長として強大な権力を手中にしたが、陸軍参謀総長はこれを警戒し、信頼のおけるイ・テシン少将を首都警備司令官に任命するともに、ドゥグァンを首都ソウルから遠ざける人事を計画する。危機感を抱いたドゥグァンは、参謀総長の罪をでっちあげて部下に拉致させ、同時に大統領から参謀総長取り調べの承認を得ようとしたが、大統領は疑念を抱いて認可を与えない。進退きわまったドゥグァンは、大統領の判断を無視し、実力行使に突っ走っていく。

 ドゥグァンの周りに集まったハナ会メンバーの将校たち(年齢や階級はドゥグァンより上)は、事態が深刻化するにつれて、権力欲と保身を天秤にかけて右往左往する。ドゥグァン自身は最初から大望を抱いた英雄ではないが、さすがに肝が据わっており、抜群の判断力と瞬発力で危機を切り抜けていく姿は、憎たらしいが魅力的である。ドゥグァンの腹心(親友?)らしいが、傍らでおろおろしてるだけの小物のノ・テゴン少将、実は盧泰愚(ノ・テウ)がモデルと知って、あとで驚いた。

 しかし当人が小物か大物かに関係なく、軍において指導的な地位にあれば、軍事部隊を動かすことができる。上官の命令には絶対に従うのが軍隊というものだ。ドゥグァンはハナ会の将校たちを通じて、ソウル近傍に駐屯中の部隊にソウル進撃を命じる。一方、首都警備司令官のイ・テシンも、ハナ会の影響の及んでいない部隊に応援を要請する。強大な軍事力が首都の近傍に控えている怖さ(北の脅威に対する防備がリスクにもなっている)。あと、漢江が防御線になるソウルの地理をあらためて認識した。

 なんとか内戦を食い止め、ソウル市民の安全を守ろうとするイ・テシンだが、いちはやく米国大使館に逃げ込んだヘタレの国務部長官や、指揮権のヒエラルキーにこだわり、口先では俺がドゥグァンを説得するといきまく、無能な参謀次長の存在が反乱側を利することになり、万事休す。最後まで、単身でドゥグァンに詰め寄ろうとしたイ・テシンは反乱軍に取り押さえられる。高笑いするドゥグァン。数日後、大統領はあらためてドゥグァンに求められた書類にサインをするが、日付を書き添え「事後決裁だ」と言い添える。文人政治家の最後の抵抗は虚しいが、気持ちは分かる。「こうしてソウルの春は終わった」というナレーション。

 史実に基づいているので、結末がくつがえることはないと分かっていても、手に汗握る展開で、おもしろかった。ただ、ドゥグァン=悪、イ・テシン=善の対立が平板に過ぎる感じはした。後々まで振り返って「おもしろさ」を味わうには、もう少し善悪未分化の人物が描かれているほうが私の好みである。それでいうと『KCIA 南山の部長たち』の朴正煕には、そういう魅力があったが、本作の全斗煥は、わりと単純な悪役(しかも大悪人ではない)に振り切っている。これは作品の性格の差なのか、二人の政治家に対する、現在の韓国人の標準的な見方なのか、ちょっと気になる。

 なお、史実では、イ・テシンに当たる人物は張泰玩(チャン・テワン)というらしい。作中の名前は、民族英雄の李舜臣(イ・スンシン)に重ねているのだろう。ソウルの光化門広場に立つ巨大な李舜臣の銅像をイ・テシンが見上げるカットが一瞬だけある。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東西の名品を愛でる/空間と作品(アーティゾン美術館)

2024-08-25 21:47:41 | 行ったもの(美術館・見仏)

アーティゾン美術館 『空間と作品』(2024年7月27日~10月14日)

 おもしろい展覧会だという噂は聞いていたが、これほどとは思わなかった。「美術品が在ったその時々の場を想像し、体感してみること」をテーマに、和洋(+中華?)の絵画・立体作品140点余りのさまざまな鑑賞方法を提案する。

 はじめに「祈りの対象」では広々とした展示室に置かれた2体の円空仏。「依頼主と」はピサロの『四季』連作4点。何の変哲もない農村の四季風景なんだけど、とてもよかった。ある銀行家がダイニングルームに飾るために発注したそうだが、毎日見るならこういう穏やかな絵がよいね。「持ち主の存在」は、同館のコレクションの中でも有名なピカソの『腕を組んですわるサルタンバンク』で、かつてピアニストのホロヴィッツが所蔵していたという。本展は、このあとも旧蔵者をクイズふうに書き添えたセクションがあって、ほうとかへえとか唸りながら、興味深く眺めた。川端康成旧蔵の古賀春江作品が複数出ていたが、Wikiを読んで、二人に深い交友関係があったことを初めて知った。

 「建物の一部」では、大和郡山の柳沢家伝来とされる応挙の『竹に狗子・波に鴨図襖』を展示。展示室の一角に畳の床がしつらえてあり、畳に上がって、ガラスなしで襖と向き合うことができる(ただし近づきすぎると警告アナウンスが流れ、監視員さんに止められる)。現在は「竹に狗」面の展示(-9/8まで)。この仔犬がめちゃくちゃ可愛い。私は応挙の仔犬はあまり好きでなかったのだが、この子たちは元気があって私好み。

 展示品は洋画が圧倒的に多いのだが、どうしても私の関心は日本・東洋美術に向いてしまう。驚いたのは『平治物語絵巻 六波羅合戦巻断簡』が出ていたこと。安井曾太郎旧蔵だそうだ。写真まで自由に撮らせてくれるなんて、なんちゅう太っ腹!

 伝・宗達の『伊勢物語図色紙・彦星』は前田青邨旧蔵。2023年の久保惣美術館『宗達』展の図録を引っ張り出して「益田家本」の1枚であることを確認した。

 因陀羅筆『禅機図断簡・丹霞焼仏図』はあまり見た記憶がないので、初見かと思ったら、2017年に京博『国宝』展で1回だけ見ていた。いや眼福。筑前藩主・黒田家に伝わったものだという。

 

 ほかにも雪舟筆『四季山水図』4幅(重文、東博所蔵の同名作品とは異なる)や『鳥獣戯画断簡』など、あっと驚く「古美術」作品がところどころに潜んでいた。

 一方で西洋絵画を「旧蔵者」や「額」(表装!)に注目して鑑賞するのは、東洋古美術の鑑賞法を応用するようで面白かった。西洋絵画の額装にも様式の流行り廃りがあり、今では当たり前の「白一色」「黒一色」のシンプルな額が登場したときのインパクトを想像すると楽しい。コレクターが古い額装を変えることがあるのは、東洋絵画の表装と変わらないように思った。青木繁『海の幸』の額(木製、四隅に2匹の魚の装飾)について、会場内のネットからは興味深い解説が読めたのだが、一般には公開されていないのかな? 残念。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長浜・総持寺の千手観音立像とギャラリートーク(東京長浜観音堂)

2024-08-21 20:54:36 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京長浜観音堂 『千手観音立像(長浜市宮司町・総持寺)』(2024年8月1日~9月1日)

 令和6年度第2回展示の千手面観音立像を拝見し、8月17日に開催されたギャラリートーク(浅井歴史民俗資料館・秀平文忠氏)を聴いてきた。秀平さんのお話は、2023年11月にもお聴きしたことがあるが、そのときの肩書きは「高月観音の里歴史民俗資料館学芸員」だったので、異動されたのだな、と思った。浅井歴史民俗資料館、行ってみたいけれど、車がないと、かなり難しそうな立地である。

 今回お迎えしている千手観音立像は、平安時代(12世紀)の作と見られ、後世の修理の結果、「泥地古色彩」と呼ばれる黒っぽいお姿をしているが、よく見ると、小さな金箔の残りが散見される。丸顔で柔和なお顔立ちは、平安後期に流行した定朝様式を踏襲しているとのこと。長浜の観音としては、かなり「都ぶり」のお像である。

 医王山 総持寺は長浜市宮司町にある真言宗豊山派の寺院で薬師如来を本尊とし、近江国内の豊山派の触れ頭(ふれがしら)とか中本山とも呼ばれている。我が家は豊山派なので、ご縁があって嬉しい。長浜に多い、地域の集落でお守りされている観音さまとは少し違うようだが、宗旨にこだわらない支援組織を持っているところが似ている、という解説をされていたと思う(曖昧な理解になってしまったので、いつか現地に確認に行きたい)。

 左右の脇手は19本ずつ、持物は全て後補ということだが、精巧に作られていて面白かった。向かって右上側、パセリか春菊みたいな緑の植物が見えると思ったのは楊柳。

左下のトウモロコシみたいな植物は葡萄だった。

 

 ギャラリートークでは、千手観音の様式の変遷(最初に日本にもたらされたのは、神護寺の高雄曼荼羅)や長浜の千手観音の紹介があった。千手院の千手観音(川道観音)は33年ごとに開扉される秘仏だという。拝観したいなあ…。「たかつきのあんこうじ」は、長浜市高月町だと思って聞いていたが、大阪府高槻市の安岡寺(あんこうじ)に平安時代後期の千手観音坐像があるのだな。これも拝観したい。いろいろ気になる情報をいただけて、楽しかった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歴史物語としての魅力/吾妻鏡(藪本勝治)

2024-08-19 00:17:55 | 読んだもの(書籍)

〇藪本勝治『吾妻鏡-鎌倉幕府「正史」の虚実』(中公新書) 中央公論新社 2024.7

 『吾妻鏡』は、鎌倉幕府の公式記録として1300年頃に編纂された史書で、治承4年(1180)に源頼朝が伊豆で挙兵してから、文永3年(1266)に第6代将軍宗尊親王が京都に送還されるまでを各将軍ごとに漢文編年体で記している。鎌倉幕府の草創から中期までの事蹟を記した、ほぼ唯一のまとまった文献であり、現在一般にイメージされる鎌倉時代の歴史像は『吾妻鏡』によって形成されてきた。私はこの時代にそれほど詳しくないけれど、一昨年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を熱心に見ていたので、『吾妻鏡』にはこう記載されている、という解説には、けっこう気を配っていた。

 ところが、近年の研究によれば、『吾妻鏡』の本質は、多くのフィクションをまじえて構築された虚構のストーリーであることが分かってきたという。本書はこれを「頼朝挙兵」「平家追討」「奥州合戦」「比企氏の乱」「和田合戦」「実朝暗殺」「承久の乱」「宝治合戦」に焦点を当てて読み解いていく。

 たとえば「頼朝挙兵」について、『平家物語』では後白河の院宣と以仁王の令旨という二つの端緒が描かれるのに対して、『吾妻鏡』は令旨のみである。これは頼朝の挙兵を、頼政の宿意に端を発する源家再興の事業と位置づけるためと、令旨拝受の場に北条時政を介在させ、北条氏と源氏の結びつきを強調するためと考えられている。北条氏が自家の優越性を主張するために源氏将軍の権威を利用しているとも読める。ちなみに頼朝と時政の関係は、頼義(東国に源氏の地盤を確立)と平直方(助力者となった地元の豪族)の関係を想起させるように記述されている。

 もちろん『吾妻鏡』には、北条氏以外の忠臣の活躍も書き込まれている。こうした記事は、各家が頼朝と結びつこうとした家伝や、合戦の論功行賞のために提出した資料をそのまま取り込んだと見られている。その結果、複数の家の物語の相克が明らかになったり、敗者の声が紛れ込んだりしているのは、頼朝の支配の正統性を描くという構想の「ほころび」なのだが、そこにこの史書の魅力があるとも言える。

 頼朝の死後、頼家は徹底した悪王として描かれ、これと対比的に、北条泰時こそ頼朝の政道を継承する者として描かれる(このへん完全に『鎌倉殿』の配役でイメージ)。続いて登場する実朝は「文」(文芸、文書)の力を持ち、神仏と交信する存在であるのに対し、泰時は「武」と仁徳で武士たちを率いるという分業が意識されている。これは『吾妻鏡』編纂当時の、親王将軍と得宗家の分掌体制を反映してるという論も面白かった。

 しかし実朝は徐々に悪王化し(武を軽んじ、華美を好む)、神仏の加護を失い、暗殺される。この「悪王化」の一例として、唐船建造(失敗)説話が語られているが「これは虚構である可能性が高い」とのこと。「東大寺の大仏を再建した技術者である陳和卿が、海岸に船体が浮かぶかどうかという基本的な構造設計・地形調査を怠るはずもない」って、まあそうだよね。

 そして「承久の乱」を経て、頼朝以来の正統を受け継ぎ、神仏に庇護された英雄・泰時によって、得宗執権体制が確立される。なお京都では、その後の三浦義村の頓死、北条時房の急死、さらに泰時の死も後鳥羽院の怨霊の所為と考えられたが、『吾妻鏡』に後鳥羽院の怨霊に関する記事はない(泰時死去の年は欠巻)。編纂の同時代に近づく『吾妻鏡』後半の筆致が、前半の「文学的」魅力を失っていくのは、まあ仕方がないことかもしれない。

 本書は、京都の貴族の日記など、できるだけ同時代の史料を参照して『吾妻鏡』の曲筆、虚構を指摘しているのだが、参照資料のひとつとして、何度か定家の『明月記』が登場する。たとえば「和田合戦」について、鎌倉で起きた大事件だし、後世の編纂と言っても幕府の公的な史書なのだから『吾妻鏡』のほうが信用できるだろうと思ったら、実は『明月記』の記事の切り貼りで、しかも三浦義村の働きを省筆して、北条義時の美化が追加されているという検証には笑ってしまった。『明月記』、身近な京都の出来事だけを記録しているのではないのだな。あなどれない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024年7-8月展覧会拾遺

2024-08-18 21:13:35 | 行ったもの(美術館・見仏)

五島美術館 館蔵・夏の優品展『一味涼爽』(2024年6月22日~7月28日)

 「夏」と「涼」をテーマに、夏の情景を詠んだ古筆、日本画に表された消暑風景、清雅な禅僧の墨跡などを紹介。陶磁器に季節はなさそうだが、青磁や青花には涼しさを感じる。南宋・龍泉窯の『青磁鳳凰耳瓶』は、この種の瓶の中で最も大きい作例とのことで圧倒された。

日本民藝館 特別展・朝鮮民族美術館設立100年記念『柳宗悦と朝鮮民族美術館』(2024年6月15日~8月25日)

 1924(大正3)年、浅川伯教・巧兄弟と柳宗悦が、京城(現在のソウル)に朝鮮民族美術館を設立してから100年の節目に当たることを記念し、その足跡をたどり、当時集められた品々を中心に、設立募金関連資料や開催された展覧会の資料を交えて展示する。大展示室だけでなく、2階の各展示室は、全て朝鮮の絵画・工芸がテーマになっており、名品の数々をたっぷり楽しむことができた。満州族っぽい人々を描いた狩猟図が面白かった。

 パンフレットの解説によれば、3,000点以上に及んだと言われる朝鮮民族美術館のコレクションは、伯教によって国立民族博物館(ソウルの?)に移管され、後に国立中央博物館に収蔵されたという。日本民藝館に残されたのは、陶磁器を中心とするおよそ100点とのこと。残念なようでもあるが、正しい持ち主のもとに戻ってよかったというべきか。

千葉市美術館 企画展『岡本秋暉 百花百鳥に挑んだ江戸の絵師-摘水軒コレクションを中心に』(2024年6月28日~8月25日)+企画展『江戸絵画縦横無尽!摘水軒コレクション名品展』(2024年6月28日~8月25日)

 岡本秋暉(おかもとしゅうき、1807-1862)は濃厚華麗な花鳥画、とりわけ孔雀の名手として名を馳せた江戸後期の画人。世界一の秋暉コレクションを擁する摘水軒記念文化振興財団の所蔵品を中心に、約100件の作品で生い立ちから画業を通覧する18年ぶりの回顧展。私も岡本秋暉といえば孔雀画しか知らなかったのだが、様々な鳥を好んで描いたことを初めて知った。『鳥類写生図巻』『鳥絵手本』『百花百鳥図』など、どれも楽しい。『十二ヶ月花鳥図』は他の画家にもあるが、秋暉の場合、鳥の存在感が目立つ。そして秋暉が逗留したことで知られるのが、柏村(現千葉県柏市)の名主であった摘翠軒・寺嶋家で、ここにル-ツを持つのが摘水軒記念文化振興財団(理事長・寺嶋哲生氏)であるという。

 今回、岡本秋暉展と合わせて、摘水軒コレクションの名品展も開催されている。又兵衛、若冲、応挙、蘆雪、北斎などのビッグネームもあり、肉筆浮世絵、風俗画、博物画など、ジャンルも多様だが、最大の魅力は「ちょっとヘンな絵」が適度に混じっていることだと思う。柴田是真の『葡萄栗鼠図』は、なぜか葡萄の樹から真っ逆さまに落下するリスを描いたもので、思わず手を添えて写真を撮ってしまった。

目黒区立美術館 生誕130年『武井武雄展~幻想の世界へようこそ~』(2024年7月6日~8月25日)

 武井武雄(1894-1983)の豊富な創作活動をふりかえる展覧会。黒柳徹子さんの創作物語に武井の過去作品を挿絵として編集した絵本『木にとまりたかった木のはなし』を知ることができてよかった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第1季からパワーアップ/中華ドラマ『唐朝詭事録之西行』

2024-08-16 14:44:38 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『唐朝詭事録之西行』全40集(愛奇藝、2024年)

 2022年に公開された『唐朝詭事録』の続編である。前作はまあまあ楽しめたが、エピソードによっては退屈なものもあり、私は「ハマる」ほどではなかった。それが今回は激ハマりしてしまった。本作は第1季の登場人物そのままに「降魔変」「仵作之死」「風雪摩家店」「千重渡」「通天犀」「雲鼎酔」「上仙坊的来信」「供養人」の8つのエピソードで構成されている。

 「降魔変」の舞台は長安。大唐第一の絵師・秦孝白は成仏寺に降魔変の壁画を描いていたが、壁画の魔王が抜け出して人を襲う怪事件が起きる。大理寺少卿の盧凌風は、魔王との対決で重傷を負い、墓守に左遷されていた蘇無名が呼び戻される。最終的に事件は解決し、公主と太子を狙った国家転覆の陰謀を未然に防ぐことができたが、乱戦の中、盧凌風は公主に「娘(かあさん)」と呼びかけてしまう。孤児として育った盧凌風の母親が公主であることは前作で明らかになったが、一部の者だけが知る秘密だった。

 その後、皇帝は譲位を表明し太子が即位(これ玄宗なのか)。盧凌風は寒州雲鼎県の県尉に降格され、任地に赴くことになる。政治的な雲行きの危うさを察した蘇無名も職を辞し、桜桃とも別れて長安を離れるが、結局、一行は「仵作之死」の舞台である拾陽県で集合し、西を目指すことになる。博学と弁舌の蘇無名、安定の武闘派・盧凌風、やや無鉄砲な女侠の褚桜桃、絵画と観察力の裴喜君、毒薬にも詳しい神医・費鶏師が、それぞれの得意技を発揮して、チームで難事件を解決していく展開がとてもいい。昭和生まれの私には懐かしい「戦隊もの」みたい。

 前作の陰鬱な怪奇趣味はやや薄まり、論理的な「謎解き」に力点を置いたエピソードが多いのもよかった。「供養人」は童女の何気ないひとことが犯人捜しの鍵になる。私は中国語の七割くらいしか理解できていないので「不好惹」(なめてはいけない)の意味を初めて覚えた。「仵作之死」と「供養人」に出て来た古代の仵作(検死人)による死因の調査方法、あれは創作なのか、何か典拠があるのか気になる。

 荒唐無稽を突きつめたようなエピソードが「千重渡」で、大河(たぶん黄河)を船で渡ろうとした一行は、水中の怪物「破蜇」に出会う。 鮫の頭、蠍の尾、蟹の爪、蛸の足、蝙蝠の羽根を持つ(五不像)ウルトラ大怪獣みたいなやつ。この怪物と槍の使い手・盧凌風の対決が迫真のアクションで手に汗を握ってしまった(どう考えてもCGなのだが)。

 前作では青臭さの残る青年だった盧凌風が、徐々に世間知を身に着け、蘇無名とのバディ感を強めているのも嬉しい。「雲鼎酔」では唐の国禁を破って毎晩夜市が開催されている状況に怒るのだが、当地の庶民のためという前任県尉・司馬亮の意図に最後は理解を示す。「上仙坊的来信」では殺害された被害者の悪行三昧が明らかになるにつれ、容疑者の女性たちへの追及を取りやめる。本当の悪人は許さないが、基本は義理より人情の物語なのである。

 「風雪摩家店」で盧凌風らは摩什大師の舌舎利を得るが、これは鳩摩羅什が火葬されても遺言どおり舌が焼け残ったという伝説を踏まえているのだろう。「通天犀」の舞台となった寒州城はたぶん涼州(武威)で、武威にはゆかりの羅什寺塔が残る。「雲鼎酔」は盧凌風の任地・雲鼎県城が舞台だが、犯罪集団の本拠地に人々の意識を失わせる酒池があったのは、酒泉を念頭に置いているのかもしれない。そして最後の「供養人」は敦煌が舞台で、莫高窟で旅人のガイドを務める利発な少年が登場する。私は30年近く前、一回だけ河西回廊を旅行したことがあって、むちゃくちゃ懐かしかった。現地の風景は、もうすっかり変わっているんだろうなあ…。

 最終話は、一行が陰謀渦巻く長安へ呼び戻されるところで終わる。第2季が第1季より面白いというのは滅多にない事例なので、第3季にも大いに期待したい。ところで、雲鼎県で盧凌風の部下になった捕手の策龍(張層層)が好きだったんだけど、第3季の出番はないですかねえ。あと無骨一辺倒の盧凌風には剣より槍のほうが似合うと思うのだが、「通天犀」で失われた(?)槍は戻ってこないだろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最高級コレクション/美麗なるほとけ(根津美術館)

2024-08-15 23:45:17 | 行ったもの(美術館・見仏)

根津美術館 企画展『美麗なるほとけ-館蔵仏教絵画名作展-』(2024年7月27日~8月25日)

 根津美術館の仏画作例は「日本の私立美術館の中では最高レベルといってよい質と量を誇っています」と自ら言い切る自慢のコレクション。 本展は、特に美麗な名品や希少性が高い作例などにしぼった、いわばコレクションの粋を展示する。

 冒頭は「院政期の仏画」で『普賢十羅刹女像』と『大日如来像』。前者は、向かって左向きの白象の前に二童子、後ろ(右)に唐装の十羅刹女が従う。先頭の羅刹女だけヘアスタイルが違って巻髪らしい。最近の企画展『古美術かぞえうた』にも同名の仏画(鎌倉~南北朝時代)が出ていたが、こちらは平安時代の作。『大日如来像』は本展のポスター等にもなっているもの。朱隈を施した肌が輝くように美しく、全体に品のいい暖色系でまとまっている。元は仏像の像内納入品であったため、彩色の残りがよいとのこと。

 それから「曼荼羅」「密教の尊像」と続く。金剛界曼荼羅の中心の「成身会」だけを拡大した『金剛界八十一尊曼荼羅』は、両手を伸ばして円形区画の四方を支える尊像が好き。緑・青・白・赤の肉身をしている。外周を囲むのは宝相華らしいが、アザミのような赤い花に、アサガオのような葉っぱがついている。オレンジ色の表具もよく合っている。同じく金剛界曼荼羅の「理趣会」を取り出し、中尊を愛染明王に変えたのが『愛染曼荼羅』で、こちらの宝相華は紺地の背景にふわふわ漂うクラゲみたいに見える。

 あまり記憶になかったのは『大日金輪像・如意輪観音菩薩像』と題された厨子で、扉にあたる左右の板には、愛染明王と不動明王、中央の板(慳貪板/けんどんいた)には蝦蟇みたいに低い姿勢の獅子に乗った大日金輪像を描く。板の裏側は如意輪観音菩薩像とのことで写真が添えてあった。調べたら2013年の『曼荼羅展』では、板の両面が見える展示方式だったのだな。今回、「色鮮やかな五輪塔」も写真でしか見ることができなかった。なお独特の諸尊の組合せには、文観の思想が反映しているのではないかという。

 続いて「浄土」「神々」「霊現仏」など。印象的だったのは『二十五菩薩来迎蒔絵厨子』(室町時代)で、外側は金蒔絵の蓮の花びらがひたすら舞い散り、内側には菩薩来迎図。本尊は台座のみ残るところが、心ある人にだけ姿が見えるようでよかった。『那智瀧図』はありがとうございます。

 ここまで日本の仏画ばかりだったので、今回は中国・朝鮮の仏画はないのかしら?と思っていたら、ちゃんと展示室2に待っていた。まず「禅宗」の仏画として、明兆筆『五百羅漢図』2幅など。東博『東福寺展』にも出ていたものだ。因陀羅筆『布袋蒋摩訶問答図』もありがとうございます。高麗仏画はどれもいいが、やっぱり『地蔵菩薩像』(被帽地蔵)が好き。

 今回の仏画展、これで終わりではなくて、展示室5も「白描」「絵巻」等を展示している。大好きな『十二因縁絵巻』が冒頭(たぶん)から開いていて歓喜!「文化財オンライン」の解説を読んだら、折吒王は羅刹に喩えられた12の因縁を訪ね歩くのだな。太鼓三頭羅刹(お腹が大きい)、四頭四面羅刹など、名前はおどろおどろしいが、絵を見ると噴き出すほどかわいい。いまネットで詳細を調べていたら『十二因縁絵巻詞書』(美術研究 第18号 昭和8/1933年)という全文翻刻のPDFファイルを英国CORE(機関リポジトリアグリゲーター)のサイトで見つけてしまった。いい時代になったものである。『絵過去現在因果経』も長めに開いていたので、太子と愛馬カンタカの別れ(なかなか別れない)をしみじみ味わった。

 展示室6は「追善の茶事」。大正11年(1922)4月、根津嘉一郎が、山縣有朋、朝吹柴庵、益田紅艶(いずれも数寄者)3名の追善のために催した茶会に用いられた道具を主に展示する。経筒を花入に用いたり(大山蓮華を1輪挿した)、華籠を菓子器に用いたりなど、大胆な工夫もあり。鰐口やつれ風炉、燈籠釜も珍しかった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

細川家の歴史とともに/Come on!九曜紋(永青文庫)

2024-08-14 22:52:30 | 行ったもの(美術館・見仏)

永青文庫 令和6年夏季展『Come on!-九曜紋見つけて楽しむ細川家の家紋-』(2024年7月27日~9月23日)

 武器武具から調度品、染織品、掛軸の表装にいたるまで、大名家の伝来品にみられる九曜紋を幅広く展示し、細川家と九曜紋の関わりを紹介する。同館初となる家紋をテーマとした展覧会。昨年、同館所蔵の『長谷雄草紙』全巻公開展が開催されたとき、紀長谷雄邸に停められた牛車に描かれた九曜紋は「交通安全のお守りの役目の紋様だった」ということを初めて知った。以来、九曜紋のことが気になっていたので、うれしい企画だと思った。

 大きな円を小さな8個の円が取り囲む九曜紋は、太陽、月、火・水・木・金・土の五惑星、日月食や彗星に関係するとされる羅睺星・計都星を表すと言われ、細川家では、2代忠興が織田信長より九曜紋を拝領したと伝えられている。以上は本展の開催趣旨によるが、会場内にあった解説パネルによれば、忠興が信長の刀の小柄に施されていた九曜紋を気に入り、自ら願い出て使用を許可されたのだという。ところが、7代宗孝が、別の九曜紋の人物と取り違えられて斬りつけられるという事件が起きため、細川家では、9つの円を離した独自の「細川九曜」を用いるようになったという。面白すぎ。実際には、普通の九曜紋も細川九曜も併用されてきたようだ。

 菊や桐、雀などの具象的な家紋と違って、圧倒的にシンプルなデザインがカッコいい。『白羅紗地九曜紋付陣羽織』(細川光尚所用)は、名前のとおり、白地の陣羽織の背中に黒一色で大きな九曜紋を入れたもの。鐙や鞍、陣笠などの武具だけでなく、陶製の香炉や蒔絵の手箱にも付いていた。弓懸(弓を射るときの皮手袋)は、茶色地に白抜きで小さな九曜紋を散らした柄がオシャレ。復刻して何かグッズにしてくれないだろうか。

 あと気になったのは『軍配団扇』で、九曜紋は使われていないが、表面は黒地に赤い日の丸、裏面は黒・金・赤の星を円形に拝しており、日付や方角の吉凶の早見盤のようなものだったと思われる。天文学好きの綱利の所用として伝わるという。このひとは、携帯用の紙椀(折り畳み式の紙コップみたいなもの、九曜紋入り)も残っていて、面白い。

 久しぶりに御座船「波奈之丸(なみなしまる)」の図が見られたのも嬉しかった。側面に九曜紋が並んでいるのは、細川家の家紋であると同時に交通安全の意味も込められているのかもしれない。

 しかしこの展示でいちばん驚いたのは、2階展示室のカ-テンの模様が九曜紋だったこと。何度も来ているはずなのに一度も気づかなかった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

思い出の陶磁器コレクション/日本・東洋陶磁の精華(出光美術館)

2024-08-13 22:35:37 | 行ったもの(美術館・見仏)

出光美術館 出光美術館の軌跡 ここから、さきへIII『日本・東洋陶磁の精華-コレクションの深まり-』(2024年7月20日~8月25日)

 休館を控えた展覧会の第3弾は、同館コレクションの核とも言える日本と東洋の陶磁を展示する。本展の展示趣旨に「陶磁器は各国・地域で相互に影響を与えながらも、自然環境や文化・伝統などを背景に独自のフォルムやデザインを生み出していたことがわかります。出光美術館の陶磁器コレクションでは、これらを介した人々の交流、情熱を感じることができます」とあるのが嬉しかった。そう、私はこのような視点を、同館の展覧会を通じて学んできた。

 本展は冒頭に中国・朝鮮・日本の陶磁を代表する作品を数点ずつ並べている。中国の『青花龍文壺』(明・宣徳年代)は三本爪の龍のほかに鬼面(キールティムカ)4面が描かれているのが特色。ニューヨークメトロポリタン美術館の所蔵品と一対だが、1970年頃までタイのバンコクにあり、暹羅(シャム)国の朝貢の回賜品だったと考えられている。日本ものは巨大な『深鉢形土器(火炎土器)』(出土地の注記なし)と仁清の『色絵芥子文茶壺』で、この2つを並べるセンスが好き。『色絵芥子文茶壺』は芥子の花がわらわらと固まって咲いているのだが、裏側に1株だけ群れを離れた芥子があるのがよい。そして出光コレクションの陶磁は、どれも大ぶりだなあと感じた。

 次に中国・朝鮮・日本の各地域の名品を見ていく。中国は、まず『白地黒掻落牡丹唐草文枕』が出ていて嬉しかった。白と黒のうつわ、磁州窯の魅力を教えてもらったのは、ここ出光美術館の展覧会である。『青花騎馬人物文壺』(元時代)は王昭君の故事を描いたもので、ここに描かれた匈奴の風俗、武侠ドラマのモンゴルや金の風俗に影響を与えているような気がする。『青花魚藻文皿』(元時代)も好き。イスラム文化の影響で、中国には元来無かった大皿が制作され、輸出されるようになったという東西交流の一面も、私は同館の展覧会で覚えた。出光の朝鮮陶磁は、あまり意識したことがなかったが、『白砂鉄砂龍文壺』の龍が暴力的にゆるくてびっくりした。古すぎるんだけどケムンパスに似ていた。

 日本陶磁に行く前に、銅器や漆器、茶道具などの展示もあった。『鴟鴞卣(しきょうゆう)』は2羽のフクロウが背中合わせになったかたち。泉屋博古館の所蔵品は持ち手がついているだが、これは持ち手がないので、フクロウ感が強い。敵に囲まれて背中合わせで追いつめられた感じ(笑)。玉澗筆『山市晴嵐図』と徐祚筆『漁釣図』(どちらも南宋時代)を見ることができたのは幸運。

 日本陶磁は弥生時代後期の『朱彩壺形土器』から始まる。側面に赤色の太いボーダーが引かれている。よく見ると縄文も伴っており、縄文と弥生が、完全に別の文化ではないことを感じさせる。鎌倉時代後期の『灰釉牡丹文共蓋壺』には、中国の青磁壺の写しだが、轆轤を使わず、粘土紐を積み上げて整形しているとあって、え、そんな製法が分かるものなのか?と驚いた。桃山時代の『志野山水文鉢』は出世の代名詞である龍門の滝登りに挑む2匹の鯉を描いているが、画題を裏切ってのんびりした画風で好き。

 あとは柿右衛門も仁清も乾山も青木大米も、みんな出光美術館で覚えたなあと思ってしみじみした。ついでに陶片室もゆっくり一周してきた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする