見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

蘭州・寧夏から内蒙古2010【最終日】フフホト→北京→羽田

2010-08-29 02:34:50 | ■中国・台湾旅行
■(再び)内蒙古博物館

 飛行場にピックアップされる11:00までフリータイムだったので、タクシーで再び内蒙古博物館に行き、おととい見残した部分を中心に1時間ほど見学。でも恐竜エリアには足を踏み入れている余裕がなかった。

(お気に入りのジオラマ:マルコ・ポーロの謁見。皇帝フビライがこんなフレンドリーなわけないだろ!と突っ込みながら楽しむ)


 4日間お世話になったガイドさんと運転手さんは、今日は別の仕事があるそうで、旅行社の社長と若い運転手さんが迎えにくる。フフホト空港から北京まで約1時間。近い! 往路と同様、アルミホイルにくるまれたサンドイッチが出て、このパンが見た目よりも美味。

 北京で羽田行きに乗り継ぐ。食後、少し眠ってしまったが、ふと目を覚ましたら、文字どおり、宝石箱を開けたような夜景が目の前に。名古屋の上あたりを飛んでいたらしい。羽田には予定より遅れて22:00過ぎに到着。都内の自宅に帰りついたのが午前0時過ぎ。それでも11日分のメールチェックをして、翌日月曜からの出勤に備えた。以上で2010夏休み顛末記はおしまい。

(9/4記)
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蘭州・寧夏から内蒙古2010【10日目】フフホト

2010-08-28 02:34:24 | ■中国・台湾旅行
■盛楽博物館

 フフホトの東南、和林格尔(ホリンゴル)県にある博物館。今回のツアーの手配をした友人の話では、ホリンゴル県の壁画墓を見たいというオファーを出したところ、ユーラシア旅行社から、この博物館でも見られる、と教えられたそうだ。「本物はないかもしれないんですけどね」というので、あまり期待を持たないよう、自戒する。展示室をひとまわりして、最後に中央の「壁画室」に入ろうとして、びっくり。確かに複製は複製だが、壁画墓を丸ごと複製にしてしまっていたのだ。これは楽しすぎる。館内は撮影禁止なのだが、誰も見ていないので1枚、いや2枚…。





 なお、ホリンゴルから中原に進出した拓跋氏の足跡をたどるパネルで、平城(=山西省の大同)を紹介すべきところ、日本の奈良の地図が展示されていたのには苦笑してしまった。どうもネットから適当に画像を拾って解説パネルを作っているようで、あまりちゃんとした学芸員がいないのではないかと思われる。とはいえ、この博物館、向かいに工場を構える蒙牛乳業グループが強くサポートしているらしい。蒙牛乳業の社長は、瓶洗いから始めて、国営企業の伊利を追い越すに至った立志伝中の人。貧しい人々に教育や就労の機会を提供することにも熱心で、中国の繁栄は(共産党政府ではなく)こういう民間人に支えられているのだなと思う。

■王昭君墓

 ここも伝説に基づく王昭君墓のひとつに過ぎないが、観光地としては人気。併設の昭君博物館は、出土文物だけでなく、王昭君のイメージを使った近現代資料(ポスター、レコード、商品パッケージ、人形、日本製の紙芝居まで!)を展示していて面白かった。中国の博物館も、ようやく近現代を「歴史」として扱う方法を覚えてきたんだな…と思う。

■大召(だいしょう)

 昼食後はフフホト旧城内の寺院めぐり。こんなに(歩いて次に行けるくらい)寺が密集しているとは思ってもいなかった。フフホトは、16世紀にアルタン・ハーンによって築かれた古都であるが、アルタンは晩年にダライ・ラマ3世(事実上の1世といわれる)に帰依してチベット仏教に改宗し、数多くのチベット仏教寺院を建立した。そのため、市の中心部に今も多くの寺院が残っているのだ。

 しかし、近年の改修で往時の面影が壊されてしまったところも多い。大召は、いちばん奥の本堂の、さらに奥の仏殿まで入ると、龍の彫刻が巻きついた柱、古風な趣きの壁画を見ることができる(これらに銀製の大仏を加えて「大召三絶」というらしいが、あまり日本人の感覚には合わない)。

■座力図召(しりとしょう)

 ちょうど奥の仏殿に入ったとき、一生懸命、五体投地を繰り返している少年僧がいた。終わると、彼は太鼓を叩いて仲間を呼び集め、まもなく午後3時のお勤め(読経と奏楽)が始まった。ときどき、先生らしい年長の僧が、厳しい表情で少年たちの様子を見回っていた。見どころは美しく装飾されたラマ塔。



 また、山門を入ってすぐ、参道の左右に立つ「御碑亭」には、康熙帝の親征を記念した「康熙紀功碑」が立っている。1693年、モンゴル族のハルハ諸侯の要請に応えてオイラート族ジュンガル部を討伐したもので、これ以後、モンゴル族は清朝の政治体制下に組み入れられていく。康熙帝については、フフホトの月明楼という酒館に「微服私訪」したという伝説も伝わり、後世、その様子を描いた有名な絵画もあるそうだ。大召、座力図召にほど近い広場に「月明楼」の名前を掲げる大きなレストランもあった。

■五塔寺

 清の雍正年間に建立。七層の方形の金剛座の上に、五つの小塔がそびえる。金剛座の上までは登ることができる。モンゴル、チベット、サンスクリットの3種の文字で書かれた金剛経や、天王、菩薩、天馬、迦陵頻伽などの華麗な彫刻で装飾されている。塔の初層の壁に、モンゴル文字で星の名前を記した天文図(蒙文天文図)が収められているが、保護ガラスに西日が反射して、ほとんど読めず。

 まだ夕食まで時間があったので、ガイドさんの案内で「内蒙古のお土産が買えるところ」へ連れていってもらう。以前は、こういうケースで、外国人(特に日本人)をターゲットにした高級商店に連れていかれるのが常だったが、この数年、中国では日本人旅行客が減り、代わって国内の旅行ブームが高まっている。そのため、今回連れていってもらった商店も、主要ターゲットは中国南方からのお客さんで、価格は比較的リーズナブル。私はめずらしく図書以外に散財して、カシミアのマフラーを買う。

 最後の夕食は「羊肉料理が食べたい」とリクエストしてみたところ、「自分の友だちが民族音楽ショーのあるレストランを経営しているから」ということで、郊外の野生生態動物園(?)に向かう。しかし、結局、経営者のおじさんと挨拶はしたが、民族音楽ショーは見られず。まあ食事は美味しかったので、いいけど。

 ホテルに戻ってみると、私と友人の部屋に湯たんぽが置かれ、デスクにはメッセージつきで黒砂糖茶のサービスが。実は、このホテル、水まわりが不調で、昨日はトイレを詰まらせたあげく、トイレットペーパーを全部使い切ってしまったのである。それを見て、お腹を壊した客がいると判断しての特別サービスではないかと思われる。同行の友人(男性)の部屋には「今日は特別暑かったから」というメッセージつきで別の飲物(菊茶)が届けられていた。最近は中国のホテルでも、このように細やかなサービス合戦が行われているらしい。



(9/4記)
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蘭州・寧夏から内蒙古2010【9日目】包頭→フフホト

2010-08-27 02:34:01 | ■中国・台湾旅行
■美岱召(びだいしょう)

 包頭市の東方、フフホト市に向かう途中にある明代創建の寺院。日本ではあまり情報がなかったが、行ってみると、明代らしい大らかな古建築、素晴らしい壁画も残っていた。すぐそばに内蒙古農業大学(?)の分校キャンパスがあって、ガイドの徳さんは「私は大学卒業後、ここに日本語を教えにきていました」としきりに懐かしがる。



■白塔

 午後、フフホト市に到着。八角七層の遼代の白塔(万部華厳経塔)を見に行く。下層の外壁には天王像か金剛力士像らしき装飾が見られるが、頭部の破損が激しい。内部に入ってもいいというので、持参の懐中電灯をたよりに入っていくと、内壁にさまざまな墨書が残っている。嘘かホントか「至元」「至正」などの年号もあって、興奮!

(至元:元成祖1264-1294年か、元順帝1335-1340年?)


(至正四年:元順帝1344年?)


(時代不詳のトラの絵も)


 次の博物館の時間が気になって、慌てて下りていくと、白塔の管理人のおじさん(昼間から酒臭い)とガイドさんがすっかり意気投合中。運転手さんは、管理人のおじさんから畑のトマトとトウモロコシを貰って車に積み込んでいる。なんともフリーダムな人々。

■内蒙古博物院

 このツアー、博物館を訪ねるたびに「デカい、きれい、新しい」を繰り返してきたが、その決定打のような博物館だった。規模に関しては、ロンドンのブリティッシュ・ライブラリーを見たときの衝撃に匹敵する。2007年竣工、2009年開館。規模はデカいが、洗練されて繊細なデザインは日本人っぽいなと感じたとおり、調べてみたら安井設計事務所と大島設計(大島弘資)が共同設計したものだという。2009年度の「日本建築家協会優秀建築選200選」にも選ばれている。



 古代からの歴史文物に加え、近現代のアーカイブズ資料(抗日戦争の資料だったりするのだが、プロパガンダ風味が希薄で客観的なので、けっこう楽しめる)、恐竜、宇宙開発など、科学博物館の要素も持っている。おそらく、これまでの中国の技術では展示が難しかったと思われる布製品がたくさんあって、興味深かった。また、さまざまな民族が興亡を繰り返す、内蒙古の複雑な歴史を、人形を使ったジオラマで分かりやすく展示していたのも楽しめた。バチバチ写真を撮ってしまった。上海博物館所蔵の陶磁器展は別料金を徴収していたが、自館所蔵資料による『元代文物精品特展(特別展)』は、素晴らしい内容にもかかわらず、無料。すごいな~。本気で中国人民が羨ましい。

(9/4)
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蘭州・寧夏から内蒙古2010【8日目】包頭

2010-08-26 02:33:37 | ■中国・台湾旅行
■五当召

 朝、包頭市北方の山間部に向かう。車中で包頭市の概況についてガイドさんの説明を聞き、「包頭(パオトウ」がモンゴル語で「鹿のいるところ」を意味すると聞いたときは「奈良かよ!」と思った。道路はよく整備されているが、大型トラックと並走する場面が多くて、なかなかスリリング。工事迂回のため、泥水の中にダイブするような荒技も体験した。どんな場面にも動じる様子のない運転手さんは、実は公安関係者であると後で判明。観光ドライバーは副業なのか…。

 五当召は、内モンゴル最大のチベット式寺院。「召」は寺の意。学問寺として名高い。むかしの都営住宅みたいな簡素な四角い建築が並んでいる一角があって、学僧たちの寮だそうだ。曲がりくねった坂道を上がっていくと、白壁の寺廟、金色のマニ車の列、青や黄色の薄絹(カタ)で飾られた木々など、次々に景観が変わる。のんびり観光できたこともあって、とても気に入ってしまった。寺廟の入口の左右には、必ず六道輪廻図と須弥山の図が描かれていた。





 境内に近代的な寺宝の展示施設もあって、そこで目についたのは「能食金剛香炉」(清代)。ほんとに何でも食べてしまいそうな顔つきである。



■成吉思汗(ジンギスカン)陵

 昼食後は、包頭市から南下してジンギスカン陵に向かう。伝説に基づいて設けられた近代的な陵墓だが、季節によっては、モンゴル相撲、競馬など、さまざまなイベントを行っており、旅游区としての人気は高いようだ。壁画に描かれたジンギスカンの一代記を眺めていると、むかし読んだ井上靖の『蒼き狼』や、記憶に新しい金庸の『射雕英雄伝』がよみがえってくる。

 ちなみに包頭のホテル、「冷蔵庫の中の飲料は全て無料(ビール、オレンジジュースあり)」をうたっていたので、この日は大宴会ができる?と思っていたが、遅くなってしまったので、大人しく寝る。

(9/4記)

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蘭州・寧夏から内蒙古2010【7日目】銀川→包頭

2010-08-25 02:33:12 | ■中国・台湾旅行
■承天寺塔

 西夏時代の外観をとどめて清代に再建されたという八角塔。中国風味とイスラム風味が微妙に混じっている感じがする。工事中のため、門内には入れず。塀の外から写真だけ撮る。

■寧夏博物館

寧夏回族自治区の成立50周年に当たる2008年にオープン。ここも規模広壮で、新しくてきれい。入館無料。ただし展示は、西夏王陵博物館や賀蘭山岩画館など、「現地」密着の博物館に比べると、複製品が多いように思った。博物館の向かいの寧夏図書館も、外観を見る限り、国会図書館関西館も真っ青の威容。さらに博物館と図書館の間に劇場を建設中とのこと。いま、中国政府が文化行政に投じている資金は半端でない。その一方、福祉や弱者救済はあまり進んでいるように見えないので、一概には称賛できない。中国って、やっぱりアメリカを国家モデルにしてるのかなあ…などと考える。


(これは図書館)

 銀川駅で、ガイドの劉さん、食事時の鍋奉行ならぬ”肉奉行”として印象的だった運転手さんと別れる。ここからは、われわれ3人だけで列車に乗り、内蒙古自治区の包頭に向かうのだ。列車は銀川始発の北京行き。9月から始まる新学期に合わせて、大きな荷物を抱えて故郷を離れる若者でゴッタ返していた。席は「軟臥」と呼ばれる4人用の寝台コンパートメント車。靴を脱ぎ、ごろ寝しながら列車旅が楽しめて快適。われわれ3人と同室になった中国人の男性は、新疆から銀川に出てきて、さらに北京へ向かうところだという。銀色の文字で「警察」と入った財布をポケットに入れていて、あれはオモチャか本物かを3人でこそこそ話し合った。



 食事は餐車(食堂車)で。簡単に済ませるつもりだったが、「乗警」(鉄道警察隊)の徽章をつけたあんちゃんが注文を取りに来て「日本朋友!」と分かるとすかさずビールを勧められた。ノリが関西人っぽい。中国の乗警さんの業務は、乗客の身分証チェックから弁当の車内販売まで幅広い。

 包頭(パオトウ、現地の発音はボートウに近い)駅に到着。旅の後半を案内してくれるガイドの徳さんに迎えられる。普通なら駅前に専用車が待っているところ、タクシーを呼び、後ろのトランクに3人分の荷物を積み込む。蓋が閉まらないので開けっぱなしで街を走り出したのには、冷や汗をかきつつ、爆笑。少し走ったところで、待っていた専用車に乗り換える。実は、車もガイドさんも呼和浩特(フフホト)市の所属なので、包頭市で仕事をしようとすると、面倒臭いらしい。何しろ「内蒙古自治区」だけで日本の4倍の面積だというから、事情もあるのだろう。

(9/4記)
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蘭州・寧夏から内蒙古2010【6日目】銀川

2010-08-24 02:32:51 | ■中国・台湾旅行
■西夏王陵

 銀川市の郊外、今回のツアーで一番楽しみにしていた西夏王陵に向かう。西夏(せいか)は、中国近世、宋、遼、金などと時代を同じくするタングート族の国家。西夏文字という、漢字に似て、より複雑な独特の文字を持つことで知られる。近年は『射雕英雄伝』や『天龍八部』などの武侠小説(とTVドラマ)によって、妙に親しい存在となってしまった。王陵区の入口は、立派なゲートが設けられ、観光用の電気自動車が待っていて、ちょっと嫌な予感。しかし、王陵(三号陵園)周辺は、まだ自然の景観がそのまま保存されていた。併設の博物館で出土品を見学することもできた。



■賀蘭山岩画

 こちらは全く予習をしていなかったので、何もの?と思ったら、古代人(旧石器時代から西夏時代まで)の岩絵が多数見られる渓谷だという。もとからこの渓谷にあったものも、観光に便利なように他所から移築してきたものもあるらしい。世界史ではラスコー、アルタミラなどの「洞窟壁画」として習うものだが、中国では、露天の岩壁に描かれたものが多いようだ。画題は動物や人の顔など。岩絵よりびっくりしたのは、渓谷に野生のヤギが現れたこと(すぐに険しい岩壁を駆け上がって消えていったが、保護色なので見つけにくい!)。





■拝寺口双塔

 賀蘭山のふもとに残る双塔。頭頂部が小さく、トウモロコシを突き立てたような姿をしている。雲南の大理を思い出す美景である。柵の中に西夏時代の瓦礫が集められて積み上げられていた(ホント?)。妙に愛想のいい坊さんが迎えてくれたと思ったら、ひとりずつお布施を迫られて閉口した。



■海宝塔寺

 銀川市街にある大きな寺院。最近、公園として整備されたばかりだという。それにしても、大賑わいと思ったら、入口に「盂蘭盆会」の垂れ幕。この日は、ちょうど旧暦の7月15日だったのだ。参拝客のほかに物売りも物乞いも集まり、すごい人出。塔は楼閣式九層。四角張っていて、あまり中国ふうではなく、西域ふう(イスラム建築ふう)な感じがした。



 蘭州から銀川まで同行してくれたガイドの劉さんとは、明日でお別れ。夕食はホテル近くの庶民的な串焼き屋。ビール、枝豆、串焼き(ただし羊肉がメイン)で話し込んでいると、上野か赤羽あたりの飲み屋にいるような気がする。横行する官僚の身内びいきと汚職に触れて「中国、だめだよね、共産党一党だけでは…」なんてこともつぶやいていた。

(9/4記)
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蘭州・寧夏から内蒙古2010【5日目】中衛→銀川

2010-08-23 02:32:36 | ■中国・台湾旅行
■沙坡頭観光区(黄河遊覧)

 同区は、中衛市近郊に設けられた、砂漠・草原・湖・黄河を一体化した遊園地。「ここは楽しいですよ」とガイドさんも嬉しそう。サラサラした砂の斜面で遊んだあと、羊皮筏子(ヤンピーファーズ)と呼ばれる、羊の皮袋(羊の形そのまま)をつけた筏で黄河下りを体験する。これ、『西遊妖猿伝』にも出てきたっけね!



■百八塔(一百零八塔)

 銀川市をめざして北上の途中、再びモーターボートで黄河を渡る。このツアー、救命胴衣を着けるのは何度目か。黄河に臨む対岸の斜面に、108基のチベット仏教式の白塔が大きな三角形状に整然と並んでいた。不思議な景観。

■銀川(南門楼~玉皇閣~鐘鼓楼)

 銀川には明るいうちに着いたため、ホテル周辺を散策。北京の天安門にそっくりな南門に驚く。鐘鼓楼近くのレストランで夕食。



(9/3記)
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蘭州・寧夏から内蒙古2010【4日目】固原→中衛

2010-08-22 02:32:08 | ■中国・台湾旅行
■固原博物館

 日曜の朝、博物館が開くまでの間、近くの小高い丘を散策。昨日、車で超えてきた伝説の六盤山を遠望する。固原博物館は、寧夏回族自治区の「省級」博物館。立派な建物だが、展示品は複製が多いように感じた。

■戦国秦漢長城

 固原の市街地を離れてすぐ、高速道路と交差する長城遺址(看板の表記は「秦長城」)を観光するため、しばし停車。

■須弥山石窟

 中衛に向かう途中、須弥山石窟を観光。北魏から隋、唐に造営された130余りの石窟が赤土の斜面に張り付いている。中心となる大仏楼をはじめ、露天に剥き出しの石窟もあれば、覆い屋がかぶせられ、円光寺・相国寺・桃花洞などの名前で呼ばれているものもある。円光寺(圓光寺)と呼ばれる石窟では、優れた造形に感銘を受けたが、常住の尼僧と現地ガイドの女性にガードされて写真を撮れず。しかし、最後の相国寺と呼ばれる石窟の説明が終わると、現地ガイドさんは帰ってしまったので、すばやく同石窟内を写真に収める。おおらかな雰囲気が、雲崗石窟の丸彫り仏に似ているようで、私は好きだ。





■高廟

 中衛に到着。旧城内の保安寺という寺院の一角にある古建築、高廟を観光。増築を繰り返した複雑な造りは、噂に聞く水木しげる邸みたい(?)。古いガイドブックには「儒教・仏教・道教の三教を合祀」とあるが、現在は仏教色が強く、しかもヘンに観光客慣れした坊さんがいて、ここで写真を撮れ、あそこで撮れ、とうるさくアドバイスしてくれた。地下には「地獄」めぐりの門が設けられていて、ツアーガイドの劉さんは「止めましょうよ」と辟易していたが、子どもだましを承知で、日本人3人で入ってみる。最後は「甘露王」観音菩薩にめぐりあうが、解脱門(緊急避難口)から出ることは許されず、また娑婆に舞い戻るというオチつき。



 鼓楼のあるロータリーに面したホテルに泊まる。

(9/2記)
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蘭州・寧夏から内蒙古2010【3日目】蘭州→固原

2010-08-21 02:31:41 | ■中国・台湾旅行
■白塔山公園

 蘭州市のシンボルとも言うべき、黄河にかかった中山鉄橋を渡り、見晴らしのいい白塔山に登る。山頂には元代の白塔(ラマ教の白塔と多重塔を折衷したような、変わったかたち)が立ち、その足下には、蘭州名物の刻絵葫蘆(ひょうたん)を売る店がある。以前来たとき、一生懸命値切って買って帰ったのは、西遊記の一場面を描いた高級品の絵葫蘆だった。まだ大事に持っているが、日本の湿気に負けて、すっかり黒ずんでしまった。今回は、「学生の作品」だという、飛天を描いた安物をあえて買う。ゆるい感じが気に入ったので。

↓今回のお買い上げ


↓前回のお買い上げ(丁丑年、陳紅の銘あり)


 これで、短い蘭州滞在は終了。専用車で、草原あり、台地あり、緑の山ありの車窓風景を楽しみながら、省境を超えて、固原に向かう。途中、名物の地鶏で昼食。老練な運転手さんに勧められ、同行の友人(女性)は、焼きニワトリの頸にかぶりつく。

 夕刻、寧夏回族自治区の固原市に到着。甘粛省蘭州の運転手さんの仕事はここまで(中国の運転手さんは、一般に省境を超えた仕事をしない)。夕食から、寧夏の車と運転手さんに交替したが、上述のいちばん若い友人が、食事時に「吃肉(肉を食べなさい!)」と勧められるのは同じ。

(9/2記)
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蘭州・寧夏から内蒙古2010【2日目】蘭州

2010-08-20 02:31:17 | ■中国・台湾旅行
 蘭州は、シルクロードに続く「河西回廊」の入口の都市。10年ほど前に初めて来たときは、地味な服装に白い帽子を被った回族の人々が印象的だったが、高層ビルが林立する近代的な街に変貌していた。

■甘粛省博物館

 朝一番、ガイドさんの案内で訪ねたのが甘粛省博物館。開館(9時)より少し早かったので、暫く待つ。今回訪ねた省級博物館は、いずれも毎日、一定人数までは入館無料というシステムを取っていた。まず「検票処」で当日有効の無料入館券を貰い、持ち物検査(かなりいい加減だが、飲料類の持ち込み禁止)を経て入館する。

 同館は、2007年にリニューアル・オープンしただけあって、規模も設備も展示方法も、中国の博物館のイメージを根底から覆す充実ぶりだった。前回の旅行で訪ねたはずの旧館は、よく覚えていない。あとで写真を探して比べてみようと思う。



 いちばん印象的だったのは、やっぱり「馬踏飛燕(ばとうひえん)」。甘粛省武威市の雷祖廟雷台漢墓から発掘された銅馬である。展示室では「馬踏飛燕」前方の大スクリーンに、河西回廊の大草原を映し出し、吹きすさぶ風の効果音が流れていて、ちょっと感動的だった。背後には、38匹の銅馬、14両の銅車、17体の武士俑等々から成る一大隊が粛然と並んでいる。これは展示上の演出?と思ったが、どちらも雷台漢墓の出土品だというから、もとからセットだったのね。

 中国の博物館内は、フラッシュを使わなければ写真撮り放題のところが多い。たくさん撮ってきたので、何かの方法でまとめて公開しようと思っている。しばしお待ちを。

■炳霊寺石窟

 続いて、蘭州市の郊外、炳霊寺(へいれいじ)石窟に向かう。今、ネットで調べたら「市内より85キロ、1.5時間」という情報が出てきた。まあそんなものだったかな。劉家峡ダムで昼食。ここからボートに乗り換える。前回のツアー(日本人6人)も同様で、「遊覧船に乗ります」というから、箱根の山中湖みたいな遊覧船かと思っていたら、「飛魚1号」という快速小型ボートだった。今回は日本人3人+ガイドさんなので、さらに心細い小さなボートに乗り込む。広い劉家峡ダムを縦断し、細い川筋をしばらく遡って、炳霊寺石窟の下船場に到着した。



 整備された遊歩道(前回はなかった?)を少し歩くと、西秦から隋、唐、明、清までの各時代に造営された190あまりの石窟、大小700体近くの仏像が残る炳霊寺石窟が見えてくる。前回は修復中だったため、最も大きな大仏(171龕?)を見上げることしかできなかった。今回、やはり再訪の友人は、公開されている有料窟を全部見るつもりで意気込んでいたが、結局、最も有名な有料窟「169窟」の拝観にとどめることになった。

 169窟は大仏の右肩の上方にあるため、現地ガイドさん(女性)の案内で、岩壁に張り付いた梯子のような急階段をいくつも上がる(男性の警備員も後ろを着いてくる)。かなり大きな窟で、さまざまな時代の塑像・壁画・銘文が混在している。



 先日、奈良国立博物館の『東大寺法華堂金剛力士像特別公開』の壁のパネル(および展示図録)で、この窟に着甲(神将)タイプの金剛力士像があることを読んでいたが、ガイドさんの説明に出てこないので、いちおう聞いてみた。すると、現地では「天王」と呼び習わしている像がそれだろう、と言う。右脇侍が菩薩像、左脇侍が天王(力士)像という、不思議な三尊像である。一段高いところにあるので、梯子に登って近づいてみると、杵のようなものを持っており、なるほど金剛力士像(または執金剛神像)と呼んでもおかしくない、ということを確認する。

 梯子を下り、ボートに戻る途中から雨が降り出す。再びボートで帰途についたものの、次第に風雨が激しくなり、水面が荒れてくる。屋根つきのボートではあったが、窓ガラス(アクリル板?)があちこち外れはじめ、救命胴衣を着けているとは言いながら、生きた心地がしない。ついにダムの縦断を諦め、途中の岸に船を寄せる。ガイドさんが、乗せてくれるというタクシーを探してきたが、女性運転手のほかに、既に助手席に小犬を抱いた女性がひとり。仕方ないので、われわれ3人が後部座席へ、細身のガイドさん(男性)は助手席に無理やり潜り込み、運転手込み、6人1匹のぎゅうぎゅう詰めで発車。まあ中国ではよくあること。

 郊外のロータリーでタクシーを降り、劉家峡ダムから駆けつけてきた、われわれの専用車に拾ってもらう。やれやれ。かくて蘭州市内に戻ったのは、長い夏の日も落ちたあと。観光初日から大冒険だった。

(8/31記)

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