見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

元代の絵画/東京国立博物館

2004-11-30 12:17:29 | 行ったもの(美術館・見仏)
○東京国立博物館 特集陳列『中国書画精華』

http://www.tnm.jp/

 忙中閑を見つけて、前期に続いて、後期も覗いてきた。後期は元~明代の絵画が中心である。

 私は元代の絵画が好きだ。元代の絵画には、対象を凝視する作者の視線を強く感じる。南宋盛期の絵画のように、作者の存在を忘れさせれるような圧倒的な芸術性は無いかもしれない。ただ、対象に向かう視線、そしていつの間にか、反転して自分自身の胸中を覗き込むような、強い視線の流れを感じ、そこに惹かれるのだ。伝・孫君沢の「高士観眺図(こうしかんちょうず)」はその典型の1つである。夕景を思わせる墨の繊細な濃淡は、西洋のリトグラフみたいだ。「雪汀遊禽図」の樹木の表現にも何か写実を超えた生気のようなものがあって、見入られてしまう。

 これは南宋絵画に属するが、五代後蜀の伝・石恪筆「二祖調心図(にそちょうしんず)」は楽しかった。豊干禅師だと思うが、小脇に抱えられた虎がキュート。はらぺこあおむしみたいな虎である。

 展示会のページはもう消えているので、作品に興味のある方は、東博の「館蔵品ギャラリー」からどうぞ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地方仏の衝撃/茨城県立歴史館

2004-11-29 23:46:02 | 行ったもの(美術館・見仏)
○茨城県立歴史館 開館30周年記念特別展Ⅰ『茨城の仏教遺宝―みほとけの情景とまなざし―』

http://www.ibaraki-rekishikan.com/

 最終日ぎりぎり、上野からスーパーひたちで往復という贅沢をして見に行った。いや~見逃さなくてよかった。感動した。県内各地から80体近い仏像が集められていた。展示は時代順で、古代の小さな金銅仏が少々。平安仏は、粗雑な補修や彩色を施された状態のものが多く、頭の中で原型を復元するのが、ちょっとつらい。鎌倉期になると、かなりいいものが増える。

 好みを言うと、平安仏では、定朝様の温顔がなつかしい守谷市・大円寺の釈迦如来。笠間市・岩谷寺の薬師如来(鎌倉前期)は、さすが国重文の貫禄、隅々まで破綻のない造型である。鎌倉後期に補われたという光背も美しい。伊奈町の阿弥陀如来坐像、玉造町・持福院の釈迦如来坐像は、うつむき加減の内省的な表情に惹かれる。

 玉造町・西蓮寺の十二神将像は圧倒的だった。室生寺など慶派の造型を基本に、東国の荒々しさが加味された感じがする。これほどの優品を知らなかったなんて、嘘のようだ。

 それから、茨城の仏教遺宝と言えるのかどうか分からないが、もとは岡倉天心の蒐集品と思われる観音菩薩立像があった。平安仏だが、欠損が激しく、顔立ちも定かでない。砂漠に眠る美女のミイラのようで、数奇な運命に想像が広がる。

 最近の調査で、大洗町・西光院の阿弥陀如来立像は、水府村の鉄造阿弥陀如来の木型であることが判明したというのも興味深かった。両者を並べてみると、確かに衣文の流れが瓜二つである。大人の背丈ほどもある巨大な鉄仏も珍しいと思った。前後を合わせた継ぎ目が明らかで、人形焼きみたいだった。

 近年、各地方の仏教美術に焦点を当てた展示会は多い。今年の夏に行われた山口県立美術館の『周防国分寺展』も、同時に山口県(特に県央)の仏教美術展の要素があった。昨年は、四日市市立博物館の『仏像東漸』、岡崎市美術博物館の『天台のほとけ』、そして石川県立歴史博物館の『能登仏像紀行』(図録が売り切れだったことが惜しまれる!)があった。このほかにも、私の見逃している展示会は多数あることと思う。

 個人では効率よく回るのも難しいし、なかなか扉を開けてもらえないお寺の仏様を、こうして拝見できるのはうれしい。各地の学芸員の方々には、ぜひ頑張ってほしい。ちなみに、個人的には鳥取篇が見たいなあ~。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年の紅葉

2004-11-28 21:07:50 | なごみ写真帖
昨年に比べると、どこもきれいですね。昨年より忙しくて、あまり出歩けないのが悲しい。

京都はかなり色づいてました。東京はもうちょっと。鎌倉はどうかしら。
来週末も忙しそうだし、その次まで持ってくるといいな...



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小泉純一郎:血脈の王朝

2004-11-27 21:52:23 | 読んだもの(書籍)
○佐野眞一『小泉純一郎:血脈の王朝』文藝春秋社 2004.11

 小泉純一郎論。ただし、小泉自身を正面から取り上げた第4章は、比較的短い文章で、掘り下げ方も浅い。圧倒的なボリュームを占めるのは、小泉政権の進路に大きな影響を与え続けている、飯島勲、田中真紀子、小泉信子という3人の実像に迫るルポルタージュである。

 著者は、3人に共通するキーワードとして「血脈」への執着を挙げる。

 飯島勲は、小泉の政策担当秘書官。相撲取りのような巨体、アクの強い、ふてぶてしい言動で知られ、よからぬ噂にも事欠かない。彼は極貧の中に生まれ、現在の地位まで成り上がった。姉妹と弟は知的障害者である。彼の権力欲の裏にあるものは「自分が死んだら姉弟たちはどうなるのか」という恐怖と不安なのではないか、「教会の牧師のような」小泉純一郎と姉・信子の濃密な姉弟関係に、飯島は、自分が求めてやまない「理想の家族愛」を見ているのではないか、と著者は読み解く。

 田中真紀子について、著者の取材に応じた人々は、「言うことがコロコロ変わる」「強烈な身分意識」「永田町にいられる人じゃない」等々、口を揃えて切り捨てており、著者もこれに無言の同意を与えている。政治家・田中真紀子の評価はさておき、著者は、彼女の破滅衝動の根底にあるものに興味を感じている。それは、父・角栄に対する復讐心ではないか。分かる。田中真紀子の姿には、どこかに(私と同じ)「父親に愛されなかった娘」の哀れを感じることがあるのだ。しかし、残念ながら、この点、本書の考察は不十分である。「東電OL事件」など、女性の破滅衝動を追った経験のある著者には、稿を改めて、より詳しい田中真紀子論を望みたい。

 そして、小泉の実姉・信子。小泉事務所の金庫番と言われ、小泉総理のただひとりの相談相手とも称されているが、決してマスコミには登場しようとしない。扉につかわれている写真は40歳頃のものというが、美しい。本稿では、結局、信子の実像というのは、あまり浮かび上がってこない。しかし、祖父・又次郎に始まる小泉家の歴史を丹念に追った部分は読ませる(3代続く政治家の家系だとは聞いていたが、父・純也が婿養子だということは初めて知った)。歌舞音曲に親しい放蕩の血、美形好きの血、そして女系の強さ。濃いなあ。横溝正史の世界に近い。

 やはり、いちばん面白かったのは、本人とのインタビューを伴う飯島勲の章。あとはちょっと物足りない。田中真紀子の章では、角栄の介護を手伝った元力士の証言が興味深かった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

記憶と忘却/戦争の世紀を超えて

2004-11-26 00:01:11 | 読んだもの(書籍)
○森達也、姜尚中『戦争の世紀を超えて:その場所で語られるべき戦争の記憶がある』講談社 2004.11

 アウシュビッツ、ザクセンハウゼン、ベルリン、ワルシャワ、そしてソウル、オドゥンサン統一展望台、東京裁判の行われた市ヶ谷記念館など、戦争の記憶を色濃く残す場所を訪ね歩きながら語られた2人の対談集である。

 カラーページの写真では、殺戮の現場に、確かに2人の著者が立っている。そのことがページをめくる私を少し緊張させる。この本は、机上のシミュレーションとして「正義」や「平和」を語るのではなく、実際に人間の血が流された場所で、その記憶と対峙し、いわば自分も血を流す覚悟で、そうした重いテーマを語ろうとしているのだ。

 しかも、この編集者は意地悪だ。何枚かの写真で、2人は記念写真のようにカメラに正対させられている。こんな問答無用の場所に立って、どんな表情をしたらいいというのだろう? しかし、彼らは、緊張や動揺や、解決のつかない居心地悪さを隠そうとせず、悪びれもせず、読者に視線を投げかけている。その姿は、本書の真剣さを担保しているように思われた。

 ポーランドのイエドヴァブネ(初めて聞く地名だった)は、本書のテーマを象徴する場所だ。第二次世界大戦中、ナチスとは全く関係のないポーランド系住民によって、ユダヤ人の大量虐殺が行われた村である。軍部に強制されたわけではない、自由意志を持つ、善良な普通の村人たちが、なぜ、そんな残虐を行い得たのか? 「それは、民族紛争や内戦で善良な人々が相互に殺し合いを演じる構図をぎゅっと圧縮して示しているように思えるのです」と姜尚中は提起する。

 民族性とか宗教とか、共同体の暴走とか、ルサンチマンとか、2人はさまざまな解をあげながら、それら通りのいい説明を注意深く拒んで、どこまでも「加虐者」の真実に喰らいついていこうとする。読み物としてはスリリングだ。しかし、正直いって、普通の市民には少ししんどいかも知れない。たぶん多くの人々は、「ナチス」や「テロリストたち」が狂気の集団として断罪されることを喜ぶだろう。彼らの狂気は、我々の「正気」と「正義」の証明でもある。しかし、野蛮と狂気は、本当に「彼ら」だけのものか。我々の心の中に、同じ加害の轍を踏む可能性は絶対にないのだろうか。

 そして「記憶」と「忘却」の問題。「記憶」がルサンチマンの連鎖を呼ぶだけだとしたら、我々はいっそ全てを忘れたほうがいいのではないか。森達也は言う。「被虐の記憶だけではなく、憎悪の感覚を忘却するメカニズムの構築。でもこれはとても難しい。ならばせめて、歯を食いしばりながら加害した側へ思いを馳せること」だと。

 こういうタフネスに裏付けられた思弁こそ、本当の知性の仕事なのだと思う。タフでなければ、南北朝鮮を隔てるイムジン河を前に「河は浅そうですね。渡る気になればできますね」とつぶやく真性のオプティミストにはなれまい。

 著者の1人、森達也氏はオウム事件を追い続けている影像作家。1995年に起きたオウム真理教事件は、北朝鮮、イラク問題に先んじて、セキュリティと人権を考える絶好のケーススタディだったのだという思いを新たにした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

飛び出し小僧

2004-11-25 06:55:59 | なごみ写真帖
関西旅行おまけ。

JR草津線の油日(あぶらひ)駅から、櫟野寺(らくやじ)に歩く途中で見かけた飛び出し小僧。
滋賀県下は「飛び出し小僧」がとても多い、なんてことを知っていたら、あなたは、みうらじゅん・いとうせいこうの「見仏記」の読者に違いない。私もそうだけど。





こんなサイトを作っている方もいらっしゃいます。

「飛び出し小僧の研究-失われつつあるその姿を求めて-」
http://www.kt.rim.or.jp/~naoyom/manager/tobidas.html
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古写経/京都国立博物館

2004-11-24 00:18:36 | 行ったもの(美術館・見仏)
○京都国立博物館 特別展『古写経―聖なる文字の世界』(守屋コレクション寄贈50周年記念)

 地味な展覧会なんだろうなあ、眠くなるかもなあ、なんて思いながら行ってみた。意外と退屈しなかった。展示品の中核をなすのは、守屋孝蔵氏が収集した日本の古写経コレクションだが、そのほかに、中国や朝鮮の写経、めずらしい貝葉般若心経(ターラという樹の葉に書いたもの)も見ることができる。

 もちろん、文字の美しさを鑑賞できればいちばんいいのだが、それだけでなく、要所要所に「絵因果経」とか「扇面法華経」「白描絵料紙墨書般若理趣経(いわゆる目無経)」など挿絵を楽しめるもの、「平家納経」「中尊寺経」など料紙や扉絵の美しいものを混ぜてあるし、「銅板法華経」「瓦経」など形態的な面白さを持つもの、さらに、曼荼羅図や経箱、仏具などの関連品展示もあって、飽きなかった。

 興味深かったのは、写経生を採用する際、候補者に書かせた経文の断簡(「校生勘紙帳」だったかな?)。いわば実技試験の回答である。「定(合格)」とか「不定(不合格)」「未定(補欠?)」とか評価が書き入れられている。今も昔も職を得るって大変だったのね。

 展示品が多いので、時間までに全部見切れるかどうか、そればかり気にしていたら、平常展示館で特別公開中の雪舟の「慧可断臂図」(えかだんぴず)を見るの、すっかり忘れちゃったよ~。く~東京で見たことあるからいいけど、ちょっと残念。

 これにて、11/13-14の関西旅行で「行ったもの」レポートは全て終了。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

十二天屏風/東寺宝物館

2004-11-23 09:03:19 | 行ったもの(美術館・見仏)
○東寺宝物館 秋の特別展『東寺の五大尊と十二天』

http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2004091700198&genre=J1&area=K1G

 実はこの日(11/13)は、夜行バスで早朝京都着→奈良へ移動して、正倉院展、大和文華館、秋篠寺を見る→京都に戻って、東寺宝物館、京博→再び奈良へ(京都のホテルが取れなかった)という無茶をやった。どうしても「十二天屏風」を見たかったのである。

 だけど、ちょっと欲張りすぎて、「十二天屏風」の印象は弱かった。私が見たのは、ほんとに1191(建久2)年の作なんだよねえ。色彩が鮮やかすぎて、なんだか、今出来の模造品を見たような気がしてならないのだ。京博が所蔵する十二天図(東寺伝来品)の古めかしさと記憶が混線していたせいもあって、拍子抜けしてしまった。

 今回は、講堂・金堂はパス。朱印所が食堂の中に移動していたので、あまり覗いたことのない食堂の中を拝観する。焼け残りの四天王が鎖につながれている。もちろん、倒れないように軸木に縛って安定させているのだが、炭の塊になってもなお威風を失わない四天王は、なんだか鎖を解いたら、暴れ出しそうであった。

 それから、いつもの場所の、雄夜叉と雌夜叉に挨拶をして、秋の深まる東寺を後にした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋篠寺の技芸天

2004-11-22 00:33:06 | 行ったもの(美術館・見仏)
○秋篠寺(奈良市秋篠町)

http://www1.sphere.ne.jp/naracity/j/kan_spot_data/w_si52.html

 久しぶりである。高校の修学旅行で1度、大学時代に1度、もしかするとその後は20年あまり来ていなかったかも知れない。実は去年の秋、大和西大寺の駅から、思い立って、地図もなしに、記憶と方角だけをたよりに秋篠寺に向かったのだが、結局、到達できずに日が暮れてしまった。

 今年はそのリベンジなので、きちんと観光地図で確認し、西大寺駅前からバスに乗った。秋篠寺の東門に着く。門の中は鬱蒼とした木立ちが続き、なかなか建物が見えない。こんな境内だったかしら?と古い記憶を手繰り寄せているうち、拝観受付に出る。森の中に浮かぶ島のように、ぽっかり開いた空間に、簡素な本堂が建っていた。

 すっきりした瓦屋根が美しくて、しばらく建物に見とれる。本堂の中も、装飾の少ない、簡素な造りで、技芸天は、端の方につつましく立っておられる。頭部は天平の乾漆だが、体部は鎌倉の寄木造りだそうだ。そうか。そう言われてみれば、頭部と体部には、かすかな違和感がある。不快なほどの違和感ではなくて、何か、異なる旋律が調和して奥深いハーモニーを作り上げているような。

 いろんなことを想像するな。たとえば、この美しい天平の頭部を渡されて、これに合う体躯を補作せよと命じられた鎌倉の仏師がいたとしたら。何のほとけかも分からない頭部に、やや首を傾げ、前傾した姿勢と自由なポーズを与え、「技芸天」の名を与えたのは彼の仏師だったかもしれない。なんてね。

 帰りは南門を出て、西大寺駅まで歩いて戻った。「歴史の道」という道標をたどっていくと、新興住宅地の間に細い道が残っていた。むかしは田んぼの間の畦道だったはず。観光客も住民も車を使うのだろう、歩いている人には会わなかったが、まだ道が残っていることが嬉しかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

普賢十羅刹女/大和文華館

2004-11-21 21:25:50 | 行ったもの(美術館・見仏)
○大和文華館 特別展『普賢菩薩の絵画-美しきほとけへの祈り-』

http://www.kintetsu.co.jp/kouhou/yamato/

 3年くらい前にも大和文華館を訪ねたことがある。やはりこの季節で、国宝「寝覚物語絵巻」を含む特別展が開催されていた。ところが、このとき、「寝覚物語絵巻」以上に印象に残ったのが、「普賢十羅刹女像」の絵画だった。

 釈迦には十六善神、薬師には十二神将というように、仏教の如来や菩薩は、それぞれ一定の「集団」を引き連れていることがある。同様に、普賢菩薩には十羅刹女、という組み合わせがあるのだ。ネット上にある画像の例をあげよう。どちらも今回の展示会に出陳されていた作品である。

■藤田美術館収蔵品
 http://www.city.okayama.okayama.jp/museum/fujita/fugen10rasetunyo.htm

■奈良国立博物館収蔵品
 http://www.narahaku.go.jp/meihin/kaiga/051.html

 奈良博の収蔵品を見てほしい。普賢菩薩を取り巻く10人の女性。これが全て和装なのだ。王朝絵巻でおなじみの女房装束、長い黒髪を後ろに垂らした十二単である。私は、前回、この図様を見て、びっくりしてしまった。

 仏教美術の図様では、菩薩や如来は、インドもしくは西域の遺風に中国的な要素が加わり、どこの地域にも限定されないイメージを作り上げているが、従者に限っていえば、中国風が定番であろう。我々が思い描く四天王、十二神将、閻魔王、吉祥天など、いずれも中国の武人や官人、貴族の装束が基本になっている。

 それが十二単である。この図は平安後期に成立したというから、描いた者にとっても見る者にとっても、同時代の風俗そのままだ。現代の我々にとって言えば、普賢菩薩のまわりに、背広にネクタイ姿のサラリーマンや、制服姿の女子高生を並べるようなものだ。吹き出したくなるようなミスマッチだが、真の宗教絵画とは、こういうものなのかも知れない。敬虔な信仰は、時代性や地域性など簡単に超越して、自分のそばに仏を呼び寄せてしまうものなのだろう。

 経典によれば、十羅刹女には、全て固有の名前があって、持物や役割が決まっているらしい。絵画の上では、9人までは大差ないのだが、ひとり「華齒(けし)」だけは際立って異色である。上記の2例ではよく分からないと思うが、しばしば、巻き毛のボブヘアで登場するのだ。奈良博とは別の、和装十羅刹女図では、十二単に巻き毛のボブヘア(しかも金髪?)である。白地に髪の流れを線描きして、茶髪だか金髪だかを表わすところは、少女マンガの手法そのままだ。

 この展示会、個人的には、十羅刹女イメージのおもしろさだけにハマってしまったが、ほんとはもっと多角的な視点で「普賢菩薩の絵画」を集めたものである。企画者の増記隆介さんごめんなさい。参考文献を貼っておこう。

■増記隆介「我が国における普賢十羅刹女像の成立と展開-「和装本」を中心に-」
 http://www.hmn.bun.kyoto-u.ac.jp/canone/gaiyou.html#n0302
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする