見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

東京で見る藤田コレクション/国宝曜変天目茶碗と日本の美(サントリー美術館)

2015-08-31 22:58:18 | 行ったもの(美術館・見仏)
サントリー美術館 『藤田美術館の至宝 国宝曜変天目茶碗と日本の美』(2015年8月5日~9月27日)

 大阪の藤田美術館は、明治の実業家・藤田傳三郎(ふじたでんざぶろう、1841-1912)と、長男・平太郎、次男・徳次郎の二代三人の蒐集品を収蔵・公開している。初めて訪ねたのは2010年の春で、その後も何回か行っているが、2,000件を超える収蔵品(国宝9件、重要文化財52件)のまだ一割にも接していないと思う。本展は、国宝曜変天目茶碗をはじめ、約120件が一気に公開される企画展で、関東在住の古美術ファンとしては拍手でお迎えしたい。

 会場のサントリー美術館を訪ねてみると、展示室の入口に、展示品を印刷した大きなバナー(幕)が垂れていたのだが、数体の木彫菩薩像の写真なのである。こんなものを藤田美術館が持っているとは知らなくて、一瞬、別の展覧会と間違えたかと思った。その奥にもう一枚、曜変天目茶碗をアップにしたバナーが下がっていたので、あ、よかった、と納得した。

 展示室の冒頭で、木彫菩薩像の謎は解けた。長州生まれの藤田傳三郎は、維新後、商工業に従事し、関西屈指の実業家となる。明治政府の欧化政策によって日本の伝統文化が衰微し、廃仏毀釈によって仏教美術品が破壊されたり、海外に散逸していくことを憂慮した藤田は、私財を投じて文化財の保護に努めた。「廃仏毀釈」って明治初期に起きた運動という認識だったが、仏教弾圧はその後も長く続いたというから、実業家として大成した藤田が仏教美術の保護に努めたとしても(時代的に)おかしくはない。

 入口のバナーの写真は『千体聖観音菩薩像』。興福寺に伝わった千体仏(藤原氏が奉納したと考えられる)で、藤田美術館が所蔵する50体のうち5体が出陳されていた。30~40cmほどの小さな仏様で、バナーの写真と結びつけるには、少しとまどいがあった。いずれも平安仏らしい、やさしい丸顔をしている。快慶作の地蔵菩薩立像は、華麗な色彩と截金がよく残る。光背も細密。ガラスケースの中に納まっておられたが、空調のせいか振動か、胸の瓔珞が絶え間なくゆらゆら揺れていたのが、まるで生きているように感じられた。法隆寺五重塔伝来の羅漢像にもびっくりしたなあ。

 絵画はもう、大好きなものばかり。『両部大経感得図』の「善無畏」「龍猛」を並べて見るのは初めてかもしれない。サントリー美術館の近代的な照明の下だと細部までよく見える。「龍猛」の鉄塔の背景に獅子が2匹(左上)と牛?カモシカ?が2頭(右下)いるらしいことに気づいた。「善無畏」の五重塔の各層の軒下に釣ってある細長いものは何なのかなあ。『春日明神影向図』には関白冬平自著の賛(絵を描かせた由来)がついている。柏木と四羽の鷽鳥を描いた『扇面法華経』の断簡。最終頁で絵の上に経文が書かれていないのが貴重。

 『玄奘三蔵絵』は第1巻、玄奘が夢で須弥山に至る場面。様式的なのに遠近を掻き分けている波の表現が面白い。黒雲の上に小さな雷神がいるのが、すでに西域っぽい。『華厳五十五所絵巻残闕』は気前よく全編を開けてくれていた。よく見るクライマックスシーン(補陀落山で観自在菩薩に会う→正趣菩薩→大天神)のあとに出てくる安住地神は、足で地面を撫ぜると三つの蔵が湧出する。天界(?)のシーンなのに妙に生活感のある蔵が面白かった。しかし図録の掲載図版も大天神の場面までだ。『阿字義』は、こんな絵画があるとは知らなくて、藤田美術館で驚いたもの。なつかしい。

 中国絵画もいいものを持っているんだな。馬遠の『李白観瀑図』、伝・梁楷の『寒山拾得図』、因陀羅の『寒山拾得図』は因陀羅作品の中で一番好きかも。仰向いて巻子を広げる寒山がかわいい。古筆では『深窓秘抄』。かろやかで気品があって、優美。高野切第一種みたいだ!と思ったら、やっぱり同系統の筆跡と目されているらしい。
 
 階段下のホール(第2展示室)で存在感を見せていたのは竹内栖鳳の『大獅子図』。第3展示室は茶道具の特集で、冒頭に「至宝」曜変天目茶碗が据えられている。藤田美術館の展示は、ほぼ自然光だったので、意外と地味な印象だったが、サントリー美術館の照明の下だと、誇張でなく望遠鏡で見た星雲のような輝きに見える。うーむ。どっちの環境で見るのが正しいのか悩む。きれいだけど…これにお茶を入れちゃうんだよなあ。

 『菊花天目茶碗』は初見だと思うが面白かった。鉄釉(濃茶色)と黄釉のツートンカラーの派手な茶碗。色や模様は日本独自のものだという。表千家六代の覚々斎宗左が作った黒楽茶碗の「太郎」と「次郎」。藤田は息子たちのためにほしがったという。どちらも小ぶりな茶碗だが、ちょっとたよりなげな「次郎」の形態が好き。最後は、藤田が亡くなる直前に手に入れた『交趾大亀香合』でお別れ。

 展示リストを見ると、9/2から後期でかなりの作品が入れ替わる。『紫式部日記絵詞』は後期かー。あと巡回先の「福岡市美術館会場のみ」がけっこうあるのが悔しい。余談だが、今週末に放送されるNHKドラマ「経世済民の男」第二弾『小林一三』の登場人物に藤田伝三郎(麿赤兒)の名前があって、けっこう楽しみにしている。Wikipediaを読んだら、藤田に北浜銀行を任された岩下清周(奥田瑛二)に、小林一三(阿部サダヲ)は誘われるらしい。さて、どんなドラマになるのかな。
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吉野の社寺と三佛寺/蔵王権現と修験の秘宝(三井記念美術館)

2015-08-30 21:52:08 | 行ったもの(美術館・見仏)
三井記念美術館 特別展『蔵王権現と修験の秘宝』(2015年8月29日~11月3日)

 修験道は、日本古来の山岳信仰に神道、仏教、道教、陰陽道などが習合した日本独自の宗教で、その主尊が蔵王権現。役小角が吉野の金峯山で修行中に示現したという伝承がある。本展は、金峯山寺をはじめとする奈良県・吉野の社寺と、「投入堂」で有名な鳥取県の三佛寺ゆかりの秘宝を中心に構成されている。

 展示室1には、比較的小さな(像高30~40cm)銅造の蔵王権現像が並んでいる。いずれも平安~鎌倉時代。大峯山寺(吉野郡天川村)のもののほか、大阪市美や奈良博から集められてきている。展示室の中ほどまで進んで、ふと振り返ったとき、同じポーズの後ろ姿が並んでいて、可愛かった。それから、金峯山寺や金峯山神社に伝わる、地中に埋められた経箱。きわめつけは藤原道長の経筒。

 別室に移ると、掛仏や銅鏡も多数展示されていて、なんだか「金属製品」の比率がすごく高い。神像や蔵王権現像を線刻した道鏡(鏡像)は興味深かったが、図様を認識するのはかなりしんどい。いろいろ視点を変えても、なかなか全体像が見えない。照明の工夫でなんとかならなかったのかなあ。図録を見ると、素朴なものから巧緻なものまで多様さに驚き、ひゃーとかほうーとか声が出てしまっている。

 吉野の仏像では、如意輪寺の蔵王権現像(重文・鎌倉時代)が逸品。衣や火焔光背の赤がよく残っている。力強いが、均整がとれ、破綻なくまとまっているので、荒々しさより華麗さを感じる。金峯山寺の聖徳太子立像は、胸板厚く眼光鋭く、みずら姿の童子像とは思えない、オヤジのような迫力がある。髪を失った二童子立像が附随していて、山背大兄王と殖栗皇子だという見解もあるそうだ。この二人も因縁をつけられたら怖そうな悪相である。好きなのは、桜本坊の地蔵菩薩坐像(平安時代)と役行者坐像(鎌倉時代)。現状では、白い木肌が美しい。

 意外な再会だったのは、小さなな銅造の釈迦如来。先月、奈良博『白鳳』展でお会いしたロングドレスのおばちゃんみたいな白鳳仏である。桜本坊は『大峯八大童子立像』(南北朝時代)もよかったなあ。高野山の運慶作の八大童子とはだいぶ趣きが違うが、こっちのほうが童子の名にふさわしいかもしれない。六頭身くらいの頭でっかちで、表情がやさしい。ちなみに名前は、検増童子、護世童子、虚空童子、剣光童子、悪除童子、香精童子、慈悲童子、除魔童子。役行者と八大童子を描いた絵画も出ていた。

 最後は三佛寺(三仏寺)から。風雪にさらされて、ぼろぼろになった狛犬がよかった。顔を半分失った一体は、現代彫刻みたいだった。平安時代の木造の蔵王権現像がたくさん来ていたが、どれもまだ動きがぎこちない(片足があまり上がっていない)。奥院(投入堂)の正本尊は平安時代の古作にしては抜群の造形力だが、今回展示は鳥取県立博物館所蔵の模作のみ。原品は、年輪年代測定法によって、光背部材の伐採時期が1165年と判明しているそうだ。永万元年、平清盛が蓮華王院を造営した功績により、重盛が正三位となった年である。

 会場のところどころに、吉野及び三佛寺の風景写真がパネルで掲げてあったのが懐かしかった。吉野へはしばらく行っていないなあ。金峯山寺、久しぶりに行ってみたくなった。蔵王権現は、やっぱりあの巨像が好きなのだ。三佛寺の投入堂にもまた行ってみたいが、今の体力ではあの山道を往復する自信がない。若いうちに行っておいてよかったのかも。
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桃山の王朝回帰/躍動と回帰-桃山の美術(出光美術館)

2015-08-30 00:56:01 | 行ったもの(美術館・見仏)
出光美術館 日本の美・発見X『躍動と回帰-桃山の美術』(2015年8月8日~10月12日)

 16世紀末から17世紀初頭にかけて、戦国武将たちが天下の覇権をめぐってせめぎ合う、激動のただなかにあった時代「桃山」の美術について、出光コレクションの約90件の工芸作品と20件の絵画作品を通して考える企画。すごく面白かった。以前、名古屋市博物館で見た『変革のとき 桃山』展は、なんとなく消化不良だったのに、今回は、私が桃山美術に漠然と感じていた印象をきれいに整理してくれたような気がした。

 会場に入ってすぐ『宇治橋柴舟図屏風』。嬉しい! 本当はこれは江戸時代の作品で、しかも「桃山らしい」長谷川派の『柳橋水車図屏風』(これも江戸時代)に比べると「古様」な参考例として展示されていたのだが、大好きな屏風なので、とりあえず見ることができて嬉しかった。しかも久しぶりに左右一対で。春→夏→冬と変化する柳(いずれも二本)の描き分けとか、楽しいなあ。『柳橋水車図屏風』のほうが極端に非現実化した風景を堂々と大画面に描いていて、新奇であることは分かる。この(風景なのに)「平らかさ」が桃山美術の特徴なのだ。光琳まではあと一歩。

 一方、桃山のやきものは「歪み」「割れ」「染み」など、世界的な造形の標準からいえば「負の要素」に美を見出すところに特徴がある。ここでも冒頭には、わざと中国の青磁瓶が展示されている。そのストイックなバランス。並べられた『伊賀耳付角花生』が見事だ。角ばった縦長の花生で、上半分はおおまかに中国陶磁の形態を真似たように見せかけて、下半分は不定形に膨らみ、ぐいと押し付けた箆の痕が流れている。釉薬の偶然の流れを生命とする朝鮮唐津(唐津焼の一種)も面白い。

 また、桃山のやきものには、日本古来の身近な植物や動物を描いたものが多い。並んだ作品を見ると確かにそのとおりだ。平安時代の和様化した銅鏡の文様とよく似たところがある。鼠志野の草文や草花文、絵唐津の葦文や秋草文、いいなあ。鎌倉・室町のやきものが中国磁器に倣って牡丹や唐草の意匠を好んだことに比べると「王朝回帰」と言ってもよい。戦国武将の「桃山」と女房文学の最盛期「王朝」がつながるなんてびっくりだが、桃山文化には意外と可憐な一面がある。

 織部はあまり好きではないのだが、今回の展示は、素朴でかわいいもの、なつかしいものが多くてよかった。『志野山水文鉢』(二匹のサカナが水面に顔を出している)と『志野山水隅切鉢』も好き。茶陶の一種「不識型水指」は骨壺の形を模したもので、日本のやきものは、生死にかかわるうつわの記憶を宿しているというのは納得できる。しかし、敢えて(?)均整を欠いた無骨な造形の水指(伊賀、備前など)や素朴な竹の花生を見ていると、全く古代人の遺物のようで、高度な哲学(禅宗)や科学技術(鉄砲、望遠鏡)と共存した時代の作だとは考えにくい。桃山ってほんとに面白い時代だと思う。

 絵画(屏風)は前後期入れ替えあり。南蛮蒔絵も4点ほど。照明を暗くしているので、夜光貝がよく光って美しかった。
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新右派転換の通ってきた道/右傾化する日本政治(中野晃一)

2015-08-28 00:01:16 | 読んだもの(書籍)
○中野晃一『右傾化する日本政治』(岩波新書) 岩波書店 2015.7

 本書は、今の日本政治が大きく右傾化しつつあるという立場をとる。しかし、右傾化が小泉純一郎や安倍晋三の登場で突然に始まったものとは考えない。1955年から1993年まで続いた「55年体制」を出発点に、主に1980年代から今日まで、過去30年ほどのスパンで右傾化のプロセスを分析・詳述したものである。

 戦後しばらくは、米ソ冷戦を背景として、階級間妥協に基づく「国民政党」を志向する保守政治が世界のトレンドだった。日本において、こうした政治のありかたを担った自民党の姿を、著者は「旧右派連合」と呼ぶ。単純化すると、官僚派の政治家や経済官庁を中心とした「開発主義」と、党人脈が強みを発揮した「恩顧主義」(公共事業や補助金による経済成長の再分配)の連合体だった。

 一方、いまの政治の主勢力を「新右派連合」と呼ぼう。キーワードは悲観的(リアリスト)な社会観で、こちらは「新自由主義」と「国家主義」の連合体である。一方はグローバル化を推進し、一方はナショナリズムを志向するものでありながら、両者には根本の世界観の一致や利害上の適合性があるため、結びつきやすい。

 冷戦の終焉とともに、新自由主義を掲げるイギリスのサッチャー政権(1979-)、アメリカのレーガン政権(1980-)が成立した(当時、市場競争を通じた「自由」の実現は人々にとって魅力的だった)。日本の大平政権(1978-)は、まだ旧右派連合の維持に軸足を置いていたが、新右派転換を決定的に日本に導き入れたのは中曽根政権(1982-)である。以後、新右派転換の波と揺り戻しは交互に訪れるが、ここでは新右派転換のプロセスだけをメモしておく。

 大平は、自由主義的な国際協調へのコミットメントを重視し、経済協力、文化外交等を通じて総合的にわが国の安全を図ろうとする「総合安全保障戦略」を掲げた。そこから日米同盟強化にウェイトを移したのが中曽根である。中曽根は復古的な国家主義への志向を持っていたが、それでも当時の「国際協調主義」が歯止めとして機能していた。次に、従来の「一国平和主義」を独善と糾弾し、(国連を中心とした集団安全保障の内ではあるが)「積極的平和主義」に転じることが日本国憲法の掲げる国際協調主義であるというロジックを示したのは小沢一郎である。小沢の『日本改造計画』の外交安全保障箇所を担当したのが、現在の安倍ブレーンの北岡伸一であるというのも興味深い。橋本龍太郎は、本来、経済文化交流と多国間協調を指していた「国際協調主義」という言葉が、軍事・経済面での対米追随という、およそかけ離れた中身へとすり替えられていく転換点となった。同じ時期に、歴史修正主義バックラッシュも始まる。

 90年代後半、揺り戻しと政局の混乱の中で、国家主義者グループは巧みに世代交代を達成するが、旧右派連合を支えてきた「保守本流」の系譜は、見る影もなく弱体化する。この状況を背景に小泉政権が誕生し、日本は「政治の新自由主義化」の時代をは迎える。そして民主党政権という幕間劇をはさんで誕生した現在の安倍政権。著者の安倍政権に対する評価は否定的で、「反自由の政治」「立憲政治破壊の企て」「復古的国家主義の暴走」などの厳しい表現が並んでいる。

 終章ではオルタナティブを探っているが、見通しは明るくない。日本政治の右傾化は、安倍や小泉の個性が生んだものではなく、それなりの歴史的必然性をもってここまで来てしまったのだから、安倍が退陣すれば元に戻るというものではない、ということはよく分かった。著者は、制度的な改革として、死票の多い小選挙区制の廃止を提言する。「二大政党制化の美名のもとに進めようとした」と言われると、かつてその美名を支持した記憶のある自分は、恥ずかしい気持ちになる。それから、リベラル勢力が新自由主義と訣別すること。新自由主義は「実は自由主義でも何でもない」のであり、むしろ暴力や貧困、格差など、個人の自由と尊厳を脅かす最大の脅威となっている。

 これには全く同意する。同時に、いま社会を動かしているのは、戦争を知らないどころか、「旧右派連合」の時代を知らない世代に変わりつつあるのではないかと思った。新自由主義がはびこる以前の日本社会は、旧弊で窮屈な慣習もあったが、格差や反自由がこれほど苛烈でなかったということは、当時を知っている世代が、きちんと伝えなければならないだろう。また、安倍総理の掲げる「国際協調主義に基づく積極的平和主義」の「積極的平和主義」が、本来の意味を裏切っていることは最近明らかになったが、「国際協調主義」の意味も、大平政権まで戻って考えてみる必要があると思った。

 本書に書かれた30年間は、全て私が成人して以降の年代であり、リアルタイムの記憶の中にある。しかし、実は覚えているのは、無責任な、面白おかしい当時の報道ばかりで、事の本質的な理解ができていたとは言いがたい。同時代史の理解には、そのような難しさがついてまわるので、本書のような労作に出会えてよかったと思う。
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正義を超えて/「歴史認識」とは何か(大沼保昭、江川紹子)

2015-08-27 00:06:27 | 読んだもの(書籍)
○大沼保昭著、聞き手:江川紹子『「歴史認識」とは何か:対立の構図を超えて』(中公新書) 中央公論新社 2015.7

 「歴史認識」という言葉は、1990年代にまず韓国で使われるようになり、少し遅れて日本でも盛んに使われるようになった。問われているのは1931~45年に日本が戦った戦争と1910~45年の朝鮮植民地支配にかかわる認識であることが多く、日本国内にも、日中・日韓の間にも激しい対立がある。米国やヨーロッパから日本への批判が聞こえてくることもある。

 1970年代から「歴史問題」の研究と実践に携わってきた著者は、本書を通じて「歴史認識」にかかわる見取り図(※歴史の見取り図ではない)を示し、歴史の解釈や認識になぜ大きな違いがあるのか、相手の認識に同意できないまでも、理解できる材料を提供したい、と述べている。著者が「聞き手」に江川紹子氏を選んだのは、2013年5月、慰安婦問題をめぐる橋下徹大阪市長の発言が大問題になっていた当時、江川氏が著者に申し込んだ取材がきっかけだった。江川氏が聞き手となった著者のインタビューは、Yahoo!ニュースに公開され(現在も読める)2日間で10万人のアクセスがあったという。私もこのウェブ記事に強い感銘を受けていたので、本書が刊行されると知ったときは、すぐに書店に走った。

 本書の構成は、まず1945年の敗戦を起点として「東京裁判」(終戦直後)「サンフランシスコ平和条約と日韓・日中の『正常化』」(1950-60年代)「戦争責任と戦後責任」(1970-80年代)「慰安婦問題と新たな状況」(1990年代-21世紀)と時系列を追っていく。実際に「歴史認識」が対象とする時代については、もちろん基本的な事実の確認は重要だが、戦後の「認識」のつくられ方を学ぶことのほうが、より重要だからだ。全体として、著者の認識は「リベラル」と呼ばれる側にあると思う。東京裁判の判決が過酷だったとか、やらないほうがよかったという主張を、著者は冷静な反論で却下する。いろいろ欠点(不公正な点)はあったけれど(ニュルンベルク裁判と)二つの裁判を先例として、戦後の国際刑事法は一定の発展を遂げて来た。こんな生ぬるい擁護論は受け付けないという人もいるだろうけど、私は共感する。

 著者は、さきの戦争を日本の「負の歴史」と考えている。「そういう負の歴史は、なにも日本に限らない。多かれ少なかれ、どの国ももっているのです。ただ、それに正面から向かい合うことができるかどうか。それこそが、民族・国家としての矜持の問題ではないでしょうか」という箇所は、私が心から共感するところなので、書き抜いておく。どこの国もやっていることだから日本は悪くない、と居直る態度は、あまりにも矜持から遠い。

 70年代以降の日本社会では、経済的な豊かさを基盤に人権重視の政策が着実に進められた。一方で「メディアや一部の影響力のある知識人の間で、やや無理な議論、過度に倫理的な主張」がなされるようになったことに、著者は違和感を表明する。80年代頃からは「いわゆる進歩派、左翼、リベラルの間で、そしてメディアで、戦争や植民地について、きっぱりと加害と被害に分ける二分法的な物言い」が目立つようになり、これに反発する人々が増えた。うーん、そうだったかなあ。私はあまり反発を感じる側ではなかったけど、人生の酸いも甘いもかみ分けたような著者の助言「無理なことはいわないほうがいい」は腑に落ちる。
 
 90年代からクローズアップされた慰安婦問題については、「女性のためのアジア平和国民基金」(アジア女性基金)の意義が、残念ながら十分に理解されていないこと、その原因に「国家補償」にこだわる支援団体の罪と、報道に消極的なジャーナリズムの責任(反面には、アジア女性基金の広報力の低さ)があることが語られている。この点は、2013年5月のインタビューの主眼でもあった。私は当時の記事を読んで、アジア女性基金についての認識を大きく改めた。

 最後の第5章は「21世紀世界と『歴史認識』」と題して、19世紀以前から今世紀までの戦争観・植民地観をグローバル規模で振り返り、欧米諸国の「歴史認識」の問題点にも触れる。また、19世紀末から20世紀前半、アジアの諸民族が民族自決に目覚め、植民地支配と戦い始めた時期に、日本が「時代を読めなかった」ことを著者は惜しむ。異論はあるだろうが、祖国に矜持を求めるからこそ、厳しい批判も生まれるのである。最後に、とても重要な著者の言葉、「社会にとっての価値、人間にとっての美徳は正義だけではありません。多様な被害者が求めるものも、『正義の回復』だけではない。」というのを、ずっと忘れないようにしたい。

 本書はサハリン旅行の直前に読んだもので、「戦争責任と戦後責任」の章に、著者が1975年から2000年までサハリン残留朝鮮人の帰国運動を支援した経験が語られていたのも印象深かった。戦争は70年前に終わった、遠い過去の問題ではないということを改めて思った。
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怖くないモンスター/映画・ジュラシック・ワールド

2015-08-26 00:06:40 | 見たもの(Webサイト・TV)
○コリン・トレボロウ監督『ジュラシック・ワールド』(MOVIX柏の葉)

 8月7日にシリーズ第1作『ジュラシック・パーク』のHDリマスター版が地上波で初放送されたのを、なんとなく見始めたら、最後まで見てしまった。私はこの作品が日本で公開(1993年)されてすぐ、劇場で見た記憶がある。よくできた映画だなあと思ったが、楽しめなかった。私は血の雨が降ったり死体が出てくる、生理的なホラー映画は苦手なのである。第2作はテレビで見たが、第3作は見ていない。このシリーズには、その程度の関心しか払ってこなかった。

 ところが、久しぶりに見た第1作はなかなか面白かった。「怖い場面」がどこに出てくるか分かっていると、ずいぶん落ち着いて見ることができる。すると、セリフのひとこと、役者のちょっとした演技が印象に残り、温かい人間ドラマと爽快なカタルシスを味わうことができた。そうすると「第1作への原点回帰」と評価されている『ジュラシック・ワールド』がどうしても見たくなり、平日午後に休暇をもらって見て来た。

 設定は「ジュラシック・パーク」の惨劇から22年後。島には、故ハモンドが夢見たテーマパーク「ジュラシック・ワールド」が実現し、世界中から観光客が押し寄せていた。人々の際限ない欲望を満たすため、パークを経営するインジェン社は、遺伝子操作によって新種のハイブリッド恐竜を生み出し、育てていた。

 このハイブリッド恐竜(インドミナス・レックス)が暴走し、人々を恐怖に突き落とす、というストーリーなのだが、私は第1作ほどの恐怖を感じなかった。それはたぶん、人間のつくり出したものなど、どうせ不完全で、どうせ暴走するものだという予測が成り立つからかもしれない。第1作に登場した恐竜は、自然そのものにも似た、測り知れない怖さがあった。何を求めて荒れ狂うのか、どれだけの知能、どれだけの攻撃力・殺傷能力があるのか、分からないから怖かった。まあ本作のハイブリッド恐竜も、予想より知能が高く狡猾で、人間たちを慌てさせるのだが、体内に埋められた探知機を剥ぎ取ってしまうとか、(空腹でないのに)他の恐竜を殺すことを楽しむ残忍性があるとかいう性格づけは、いかにも人間(脚本家)が考えそうなことで、本質的な「モンスター」感は薄い気がする。

 そのほかの恐竜では、第1作で大活躍(?)したヴェロキラプトルが再び登場。元軍人で飼育係(調教師)のオーウェンは、四頭のラプトルと心を通わせ、簡単な命令に従わせることも可能にしていた。人間たちは、この四頭をハイブリッド恐竜に立ち向かわせようとするが、ラプトルの遺伝子をもつインドミナスは四頭と意気投合、違うな、意思を通じ合い、逆に人間たちを襲わせる。ここ、面白い。しかし追い詰められたオーウェンは、武器を捨て、攻撃の意志がないことを示して、もう一度ラプトルたちを味方につけることに成功する。激昂したインドミナスは(と表現したくなる人間臭さが、本作の恐竜たちにはある)ラプトルの反撃を次々に撃破し、オーウェンたちを追いつめる。

 万策尽きたかに思われた時、ハイブリッド恐竜の生みの親である女性科学者クレアは、飼育エリアにいるTレックス(ティラノサウルス)の存在を思い出し、これをおびき出して、インドミナスに対抗させる。う~ん、ここもなあ。人間に操られるTレックスというのが、どうもしっくり来ない。インドミナスやラプトルに追いかけられる間、クレアはずっとハイヒールなのだが、森の中やら岩の上やら、あんなに自由に走り回れるものか? Tレックスとインドミナスの死闘は、はじめは体の大きいインドミナスが優勢だったが、経験にまさる(?)Tレックスが逆転。そこに水中から姿をあらわした巨大爬虫類モササウルスが、インドミナスに食らいつき、水中に引きずり込んでしまう。これは虚を突かれた。モササウルスの存在は、パークの人気アトラクションとして映画の始めに出てくるのだけど、あまりにもあっけない収拾のしかたで、笑ってしまった。でもモササウルスの、凶暴というより「規格外」の強大さは、この映画の中では異色で、気持ちよかった。

 第1作と同様、人々は島を去り、あとには恐竜たちだけが残される。人間が残したヘリポートの上で咆哮するTレックス。彼女は第1作に登場したTレックスと同一個体の22年後の姿という設定だという。へえ、大型恐竜の寿命って何年くらいなのだろう。Tレックス、それから森に消えていった生き残りのラプトル「ブルー」に、次の物語への登場はあるのだろうか。第1作ほどではないけれど、しばらく異世界を体験できる娯楽作品である。不満は書いたが、もう一回見たい。いや何度でも見たい。
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小樽散歩2015・旧日本郵船小樽支店ビルなど

2015-08-25 06:23:18 | 北海道生活
1週間前の日曜、サハリン旅行から帰ってきたばかりだというのに、また日帰りで札幌に行ってきた。夜の飲み会に参加するのが目的だったが、日中はフリーだったので、久しぶりに小樽に行って、遊んできた。

レトロな雰囲気が人気の「アイスクリームパーラー美園」。観光地図をたよりに訪ねたが、店舗が二階にあるとは知らなくて探した。ガラスのうつわも盛り付け方も懐かしい。クリームぜんざいは、ソフトクリームの下にゆであずきやもちもちの求肥が隠れている。美味。向かいの純喫茶「光」も気になったが、ちょっと一人で入るのは躊躇する店構え。「注文の多い料理店」みたいなことになりそうで。



今回、小樽を訪ねた目的は、サハリンで旧・北海道拓殖銀行の建物を見たため、小樽に残る同支店の建物と比べてみたくなったためだ。現在はホテルとして使われている。ユジノサハリンスクやコルサコフで見た建物に比べると規模が大きい分、のっぺりした印象だった。「よりモダン」なデザインなのかもしれないが。



小樽市総合博物館・運河館も初めて訪ねてみた。「北のウォール街」と呼ばれた時代、大正中期までは札幌より人口が多かったことを知る。窓口で、旧・日本郵船小樽支店(重要文化財)見学との「セット券」があることを教えられたので、日本郵船の嘱託をしていた内田百間先生(北海道には来ていなかったはず)に敬意を表し、寄っていくことにする。観光客の集まる小樽運河とは逆方向に少し歩く。



あとで調べた情報によると、この建物は小樽市博物館として利用されていた時期もあったが、老朽化が目立ってきたため、博物館は撤退し、往時の姿に復元された。2階の貴賓室の壁は「金唐革紙(きんからかわし)」で飾られている。金唐革紙といえば東京・池之端の岩崎邸! 何様式というのか分からないが、内装の雰囲気がよく似ていた。まあ日本郵船は、もともと岩崎弥太郎が手がけた事業の一つで三菱系だからな。岩崎邸はジョサイア・コンドルの設計だが、日本郵船小樽支店は、工部大学校造家学科第一期生つまりコンドルの教え子である佐立七次郎(1856-1922)の設計である。



写真は貴賓室の隣りの会議室。日露戦争終結後、日露国境線画定(北緯50度線)の作業の進め方についての両国の会議が、この部屋で開催された(小樽会議)。へえ~知らなかった! 隣りの展示室で、またも日露国境標石の模型や拓本に遭遇してしまった。その後の話になるのだろうが、日本郵船の定期航路が、小樽からサハリン(大泊=コルサコフ)に通っていたことを示す資料もあった。

小樽文学館と市立美術館(同じ建物)にも寄った。小樽文学館は、企画展『楢喜八原画展』に来ることができず悔しかったが、開催中の『小樽・坂道物語展』もいい。札幌在住の画家・山口忠氏が描いた小樽の坂の水彩スケッチが大量に展示されている。大量だが、変化に富んでいて全く見飽きない。会場のパネルに、やまぐち氏の絵には「素人画家」ならではの品格と味わいがある、という文学館のコメントがあって共感した。それにしても、目を疑うようなすごい急坂の風景もあって、興味深かった。長崎、神戸、横浜。やっぱり港町は坂の町なんだな。

※やまぐち ただし氏のサイト「街並み水彩スケッチ」(作品多数)
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まつりつくば2015

2015-08-24 19:39:42 | なごみ写真帖
はじめ「つくばでねぶたが見られるんだよ」と聞いたときは事情がのみ込めなかった。毎年8月後半に、つくば駅周辺でおこなわれる夏祭り「まつりつくば」のことである。行ってみたら、こんな感じ。

↓酒呑童子(鬼)


↓鬼の隣りは源頼光か。


↓水滸伝。これは「短命二郎」こと阮小五かな。


青森から運ばれてきた本物のねぶただという。極彩色の光の山が、くるくる回りながら(意外と動きが軽やかで早い)大通りを進む様は圧巻。多数の太鼓を一斉に打つお囃子は腹に響く。小型のシンバルみたいな銅拍子が華を添える。管絃はない。

ほかにも秋田の竿灯など、多彩なパレードが行われたらしいが、自宅で職場の宿題と格闘していたので、山場は見逃してしまった。来年はがんばろう。
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初訪問・新装オープン北海道博物館、ほか

2015-08-20 22:35:59 | 行ったもの(美術館・見仏)
 今年の夏休みは、稚内からフェリーでサハリンに行ってきた(※2015/8/9~8/14の記事参照)。その帰り、札幌に1泊して、いくつかの博物館・美術館をハシゴした。

北海道博物館

 まず1箇所目は、厚別町の野幌森林公園に今年4月18日に開館した北海道博物館。もともとこの場所にあった北海道開拓記念館と北大植物園前にあった道立アイヌ民族文化研究センターという二つの施設を統合して開設されたものだそうだ。私は3月末まで札幌暮らしをしていたが、野幌森林公園に行くのは初めてで、新札幌駅からもう少し頻繁にバスが出ているかと思ったら、日中は1時間に1本しかなくて呆れてしまった。バスで訪ねるときは、時刻表のチェックが必須である。

 博物館の外観は重厚というか、少し古ぼけていて、新しくなった感じがしない。しかし内部は最近の博物館らしく、体験型の工夫が随所に凝らされていて、楽しかった。最初の展示室には、見上げるようなマンモス(写真)とナウマンゾウの骨格標本の模型。マンモスは、サハリンを経由して、大陸から渡ってきたと知って、妙に親近感が湧く。泳いできたのか?と思ったが、かつては陸続きだった時代があるのだ。



 北海道の名づけ親、松浦武四郎の著書『近世蝦夷人物誌』は、だいたい展示される箇所が決まっているのだが、全編(?)めくって読むことのできる複製が用意されている。挿絵が飄逸で楽しい。写真は(楽しい場面ではないが)勇敢なアイヌが熊と格闘する図。



 アイヌについては、歴史・民俗・文化など、多角的な展示がおこなわれている。「アイヌの現在を知る」をテーマに、小学生の男子が、アイヌの血を引く祖父母に話を聞くコーナーは、大人にも分かりやすく興味深かった。



 展示・収集の対象は、マンモスの化石から近現代の生活用具まで幅広い。



 北海道の自然と生態系に関する展示では、都市生活の中の生き物も扱う。写真は確かに早朝の札幌市内で見かける光景。ゴミ袋が、ちゃんと札幌市指定の黄色いゴミ袋なのがツボ。



 北の海の生態系を学ぶエリアにあるシャチ型ソファ。子どもが数人で乗っても大丈夫。クマ型ソファもある。



 企画テーマ展『鶴』(2015年6月27日~8月16日)の展示室には、両腕を通すとツルの翼になるコスプレ衣装も用意されていて、子どもが嬉しそうに身につけて遊んでいた。

樺太関係資料館(北海道庁旧本庁舎)

 サハリン旅行の帰り道だったので、復習(おさらい)のため、赤レンガ庁舎の2階にある樺太関係資料館に寄った。ここは以前にもじっくり見た記憶があるが、現地に行ってから見るとまた印象が違う。数日前に訪ねた旧国境地帯のルポがビデオで流れていたりする。

 終戦直前に始まった日露間の戦闘については、あらためて詳しく学んだ。戦後「樺太にとどまらざるを得なかった人々」のコーナーには、女性たちのことが書かれていたが、朝鮮籍の人々についての言及はなかった。今後、説明が加わることはあるだろうか。

北海道立近代美術館 『近美コレクション 日本画逍遙』(2015年6月27日~8月23日)

 特別展『夢見るフランス絵画』のほうにお客さんが入っていたが、私はこちらを鑑賞。けっこう好きなタイプの作品があって嬉しかった。横山大観、下村観山の「陶淵明」競作は、どちらも岡倉天心の面影を感じさせる。吉川霊華の『太上老君』は樹下に老人、その前に白い牛が休んでいる。老子と思われる老人が、きちんとした衣冠を身につけているのが面白い。松岡映丘の『正月(白馬節会)』は、白馬を引く武官。朝焼け(?)の山の色が清新で、正月の床の間に掛けたい。片岡球子(北海道出身)『葛飾北斎』は着ている着物が抜群に美しい。
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サハリン旅行2015:食べたもの

2015-08-16 23:15:00 | ■アジア(中国以外)
サハリン旅行に行ってきた。稚内からフェリーでコルサコフに入港。4泊5日の行程には、現地ガイドさんが同行した。

昼食と夕食は基本的にコースで、サラダ→具沢山のスープ→メインディッシュ(肉or魚)→デザート&紅茶orコーヒー。サラダにはトマトとキュウリ、スープの具かメインの付け合わせにはジャガイモが定番だった。どれも美味しくてハズレなし。以下にその何品かを紹介する。

初日の夕食。スープはボルシチ。メインディッシュはジャガイモと鮭。





2日目の昼食。豆のスープ。盛り付けが雑だが、ハンバーグは美味。ごはん添え。





3日目の夕食。ごはんに味噌スープ。海藻と豆腐(?)入りでほぼ味噌汁。メインディッシュのメンチカツはチリソースで味わう。





観光最終日の夕食、ユジノサハリンスクのロシア料理店で。テーブルウェアが可愛い。デザートは、ほぼ巨大なジャムパン。





何度か飲んだバルチカビール。数字はアルコール度数を表し、「3」は低い方。



詳しい旅のレポートはこれから。(※8/9から8/14の項にUP)
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