〇岡本隆司『「中国」の形成:現代への展望』(シリーズ中国の歴史 5)(岩波新書) 岩波書店 2020.7
大きな反響を呼んできたシリーズの最終巻だが、SNSをチェックしていると、関連分野の研究者から「(他の巻ほど)面白くない」という感想が漏れていて苦笑してしまった。まあ私も読み終えて同意である。本書がカバーする清代は、すでに知られていることが多い(私がすでに岡本先生の著作に馴染んでいる)せいかな?とも思った。
本書の始まりは17世紀である。16世紀の大航海時代が引き起こした交易の過熱、在来秩序の動揺と混乱、さらに気候変動の影響により、東西ともに「17世紀の危機」が到来した。そしてそれが、ヨーロッパの近代化とアジアの停滞を分ける「大分岐」となったというグローバルヒストリーの視点がはじめに示される。
17世紀初頭、東アジアの多元勢力の一つでしかなかったジュシュン(女真)人は山海関を越え、北京を本拠として明朝の「正統」を継ぎ、康熙帝の時代に中国本土の一元化を成し遂げた。この経緯は、本シリーズでは珍しく、できごとを追って物語ふうの記述となっている。ただし著者は、人口でも文化でも軍事でも明朝に優越していなかった清朝の勝利を「偶然」「成り行き」「奇跡」と見做していることもあり、あまり心躍る感じではない。清朝は自らの非力さをよくわきまえていたので、在地在来の慣例を尊重し「因俗而治」の体制をとった。そのリアリズムと柔軟性が、三百年にわたり、多元化した東アジアに君臨することを可能にしたというのが、著者の清朝に対する評価である。褒めているのか腐しているのかわかりにくい。
17世紀後半から18世紀、清朝は、康熙・雍正・乾隆三代の盛世を迎える。ここは、経済面から「康熙デフレ」「乾隆インフレ」を論ずる記述が面白い。康熙デフレの原因は貿易の不振である。明代には「倭寇」(必ずしも日本人ではない)が日本の金銀を中国に持ち込んでいたが、清朝政府は有能なので海禁に成功してしまった。17世紀末に海禁を撤廃すると景気は好転する。日本との貿易は減退したが、西洋との貿易が活況となった。このへん、同じ著者の前著『清朝の興亡と中華のゆくえ』(講談社、2017)と重なることを意識しながら読んだ。
なぜ「銀の流入が景気を左右する」のかという解説は、前著になかったように思う。本書では岸本美緒氏の「貯水池連鎖モデル」によって説明されている。清代中国の市場構造は「水路でつながれた、段差のある小貯水池群」なので、ある市場に銀(通貨)が流れ込むと、購買力を得た地域が別の市場の製品を購入し、その対価を得た地域が、また別の地域市場の製品を購入するというかたちで、連鎖的に全体が好況になる。
市場どうしの交易をつなぐ通貨が銀で、地域市場内で動くのが銅銭である。銀は中国内ではほとんど産出せず、海外から入ってくるものだった。明朝は貨幣を忌避し、現物主義に固執していたので、全国共通の通貨の発行・管理をほぼ行わず、清朝政権もこれを踏襲した。銀と銅銭のレートが定まり、地域市場で不足しがちだった銅銭を政府が大量に鋳造するようになったのは18世紀以降である。こういう経済史・貨幣史の記述は、知らないことが多くて面白いが、多少眉に唾しながら読んだ点もある。そして、日本の貨幣経済について書かれた『撰銭とビタ一文の戦国史』も思い出していた。
好況の持続はすべての人の富裕化をもたらしたわけではなく、爆発的な人口増加によって貧富の懸隔が広がっていく。社会の巨大化、多様化に全く対応できない政府当局に代わって、医療・介護・救貧など民生を担ったのは、地域や血縁でまとまった各種の「中間団体」だった。
19世紀に入ると、列強との交戦に加え、内乱が多発し、ついに清朝は倒れる。多事多端の最後の1世紀(多彩な登場人物!)の記述を読みながら、清朝はよく踏ん張ったなあとしみじみ思った。問題は清朝以後だ。世界に並立する「一国」として自立するしか生き残る道はないと考える知識人たち。しかし、チベット仏教世界(チベットとモンゴル)をどうするか。漢人世界さえも在地政権・軍閥の割拠が続く。近代の正解とされる「国民国家」にすぐ移行しない(できない)ところが、この国の歴史の面白さだと思う。最終的に、日本帝国主義という敵対者の出現を通じて国民国家「中国」が誕生する。本書は、さらに超特急で文化大革命から社会主義市場経済への転身を語り、現在の習近平体制に至る。習近平が掲げる「一つの中国」「中華民族」は、清朝の多元共存が失われて以来、中国にとっての見果てぬ夢であると感じた。