見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

多元共存とそれ以降/「中国」の形成(岡本隆司)

2020-07-31 19:11:47 | 読んだもの(書籍)

〇岡本隆司『「中国」の形成:現代への展望』(シリーズ中国の歴史 5)(岩波新書) 岩波書店 2020.7

 大きな反響を呼んできたシリーズの最終巻だが、SNSをチェックしていると、関連分野の研究者から「(他の巻ほど)面白くない」という感想が漏れていて苦笑してしまった。まあ私も読み終えて同意である。本書がカバーする清代は、すでに知られていることが多い(私がすでに岡本先生の著作に馴染んでいる)せいかな?とも思った。

 本書の始まりは17世紀である。16世紀の大航海時代が引き起こした交易の過熱、在来秩序の動揺と混乱、さらに気候変動の影響により、東西ともに「17世紀の危機」が到来した。そしてそれが、ヨーロッパの近代化とアジアの停滞を分ける「大分岐」となったというグローバルヒストリーの視点がはじめに示される。

 17世紀初頭、東アジアの多元勢力の一つでしかなかったジュシュン(女真)人は山海関を越え、北京を本拠として明朝の「正統」を継ぎ、康熙帝の時代に中国本土の一元化を成し遂げた。この経緯は、本シリーズでは珍しく、できごとを追って物語ふうの記述となっている。ただし著者は、人口でも文化でも軍事でも明朝に優越していなかった清朝の勝利を「偶然」「成り行き」「奇跡」と見做していることもあり、あまり心躍る感じではない。清朝は自らの非力さをよくわきまえていたので、在地在来の慣例を尊重し「因俗而治」の体制をとった。そのリアリズムと柔軟性が、三百年にわたり、多元化した東アジアに君臨することを可能にしたというのが、著者の清朝に対する評価である。褒めているのか腐しているのかわかりにくい。

 17世紀後半から18世紀、清朝は、康熙・雍正・乾隆三代の盛世を迎える。ここは、経済面から「康熙デフレ」「乾隆インフレ」を論ずる記述が面白い。康熙デフレの原因は貿易の不振である。明代には「倭寇」(必ずしも日本人ではない)が日本の金銀を中国に持ち込んでいたが、清朝政府は有能なので海禁に成功してしまった。17世紀末に海禁を撤廃すると景気は好転する。日本との貿易は減退したが、西洋との貿易が活況となった。このへん、同じ著者の前著『清朝の興亡と中華のゆくえ』(講談社、2017)と重なることを意識しながら読んだ。

 なぜ「銀の流入が景気を左右する」のかという解説は、前著になかったように思う。本書では岸本美緒氏の「貯水池連鎖モデル」によって説明されている。清代中国の市場構造は「水路でつながれた、段差のある小貯水池群」なので、ある市場に銀(通貨)が流れ込むと、購買力を得た地域が別の市場の製品を購入し、その対価を得た地域が、また別の地域市場の製品を購入するというかたちで、連鎖的に全体が好況になる。

 市場どうしの交易をつなぐ通貨が銀で、地域市場内で動くのが銅銭である。銀は中国内ではほとんど産出せず、海外から入ってくるものだった。明朝は貨幣を忌避し、現物主義に固執していたので、全国共通の通貨の発行・管理をほぼ行わず、清朝政権もこれを踏襲した。銀と銅銭のレートが定まり、地域市場で不足しがちだった銅銭を政府が大量に鋳造するようになったのは18世紀以降である。こういう経済史・貨幣史の記述は、知らないことが多くて面白いが、多少眉に唾しながら読んだ点もある。そして、日本の貨幣経済について書かれた『撰銭とビタ一文の戦国史』も思い出していた。

 好況の持続はすべての人の富裕化をもたらしたわけではなく、爆発的な人口増加によって貧富の懸隔が広がっていく。社会の巨大化、多様化に全く対応できない政府当局に代わって、医療・介護・救貧など民生を担ったのは、地域や血縁でまとまった各種の「中間団体」だった。

 19世紀に入ると、列強との交戦に加え、内乱が多発し、ついに清朝は倒れる。多事多端の最後の1世紀(多彩な登場人物!)の記述を読みながら、清朝はよく踏ん張ったなあとしみじみ思った。問題は清朝以後だ。世界に並立する「一国」として自立するしか生き残る道はないと考える知識人たち。しかし、チベット仏教世界(チベットとモンゴル)をどうするか。漢人世界さえも在地政権・軍閥の割拠が続く。近代の正解とされる「国民国家」にすぐ移行しない(できない)ところが、この国の歴史の面白さだと思う。最終的に、日本帝国主義という敵対者の出現を通じて国民国家「中国」が誕生する。本書は、さらに超特急で文化大革命から社会主義市場経済への転身を語り、現在の習近平体制に至る。習近平が掲げる「一つの中国」「中華民族」は、清朝の多元共存が失われて以来、中国にとっての見果てぬ夢であると感じた。

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学術標本の宝蔵/遠見の書割(インターメディアテク)

2020-07-29 22:53:29 | 行ったもの(美術館・見仏)

インターメディアテク 特別展示『遠見の書割-ポラックコレクションの泥絵に見る「江戸」の景観』(2020年6月24日~9月30日)

 仕事でいろいろなホームページを見ていたとき、「泥絵」のキーワードに目が留まった。あとでよく読もうと思ったのに、どこで見たのか忘れてしまった。しばらく考えて、もしやと思って東京大学のホームページを見に行ったら、イベント情報にこの展覧会が載っていた。

 主催は東京大学総合研究博物館。「ポラックコレクション」というのは、歴史学者のクリスチャン・ポラック氏(1950-)が蒐集したものらしい。調べたら、2009年の『維新とフランス』展にも同氏ゆかりの資料が展示されていた。

 今回の会場は、本郷の総合研究博物館ではなく、東京駅近接の「JPタワー学術文化総合ミュージアム インターメディアテク」である。実はこの施設を全く知らなかったので、興味津々で出かけてみた。そして、大いに驚いた。なにこの素晴らしい博物館!

 入口を入るとすぐ目に入るのは巨大な爬虫類の骨格。更新世(洪積世)の日本に生息していたマチカネワニの全身化石(レプリカ)である。北海道大学総合博物館にもいたヤツだ!

 写真撮影可能なのは、エントランスホールともう一部屋、古い大学の階段教室を模した造り。えらい学者先生の肖像画がたくさん掛けてある。

 手前の機械は、東大法学部大講堂で使われていた35ミリ映写機とのこと。

 さらにこのあと、倉庫のように広いスペースに多様な学術標本が所狭しと展示されている。骨格標本、剥製、鉱物のかけら、押し花、図面、古写真、民俗資料、貨幣、楽器、模型、実験器具…。

 常設展示の中にいくつかの特別展示が組み込まれていて、たとえば現在は、医学部附属病院から「管理換」(大学っぽい)された肖像画による『医家の風貌』展や、レントゲンのX線発見125年を記念した東京大学=ヴュルツブルク大学連携特別展示『レントゲン-新種の光線について』などが行われている。

 『遠見の書割』展は、やや独立した展示スペースで開催されていた。泥絵『東海道五十三次』の約20点が展示されており、木版画の『東海道分間絵図』と比べて眺める趣向が面白かった。泥絵の最大の特徴は、画面全体を支配する冷たく澄んだプルシャンブルー(ベロ藍)にある"という本展の解説には完全に同意するのだが、「亀山」が雪の夜を描いていて、珍しくブルーを使わず、モノトーンに近い(でも微かに色がある)のが珍しいと思った。

 泥絵を「遠見の書割」と呼んだのは国文学者の藤岡作太郎(1870-1910)だそうで、もとはどんなニュアンスか知らないが、郷愁を感じさせて、悪くない表現だと思う。この夏は、日本民藝館の『洋風画と泥絵』も開催中だし、私の好きな泥絵にブームが来ちゃったらどうしよう?と余計な心配をしてみた。

 それにしても、このインターメディアテクという施設をずっと知らなかったのは口惜しい。2013年3月開館だそうで、ああ~私は北海道への引っ越しでバタバタしていた頃で、その後しばらく東京と疎遠になっていたから仕方ないか。これからは折々遊びに行こう。なにせ入場無料なのである。

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冷たい懐かしさ/アイスの旅(甲斐みのり)

2020-07-27 21:55:47 | 読んだもの(書籍)

〇甲斐みのり『アイスの旅』 グラフィック社 2019.6

 旅行の予定が全く立たない日々なので、大型書店に行くと、旅やグルメの棚をぼんやり眺めている。本書は、品のよいお嬢さんのワンピースみたいな表紙の写真が気になっていたが、中を開けてみたら、全国各地の懐かしい・愛らしいアイスの写真が満載で、しばらく手元に置いておきたくて買ってしまった。

 いま、東京でアイスを買うとすれば、全国展開の菓子メーカーか、スーパーやコンビニのブランド商品がほとんどなので、こんなに多種多様なアイスが売られているなんて、思いもよらなかった。特に昔ながらのアイスキャンディー、製造販売している老舗が各地にあるのだな。弘前の相馬アイスクリーム商店、秋田・小松屋本店、福岡・ふくやなど、いつか行ってみたいし食べていない。少し前に見たテレビ番組で、大阪・北極のアイスキャンデーは「棒が斜めに刺してある」のが特徴(食べやすい)と言っていたが、本書の写真を見ると、棒を斜めに刺すタイプは少なくないみたい。

 このお店、この商品、知ってる!と思ったものは少ないが、一時、北海道に住んでいたので、雪印パーラーのスノーロイヤルはもちろん知っている。セコマ(セイコーマート)のソフトクリームも好きだったな。とうきびアイス(さくら食品)は、むかし東京でも食べたことがあると思っていた。そう、本書には「ご当地アイス」として紹介されているのだが、東京で食べたことがある、と思ったものがいくつかある。たとえば、井村屋(三重)のメロンボール。ぱかっと蓋を外せるメロン型の容器に入ったアイス。昭和47年開発だそうだ。林一二(大阪)の王将は、チョコ・バニラ・イチゴの三色が縦に並んだ板形のアイスキャンディー。王将という名前に覚えはないが、昭和42年の発売当時はフランスという名前だったそうだ。福岡・丸永製菓のアイス饅頭は、いまでも東京で見かけることがある。

 全体に駄菓子系のアイスが多いが、「東京で食べるアイス」として、資生堂パーラーと近江屋洋菓子店が紹介されているのは嬉しかった。近江屋のアイス!社会人になったばかりの頃、ご褒美みたいに食べてたなあ。北海道・小樽のアイスクリームパーラー美園が載っているのも嬉しかった。あまり考えたことがなかったのは、福島県小野町のアイスバーガーをはじめ、パンにアイスを挟んで食べるという発想。いや、悪くないかも。

 かなり多くの商品が、通販で購入できることには驚いた。でも、やっぱり旅先の出会いがいちばんいいと思う。旅に出て食べたいのは、まず高知のミレービスケットアイス。それと三重・御福餅本家のお福アイスマック。

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名品をゆっくり/コレクション展(太田記念美術館)

2020-07-26 21:11:28 | 行ったもの(美術館・見仏)

太田記念美術館 『コレクション展』(2020年7月1日~7月26日)

 新型コロナウイルス感染拡大防止のための臨時休館明け第1弾として、当初のスケジュールを変更して企画された展覧会。「病魔に打ち勝つために作られた作品」「見ていて心がほっとするような作品」を選りすぐり、臨時休館中にツイッターで話題となった「#おうちで浮世絵」の人気作品も展示する。

 連休中日の土曜の午前中に行ったのだが、お客さんは少なかった。同館は、この数年、話題になる展覧会が多くて、いつ行っても混んでいたので、意外に思った。1階の展示室には畳敷きの一角があるのだが、そこは照明が消されていて展示品なし。壁沿いの展示ケースの中も、いつもより展示件数を減らしているので、全体に閑散とした印象を受けた。しかし、「選りすぐり」は嘘ではなく、数々の興味深い作品を、落ち着いた環境で見ることができて満足した。

 「病魔に打ち勝つため」の作品のひとつ、国芳の『木菟に春駒』は疱瘡除けの赤絵。ミミズクは目が大きいので、疱瘡による失明を避ける願いを込めたのだそうだ。「赤みみずく」で検索したら、郷土玩具の写真がたくさん出てきた。森光親『厄病除鬼面蟹写真』に描かれた鬼面蟹は平家蟹(正確にはヘイケガニ科のカニ)のことで、西国ではこの甲羅を入口に下げて厄除けにしたが、東国では手に入りにくいので絵を貼ったのだという。展示の刷り物には、島村高則(貴則)という武将の霊が蟹になったという由来が述べられていた。また、珍しい動物を見ると厄除けになるという観念もあったようで、歌川芳豊『中天竺馬爾加国出生新渡舶来大象之図』には、この霊獣を見ると七難を即滅し七福を生じるとある。この夏、厄除けにパンダでも見てこようかしら。

 歌川芳虎『諸病諸薬の戦ひの図』は、病気と薬を擬人化したものだが、薬の名前「救命丸」「実母散」(今でもある)などに混じって「ウルユス」という片仮名が見える。「ウルユス」の旗を立てた武者のいでたちは唐人ふう。調べたら、名前は外国ふうだが日本製の薬だそうだ(はりきゅうWebミュージアム)。疫病除けといえば鍾馗像で、北斎、芳虎、鈴木其一らの作品が並んでいたが、小林清親の鍾馗が意外で面白かった。あまり神格化、キャラ化しておらず、人間くさい表情をしている。

 2階は「ほっとする作品」で、人間社会の風俗を鳥や動物に仮託したものが多く出ていた。芳幾のトリ、国芳のネコなど、思わず口元がゆるむが、作者不詳の『志んぱん猫の国かい』(新版猫の国会)が気に入ってしまった。赤いふかふかの椅子に座ったネコ議員たちの後ろ姿。速記をとっているネコもいる。畏れ多くもカーテンの奥の貴賓席にいらっしゃる礼服姿はネコ天皇陛下だろうか。

 『暁斎画談』の人間の手足のスケッチは、同館のツイッターで話題になったもの。「真」を写す場合と「画」の一部として使う場合の描き分けが示されていて、現代の絵描きさんにも共感を呼んだらしい。『北斎絵手本帖』は北斎84歳の彩色図巻。花や野菜を、下絵を描かず、色絵具でいきなり描いていくのだろうか。線と色が混然となった新鮮な美しさ。よいものを見せてもらった。

 ちなみに2階も、のぞき台の展示ケースは使用せず。通常よりかなり少ない展示件数(40点強)だというが、このくらいでもいい気がする。次回展は月岡芳年なので、混むだろうなあ。

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賢さを獲得するために/知的創造の条件(吉見俊哉)

2020-07-24 22:14:01 | 読んだもの(書籍)

〇吉見俊哉『知的創造の条件:AI的思考を超えるヒント』(筑摩選書) 筑摩書房 2020.5

 知的創造の方法については多くの類書がある中で、本書は、個人の方法論ではなく、大学の教育研究体制や図書館の仕組み、さらには知的所有権や情報公開、文書管理などの社会的体制そのものの革新を含め、知的創造を可能にする制度的条件とは何かを考えるために執筆された。その意味では、若者よりも、社会体制の中核にいる中高年にこそ読んでほしい1冊である。

 本編は四つの章で構成される。第1章では、はじめに著者の個人史を素材として、知的創造が「いい人との出会い」によって生まれることを確認する。第2章は教師としての経験から、大学の教室という場で、知的創造はいかに営まれるのかを論ずる。ここは、現役大学生や、これから大学に入る人たちにぜひ読んでもらいたい。研究を成り立たせる八つの要素「問い」「研究対象」「先行研究」「分析枠組」(ここまでが往路≒基礎)「仮設」「実証」「結論」「意義」(復路≒建物)という構造化モデルが非常に面白かった。まず往路の四角形をぐるぐるまわって研究の基礎を固めることが重要で、そこで初めて(外から見える)建物をしっかり建てることができる。

 本書は特に「問い」(問題意識)の形成が決定的に重要であることを詳しく論じている。著者のいう「問い」は「リサーチクエスチョン」とは別概念で、より根本的なものだ。そして「問い」を「研究課題」に定式化する際のパターンや失敗例が論じられる。人文社会科学の研究者が、日常的に何をして(何を考えて)いるかが分かったように思ったが、自然科学の研究の枠組みもだいたい同じなのか、誰かに聞いてみたい。

 第3章は図書館や出版社、インターネット、エンサイクロペディア、研究会など知的創造の社会的基盤について。知的創造には空間志向の「集合知」と時間志向の「記憶知」の協働が決定的に重要である。インターネットは(一定の条件下で)「集合知」の形成を活性化できるが、「記憶知」との結びつきを失うと、フィルターバブル(狭い関心への閉じこもり)や排他的ポピュリズムの温床になりやすい。

 第4章は知的創造の主体である人間のライバル「AI」について。著者は、おそらく永遠に「シンギュラリティ」(AIが人間の知能を超える日)は来ないと予測する。ただし21世紀末までに大規模な産業構造の転換が起こり、「私たちが当たり前の理想として追求してきた民主主義や自由の観念を危ういものとしていく」だろうと述べる。実は、こっちの予測のほうが重大だと思う。その理由として著者は、近代の総力戦体制(戦争及び産業経済)においては、人間全員に価値を認めることが理に適っていた(ライフル銃を持ったり、レバーを引いたりする、一つひとつの手に価値があった)と、ハラリ『ホモ・デウス』を引用して述べる。

 しかしAIには弱点がある。AIはデータ解析によって一定の連続的な変化は見通せても、突発的な・未曾有の変化(大災害など)には対処できない。というのだが、これが妥当な評価かどうかはAIの専門家の意見を聞きたい。もうひとつ、AIは「モラル」や「アカウンタビリティ」を持たない以上、未来を構想することはできない。戦争兵器にはなれても平和交渉の担い手にはなれない、という例が分かりやすかった。

 社会が「賢さ」を獲得するには巨人の肩に乗らなければならない。ここで再び言及されるのが「記録知」の基盤、すなわち図書館や文書館、ミュージアム、アーカイブである。特にデジタルアーカイブは、従来のアーカイブが、権力によって選ばれた記録の集積だったのに対し、公式知/非公式知、形式知/暗黙知の全てを記録(記憶)できる可能性があるという。

 個人的には、著者独自の観点から、図書館やデジタルアーカイブの役割が整理されていて興味深かった。どちらも「記録知」のメディアであるわけだが、もっと積極的に「集合知」と協働していかないと、存在意義はないと思う。百学連環的、あるいは百科全書的なプロジェクトを参考に。あと、東大では2000年代半ばに「知の構造化センター」が設置され、人文社会科学分野の論文データのAI的な解析実験が行われたが、このセンターは学内的な支持を得られず、存続できなかったというのは初めて知ったが、実にもったいない話である。

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身にまとう芸術品/きもの KIMONO(東京国立博物館)

2020-07-23 22:50:05 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京国立博物館 特別展『きもの KIMONO』(2020年6月30日~8月23日)

 新型コロナの影響でどうなることかと思った本展が、事前予約制でようやく開幕。行きたいときに入れないのは面倒だが、予約状況を見て、空いていそうな(残人数が多い)日時を選べるのはメリットかもしれない。日曜日のお昼時を選んで行ってきた。

 展覧会の名称を聞いたときは、本展でいう「きもの」が、いつの時代までさかのぼるのか、よく分からなかった。行ってみたら、現代人がイメージする「きもの」を基準に、その原型である小袖(室町時代後期)までが焦点に入っているらしかった。

 展示構成としては、「第1章:モードの誕生」が安土桃山・慶長~元和・寛永(17世紀前半まで)、「第2章:京モード江戸モード」が寛文・元禄以降、町家・豪商・花街・大奥など細分化する美意識を扱い、第3章が男性、第4章が明治・大正・昭和初期のモダニズムきものを扱う。

 京都国立博物館所蔵の『縫箔(ぬいはく) 白練緯地四季草花四替模様』は、前身頃と後身頃をそれぞれ4つの区画に仕切り、春の梅・夏の白藤・秋の紅葉・冬の雪持笹の四替(よつがわり)で表す。基調色はオレンジ・緑・オレンジ・緑で市松模様になっており、前と後で模様の位置が入れ替わる。縫箔すなわち刺繍と金銀の箔を全身に纏う、豪華なきもの。保存状態がよいこともあり、これまで見たどんな絵画や建築遺構よりも、安土桃山(16世紀)のバブルな感じを彷彿とさせる。誰が着たのかなあ。

 江戸時代中期には、素材の贅沢以上に奇抜なデザインを競うものが続々と現れる。本展のポスターに使われた『小袖 黒綸子地波鴛鴦模様』(17世紀)と『振袖 紅紋縮緬地束熨斗模様』(18世紀)はこの時期のきもの。前者は、黒地にグレーと薄茶の網干文様がタケノコのように縦に並び、その間にオシドリを配する。おしゃれ!これは着てみたい! 後者は背中いっぱいに弧を描く熨斗模様。アンシンメトリーで、肩のあたりに視線を集めるので、背を高く見せる効果もありそう(当時、そんな効果が期待されたかどうかは知らない)。なお、後者は友禅染めだが、幕府の贅沢禁止令によって刺繍や摺箔を用いることができなくなったことから、高度な染色技術が開発されたという由来が面白かった。

 このへんまで、そういえば男性のきものがないなあと思っていたら、第3章にまとまっていた。信長・秀吉ゆかりの陣羽織、家康ゆかりの胴服に続き、火消半纏のコレクション展示が面白かった。龍虎とか雷神とか、八犬伝とか船弁慶とか、強くてワイルドでカッコイイものを身に纏う。完全にヤンキー文化の淵源である。上野のアメ横の店頭みたいで可笑しかった。当世風のイケメン男子をシリーズで描いた『国芳もやう正札附現金男』のファッション解説も興味深かった。夏祭浪花鑑の団七のきもの、大きな升目の格子縞は大好き。

 最後のモダニズムきものは、想像以上に斬新な柄が多くて驚いた。明治・大正のきものに比べたら、今のきものは、ずいぶん保守的というか懐古的である。京博の『打掛 萌黄塩瀬地百鳥模様』(百鳥文様打掛)は、あるかなあ…と思って楽しみにしていたので、ここで見つけて嬉しかった。また、三越デパートの包装紙と同じ柄のきものがあって、びっくりしたが、このきもの(森口邦彦作、2013年)の模様をもとに三越の包装紙が生まれたのだという。

 服飾の類は、ふだんあまり熱心に見ないので、めずらしいものを見ることができて楽しかった。所蔵者として、女子美術大学美術館、奈良県立博物館、松坂屋コレクション、丸紅株式会社などが目立っていたのも興味深かった。個人的には、美術品として価値あるきものだけでなく、藍染めや縞・絣のような庶民のきものを含めて、もう少し広汎な日本の服飾展が見たいと思った。

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辞書をつくった人々/映画・マルモイ ことばあつめ

2020-07-19 22:30:32 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇オム・ユナ監督『マルモイ ことばあつめ』(2019年)

 近年、連続ドラマは中国ドラマばかり見ているが、映画は韓国映画ばかり見ている。近代史を題材にした、面白そうな映画だったので見てきた。

 1940年代、日本統治下のソウル(京城)。キム・パンスは、劇場のモギリなど安い賃労働で、かつかつの生活をしていた。時には小さな悪事もするが、陽気で話上手で人情家、男やもめのパンスは、京城第一中学に通う勉強好きの息子と幼い娘を育てている。延滞していた息子の授業料を払うため、通りがかりの男の鞄を盗んだことから、鞄の持ち主・朝鮮語学会の代表であるリョ・ジョンファンと知り合う。

 ジョンファンは、小さな書店経営を隠れ蓑に、仲間と謀り、朝鮮語の辞典をつくろうとしていた。パンスは学会の雑用係となり、初めて文字の読み書きを覚える。日本の統治は次第に厳しくなり、公の場では朝鮮語が排斥され、親日派の証として創氏改名が求められ、反体制派の検挙も相次いだ。朝鮮語学会の同志のひとりも捕らえられ、拷問で命を落とす。ジョンファンの父親は息子に辞書作りの中止を厳命し、パンスの息子は父親に学会と縁を切ってほしいと懇願する。どちらも大事な家族が危険に身をさらすことを恐れての行為だ。

 しかし彼らは諦めず、辞書作りのために必要な、標準語を決めるための公聴会をひそかに開催する。そこに踏み込む憲兵たち。ジョンファンとパンスは、辞書の原稿を鞄に収め、なんとか脱出するが、憲兵に追い詰められ、パンスは銃弾に倒れる。

 当時の街並みや風俗は、なるほどこんな雰囲気だったんだろうなあと納得できる再現度だった。貧しいパンス一家の住む古い伝統家屋、小さいが文化の香りのするジョンファンの書店、公聴会の会場となるモダンな大劇場、あと重要な役割を果たす郵便局など。登場人物はみんないい顔をしているが、基本的に善悪がはっきりしていて、大きな変化がないので、ストーリーはやや平板な感じがした。それでも、地味な「辞書作り」をテーマに、これだけ面白い物語を生み出した監督(脚本も同じ)の手腕には感心した。

 ジョンファンらを執念深く追いまわす悪役の軍人・上田は、韓国人俳優が演じている。ほぼ全て日本語のセリフを頑張って喋っているが、ちょっとイントネーションが気になる。しかしあれは、日本人の設定なのか、親日派朝鮮人の設定なのか、よく分からなかった。後者だとすれば、流暢な日本語である必要はなく、かなり皮肉が効いていると思う。

 文字を覚えたてのパンスが、街中で目につく看板の文字を楽しそうに読んでいくシーンは、文字が読める喜びが伝わってくるようだった。かつてハングルをちょっとだけ独学して韓国旅行に行ったときの私自身を思い出した。そして、短い期間で読み書きを覚えたパンスは、息子と娘に手紙を残すことができた。よかった。だが、このエピソードがよすぎて「ことば」の意義と「文字」の意義が混じってしまった気もする。

 余談であるが、パンスの息子たちが、夜更けに帰らぬ父親を案じながら歌をうたうシーンがあって、字幕に「青い空 天の川 白い丸木舟」と出ているのを見て激しく驚いた。先頃見ていた中国ドラマ『隠秘的角落』の挿入歌と同じ(内容)の歌詞、同じメロディだったからである。調べたら、1924年につくられた朝鮮最初の創作童謡『半月』で、1950年代に中国語に訳され『小白船』の題名で親しまれているそうだ。ええ~中韓の間にこんな文化の共有があることを初めて知った。

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リニューアルオープン第一弾/狩野派学習帳(板橋区立美術館) 

2020-07-18 21:45:45 | 行ったもの(美術館・見仏)

板橋区立美術館 館蔵品展『狩野派学習帳 今こそ江戸絵画の正統に学ぼう』(2020年7月11日~8月10日)

 私には、美術館・博物館に行くためにしか降りない駅というのがあって、都営三田線の終点・西高島平駅もそのひとつ。2018年5月から、板橋区立美術館が大規模改修のため休館していたので、一度も訪れる機会がなかった。このたび、同館がリニューアルオープンしたというので、久しぶりに行ってきた。駅のまわりは変化がないことを確認。美術館はどうかなあ、あまり変わってないかなあ、と思いながら歩いていくと、公園の木立の中にどーんと現れた美術館。おお、けっこう印象が変わった! 白い外壁が黒に(姫路城から松本城みたい)。長い斜めの庇と垂直ラインの強調が、ちょっと根津美術館に似ている。

 内部の基本的な造りは変わっていないが、内装は見違えるほどきれいになった。展示ケースも新しく、作品が見やすいものになったと思う。さて、リニューアル後、初の展覧会は館蔵品展なので入場無料。ああ、この方針は変わらないんだ、というのが嬉しかった。寄託作品1件を含む33件を展示。

 右手の第1室が江戸前半期(17世紀~18世紀前半)で、狩野正信、探幽、尚信、常信らの作品が並ぶ。探幽の『富士山図屏風』は余白の美しさが見どころ。右隻の中景に田子の浦、左右の中心に前景として九能山東照宮を描き、左隻の遠景に白抜きの富士山が浮かぶ。探幽の富士山図は非常に人気があったそうだ。尚信の『富士見西行・大原御幸図屏風』は、探幽よりさらに大胆な空白の使い方。私は右隻・富士見西行しか記憶になかったので、左隻を興味深く眺めた。

 中央ロビー(だったところ)もガラス壁を設けることで展示空間になっていて、華やかな金字に極彩色の『唐子遊図屏風』(狩野典信)が露出展示で置かれてた。壁際の展示ケースには、私の好きな『蘇東坡騎驢図』(元信印)も。

 左手の第2室は江戸後半期(18世紀中期~19世紀中期)で、典信(栄川院)、惟信(養川院)、栄信(伊川院)など。中央に露出展示されていたのは、逸見一信(狩野一信)の『源平合戦図屏風・龍虎図屏風』である。表面(?)は彩色の源平合戦図で、右隻に一の谷、左隻に屋島の合戦を描く。なんとなく源氏武者のほうが粗野で、平家方のほうが色白で髭も少なめに描かれている。源氏の荒武者の中で、色白が目立つ大将は頼朝だろうか。義経らしき若武者は髭もない。平家方の熱盛は装束も華やかな美少年。裏面の龍虎図は墨画で、トラの頭の、縞というか斑点の墨のにじみ具合に技を感じて見とれる。

 江戸後半期の狩野派には、狩野派らしくない作品がいろいろあって面白かった。気になったのは、養信(晴川院)の『鷹狩図屏風』で、西洋中世の風景画みたいに静謐な雰囲気。豆粒くらいの人間はいるのかいないのか分からないが、鳥の群れだけが目立つ。大胆な余白を用いた栄信(伊川院)の『山水図屏風』に「尚信先輩、リスペクト!」というキャプションがついていて笑った。板橋区立美術館のこのノリ、大好き。

 危うくこれで帰りかけて、第3室の存在に気づいた。「新収蔵作品」6件が展示されており、逸見一信の作品が2件あって、収集に力を入れているのかなと思った。驚いたのは小林永濯の『神話図』。縦長の画面に、天照大神と素戔嗚尊を描く。スサノオの息から小さな男神が生まれているのは、ウケイの場面なのだろう。小林永濯は明治の画家という認識だったが、天保14年生まれで、狩野派門人なのだな。日本橋の魚問屋の息子なのに潔癖症で魚を触れなかったという解説に、すまないが笑ってしまった。気になっている画家なので、ぜひ作品を集めてもらいたい。

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ご近所のユリ

2020-07-17 22:37:37 | なごみ写真帖

これは10日ほど前の写真。この季節、毎年、近所の小さな緑地に淡い黄色のユリの花が咲く。株が根付いているのだろう。

品種は分からないが、大輪で豪華。今のマンションに住み始めて4年目、毎年、ハッとして、写真に収めようと思っているうちに萎れてしまって機会を逃していた。

もう1ヵ所、玄関前の鉢植えのユリ(白っぽいピンク)を、毎年咲かせているお宅があったのだが、今年は見なかった。やめちゃったのであれば残念。

庭なしマンション生活が長いので、他人様の草花を楽しませてもらっている。

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超級異星人との戦い/三体II:暗黒森林(劉慈欣)

2020-07-16 22:57:14 | 読んだもの(書籍)

〇劉慈欣;大森望、立原透耶、上原かおり、泊功訳『三体II:黒暗森林』上下 早川書房 2020.6

 SF大作『三体』の第二部は、第一部の主人公だった葉文潔が、娘の楊冬の墓の前で、楊冬の高校の同級生だった羅輯青年に出会う短いプロローグから始まる。葉文潔は羅輯の将来について「宇宙社会学を勉強しなさい」という助言を与えて去る。

 本編の開始は「危機紀元3年」。三体艦隊が地球を目指して出発したことが知られてから(第一部の結末=201X年から)3年後と解釈してよいのだろう。三体艦隊の太陽系到達は四半世紀後と予測されている。もと天文学者、現在は社会学者の羅博士は、突然現れた元警察官の史大強に護衛され、ニューヨークの国連本部に連れていかれる。惑星防衛理事会の場で、アジア系女性のセイ国連事務局長は「面壁計画」を発表した。三体人が地球に送り込んだ智子(ソフォン)によって、人類のあらゆる活動は三体人に筒抜けになっている。そこで国連は、自分の頭の中だけで作戦計画を立案する「面壁者」を選び出し、彼らに地球の未来を任せることにした。

 四人の面壁者は、前アメリカ国務長官のタイラー、現職のベネズエラ大統領のレイ・ディアス、脳科学者のハインズ、そして羅輯だった。面壁者は、巨大なリソースを自由に使う権利を与えられた。羅輯以外の三人は、それぞれの計画を進めるが、三体人が派遣した「破壁人」に計画の全容を暴かれ、挫折する。

 羅輯は妻の荘顔と幼い娘と平和な生活を満喫していた。あるとき、妻と娘が失踪し、国連事務総長のセイが現れ、羅輯に「たとえ全人類のためにではなく、彼女たちのためだけにでも」面壁者の使命を思い出すよう説く。羅輯は思索の末、あることを天文学者に依頼する。太陽系から49.5光年の恒星にあるメッセージを送り、呪文をかけたのだ。その呪文の結果を見るために、羅輯は人工冬眠に入った。

 【以下は重要なネタバレ】危機紀元205年(2220年頃)羅輯は覚醒し、同じ頃に冬眠に入り、少し先に目覚めていた史大強と再会する。人類の科学は飛躍的に発展し、三体艦隊は恐るるに足らないという楽観論が支配的になっていた。三体艦隊が先発させた小型探査機が、まもなく海王星軌道に達することが分かっており、人類は、恒星級戦艦二千隻余りのインターナショナル連合艦隊を発進し、これを鹵獲することになった。

 探査機の鹵獲を、祝祭気分で迎えようとしていた人類。しかし、水滴型の小型探査機は、突如として凶悪な本性を剥き出しにし、二千隻の戦艦を全て破壊してしまう。絶望のあまり、集団的精神崩壊が蔓延し、一切の秩序を失う地球。羅輯は史大強の車で郊外に向かい、葉文潔と楊冬の墓の前で、三体世界にコンタクトし、艦隊の方向転換を約束させる。

 なぜ、そんな交渉が成立したかといえば、羅輯が宇宙の本質は「黒暗森林」であることを理解したからだ。宇宙は暗黒の森で、文明は猟銃を構えて隠れている狩人である。「ここにいるよ!」と叫んで自分の存在を曝す生命は、別の狩人によって消滅させられる。冬眠前に羅輯が別の恒星に送った「呪文」はこの実験だった。確信を得た羅輯は、もし三体人が地球を侵略するなら、三体世界と地球の位置を全宇宙に向かって発信すると脅し、三体人はこれに怯えたのである。

 巻末に陸秋槎さん(北京生まれ、日本在住の作家)の解説があり、「黒暗森林」の比喩で語られる宇宙モデル(葉文潔の言葉では「猜疑連鎖」)には、文化大革命時代の中国社会が投影されているのではないかという指摘が興味深かった。現在の習近平体制もそうかもしれない。注目され密告されることは死を意味するので、自分の存在を消すことが最も安全だという社会モデル。第一部ほど直接的な中国近現代史の反映はなかったが、やっぱり本作は中国文明から生まれたSFなのだなあ、と思った。

 しかし、そんなディストピア世界にあって、羅輯も史大強も、詳しくは書けなかったが、第二部の副主人公である軍人の章北海も、希望と理想を捨てずに生きて行く。羅輯は、人類が宇宙の本質が黒暗森林であることに気づけなかったのは、人類に愛があるからだという。そして羅輯の前に現れた三体人は、自分は、二世紀半前、地球に警告を送った監視員だと告げる(第一部参照)。三体世界にも愛はあるのだ。愛の種子は宇宙の他の場所にもあるかもしれない。この絶望と希望の交錯する物語、私の考える中国らしくて好きだ。

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