〇『金庸武侠世界・鉄血丹心』全30集(騰訊視頻)
仰々しいタイトルになっているが、原作は永遠の名作『射鵰英雄伝』である。私は2003年(李亜鵬)版で中国ドラマ・武侠ドラマの世界に足を踏み入れ、2008年(胡哥)版、2017年(楊旭文)版を見てきたので、これが4作目になるが、やっぱり面白いと思う。
南宋末年、江南の牛家村に暮らす郭嘯天と楊鉄心の両家は金兵に襲われる。郭嘯天は命を落とし、身重の妻は草原に流れ着いて郭靖を生む。楊鉄心は行方知れず、身重の妻は金の六王爺・完顔洪烈に見初められ、その庇護の下で楊康を生む。そして18年後、郭靖と楊康の物語が始まる。…というのが導入のあらましなのだが、このドラマは、初回から郭靖と楊康が成年の姿で登場し、さらにそれぞれの伴侶となる黄蓉、穆念慈との出会いまで描いてしまう。二人の両親の物語は、その後、物語が進んだところで回想として挟まれる。
なるほど、この長大な物語を全30集に収めるには、こういう省略もありかもしれない。しかし私は、モンゴルの草原を舞台にした郭靖の少年時代の物語が大好きなので、ちょっと残念でもあった。そこを省略してしまうと、江南七侠の師父たちとの絆も、幼なじみの哲別(ジュベ)や華筝(コジン)との関係も、父親同然のテムジン(チンギスハン)に逆らうことの苦悩が、ずいぶん薄くなってしまうように思う。まあ中国人なら、物語を全部知っている視聴者が多いだろうから、脳内補完して楽しむのかもしれないが。
主人公の郭靖は「笨」(愚か、不器用)が本分である。少年時代は、いくら修行をしても武芸が身につかないのだが、その素直さを誰からも愛され、さまざまな秘儀を授けられる。郭靖を演じた此沙は、今どきのイケメンという認識だったので、合わないんじゃないか?と思っていたが、繊細で誠実な人柄が感じられて意外とよかった。包上恩は、気の強さも茶目っ気も、一途な愛情もまさに黄蓉。この二人なら、ずっと助け合って、どんな困難も乗り越えていくだろうなあと後半生がイメージできた。
王弘毅の楊康はちょっと線が細いと思ったが、その分、闇落ちして破滅していく姿に哀れを感じた。本作は、楊康も欧陽克も、死の間際に愛する人の幻影が迎えにくる(欧陽克の場合は母親)演出で、悪役に優しかった。楊康は、漢人と金人のアイデンティティに引き裂かれてしまったわけで、不幸な生い立ちだったと思う。趙崢の完顔洪烈も、報われない愛情に執着するところが人間的で大変よかった。『射鵰』の映像作品は、金人やモンゴル人の描き方も見どころ。本作の金人男性は編み込みのツインテールみたいな髪型だったが、あれは正しいのかな? モンゴル人は、チンギスハン(王力)はよいとして、ジュベやコジンがあまりモンゴル系らしくないのは不満だった。
黄薬師(周一囲)、洪七公(明道)、欧陽鋒(高偉光)、段智興(何潤東)は、全体に若い配役だなあと思ったが、悪くはなかった。それより大収穫!と感じたのは、老玩童・周伯通の田雷と裘千仞・裘千丈2役の趙健。どちらも魅力ある滑稽さを演じなければならない難役。田雷は『大江大河』の史紅偉、趙健は『三体』の魏成を演じた俳優さんである。これからも気にして追いかけたい。
本作の映像は、構図も光の使い方も凝っていたが、ハッキリした高画質の美しさではなく、むしろ古い映画を見るような、黄色っぽい画面が多かったように思う。あと、アクションを接近カメラで撮ることが多くて独特だった。登場人物の内面の葛藤や覚醒を宇宙空間のようなCGで表す演出も面白かった。いろいろな意味で古さと新しさが同居した作品である。
なお、この『金庸武侠世界』には、監督の異なる「東邪西毒」「南帝北丐」「華山論剣」「九陰真経」という4単元(全30集)が含まれると聞いている。全編公開が待ちどおしい。