○村井吉敬『エビと日本人』(岩波新書) 岩波書店 1988.4
この本、いつかは読んでみようと思っていた。最近、偽装表示問題で、エビに関心が向き、さらに先日読んだ遠藤哲夫さんの『大衆めし 激動の戦後史』にも、冷凍エビフライの開発やエビ料理の大衆化のいきさつが書いてあって面白かったので、名著の評判の高い本書を思い出し、読んでみることに決めた。
本書の刊行年は1988年。バブル景気まっただなかの頃だ。アジア太平洋資料センター(PARC)に発足した「エビ研究会」の約6年にわたる研究成果をまとめたものである。「プロローグ」には、戦後の食卓におけるエビ消費の変遷が短く紹介されている。終戦直後、高級食品の代名詞だったエビは、1961年に水産物では初めて輸入が自由化された。それから四半世紀後の1986年、日本は21万トンのエビを輸入している。一人当たりのエビ消費量は世界一(!)で、日本人は年に平均して70尾近く、週に1回は確実に大型エビを食べている計算になるという。ええ、実感ないなあ。そして、今や(1988年時点)エビは安い輸入食品に仲間入りし始めている。
では、日本の食卓に上るエビは、実際にどこでどのように獲られ、どんな人たちの手を経て、加工され、運搬されてくるのか。著者は、エビ漁の現場であるインドネシアの海に赴く。日系企業の買い上げを期待して、エビ漁に励む零細漁民たち。トロール漁によって、環境や天然資源の破壊が起きているにもかかわらず。
一方、海岸添いの汽水(海水と淡水の混合による低塩分の水)域にはエビ養殖池が作られ、養殖池主の下で小作人や孫小作人が稚エビを育てている。池主の上層には、集買人や大集買人がいて、外の(外国の)資本とつながっている。伝統的な村落共同体のしくみを残すインドネシアと異なり、台湾には、効率的なエビ養殖基地が作られ、その成功は、東南アジアやオーストラリアにも転移されつつある。
また、インドネシアの日系エビ冷凍工場では、若い女性たちが多数働いている。彼女たちは、日本の消費者の嗜好に合わせて、エビの腰を伸ばし、見栄えよく並べて箱詰めする作業に従事している。実は、ここまでのルポルタージュを読んでも、あまり気持ちは動かなかった。本書の刊行当時はともかく、21世紀の今日では、日本人が常食している食材の多くが、アジアやアメリカ、あるいはアフリカの遠い海や野山で収穫され、日本人好みに加工されて運ばれてくることは、あまりにも常識化している。低価格な食品の流通が、現地の低賃金労働(と多少の安全リスク)を引き換えに成立していることは、私でもうすうす気づいているのだ。
最終章は、この四半世紀(1960~1985)に起きた「エビ食」の急激な増加を、あらためて貿易統計等から読み解いた章で、考えさせられる点が多々あった。確かに日本人は昔からエビが好きだったが、限られた地方の地場商品で、それ以外の人々にとっては目を楽しませる縁起物でしかなかった。1960年には、日本は3000トン以上のエビを輸出していた。それが上述のように、大量のエビを輸入し、消費するようになったのは、本当に「自然の流れ」なのか。ひょっとすると私たちは「エビを食べさせられている」のではないだろうか。
私たちは誰に強制されたわけでもなく、自分の嗜好にしたがって、日々の食べるものを選んでいると思っている。でも、実は、総合商社、水産業者、大手スーパー、外食産業、冷凍食品業界、そして、それら業界をバックアップする政府の「仕掛け」が、私たちの食生活を決定しているのではないか。怖い話だが、間違っていない気がする。私たちが「自由意思」だと思っていることが、本当にそうなのかは、注意深く疑ってみる必要があるだろう。
輸入エビは食べ過ぎではなかろうか?と、著者は静かに問いかける。エビだけではなくて「からだの半分は輸入カロリー」といわれるほど、私たちは輸入食で暮らしている(本書刊行当時の数値)。食料自給率の低さを懸念すると同時に、生産国であるアジア・発展途上国との関係の歪みにも、目を向けるべきだろう。
1988年刊行の本書の内容が、すでに古くなっていることは否めない。気になる数字はネットで最新動向を確かめながら読んだ。引き続き、2007年刊行の『エビと日本人 II』を読んでみるといいのかもしれない。しかし、本書に表明されている著者の懸念や提言は、流通のグローバル化が進む今日でも色褪せていないと感じられた。
この本、いつかは読んでみようと思っていた。最近、偽装表示問題で、エビに関心が向き、さらに先日読んだ遠藤哲夫さんの『大衆めし 激動の戦後史』にも、冷凍エビフライの開発やエビ料理の大衆化のいきさつが書いてあって面白かったので、名著の評判の高い本書を思い出し、読んでみることに決めた。
本書の刊行年は1988年。バブル景気まっただなかの頃だ。アジア太平洋資料センター(PARC)に発足した「エビ研究会」の約6年にわたる研究成果をまとめたものである。「プロローグ」には、戦後の食卓におけるエビ消費の変遷が短く紹介されている。終戦直後、高級食品の代名詞だったエビは、1961年に水産物では初めて輸入が自由化された。それから四半世紀後の1986年、日本は21万トンのエビを輸入している。一人当たりのエビ消費量は世界一(!)で、日本人は年に平均して70尾近く、週に1回は確実に大型エビを食べている計算になるという。ええ、実感ないなあ。そして、今や(1988年時点)エビは安い輸入食品に仲間入りし始めている。
では、日本の食卓に上るエビは、実際にどこでどのように獲られ、どんな人たちの手を経て、加工され、運搬されてくるのか。著者は、エビ漁の現場であるインドネシアの海に赴く。日系企業の買い上げを期待して、エビ漁に励む零細漁民たち。トロール漁によって、環境や天然資源の破壊が起きているにもかかわらず。
一方、海岸添いの汽水(海水と淡水の混合による低塩分の水)域にはエビ養殖池が作られ、養殖池主の下で小作人や孫小作人が稚エビを育てている。池主の上層には、集買人や大集買人がいて、外の(外国の)資本とつながっている。伝統的な村落共同体のしくみを残すインドネシアと異なり、台湾には、効率的なエビ養殖基地が作られ、その成功は、東南アジアやオーストラリアにも転移されつつある。
また、インドネシアの日系エビ冷凍工場では、若い女性たちが多数働いている。彼女たちは、日本の消費者の嗜好に合わせて、エビの腰を伸ばし、見栄えよく並べて箱詰めする作業に従事している。実は、ここまでのルポルタージュを読んでも、あまり気持ちは動かなかった。本書の刊行当時はともかく、21世紀の今日では、日本人が常食している食材の多くが、アジアやアメリカ、あるいはアフリカの遠い海や野山で収穫され、日本人好みに加工されて運ばれてくることは、あまりにも常識化している。低価格な食品の流通が、現地の低賃金労働(と多少の安全リスク)を引き換えに成立していることは、私でもうすうす気づいているのだ。
最終章は、この四半世紀(1960~1985)に起きた「エビ食」の急激な増加を、あらためて貿易統計等から読み解いた章で、考えさせられる点が多々あった。確かに日本人は昔からエビが好きだったが、限られた地方の地場商品で、それ以外の人々にとっては目を楽しませる縁起物でしかなかった。1960年には、日本は3000トン以上のエビを輸出していた。それが上述のように、大量のエビを輸入し、消費するようになったのは、本当に「自然の流れ」なのか。ひょっとすると私たちは「エビを食べさせられている」のではないだろうか。
私たちは誰に強制されたわけでもなく、自分の嗜好にしたがって、日々の食べるものを選んでいると思っている。でも、実は、総合商社、水産業者、大手スーパー、外食産業、冷凍食品業界、そして、それら業界をバックアップする政府の「仕掛け」が、私たちの食生活を決定しているのではないか。怖い話だが、間違っていない気がする。私たちが「自由意思」だと思っていることが、本当にそうなのかは、注意深く疑ってみる必要があるだろう。
輸入エビは食べ過ぎではなかろうか?と、著者は静かに問いかける。エビだけではなくて「からだの半分は輸入カロリー」といわれるほど、私たちは輸入食で暮らしている(本書刊行当時の数値)。食料自給率の低さを懸念すると同時に、生産国であるアジア・発展途上国との関係の歪みにも、目を向けるべきだろう。
1988年刊行の本書の内容が、すでに古くなっていることは否めない。気になる数字はネットで最新動向を確かめながら読んだ。引き続き、2007年刊行の『エビと日本人 II』を読んでみるといいのかもしれない。しかし、本書に表明されている著者の懸念や提言は、流通のグローバル化が進む今日でも色褪せていないと感じられた。