見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

まともな働き方を取り戻す/雇用身分社会(森岡孝二)

2015-11-30 23:19:29 | 読んだもの(書籍)
○森岡孝二『雇用身分社会』(岩波新書) 岩波書店 2015.10

 カバーの折り返しに「この30年で様変わりした雇用関係を概観し、雇用身分社会から抜け出す道筋を考える」とある。30年前といえば、ちょうど私が学業を終えて社会に出た頃だ。「フリーター」という言葉が使われ始め、多様な働き方を選べる時代が始まったかに見えた。私も大学卒業後、しばらく不安定な働き方をしていたが、バブル崩壊の少し前に、いまの仕事に落ち着いたのが、振り返れば幸運だったと言える。

 日本は、この30年間、経済界も政界も「雇用形態の多様化」を進めてきた。その結果、働く人々が、総合職正社員、一般職正社員、限定正社員、嘱託社員、契約社員、パート・アルバイト、派遣労働者のいずれかの「身分」に引き裂かれた「雇用身分社会」が出現したというのが著者の見立てである。

 そもそも古い時代の日本ではどうだったのか。第1章は『職工事情』や『女工哀史』を参考に、戦前の日本企業の雇用関係と働かされ方を見ていく。一度きちんと調べてみたいと思っていた事柄で、非常に面白かった。紡績工場の中には文部省認可の小学校を併設しているところもあったが、これは「初等教育を受けていない少女を集めるため」であって、「肯定的に評価することはできない」と著者は述べている。労働時間は11時間を原則としながら、残業が強制されていたり、強制でなくても、わずかな手当のために残業に応じる者が多かったなど、問題の根は現代と変わらないように思った。

 戦前の女工たちの多くは、募集人によって集められ、工場に送り込まれた。戦前の日本では、募集人・周旋屋・口入屋・手配師など、労働市場の多様な仲介人が存在し、労働者を食いものにする悪質業者も多かった。企業もまた、仲介業者を利用することで、募集の手間や使用者責任を逃れようとしていた。戦後の1947年、職業安定法に制定によって「使用者と労働者のあいだに中間業者が介在する」前近代的な慣行は原則として禁止された。

 しかし、60~70年代になると、職安法の理念はずるずると後退していく。1985年に労働者派遣法が成立し、違法であったはずの労働者供給事業が「労働者派遣事業」として合法化される。最終的に認められたのは、いわゆる「専門26業務」(1996年)で「専門的な知識、技術又は経験を必要とする業務」と言いながら、「ファイリング、建築物清掃、受付・案内・駐車場管理など、高度の知識やスキルを要さない単純労働の業務が、こっそりというよりごっそり含まれていた」と著者は喝破する。あ、やっぱりねえ。派遣法をいくら読んでも趣旨が分からなくて、分からないのは私に法律知識がないためかと思っていたが、やっぱり常識的に論理が破綻した法律なのだ。そして財界の期待に応えて制度の規制緩和は着々と進み、2015年9月には「専門26業務」の枠組みが完全に廃され、企業は正社員をいつでも使い捨て可能な派遣労働者に恒久的に置き換えることが可能になってしまった。

 次に女性に多いパートタイム労働者。実は戦後しばらくは、臨時雇いや日雇いで働く短時間労働者は男性のほうが多かった。1960年代以降、女性パートが増加し、1975年から90年代にかけて「男は残業(長時間労働)・女はパート」という日本的働き方が一般化し、労働時間の性別二極分化が進む。しかし、国際比較から見ると、日本のパートタイム労働者の就業時間は長い。諸外国のフルタイム並みに働いているにもかかわらず、賃金や労働条件はひどく劣悪なのだ。

 最後にホワイトカラー正社員の受難。無際限な長時間労働、過労とストレス。定年制(長期雇用慣行)はもはや風前の灯でしかない。日本成長戦略のひとつとして「40歳定年制」が本気で検討されているらしいのである。このように、どの働き方を選んでも(そもそも選べるのか?)あまり明るい未来は見えない。そして、雇用格差は、所得の面では高所得層の縮小、低所得層の拡大を生んでおり、深刻な貧困をもたらしている。

 「まともな働き方」に向けての提言は、(1)労働者派遣制度の見直し・(2)非正規雇用者の比率引き下げ・(3)雇用・労働の規制緩和との決別・(4)最低賃金の引き上げ・(5)八時間労働制の確立・(6)性別賃金格差の解消。当たり前の事ばかりだ。しかし、この当たり前の事が実現できないうちは、どんなに目新しい政策を掲げたところで、目くらましに過ぎないと肝に銘じよう。もちろん企業経営者は嫌がるだろうけど、まともな社会にするには、まともな働き方を取り戻すことが絶対に必要である。
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父と息子の物語/シネマ歌舞伎・ヤマトタケル

2015-11-29 23:22:37 | 見たもの(Webサイト・TV)
シネマ歌舞伎『ヤマトタケル』(MOVIX柏の葉)

 私は歌舞伎役者に全く関心がないのだが、ひとりだけ例外がいる。古い名前で呼べば、市川亀治郎。2007年に大河ドラマ『風林火山』の武田信玄役を演じたことから、気になる存在となっていた。2012年6月、亀治郎が四代目市川猿之助を襲名し、従兄弟の関係にある香川照之も同時に九代目中車を襲名して歌舞伎の世界に身を投じることになった襲名披露公演がこれ。先代の猿之助(現・猿翁)が創始した「スーパー歌舞伎」にもずっと興味はあったので、よし、一度見に行ってみようと考えた。しかし、門外漢の浅はかさで、ぼやぼやしていたら、あっという間にチケットは売り切れてしまった。

 それから3年。舞台の記録をスクリーンで上演する「シネマ歌舞伎」に亀治郎改め四代目猿之助の「ヤマトタケル」が登場すると聞いて、ようやく念願を果たすときが来た。スクリーンで見ると、役者の演技や表情はもちろんだが、この作品の場合、衣装のディティールが見えるのがとても素晴らしかった。ただ立ち回りでは、もう少しカメラを引いて舞台全体を映してほしい、と思ったところもある。

 はじめに猿之助と中車の襲名披露口上がある。中車が年下の猿之助を「これからは父と思い」と覚悟を述べるのが印象的だった。

・第1幕(第1場:大和の国 聖宮/第2場:大唯命の家/第3場:元の聖宮/第4場:明石の浜/第五場:熊襲の国 タケルの新宮)--舞台が始まって、あ、字幕がないんだ、と不安を感じたが、セリフはかなり現代的である。ただ、ところどころ「すめらみこと」や「まえつぎみ」などの古語が入るので、他のお客さん大丈夫かな?と余計な心配をした。

 帝(中車)は、朝餉(あさげ)の席に顔を見せない大碓命を説得して連れてくるよう、弟の小碓命(猿之助)に命ずる。オウスは兄の館で、兄に謀反の企みがあることを聞き、もみ合ううちに兄を刺し殺してしまう。あ、そうきたか。原作(神話)のように兄を殺して平然としているオウスにはしないんだな。猿之助がめまぐるしい早変わりでオオウス・オウス二役を演じるのが見どころ。オウスは兄をかばって「私が殺した」とだけ報告する。怒った父帝は、オウスを熊襲平定に差し向ける。その途中、明石浜までオウスを追って来たのは、兄オオウスの后だった兄媛(エヒメ)。オウスを殺して仇をとろうとするが、真実を知って、オウスに恋心を抱く。そこに叔母の倭姫と弟媛(オトヒメ、兄媛の妹)も現れて、オウスの出立を見送る。

 舞台は一変して熊襲の国。二人の王、兄タケルと弟タケルが賑やかな酒盛りの最中。蝦夷や吉備、琉球からも祝いの品が届けられる。そこにヤマトの国から流れ来たひとりの舞姫、実はオウスが酒宴に入り込み、兄弟の王を斬り伏せる。弟タケルは死に際に自分の名前をオウスに贈り、ここにヤマトタケルが誕生する。やっぱり出雲タケルの故事(だまして剣を取り換える)はやらないのだな。

・第2幕(第1場:大和の国 聖宮/第2場:伊勢の大宮/第3場:焼津/第4場:走水の海上)--大和の国に戻ったタケル。しかし父帝は大后(後妻)に心を奪われており、先妻の子であるタケルを疎んじる。褒美に兄媛を妻として与えたものの、すぐに蝦夷征伐に旅立たせる。伊勢の大宮で、叔母の倭姫と弟媛に慰められ、神剣と錦の袋を授かる。焼津。舞台背景には富士山の黒々とした影。従者は吉備のタケヒコ、後を追って来た弟媛。相模の国造のヤイラム、ヤイレポ兄弟(この名前の由来は何?)の姦計にはまり、野焼きの火に囲まれるが、火打石と剣で難を切り抜ける。ここは「火」に扮した人々が、赤い布旗を振りまわして炎の勢いを表現し、さらにくるくるとトンボを切る。これ、京劇だろ!と思った。主要人物の衣装も、無国籍とはいえ、かなり京劇風味が強い。

 ヤイラム、ヤイレポ兄弟は、ヤマトのまつりごと(米と鉄による侵略)を批判し、呪いの言葉を残して死ぬ。ニッポン万歳でなく、こういう批判精神のある物語は好きだ。走水。舞台上の船がぐるぐる回ってスペクタクル。弟媛の入水。菅畳を八枚敷くのは大后のしるしって、そうなんだっけ? この舞台では、ヤマトタケルの東征先を「蝦夷(エゾ)」と呼んで「アヅマ」と呼ばないのは何故だろうと思って見ていたが、「吾妻はや」以前に「アヅマ」は使えないのであった、と思い出した。

・第3幕(第1場:尾張の国造の家/第2場:伊吹山/第3場:能煩野/第4場:志貴の里)

 東国征伐を終えて、尾張で国造の娘ミヤヅ姫を妻に迎える。父帝より使者があり、伊吹山の山神を退治することを命じられる。故郷を前に気のゆるんだヤマトタケルは、伊勢の神剣をミヤヅ姫に預けて山に入ったため、国つ神を相手に苦戦を強いられる。山神は白いイノシシに変身して登場。こんな巨大だったの!!!しかも動きが機敏! 中華街の獅子舞か、南洋の神様みたい。この舞台で、いちばんインパクトのあるビジュアルだった。姥神は自らの命と引き換えに、大量の雹を降らして、ヤマトタケルに病をもたらす。

 能煩野(のぼの)。ヤマトタケルは夢の中で聖宮に帰還するが、父帝はつれない。夢から覚めて、最後の力をふりしぼり、大和の青山を語り、平群の椎の葉を語り、足元に湧き立つ雲を見て、自分の死期を知る。なるほど「大和は国のまほろば」「たたみこも平群の山の」「我家の方よ雲居立ちくも」をこう処理するか、と思って見ていた。しかし、この物語では戦いに倦み疲れたタケルは「剣太刀」には言及しなかったような。こういう題材の取捨選択が興味深い。

 志貴の里、ヤマトタケルの陵墓(ピラミッドの中みたい)。遺児のワカタケルが皇太子(ひつぎのみこ)に立てられることになり、吉備のタケヒコ、蝦夷のヘタルベらとともに聖宮へ向かう。無人の陵墓が崩れ、空に舞い上がるタケル。そうか、もろもろの桎梏から解き放たれて自由を得たヤマトタケルの後を、后や御子たちは追わないのだな。最後の白鳥をイメージした衣装で宙乗りする図は、何度も見たことがあって、どうなんだろうと思っていたが、意外ときれいだった。最後は宙乗りのまま、舞台を捌ける。

 カーテンコール。本当に楽しい舞台だった。幕間に10分ずつ休憩があるが、上映時間は4時間。でも、次々に質の違うスペクタクルがこれでもかと襲ってくるので、全く飽きない。そして、いったん幕が下りた後のアンコール。中央に猿翁の姿が! 当時、そんな話を聞いたような気もするけど、全く予想していなかったので、びっくりした。『ヤマトタケル』という、父と息子の長い葛藤の物語の後で、実子の中車(香川照之)と、名跡を継いだ四代目猿之助という「息子」たちに両手を取られた猿翁の姿を見るのは感慨深いものがあった。1986年、梅原猛が先代猿之助(猿翁)のためにこの作品を執筆したときは、こんな日が来ることは、まさか予想していなかっただろうな。
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クリスマスリース2015

2015-11-28 22:56:29 | なごみ写真帖
2年ぶりに札幌から本州に戻ったので、むかし住んでいた街の花屋さんに行って、クリスマスリースを買ってきた。
秋色アジサイを使ったシックなリース。



札幌では、大通り公園のクリスマス市がこの季節の楽しみだったが、生花を使ったリースは、気に入るものが見つけられなかった。

2012年のリース

ちなみにパン好きの人には有名な「カタネベーカリー」と同じ通りにある花屋さん。「カタネベーカリー」でシュトーレンも買ってきたので、急にクリスマス近しの雰囲気になった。
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琳派(京都国立博物館)+比叡山(大津市歴博)、他

2015-11-26 23:55:41 | 行ったもの(美術館・見仏)
京都国立博物館 特別展覧会 琳派誕生400年記念『琳派 京(みやこ)を彩る』(2015年10月10日~11月23日)

 三連休に見てきた展覧会レポートをまとめて。琳派展は、めちゃくちゃ混んでいるに違いないので、入れなくても仕方ない、と思っていた。土曜日、京都に向かう新幹線の中でネットを見たら、朝一番の混雑が解消されたあとは「待ち時間なし」の情報が流れていた。半信半疑で美術館に向かうと、確かに入館待ちの列はない。これは、平成知新館(新館)が会場で、本館よりキャパが大きいため、どんどんお客を入れたためではないかと思う。会場内は大混雑だった。

 順路の3階から見て行く。蒔絵・陶磁・色紙・歌巻など、わりと小物が多い。本阿弥家の家業にかかわる刀剣も。私は光悦の「俺様茶碗」(笑)シリーズをまとめて見ることができて満足。2階は絵画と屏風。宗達と伝宗達作品を集めた部屋はステキだった。伊勢物語図色紙って「芥川」以外に「河原の院」「渚の院の桜」なども残っているのだな。屏風は宗達と抱一の『風神雷神図屏風』を見ることができた。抱一筆『三十六歌仙図屏風』はプライスコレクションから。 大好きな光琳の『白楽天図屏風』は小西家伝来光琳関係資料に、素朴な模写(?)があって面白かった。1階は乾山、抱一、渡辺始興、芳中など。さまざまな美術館に分有されている資料をまとめて見る機会としては意義があったと思う。

 なお、京博の特別展としては1976年の『日本国宝展』以来39年ぶりに来場者が30万人を突破したそうだ。すごいなあ。まあこういう企画で稼いだら、次は京博らしく儲からない企画をやってほしい。(※京都新聞2015/11/21

大津市歴史博物館 開館25周年記念企画展(第68回企画展)『比叡山-みほとけの山-』(2015年10月10日~11月23日)

 琳派展からこちらに移動。無言だが熱心なお客さんが多くて、会場内に静かな熱気がじんわり満ちていた。同館が開館以来、比叡山とその周辺で行って来た調査を元に、優れた仏像や仏画、古文書などを紹介する展覧会。さりげなく「初公開」と記された仏像が多く、またその造形の素晴らしいことに感心した。展覧会のアイコンになっている延暦寺の千手観音立像(平安時代)は前にも見たことがあると思うが、あごが小さく横に広い顔、大きな黒目、厚い唇など異国風な趣き。延暦寺の四天王像(平安時代)も好きだ。袖の翻り方が装飾的で、踊っているように楽しそう。坂本本町・松禅院の観音菩薩立像など、ずいぐりした小像も多かった。めずらしいところでは、妙見菩薩(鎮宅霊符神)倚像(坂本・弘法寺、江戸時代)。足元に小さな玄武(亀の背中にとぐろを巻いた蛇)がちゃんといる。

 文書資料、特に地図が大量に出ていたのも面白かった。坂本に「叡山文庫」というのがあるんだなあ。(※大津市歴史博物館:学芸員のブログ

国立歴史民族博物館(みんぱく)地域展示・通文化展示

 最後にみんぱくに行ったのはいつだろう?と思ってブログを検索したら出てこない。ということは10年以上行っていないのだ。気になる展覧会はあるのだが、なかなか行くことができない。今回も直前の特別展(韓日食博)が終わってしまって、常設展(地域展示・通文化展示)しかやっていないことを承知で、久しぶりに訪ねた。一部閉室中であったにもかかわらず、面白くて2時間以上いてしまった。

 ホームページによれば、同館は『展示基本構想2007』をもとに展示場を順次刷新中だという。2015年3月には南アジア展示と東南アジア展示が新しくなったばかり。この『基本構想2007』はホームページ上に公開されており(PDFファイル)読むと非常に興味深い。というか、今日、「民族」や「歴史」を掲げる博物館施設の悩みの深さを感じた。同構想は「地球規模の人・モノ・情報の交流の飛躍的な進展は、諸民族文化の劇的な変容を招くとともに、世界の諸民族のあいだに『自己の文化』や『自己の歴史』を注視する動きを加速させた」「その結果、一方的な民族誌記述や民族誌展示のあり方に対する、当の民族や文化の担い手からの異議申し立ては日増しに激しさを増している」という現状認識を踏まえ、「交流と越境と移動が常態となった現代の状況において、そうした状況に即した民族学博物館の展示の新たなありかたを求めるとすれば、それは双方向的・多方向的な交流の場、すなわち『フォーラム』として博物館を再編する以外ない」と結論づけている。

 たとえば「日本」の展示に、さまざまなエスニック・グループの存在が取り上げられていたのは実践の一例かな。以前はこれほど明確なメッセージはなかったような気がする。韓国社会のキリスト教徒とか、アフリカに見られる欧米文化の影響とか、ヨーロッパも「ヨーロッパらしくない」土着的な民俗が取り上げられていたり、さまざまな固定イメージがくつがえる体験が面白かった。

↓館内レストランでは『韓日食博展』特別メニューを期間延長中だったので、青(緑)と黒の食材を使った「青玄御膳」をいただく。

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背中まで初公開/十二神将のすべて(東寺・灌頂院)

2015-11-25 23:18:55 | 行ったもの(美術館・見仏)
東寺 2015秋期特別公開 灌頂院『十二神将のすべて』(2015年10月30日~11月25日)

 実は10月5日(月)に京都に出張したときに、久しぶりに東寺を見たくなって、仕事の始まる前にちょっと寄った。そのとき、金堂の薬師如来の台座を囲んでいるはずの十二神将がいなかったので、びっくりした。特別公開が始まるので、昨日、運び出したんですよ、とお寺の方から聞いた。まだ特別公開は始まっていないという話だったが、日程を聞いて、10月か11月に見に来られるだろう、と思っていた。

 さて、連休旅行最終日。京都駅が朝からむちゃくちゃな大混雑だったので、どこへも寄らずに帰京してしまおうかとも思ったが、東寺だけは寄っていくことに思い直した。灌頂院は「後七日御修法」「伝法灌頂」「正御影供」という重要な行事の行われる特別なお堂である。ふだんは拝観できないが、一度くらい、文化財特別公開で入ったことがあるような気がする。何もない、がらんとしたお堂だったはず。

 お堂の東面から左(南)寄りの入口を入ると、土間を挟んで左(南)側の一段高くなった床に、まず三体の神将像が、それぞれ白木の展示台に載って並んでいた。巳神・午神・未神である。巳神は額に手をかざすポーズ。土間の反対(北)側の暗い堂内に入ると、残りの九体が輪になって並んでいた。順路に従うと、酉・戌/亥・子・丑/寅・卯・辰/申となるので、混乱するが、薬師如来の台座の周囲を囲んでいるときの東西南北の配置をなるべく崩さないように配慮されている。いつも拝観者に向き合っているのは南を守る巳神・午神・未神。全く姿の見えない背面にいるのは、北を守る亥神・子神・丑神。

 側面にいる辰神の槍の差し上げ方が、自由の女神みたいでカッコいいといつも思っていた。全般的に衣の裾や袖の翻りかたが激しいのもカッコいい。甲冑フル装着の者(戌神)もいるが、裸足だったり、衣の前をはだけて胸の筋肉を見せている者(辰神)もいる。持ちものは武器とは限らず、貝を持っていたり(酉神)、玉や蓮華を持っていたりする。暗闇に目が慣れてくると、けっこう彩色と金箔が残っているのが分かった。特に背中側。この十二神将像は桃山時代の作だと思うが、古様を守った均整のとれた造形に、新しさも感じられて面白かった。

 堂内の南北の目隠し壁には(たぶん金剛界、胎蔵界の大日如来を表す)大きな梵字が投影されており、その奥の真言八祖像の壁画にもスポット照明が当たっていた。最近の寺院は、仏像を魅力的に見せる展示方法をよく研究していて、しかも舞台装置を作り出す財力もちゃんと持っているようだ。
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発見と発明の森/世界を変えた書物(グランフロント大阪)

2015-11-24 23:21:29 | 行ったもの(美術館・見仏)
○グランフロント大阪北館ナレッジキャピタル イベントラボ 『[世界を変えた書物]展-人類の知性を辿る旅』(2015年11月6日~11月23日)

 三連休旅行に出かける直前に、この展覧会の噂を聞いて、見に行こうと決めた。金沢工業大学ライブラリーセンターが所蔵する「工学の曙文庫」から選りすぐりの稀覯書を展示公開する企画。「工学の曙文庫」とは、工学の観点から、科学的発見、技術的発明の原典初版を集めたもので、グーテンベルクによって印刷技術が発明された15世紀以降の書物2,000余冊のコレクションから、今回、約130冊が出品されていた。いくら稀覯書でも、書物の展覧会なんてお客が入るんだろうか?と思ったが、入場無料&写真撮影可というポリシーが受けてか、ずいぶんたくさんお客さんが入っていた。



 会場デザインが面白くて、狭い入口をくぐると、第1室「知の壁」は、壁一面の書架に本物の書物(洋書)が並んでおり、その間に展示品が混じっている。写真は、オーヴィル・ライトの自筆署名がある米国航空協会競技認可証(1929年)。この部屋には、手稿や書簡など「書物」の範疇に入らない資料も並んでいて面白かった。あと申し訳ないが、壁の洋書は、ツタヤ図書館みたいにダミーではないものの、百科事典とかブックス・イン・プリントとか、わりとどうでもいいもの(紛失しても困りそうにないもの)が多くて、ちょっと笑ってしまった。

 第2室「知の森」の展示品は、1点ずつ独立ケースに入っている。ガラス&鏡の二重底になっていて、必ず表紙が見えるのはありがたかった。乳白色のヴェラム装が好き。「力・重さ」「光」「物質・元素」などテーマごとに5~6点の稀覯書が展示されている。



↓ヨハネス・ヘヴェリウス『天文機械上巻』(1673)


↓レギオモンタヌス『アルマゲスト(偉大なるプトレマイオス)』(1496)(解題


↓ヨハネス・ケプラー『天文学の光学的部分を扱うウィテロへの補遺』(1604)(解題


 愛書家が目を輝かすような、いわゆる稀覯書だけでなく、年代的にはずっと新しいが、間違いなく後世に残る科学史上の発見・発明の記録、フレミングの『アオカビ培養基の抗菌作用』(1929)(ペニシリンの発見!)やワトソンとクリック『核酸の分子的構造』(1953)(二重らせん!)やアインシュタインの『一般相対性理論の基礎』(1916)もあった。「書物」に入るかどうかは微妙だが、アポロ11号の月着陸交信記録(1969)や合衆国戦略爆撃調査団による「広島、長崎に対する原子爆弾の効果」も。湯川秀樹の「素粒子の相互作用について」も「1935年,初版」とあったが、表紙を見たら「Proceedings of Physico-Mathematical Society of Japan」(数物学会誌)だった。この場合「初版」とは「最初に世に出たとき」(あるいは、後世に残すよう記録に留められたとき)くらいの意味なんだろう。

 私は根っから文系人間だが、一時期は天文学に凝ったり、航空学に親しんだり、素粒子物理学を学ぼうかと考えたこともある。その移り気のおかげで、かなりの書物に懐かしさを感じて楽しめた。最近読んだ本でいうと、荒俣宏『サイエンス異人伝』を思い出した書物と著者が多かった。会場では、本展の監修者でもある金沢工大の竺覚暁(ちく かくぎょう)先生が熱心にギャラリートークをされている姿をお見かけした。
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妖狐讃頌/文楽・玉藻前曦袂

2015-11-23 23:01:15 | 行ったもの2(講演・公演)
国立文楽劇場 平成27年度(第70回)文化庁芸術祭主催 錦秋文楽公演 第2部『玉藻前曦袂(たまものまえあさひのたもと)』(11月22日、16:00~)

・清水寺の段/道春館の段/神泉苑の段/廊下の段/訴訟の段/祈りの段/化粧殺生石

 「玉藻前」といえば、鳥羽上皇の御代に現れた絶世の美女、その正体は天竺・唐土渡りの金毛九尾の妖狐。この伝説を題材にした文楽の演目があることは知っていたが、かつて一度も見たことがなかった。今回のプログラムに使われている写真が、昭和49年9月国立劇場、昭和57年9月国立劇場、平成19年4月国立文楽劇場とあるから、そりゃあ関東人の私に見る機会はないなあと思った。実際、現代人の目から見ると大味なプロットなので、高尚な人間ドラマを期待していくと全く裏切られる。何度も見たい演目ではないが、面白かった。大阪まで見に行って本当によかった。

 もとの脚本では初段と二段目が天竺・唐土編に当たるのだというが、そこは省略して、物語は日本編から。鳥羽天皇の兄の薄雲皇子(うすぐものおうじ)は日蝕の日に生まれたため帝位につけなかったことに不満を持ち、皇位を狙っている。皇子は藤原道春の娘・桂姫を召し、従わなければ命を奪って首を持ってくるよう、配下の鷲塚金藤次に命じる。藤原道春の後室・萩の方は、清水寺に参籠した帰り、拾い子として授かった桂姫を殺すに忍びず、実子であり妹の初花姫の首を差し出すことを考える。姉妹は白装束で双六を打ち(おお、双六!)互いに勝ちを譲ろうとする。ついに初花姫の負けが決まるが、金藤次は桂姫の首を落とす。様子をうかがっていた桂姫の恋人・采女之助は怒り心頭、金藤次に斬りかかる。

 金藤次役が玉男さんだったので、いや玉男さんがそんな悪役のはずは(でも悪役だったらちょっと面白い)と思って見ていたら、ここで「実は」の種明かし。金藤次が桂姫を捨てた実の父親だったことが明らかになり、一同その心境を思いやって泣き崩れる。この「道春館の段」は、千歳大夫が全身を使って豪快に演ずる(三味線は冨助さん)。千歳大夫さん、連日の熱演のせいか、喉をやられ気味だったのが気がかり。どうぞお大事に。気がついたら、まだ妖狐が出てこない。
 
 初花姫は名を玉藻前と改めて鳥羽天皇の宮廷に仕えることになる。え?この可憐な妹姫が妖狐?と混乱していたら、「神泉苑の段」でついに妖狐登場。キツネといえば勘十郎さんなのだが、いつもの白狐とちがって、巨大!金色!九尾!! でも細やかな耳の動きが勘十郎さんである。そして、亡き姉を偲んでいた玉藻前に襲いかかり、その姿かたちに取ってかわる。華やかな女官の着物、振り乱した黒髪。その実体はキツネと思いきや、扇に隠れた一瞬で娘の顔に。おお~。思わず起きる拍手。実は前後に顔のあるカシラを使うのだという。そこに薄雲皇子が現れ、玉藻前を口説き、さらに謀反の企みを打ち明ける。玉藻前も素性を明かし、二人で日本を魔道に引き入れることを誓う。ものすごいブラックな内容を、咲寿大夫から咲甫大夫の美声リレーで。

 続く「廊下の段」では、帝の寵愛を奪われたことを恨む女官たちが、玉藻前を暗殺しようと斬りつけるのだから、すでに日本の宮廷は魔道に落ちているようなもの。この女官たちの中に美福門院得子さまの姿も。この物語は美福門院=妖狐説は取らないのだな。襲われた玉藻前は、闇の中で全身を輝かせて、女官たちをおののかせる。

 このあと「十作住家の段」が省略されているので、少し筋が分かりにくいが、「訴訟の段」では薄雲皇子が傾城の亀菊に夢中になり(なんだこの時代錯誤はw)訴訟も全て亀菊に任せている。ここはチャリ場。陰陽師・安倍泰成の訴えによって、帝の御病平癒の祈祷が行われることになり、「祈りの場」で正体をあばかれた九尾の妖狐は、那須野が原へ飛び去る。髪を結った状態の玉藻前のカシラは鬘と顔の間に仕掛け(薄い布面)があって、一瞬でキツネ顔に変わる。これ、昔からあるのか知らないが、中国の川劇の変臉(へんれん)あるいは変面と同じ方式だと思った。最後は、勘十郎さん、宙づりで退場。

 最後の「化粧殺生石(けわいせっしょうせき)」は一種の景事である。幕があがると中央に大きな岩(殺生石)。夕闇の中で毒を吐いているのか、白いスモークが上がっている。「妖狐の霊魂が石に残り、毎夜様々な姿に化けて賑やかに踊り狂うのでした」とプログラムにいう。え?という解説だが、まあどうでもいい。岩陰から出て来た座頭→在所娘→雷→いなせな男→夜鷹→女郎(お多福の面)→奴(やっこ)が次々に踊りを演じるのだが、ぜんぶ勘十郎さん。舞台の上手に消えたかと思えば下手に現れ、女郎と奴は何度も入れ替わる。その間に九尾の狐があり、最後は華麗な玉藻前(キツネ顔)が檜扇を構える姿で幕。いや~理屈抜きで楽しかった~。咲甫大夫の再登場も嬉しかったし。三味線も鶴澤藤蔵さんを筆頭に華やかで。「化粧殺生石」は昭和49年以来の再演だそうだ。プログラムに先代の吉田玉男さん(若い!)が早変わりを演じている写真がある。

 物語は、結局どうなったのか、全然収束しないんだけど、気にしないでおく。薄雲皇子は四国への流罪を申し付けられるのだが、降伏しようとしない。後ろの席のおじさんが幕間に「崇徳上皇か」とつぶやいていたが、やっぱりモデルはそうなのか。これ、東京でも上演してほしいなあ。もう一回見たい。
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特集・平櫛田中を愉しむ/美の収穫祭(東京藝大美術館)

2015-11-19 00:51:26 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京藝術大学 大学美術館 『藝大コレクション展 美の収穫祭』(特集展示:平櫛田中ゆかりの作品を中心に)(2015年11月10日~11月29日)

 いつも春の企画展を見にいくと、併設で「藝大コレクション展」が開かれていたような気がする。私は近代初期の洋画や具象彫刻が好きなので、けっこう楽しみにしていた。今年はめずらしく秋季の開催。

 入口から続く展示ケースには、日本画作品が並んでいた。光琳の『槙楓図屏風』を先頭に、以下、近代の作品が並ぶ。橋本雅邦の『白雲紅樹』、川合玉堂の『雑木山』は、清涼な空気を感じさせて、この季節にふさわしい。狩野芳崖の『大鷲』は、縦3メートル×横2メートルを越える大画面に、怪鳥のように巨大な鷲の姿を描く。しかし、芳崖の描く鬼や動物は、どこかディズニーアニメみたいな丸っこい愛らしさがあって、あまり怖くはない。伊藤博文に贈るつもりで描いたと伝えられるが、実際に贈られたとして、お気に召しただろうか。美人画のほうが喜んだんじゃないかなあ、と伊藤公ファンとしてつぶやいておく。上村松園の『草紙洗小町』もずいぶん大きな絵で、迫力があった。柴田是真の『千種之間天井綴織下絵』は、薄紙の四隅を特製マグネット(?)で留めた展示方法がキュートで感心した。

 ケースの向かい側は洋画の列か、と思って振り向いたら、先頭にいきなり高橋由一の『鮭』が掛かっていて、そこか!と笑ってしまった。このところ、特別扱いされる展覧会が続いたように思うが、こんなふうにただの白壁をバックに掛かっているほうがこの作品らしい気がする。ちょうど目の高さで近寄れるので、鱗を落とした皮のザラザラ感や肉の輝くようなピンク色をじっくり味わうことができる。山本芳翠とか原田直次郎とか、私の好きな画家の作品が並んで、黒田清輝の『婦人像(厨房)』がトメ。戸口の椅子に腰かけた女性は、グレーの服に黒っぽい上着を羽織り、黒っぽい靴を履いているのだが、この「黒」は赤や青の絵具で作られているという解説を読んで、なるほどと思った。その微妙な色彩を引き立てるために額縁は漆黒なのかなあ。

 日本画では、鏑木清方の『一葉』あり。有名な肖像画だが、藝大が持っているとは認識していなかった。間近に見て、厳しい面構えに驚く。左眉がアンバランスに上がっているし、口角がへの字に下がっている。つまらないことを言ったら、たちまち軽蔑されそうだ。

 さて、奥のスペースは特集展示「平櫛田中ゆかりの作品を中心に」となっており、田中の作品、田中が集めて藝大に寄贈した作品、そして弟子の彫刻家たちが制作した田中の肖像などが並んでいる。いちばん目を奪われたのは『鏡獅子試作』。というか、実は藝大美術館の公式ツイッターが、この作品の写真を流していたのを見て、楽しみに飛んできたのだ。モデルは六代目尾上菊五郎(1885-1949)で、頭には羽二重を巻き、顔は白塗りに隈取り、白ブリーフひとつの裸形で見栄を決めている。等身よりは小さめだが、その筋肉と肉付きのリアルなことは驚くほどで、活き人形と言ってもおかしくない。「本作は国立劇場に飾られている」という解説を読んで、は?となったが、そう言えば、大劇場(あまり行かない)のロビーに鏡獅子像があったかもしれない。ただし、もちろん衣装とカツラをフル装備した状態の像である。絵画の制作でも、身体の動きを計算した上で着物や鎧を着せている下絵を見たことがあるが、彫刻も同じことを考えるのだな。この作品は藝大コレクションではなく、岡山県井原市の田中美術館が所蔵しているらしい。

 ほかにも『転生』『禾山笑』『五浦釣人』など田中の代表作が多数。『源頼朝像』は鎌倉の白旗神社の本尊として制作したものの改作だという。ご本尊、開帳してくれないかなあ。

 同時開催の『武器をアートに-モザンビークにおける平和構築』(2015年10月17日~11月23日)も覗いてみた。大英博物館展に来ていた『銃器で作られた「母」像』と同様、回収された武器から生まれたアート作品が展示されている。長い内戦がようやく終結したモザンビークでは、安定した平和を築くため「銃を鍬に」プロジェクトが始まった。この名称は旧約聖書から取られたもので、「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない」(イザヤ書、新共同訳)という。この章句、いつも心に置いておきたい。放置自転車の寄贈などの支援を続けているNPO法人えひめグローバルネットワークの名前も書き留めておく。地域を基盤にグローバルな問題に取り組むって、とてもいいことだと思うので。
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光琳、抱一、曜変天目/金銀の系譜(静嘉堂文庫美術館)

2015-11-18 00:46:41 | 行ったもの(美術館・見仏)
静嘉堂文庫美術館 『金銀の系譜-宗達・光琳・抱一をめぐる美の世界-』(2015年10月31日~12月23日)

 2014年春から約1年半、休館していた静嘉堂文庫美術館がリニューアルオープンした。まずはめでたい。久しぶりの二子玉川駅バス乗り場もすっかりきれいになって、少しまごついてしまった。バス停「静嘉堂文庫」で下車し、記憶を確かめながら門を入って、坂道を上がる。道筋に曜変天目をデザインした「静嘉堂文庫」のバナー(旗)が飾ってあったのが目新しかった。庭園の銀杏はまだ緑色だった。

 展示室の入口には、伝・光琳の『鶴鹿図屏風』。金地の二曲一双屏風で、右隻に鹿と桜、左隻に鶴と紅葉を配する。光琳にしては、樹木の造形に力がない感じがするが、少ない色彩が金地に映えて鮮やか。展示室の中に入ると、嵯峨本とか京焼とか蒔絵とかいろいろあるのだが、ぐるりと立てまわした屏風が目につく。松花堂昭乗の『勅撰集和歌屏風』はあまり記憶になかった作品。きれいだな~。金箔と銀箔、それに緑色を散らして、幻想的な遠山の景色を描き、和歌の短冊(これも形がさまざま)を貼り付ける。解説によると、二十一代集の巻頭歌と巻末歌だそうだ。なんと美しい教養の誇りかた。「伊年」印の『四季草花図屏風』は右隻のみだったが、大根?サトイモ?など美味しそうな草花が混じっているのが可愛い。

 今回の目玉『源氏物語 関屋・澪標図屏風』は、画面構成(色構成)がダイナミック。少し離れて、全体を視野に入れたほうがいいと思う。「関屋」の金地に蓋をするような、キッパリした緑の置き方。「澪標」の大胆にうねる白い帯(白砂?)。遠近感など歯牙にもかけない人物の大小もいい(船の舳先の小さな人物!)。2006年の展覧会『国宝 関屋澪標図屏風と琳派の美』の記事を読み直したら「どちらが右隻・左隻か分かっていない」と書いているが、今回は「左:澪標-右:関屋」で置かれている。本作品は、このたび徹底的な修理を施されたようで、その様子もパネルで紹介されていた。

 酒井抱一の『波図屏風』は2006年と、2012年にも見ている。今回、驚いたのは、ゆるゆると場所を移しながら見ていると、照明と屏風の角度によって、うっすら見えた墨線が、次の瞬間にははっきり濃くなるという変化を体感できたこと。同時に地の銀色も輝きと色調が微妙に変化する。

 そこで気づいたのは、今回の改修で照明設備がかなり改善されたのではないか。同館は展示ケースに照明が映り込んで見にくかったような記憶があるのだ。ちなみにYahoo!ニュース(2015/10/30配信)には「空調・防火・照明・防犯などの施設内設備を中心とした大幅な改修と、展示品の修繕を目的に休館していた」とある。リニューアルオープン第1弾に「金と銀」を持ってきたのは、新しい展示施設への自信の表れではないかと思う。実際、どの金色も銀色もしっとりと美しかった。

 あとは光琳の『立葵図』がよかった。丸くてくしゃくしゃした白い八重の立葵が、写実ともデザインともいえない絶妙さ。これだけは「個人蔵」の特別出品である。

 そして展示室外のラウンジには『曜変天目』と『油滴天目』が並んでいる。全く期待していなかった上に、窓からの自然光に曝される状態の展示でびっくりした。私は演出過剰の空間で見るよりも、こういう環境のほうが好ましい。曜変天目の明るい青色が美しかった。
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肖像と書跡と詩文/一休(五島美術館)

2015-11-17 21:12:25 | 行ったもの(美術館・見仏)
五島美術館 開館55周年記念特別展『一休-とんち小僧の正体-』(2015年10月24日~12月6日)

 禅僧、一休宗純(1394-1481)の実像と、没後のイメージの成長を捉えようとする展覧会。五島美術館にしては珍しい企画だと思った。展示品は、ほとんどが外部からの借受け。京都の酬恩庵(一休寺)と大徳寺真珠庵の所蔵品が多い。どちらも一休にゆかりのお寺だ。

 会場に入ると、壁面にずらりと一休の肖像(頂相)画。微妙に面構えや持ちものが違うのだが、全身坐像の場合、右手に長い竹篦(しっぺい)を斜めに傾けて持ち、右足を左膝の上に載せた半跏像であることは共通している。最も古い肖像(1447年、奈良国立博物館)は、墨染の衣に墨染の袈裟で、椅子の肘掛けに長い朱鞘の太刀を立てかけている。朱鞘の太刀といえば傾き者のイメージだが、当時はそういう連想は無かったのかなあ。頭頂部をきれいに丸めた、知的で清潔な僧侶像である。

 私が「一休」と聞いて思い浮かべるイメージに近かったのは、酬恩庵の半跏像。15世紀の作というから、奈良博本とあまり時期は隔たっていないが、短い髪と髯を生やし、八の字眉の困り顔で、右後方を横目で凝視している。僧侶の肖像画は、正面の礼拝者と視線を合わせるように描くのが普通だと思うから、この視線の向きはルール破りで、ちょっと無作法な感じがする。顔つきのよく似た作品は他にもあるのだが、横目づかいはこの肖像画だけだった。ただし、あとで図録を見たら、首から上をUPにした肖像画(東京国立博物館、11/17~展示)があって、これが同様に横目づかいである。髪と髭のボサボサ感が、より一層リアルで、すぐそこに生身の一休禅師がいるように思える。酬恩庵の半跏像は、この東博本の影響を受けたものであるそうだ。

 正木美術館の一休宗純・森女像は、鼓を脇に置いた森女が手びねりの泥人形のように愛らしい。そして、これら肖像画の多くに一休の自賛がついており、引き続き、一休の書跡の展示に進む。癖が強くて、あまり好きになれないなあと思って眺めていたが、代表作『七仏通戒偈』の二行「諸悪莫作、衆善奉行」(真珠庵)はスピード感があって、すっきりした書面が好きだ。四文字一行ずつを二幅に分けて書いており、冒頭の一文字は楷書に近いが、みるみるスピード感が増して草体に変化していく。見たことがあるような、ないような、と思ったのは、出光美術館の八文字一行バージョンなど、一休が好んで書いた語句らしい。『遺偈』は2件とも(真珠庵、酬恩庵)よいが、「須弥南畔」の南の字を後から補記している真珠庵本のほうが好きかな。

 一休の漢詩集『狂雲集』については、諸本を見比べることができて面白かった。徳川家康から受け継いだ「駿河御譲り本」と見られる冊子体の写本(蓬左文庫)は会場の冒頭に展示。同書は、森女との交情を赤裸々に綴った詩もあり、宗門では禁書同然に扱われていたため、わずかな写本でのみ伝わった。初の出版は、一休没後150年近く経った寛永19年(1642)京都の書肆、西村又左衛門によるもの(展示は個人蔵)で、再び公刊されるのは明治42年だという。しかし、寛永版『狂雲集』は、一休を主人公とする無数の物語を生み出した。なるほどなあ。

 成立初期の姿を伝え「第一本」と呼ばれる酬恩庵本『狂雲集』も展示。緻密な細字で書写された巻子本である。巻末の識語に近い部分が展示されているが、「看森美人午睡」「吸美人婬水」等々、直接的にエロチックな描写もあって、ここには書けないが、四角い漢字が並んでいるだけなので、みんな覗きもせずに通り過ぎていく。

 第二部の展示室は、伝説化する一休像。17世紀には既に『一休ばなし』『一休諸国物語』等が出版されている。京大附属図書館所蔵の『一休清語(一休骸骨)』は図録で見ると骸骨の挿絵がかわいい~。会場では違う場面が開いていたように思う。一休と骸骨(あるいは髑髏)の結びつきは早く、髑髏を杖の先に挿した一休の姿、あるいは遊女・地獄太夫とペアの図は、浮世絵にもよく描かれた。歌川国芳も月岡芳年も河鍋暁斎も一休を描いている。さらに明治・大正時代の『一休諸国物語』(多い!)や講談社の絵本、アニメのセル画まで並んでいた。展示品は「個人蔵」だったが、どなたのコレクションなのだろう。

 しかし後世のどんな想像力も、一休その人には及ばない気がする。今回初めて知ったエピソードで、平家物語の『祇王失寵』の段を聴いて悟りを得たというのは心に沁みる。あと、大徳寺では内紛があって、自殺者が出たり僧侶が投獄されたりしていたのか。一休は心痛のあまり、ひそかに餓死を図ったという。純粋な人間が生きるには、つらい時代だったことをしみじみ思った。
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