見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

パリへ-洋画家たち百年の夢/東京藝術大学大学美術館

2007-05-30 23:32:32 | 行ったもの(美術館・見仏)
○東京藝術大学大学美術館 創立120周年企画『パリへ-洋画家たち百年の夢~黒田清輝、藤島武二、藤田嗣治から現代まで~』

http://www.geidai.ac.jp/museum/

 日本固有の「洋画」というジャンルの、100年の歩みを振り返る企画展。この展覧会のポスターは、たぶん3月くらいから街で目にしていたように思う。台所(?)の戸口に椅子を置いて、質素な身なりの西洋人女性が、居ずまい正しく腰かけている。原画の基調色であるグレーと、控えめなアクセントになっているオレンジ色を取り出してタイトルロゴに当てたポスターのデザインが、私はとても気に入っていた(上記サイトに画像あり)。

 会場に入ると、この作品が最初に掲げられているのだが、私は作者名を見て、え、黒田清輝か!とびっくりした。全く勝手な思い込みで、もっと時代が下った画家の作品のように思っていたのだ。『婦人像(厨房)』は1892年(明治25)の作。文学史なら、尾崎紅葉、幸田露伴の同時代である。黒田作品の新しさにとまどう私はアナクロニックだろうか?

 これまで黒田清輝に魅力を感じたことは一度もなかった。『湖畔』なんて、つまらない絵だと思っていたが、今回初めて、ちょっといいと思った。でも、何より興味深いのは、日本に「洋画」を根付かせるために捧げられた黒田そのひとの獅子奮迅の活躍ぶりである。

 明治の「洋画」移入は、急激な欧化政策とその反動を背景に、ジグザグの経路をたどった。1876年(明治9)に開設された工部美術学校は、お雇い外国人を教師とした西洋美術の専修学校であったが、1883年に廃止された。代わって1889年(明治22)に授業を開始した東京美術学校には、はじめ西洋画科が無かったが、1893年(明治26)にフランス留学から帰国した黒田清輝の努力の甲斐あって、ようやく1896年5月に設置された。

 黒田は、西洋画を日本に根付かせるには、裸体画に対する偏見を取り除く必要があると考えた。1895年、内国勧業博覧会に出品された『朝妝(ちょうしょう)』(ベッドの横、鏡の前に立つ女性の全身裸像)は物議をかもしたが、貴顕の威を借りた黒田の作戦勝ちで、撤去は免れた。当該作品は、戦時中に焼失したとのことで、惜しまれる(会場では絵葉書から引き伸ばしたパネルを展示)。

 その後、1900年のパリ万博の際、再会した恩師コランに「日本化した洋画」を批判された黒田は、1901年に『裸体婦人像』(静嘉堂文庫蔵!へえ~)を出品する。膝を折って、横座りに座った裸婦を、けれん味なく描いたもの。”あまりの迫力に警察が下半身を布で覆った”という解説を読んで、吹き出してしまった。確かに、腰まわりの重量感を容赦なく描き出したデッサン力は(女性の身には)意地悪いほどの「迫力」を感じさせる。

 1909年の『鉄砲百合』もいい。白と緑で構成された清々しい画面に、わずかな赤が輝きを添えている。ああ、ほんとにこのひとの色彩はきれいだ。「日本の印象派の原点」という解説が、うなづける。

 思わぬ新鮮な出会いで、嬉しかった。今度、上野の黒田記念館にも行ってみようと思う。この夏は、平塚市美術館で『黒田清輝展』も開かれる由。

■参考:黒田記念館
http://www.tobunken.go.jp/kuroda/
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近代絵画の名品展/神奈川県立近代美術館

2007-05-29 22:48:32 | 行ったもの(美術館・見仏)
○神奈川県立近代美術館(鎌倉館) 春の所蔵品展示『近代絵画の名品展-高橋由一から昭和前期まで』

http://www.moma.pref.kanagawa.jp/museum/

 そうか、この展覧会、「所蔵品展示」なんだ――。神奈川県立近代美術館は、1951年の開館当時から日本の近現代美術に主たる関心を寄せてコレクション作りを進めてきたという。その蓄積を実感できる質の高い「所蔵品展示」である。

 最近、私は、いわゆる泰西名画よりも「近代初期の日本人の描いた西洋絵画」が面白くて、できるだけ見に行くようにしているが、記憶をたどってみると、2001年秋から2002年新春にかけて、ちょうど私が逗子で暮らしていたとき、同館で開かれた展覧会『近代日本美術史・再読』が、そもそもの発端だったのではないかと思う。

 いまでは、松岡壽、五姓田義松など、数年前まで全く知らなかった画家の名前も、すっかりなじみになってしまった。昨年、葉山館の『時代と美術の多面体』でも感じたけど、萬鉄五郎はいいなあ。梅原龍三郎も好き。赤の多い明るい油彩が好きなのである。

 江ノ島(高橋由一)、逗子(黒田清輝)、茅ヶ崎(萬鉄五郎)、熱海(梅原龍三郎)など、近隣地域の風景を描いた作品が多いのも、この神奈川県立近代美術館コレクションの特徴だろう。美術館が選んだわけではなく、日本の近代美術そのものが、ここ神奈川を揺籃の地としたためであると思われる。
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イギリス人というもの/映画・クィーン

2007-05-28 11:08:57 | 見たもの(Webサイト・TV)
○スティーヴン・フリアーズ監督 映画『クィーン』

※公式サイト(音が出ます)
http://queen-movie.jp/

 久しぶりに映画を見てきた。いや全く、イギリス人って食えないヤツらだなあ~と呆れてしまった。1997年8月、元皇太子妃ダイアナがパリで交通事故に遭って死亡。エリザベス女王は沈黙を通そうとするが、ダイアナの死を悼む国民は、王室に対して不満と反感をつのらせていく。女王を演じるのは、1945年生まれのヘレン・ミレン。この作品でアカデミー賞主演女優賞を受賞した。女王の服装から表情、しぐさ、喋り方までを徹底的に研究し尽くし、エリザベス女王に「なり切った」演技が話題を呼んでいる。

 そこまでは私も知っていたのだが、この映画、「なり切った」演技を見せてくれるのは女王役のヘレン・ミレンだけではない。冒頭からブレア首相のそっくりさん(顔だけでなく、雰囲気全体が!)が現れて、女王とタッグを組んで大活躍するのには、びっくりした。ブレアさん、こんなに国民に愛されていたのか!? いや、愛されているのか、馬鹿にされているのかは、微妙なところだ。自宅では、サッカーのユニフォームみたいな趣味の悪いTシャツを着て、安っぽい朝食を取ってるとか(部屋の隅にはエレキギター)。「革新」が旗印の労働党党首だけど、根は王室びいき。女王の古風で控えめな芯の強さに敬意を抱くところを、妻のシェリーに「マザコン」と揶揄される。

 シェリー・ブレアのことは、全然知らなかったけど、いかにも政治家の妻っぽい。若作りで、鼻っ柱が強そうで。女王の夫君エディンバラ公の淡々とした演技もいいし、老皇太后は怪演! 私はよく知らないが、みんな、舞台やTVドラマで活躍する俳優さんらしい。さすがイギリスの演劇界は層が厚い。

 しかし、なんといっても女王である。毎日、新聞に目を通し、首相とのミーティングをこなし、休日には四駆(だよね?)を運転して、ひとりで原野に乗り出す。孫たちと野外でキャンプ料理を楽しむことも。自由で自立したタフな女性である。昨今、女性の社会進出にはロール・モデルが必要だと言うけれど、こういう人物が社会の頂点にいるっていうのは、すごいことだなあと思った。

 日本では、皇室を題材にこんな映画を作ろうとしても、まず不可能だろう。イギリスにおける王室と国民の距離の近さが、ちょっと羨ましい。だが、イギリス人は、いつも王室に敬意を払っているわけではない。時には、残酷な笑いの餌食としてしまう。富山太佳夫『笑う大英帝国』(岩波新書 2006.5)にも、王室を徹底的にネタにしたユーモア小説の例が上がっていた。忘れてはならない、ダイアナ王妃だって、生前はずいぶん悪意に満ちた冷笑を浴びせられたはずだ。そして、この容赦ない「笑い」を甘んじて引き受けたとき、政治家であれ、王侯であれ、イギリス国民との間に不離不即の「親愛」が生まれるのである。だから、イギリス人は食えないというのである。
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好きなものは散歩と古本/内田魯庵(明治の文学)

2007-05-27 23:22:21 | 読んだもの(書籍)
○鹿島茂編集解説『内田魯庵』(明治の文学 第11巻) 筑摩書房 2001.3

 一昨年だったろうか、明治の世相について調べる必要があって、初めて魯庵の全集を開いた。前後の文章を拾い読みして、これは面白いと思ったのだが、手軽に読める文庫や単行本がない。重たい全集を図書館から借り出すのも面倒だなあと思っているうち、ずるずると日が経ってしまった。先日、たまたま書店で、この「明治の文学」シリーズを見つけた。1人1冊形式で、内田魯庵の巻には、小説「くれの廿八日」、戯文「文学者となる法」、評伝「二葉亭四迷の一生」、ほかに小品が数点、収められている。入門編として、程よいボリュームだと思い、買ってみた。

 読み終えて、セレクションのよさにも感心した(さすが鹿島茂さん!)。メインの3本は、全く毛色もジャンルも違うのだが、どれも面白い。「くれの廿八日」は面白いなあ。経世の理想に燃え、メキシコ行きを夢見ながら、仲人にだまされて資産家の女婿になってしまった純之助。夫の考えが理解できず、嫉妬と心細さに苦しむ妻のお吉。純之助夫妻に仲直りを勧めながら、本心では何を考えているか分からない「新しい女」の静江。

 特にお吉が印象的だった。新しい時代の教育を身に付けた静江に「新しい女」なりの苦悩があるように、取り残された「古い女」お吉の訥々とした独白も哀れである。そして、自分の理想を到底理解できない女を妻とした純之助の煩悶。「新しい女」静江は一生独身を通すというし。明治の男女の混沌とした様子がよく分かる。だが、惜しいことにこの作品は、長編小説の構想を予感させる書き出しだけで終わっている。続きを読みたかったなあと思う。

 「文学者となる法」は、いわゆる戯文。文学者とは、抜け抜けと異性に惚れ、半可通な学識をふりまわし、門閥流派に親しみ、酒を飲み、部屋は散らかし放題で、のんべんだらりと日を送る者、と説く。ところどころに、当時の文壇消息や、古今東西の文学者の逸話が盛り込まれている。

 「二葉亭四迷の一生」は渾身の力作。魯庵が二葉亭と往来したのは、短い期間に限られるというが、「親友」の面影を的確に捉えている。潔癖症の気難し屋でシャイで「何をするにも真剣勝負」「追取刀でオイ来たと起ち上がる小器用な才に乏しかった」という評言は、二葉亭の本質を分かりやすく表していると思う。二葉亭は文学者と呼ばれることを嫌ったが、世間は彼を偉大な文学者として遇し続けた(そして今も)というのも、何かほろ苦い。
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澁澤龍彦・カマクラノ日々/鎌倉文学館

2007-05-26 23:59:47 | 行ったもの(美術館・見仏)
○鎌倉文学館 企画展『澁澤龍彦 カマクラノ日々』

http://www.kamakurabungaku.com/

 先日の埼玉県立近代美術館の『幻想美術館』に続く、澁澤龍彦企画である。埼玉の企画のほうが、コアな澁澤ファンとおぼしき熱心な観客が多かった。こちらは、ちょうど見頃のバラ園に惹かれてやってきた、鎌倉ハイカーが半分くらいを占めていたか。逆に展示内容は、埼玉の企画が「澁澤が愛した美術・芸術作品」を通じて、間接的に澁澤をしのぶ構成になっていたのに対して、鎌倉文学館は、遺品や書簡、原稿、構想メモなどを多数揃えて、より直接に澁澤の面影に接することができる。

 感慨深かったのは、『玩物草紙』『高丘親王航海記』などの手稿。原文は鉛筆。どことなく子どもっぽい、読みやすい筆跡である。プルーインクや赤のペンで加えられた推敲も、非常に明晰で分かりやすい。そうだなあ、澁澤さんの亡くなられた1987年くらいが転機だったのではないかしら。1990年代に入ると、日本人はプロも素人もワープロで文章を書くようになってしまった。だから、こんなふうに手書き原稿を前にすると、澁澤龍彦を熱愛した私の80年代が、まざまざとよみがえってくるような気がした。

 思わず原稿の一字一句を追いながら、文章のリズムが、自然と体内に入り込んでくるのを感じた。そうなのだ。私は、澁澤さんの思想も趣味も大好きだったけれど、何よりも、この文体が好きだった。僭越ながら、同じ体内リズムの持ち主だと感じていた。でも、これってペンや鉛筆で文章をつづることでしか表せないものかもしれない、とも思った。ワープロで文章を構成するって、どこかでこの体内リズムを壊しているんじゃなかろうかと。

 私は、この場でひとつ、誰にも喋ったことのない大罪を告白しておきたい。澁澤さんが亡くなって数年後(つまり17、8年前)、池袋の西武だか東武だかで、初の回顧展が開かれた。そのとき、展示会場に、澁澤さんの書斎の机が再現されていた。机の上のものは、もちろん触ってはいけなかったが、かなり至近距離まで近づくことができた。そして、あろうことか、私は机の上の地球儀を倒して床に落としてしまったのである(カバンか何かが触れたのだ)。会場の係員が真っ青になって飛んできた。多少の傷はついてしまったように思う。係員の方が「龍子夫人が何と言われるか…」と呻くのを聞いて、もう死にたいくらい面目無かった。お金で弁償できるものではないと分かっていたけれど、名前と連絡先を告げ、それ以上展示を見続けることもできず、逃げるように帰ってきた。後日、何か連絡があるだろうかとびくびくしながら待っていたが、結局、何もこなかった。

 鎌倉文学館の展示ケースの中に、このときの地球儀ではないかと思われる品を見つけた。地球儀の北極のあたりに、紙の剥げたようなあとがあるのは、私の粗忽の名残りかもしれないと思って、胸が疼いた。澁澤先生、龍子さん、本当にすみません。

 龍子夫人は、今も北鎌倉の澁澤邸にお住まいと聞くが、澁澤龍彦が少年時代に暮らしたのは、東勝寺橋のたもとの二階家である。「この家は現存している」というのを5、6年前に聞いて、見に行った。しばらく行ってなかったので、文学館の帰りに寄ってみたら、相変わらず、ちゃんとあったので、ほっとした。風情のある佇まいだが、あまり言及されないのは、普通のひとが住んでいるからだと思う。
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読んだもの・落穂拾い

2007-05-25 23:18:37 | 読んだもの(書籍)
 2004年5月から始めたこのブログ、実はひそかに4年目に入った。よく続いているものだと我ながら感心する。この春は転職(異動)と引越しが重なって、ちゃんと読んだのに、感想を残しておけなかった本がある。ここらで、まとめて片付けておきたい。

■坂野潤治『未完の明治維新』(ちくま新書) 筑摩書房 2007.3

 坂野先生の「デモクラシー」シリーズ3作目。『昭和史の決定的瞬間』(ちくま新書)→『明治デモクラシー』(岩波新書)に続き、時代を遡って、幕末維新期に到達する。大久保利通(殖産興業)、西郷隆盛(外征)、板垣退助(議会設立)、木戸孝允(憲法制定)という4極が、ある面では一致団結、ある面では対立しながら、維新革命を牽引していく様を描き出す。
 4つのグループは、どれも自己の路線を実現していくために租税負担者である農民の力を借りようとしなかった。その点で、明治維新は「武士の革命」だったのである。


■寺崎昌男 『東京大学の歴史』(講談社学術文庫) 講談社 2007.1

 東京大学の歴史は、よくも悪くも日本の高等教育の歴史そのものである。そこで、4月始まりの新学期、教員の定年制、講座制、大学院の設置など、今日では当然のごとく思われている大学の諸制度が、いつ、どうして始まったのかを解き明かす。忘れられたエピソード、もしかしたら東大は本郷ではなく、千葉県の国府台にあったかもしれない、なんて話も興味深い。


■内田啓一『江戸の出版事情』(大江戸カルチャーブックス) 花林舎 2007.3

 ずっと探していて、最近ようやく現物を入手した。カラー図版満載で江戸300年間の出版事情を解説した、楽しいムック本。出版史や文学史に必ず出てくる「洒落本」「黄表紙」「読本」などだけでなく、西洋文化の影響を受けた博物学書や地理書、生活のいろどり「相撲絵」「双六」「瓦版」、あるいは迷信と結びついた「疱瘡絵」「はしか絵」など、さまざまなメディアを複合的に扱っているところが新しい。

以上。ああ、やっと懸案が片付いてスッキリした。
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動乱の日々/朝鮮紀行(I・バード)

2007-05-22 23:41:23 | 読んだもの(書籍)
○イザベラ・バード著、時岡敬子訳『朝鮮紀行:英国婦人の見た李朝末期』(講談社学術文庫) 講談社 1998.8

 イザベラ・バード(1831-1904) は、『大英帝国という経験』(井野瀬久美恵)の表現を用いれば、帝国の生んだ「レディ・トラベラー」のひとりである。世界各地を旅して数多くの旅行記を残した。『日本奥地紀行』と『朝鮮紀行』の存在は、学生の頃から知っていて、いつかは読んでみようと思っていた。結局、この歳になって初めて手に取ったわけだが、それでよかったのかもしれない。もし学生の頃に読んでいたら、下記のような記述に、私は何の意味も見出せなかっただろうと思う。

 『朝鮮紀行』は、1894年から1897年にかけて、4度の朝鮮旅行に基づいて書かれたものだが、淡々とした自然・風俗描写のほかに、単なる紀行文学として読み過ごすことのできない部分を含んでいる。それは、著者が親しく接した朝鮮王室の人々(人はいいが優柔不断な国王、聡明な王妃)であり、清国、日本、ロシアの干渉に揺れる朝鮮の社会である。そして、クライマックスに1895年10月の乙未事変(閔妃=明成皇后暗殺事件)がある(著者は日本の長崎に滞在していた)。

 著者は、日本政府に対して、率直に同情的な感想を述べている。「日本にとって東洋の先進国たる地位と威信とをこれほど傷つけられた」事件はない。というのも、以下が重要だと私は思うのだが、「事件関与を否定したところでそれは忘れられ」、王宮襲撃に関わった武装集団に「日本公使館と関係のある日本人警察官や壮士と呼ばれる者も含めて総勢60名の日本人が含まれていたことが、いつまでも人々の記憶に残るからである」。どんなに「歴史の捏造」を糾弾したとしても、この「人々の記憶」をクリアするのは、難しいのではないかと思う。

 著者は概して親日的で、日本軍兵士の規律正しさをたびたび称え、日本政府が朝鮮国内で断行した改革事業の数々にも肯定的で、「わたしは日本が徹頭徹尾誠意をもって奮闘したと信じる」と言い切っている。ちょっとこっちが驚いてしまうくらいだ。「経験が未熟で、往々にして荒っぽく、臨機応変の才に欠けたため買わなくてもいい反感を買ってしまった」というのが、なるほど、近代日本の「アジア経験」に関する、妥当な評価なのかもしれない。

 一方、本書には、朝鮮人の怠惰、政治的腐敗、礼儀知らずな好奇心、粗末で不潔な首都ソウルの様子などを描写した下りがあるのは事実である。読後にネットで検索していたら、本書から朝鮮を貶めた記述ばかりを引いている”嫌韓”サイトを見つけた。それは引用として間違いではないのだが、著者の意図を正確に写しているとは言い難い。本書の最後の段落には、「わたしが朝鮮に対して最初にいだいた嫌悪の気持ちは、ほとんど愛情に近い関心へと変わってしまった」という、著者の切実な告白があることを、ここに付け加えておきたい。
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永遠のドラコニア・澁澤龍彦-幻想美術館/埼玉県立近代美術館

2007-05-21 23:26:59 | 行ったもの(美術館・見仏)
○埼玉県立近代美術館 企画展『澁澤龍彦-幻想美術館-』

http://www.momas.jp/003kikaku/k2007/3.02.2007.k.htm

 日曜で終わってしまった展覧会だが、書いておこう。今年、没後20年を迎える澁澤龍彦が愛した美術・芸術作品で構成した展覧会である。

 私が澁澤龍彦の著書を読み始めたのは1980年代の初め――彼の短い生涯の晩年に当たる。当時、河出文庫が澁澤の著作を次々に文庫化し始めていた。その結果、女子大生や女子高生から「シブサワ先生こんにちは!」というハートマーク入りのファンレターが来るようになった、と本人が面白がって当時のエッセイに書いていたと思う。私はファンレターこそ出さなかったけれど、河出文庫によって澁澤に出会った若い読者のひとり(当時、大学生)だった。

 大学時代の恩師から、「先生」という敬称はみだりに使うものではない、実際に謦咳に接し、親しく教えを受けた相手にしか使ってはいけない、と聞いたことがある。そうは言っても、一面識もなくても、勝手に「先生」と呼びたい相手がいる。澁澤先生はそのひとりだ。彼の著作から、私は、なんとたくさんのことを教わったことか!

 まず、西洋史のイメージががらりと変わった。高校の教科書で習った「世界史(西洋史)」は、自由と平等の実現に向けて、着実に進歩する「理性」の歴史だった。それに対して、澁澤は、残酷・貪欲・淫乱・迷信など、悪魔的な衝動と妄想に取り憑かれた人々が作り出す「歴史」を教えてくれた。美術史については、ボスもブリューゲルも、クラナッハも、ピラネージも、アンチンボルドも、バルテュスも、澁澤先生に教わった。他ならぬ若冲さえも、そうである。ちょうど「日本回帰」の始まった頃で、『ねむり姫』や『高岳親王航海記』を通じて、日本史にも多くの幻想家たちが潜んでいることを知った。

 展示の前半では、1960~70年代の日本の芸術家と芸術作品を紹介する。土方巽、横尾忠則、細江英公(三島由紀夫の『薔薇刑』を撮った)など。絵画では、瀧口修造、野中ユリ、加納光於、中村宏など。この時代の抽象画って、インパクトが強くて、いいなあ。どこかにどろりとした異物を感じてドキドキする。最近の、漂白され切った「安全」な抽象画とは大違いだ。

 後半は西洋絵画。解説に言うように、澁澤は、普遍的幻想を貫いた「正統」には見向きもせず、密室に閉じこもって個人的幻想に固執し続ける「傍系シュールレアリスト」を偏愛した。「澁澤にオルセー19世紀美術館は必要なかった」というのは、なかなかの名言である。しかし、澁澤の偏愛した「超然と孤立する幻想画家」の一部が、今日、多くのファンを獲得しているのは、微笑ましい逆説かもしれない。

 この展覧会、ものすごく若者が多くて、私はびっくりした。河出文庫の「澁澤龍彦セレクション」は、新装版が出て、相変わらず売れているようだ。それから、解説パネルを食い入るように熱心に読んでいる観客が多かったことにも感心した。

 私はすっかり忘れていたが、澁澤は幼年時代を川越で過ごし、浦和高等学校で学んだのだったね。私も埼玉県民になったことだし、今度、ゆかりの地を訪ねてみよう。
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揺れ続けるアイデンティティ/大英帝国という経験(井野瀬久美恵)

2007-05-20 23:54:29 | 読んだもの(書籍)
○井野瀬久美恵『大英帝国という経験』(興亡の世界史16) 講談社 2007.4

 本書の「あとがき」にいうとおり、最近「帝国」が大流行りである。超大国アメリカを語るキーワードとして。あるいは、戦前の日本の社会・文化・思潮を捉える枠組みとして。しかし、「帝国」と聞いて、その「本家」イギリスを思い出すことは、少なくとも私の場合、これまでほとんど無かった。

 ここで「帝国」とは、本国と植民地の連合体をいう。イギリスが北米に植民を開始したのは16世紀後半(エリザベス1世の時代)であるが、その後、順調に拡大を続けたわけではない。重要なターニング・ポイントは、アメリカの独立(1783年)だった。同じ英語を喋り、同じ文化、同じ「プロテスタント」の信仰を共有していたアメリカが反乱を起こし、しかも「仇敵」カトリック教国のフランスが、その味方についたことは、イギリス人に深い衝撃を与えた。

 「アメリカ喪失」という体験から、イギリスが学んだ教訓を、著者は以下のようにまとめている。第一にイギリス人としての共感を植民地に求めないこと。第二に本国の議会政治の枠組みに植民地を組み込まないこと。第三に、アメリカ喪失は、本国が植民地を抑圧した結果ではなく、その逆、植民地に勝手な統治を許してきた結果であったこと。

 そしてイギリスは、この教訓から、より巧妙で断固とした植民地統治の方法を編み出し、アジア、アフリカへ版図を拡大していく。他のヨーロッパ列強も、のちには日本も、この「第二次大英帝国」の統治方式を踏襲していくのだから、アメリカ独立戦争の意義は、皮肉なものである。

 後半では、イギリス人の社会・文化・生活の細部における「帝国」の経験を記述する。インドからもたらされた紅茶、万博と巨大睡蓮(オオオニバス=ヴィクトリア・レギア)、西アフリカ産のパーム油を原料とする石鹸、トマス・クック社が仕掛けたグローバル・ツーリズム。「女余り」の帝国から旅立つレディ・トラベラーたち。

 「大英帝国」といいう経験は、今日のイギリスに様々な難題を残している。1998年、港町ブリストルの”誇り”であった交易商人エドワード・コルストンの銅像に「奴隷商人」という落書きが発見され、市民に衝撃を与えた。翌年、ブリストルの博物館と美術館は、奴隷貿易の中で同市が果たした役割に焦点をあてた特別展を開催し、その後も「過去と向き合う試み」が続けられている。

 また、ジャマイカ出身のスチュアート・ホールを中心に、「イギリス再創造」プロジェクトが始まっているという。重要なのは、非白人、非ヨーロッパ人である旧植民地からの移民の経験や価値観を取り込んだかたちで、「イギリスらしさ」の再構築が模索されている点だ。ほんとに、そんなことが可能なんだろうか? あるいは、意外と長い歴史で見れば、文化の混合なんて、世界各地で幾度も起こってきたことなのかしら。

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関西美術館めぐり拾遺2・日高川草紙

2007-05-18 23:04:09 | 行ったもの(美術館・見仏)
○京都国立博物館・平常展示から

http://www.kyohaku.go.jp/jp/index_top.html

 特別展『藤原道長』のあとは、いつものように平常展示館を訪ねた。まっすぐ2階に上がって、絵画エリア(中国絵画→近世絵画→絵巻→水墨画→仏画)を順にまわるのが、私の定番コースである。(関東在住者としては)ずいぶん足繁く通っているつもりだが、毎回、はっとするような名品との出会いがある。

 今回、最も楽しんだのは「絵巻」の部屋。天地の幅が15センチほどの、小型の絵巻がずらりと並んでいた。「小絵(こえ)」といって、将軍家や公家の子女の愛玩物であったと推定されているものだ。普通サイズの絵巻に比べると、ずっとカジュアルで、子どものお小遣いで買えるコミック本みたいな趣きがある(往々にして、絵の中に登場人物の科白が混入している)。

 展示作品のうち『中宮物語絵巻』と『平家物語絵巻』は、色彩なしの白描画。『鶴の草紙』は民話「鶴の恩返し」の類話だが、「わざはひを連れて来い」という地頭の難問に対して、ほんとに「わざはひ」という動物(巨大な雌ライオンみたいな姿で、地頭の飼い犬を喰ってしまう)を連れてくる、というのが、シュールで面白い。

 しかし、圧倒的な魅力のオーラを放っていたのは『日高川草紙』である。『道成寺縁起』の異本で、三井寺の僧・賢学と遠江国橋本の長者の娘・花姫を主人公とする。前世の因縁で、娘と一夜の契りを結んだものの、道心に立ち返ろうとする賢学。捨てられたと知った娘は蛇身を顕わし、恋人を追う。前半の情緒纏綿としたラブシーンから、雪崩れを打つような急展開。地を這い、水面を渡る蛇体は、次第に可憐な少女の面影をなくし、恐怖とスピード感をぐんぐん増していく。「文化財オンライン」には、1画像しか公開されていないのが残念。この作品の迫力は、ぜひとも連続で味わいたい!!

 笠を押さえ、風圧を必死にこらえる賢学のポーズも見事である。「動き」の表現が、アニメーター並みに巧いなあ~この画家。最後は、賢学は釣り鐘の下で焼け死ぬのではなく、赤子のように無力な姿勢のまま、大蛇(龍)の前足に掴まれて、日高川に引きずり込まれる。そして、賢学の菩提を弔う場面で静かに幕。「やだーこわいよー」とはしゃぎながら見入っているカップルが何組かいた。

 ほか、若冲あり、蘆雪あり。水墨画では、雪村筆『猿蟹図』がいい。竹林の陰からカニを見守る、擬人化されたサルの表情が可愛い。仏画は『当麻曼荼羅』の小特集で、久しぶりに『印紙当麻曼荼羅図』を見た。

 あー京博のサイトを見ると、来月の平常展示もすごいなあ。絵巻は『泣不動縁起』ほか、重要文化財が4本並ぶ。相阿弥の『瀟湘八景図』も出るのか。また行きたいなあ。
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