○東寺(教王護国寺)宝物館 秋期特別公開『弘法大師行状絵巻の世界-東寺と弘法大師空海-』(2012年9月20日~11月25日)
10月初めに関西に来た時、この展覧会の前期を見ようとして、タッチの差で入館できなかった。心残りだったので、再チャレンジ。南北朝時代に作られた『弘法大師行状絵巻』12巻を、前後期に分けて全巻展示する展覧会である。10/22から後期が始まっている。
後期は巻7~12の展示だというが、行ってみると初めに、いきなり巻9「講堂起工」の場面が開いていて、とまどう。奥に入ると巻8「東寺勅給」と巻7「高野結界」。巻8は、隣りに江戸時代の模本(金蓮院本)が並べてあったが、ものすごい改変というか再構成が施してあって、比較が面白かった。カメラ目線の牛が妙にデカいし、板間が全面畳敷きになっているし、装束も建築も全体に美々しく派手になっている。朱塗りの「朱」色もずいぶん違う(模本はオレンジ色に近い)。
2階に上がると、巻10、11、12。巻7と10~12は、キャプションに「重要文化財」の表示がなかったので、はじめ、原本なのか模本なのか、よく分からなかった。というのも『弘法大師行状絵巻』といえば、原本にしろ模本にしろ、前半の空海入唐の場面を展示するのがお決まりで、後半の図像を見た記憶が全くなかったのだ。巻11は、承和10年の「東寺潅頂」の巻で、開いてる場面だけで、ざっと100人を超す華やかな大行列が続く。左の先頭は楽人たち(左右、オレンジと緑の装束)、続いて束帯姿の公家、僧侶は数人ずつ異なる色の袈裟を付ける。輿にかつがれた実恵。供奉の僧と童子が従い、見物の人々がこれを追う。巻12は、寛治2年の白河院の高野山臨幸だという。院は、丑の刻(午前2時)に高野政所を出立し、徒歩で登山したという。では、松明を持った侍臣たちに案内される、紫の装束の貴人が白河院か。まだ法体ではないんだな。
おなじみの絵巻前半を見るより、かえって面白かったかもしれない。前期に観覧できなかったのは、結果的にラッキーだったのかも、と宝物館本尊(?)の千手観音像に感謝しながら、雨あがりの京都を後にした。
10月初めに関西に来た時、この展覧会の前期を見ようとして、タッチの差で入館できなかった。心残りだったので、再チャレンジ。南北朝時代に作られた『弘法大師行状絵巻』12巻を、前後期に分けて全巻展示する展覧会である。10/22から後期が始まっている。
後期は巻7~12の展示だというが、行ってみると初めに、いきなり巻9「講堂起工」の場面が開いていて、とまどう。奥に入ると巻8「東寺勅給」と巻7「高野結界」。巻8は、隣りに江戸時代の模本(金蓮院本)が並べてあったが、ものすごい改変というか再構成が施してあって、比較が面白かった。カメラ目線の牛が妙にデカいし、板間が全面畳敷きになっているし、装束も建築も全体に美々しく派手になっている。朱塗りの「朱」色もずいぶん違う(模本はオレンジ色に近い)。
2階に上がると、巻10、11、12。巻7と10~12は、キャプションに「重要文化財」の表示がなかったので、はじめ、原本なのか模本なのか、よく分からなかった。というのも『弘法大師行状絵巻』といえば、原本にしろ模本にしろ、前半の空海入唐の場面を展示するのがお決まりで、後半の図像を見た記憶が全くなかったのだ。巻11は、承和10年の「東寺潅頂」の巻で、開いてる場面だけで、ざっと100人を超す華やかな大行列が続く。左の先頭は楽人たち(左右、オレンジと緑の装束)、続いて束帯姿の公家、僧侶は数人ずつ異なる色の袈裟を付ける。輿にかつがれた実恵。供奉の僧と童子が従い、見物の人々がこれを追う。巻12は、寛治2年の白河院の高野山臨幸だという。院は、丑の刻(午前2時)に高野政所を出立し、徒歩で登山したという。では、松明を持った侍臣たちに案内される、紫の装束の貴人が白河院か。まだ法体ではないんだな。
おなじみの絵巻前半を見るより、かえって面白かったかもしれない。前期に観覧できなかったのは、結果的にラッキーだったのかも、と宝物館本尊(?)の千手観音像に感謝しながら、雨あがりの京都を後にした。