〇村山吉廣『楊貴妃:大唐帝国の栄華と滅亡』(講談社学術文庫) 講談社 2019.5
ドラマ『長安十二時辰』の影響で、個人的に唐代ブームが来ている。むかしは私も人並みに、中国といえばシルクロード、シルクロードといえば唐代が興味の中心だった時期もあった。その後、漢、宋、明、清、さらには近現代まで、順不同でさまざまな時代に関心が広がると、唐代にはあまり魅力を見出せなくなっていた。
それが、何十年ぶりかで唐代熱が高まり、1冊ならず関連書を買い求めてきた。1冊目は、比較的薄くて読みやすそうだった本書。今年5月の新刊だが、内容は1997年に中公新書に収められたもの。長らく絶版状態となり、古書店の棚でも見かけなくなっていたが、このたび学術文庫で新たに刊行されることになったという。そういえば、2018年公開の中国映画『空海 KU-KAI』にも楊貴妃は登場していた。「小さな楊貴妃ブーム」はつねに繰り返しあるのだろうな。
本書は、玄宗の祖父である高宗の治世から始まり、則天武后による権力奪取、中宗の復位、韋后の専横など、玄宗登場に先立つ政治の混乱ぶりが簡単に紹介される。太平公主、安楽公主など、頭がよくて権力欲の強い女性がたくさんいて、はじめてこの時代の歴史を読んだときは、中国すげ~と口をあけて驚いたものだ。
混乱のさなかに強い意志をもって即位したのが玄宗で、帝位についた手始めに叔母の太平公主一味を武力で制圧すると、有能な人材を重用し、山積していた政治課題に取り組み、制度改革によって社会を安定させ、国威を伸長させる。「開元の治」は単に空気の明るさをいうのでないことをあらためて認識する。勤勉で豪邁な天子であった玄宗だが、多能多芸で音律・暦象の学に通じていたというのが面白い。趣味に溺れる素地はあったのかもしれない。
そして玄宗56歳のとき、22歳の楊貴妃に出会い、政務をなおざりにするようになる。しかし「愛欲に溺れて」というけれど、伝わっているのは、少年少女のような「ラブラブ」エピソードばかり。思わず著者が「勝手にしろ」と書いているのが可笑しかった。身分にも年齢にも不相応な「純愛」の悲劇が、大詩人・白楽天の心を動かし、今なお人々の関心と同情を誘うのだろう。あと、60歳近くなって、そろそろ役割に倦み疲れて、私生活に逃避したくなる気持ちは分かる。
安禄山の素性(父はソグド人、母は突厥族の巫女なのか)、性格、乱の経緯も詳しく紹介されている。大乱勃発後、玄宗と別行動をとった粛宗が、現在の寧夏回族自治区霊武県を本拠とし、ウイグル族など西域諸民族の援兵を得て、長安・洛陽を回復したことは知らなかった。安史の乱を異民族の反乱みたいにいうことがあるが、そもそも唐王朝自体が多民族を基盤にしていることを見失ってはならない。
李林甫、高力士、張九齢など、玄宗周辺の人々については、それぞれの人柄を彷彿とさせるエピソードが紹介されていた、特に高力士はむかしから好きだったので嬉しい。また本書は、盛唐時代の歴史・文化・社会を綿密に描こうとしたと著者がいうとおり、長安市街図、興慶宮の図(宋代の石刻図による)もあって、想像の助けになる。
なお、巻末に楊貴妃に関する様々な情報がまとめてあって、その中に「日本渡来伝説」があるのには苦笑してしまった。日本海に面した山口県長門市には「楊貴妃の墓」があるそうだ。『曽我物語』には、玄宗の脅威から日本国を救うため、熱田明神は楊貴妃に、住吉明神は安禄山に、熊野権現は陽国忠に生まれ変わって唐土に渡ったという伝説もあるそうである。なぜ熱田?と思ったら、熱田大神は草薙神剣を神体とする天照大神を指すらしい。この伝説を知らないと、江戸の川柳「玄宗は尾張詞にたらされる」は分からないなあ。