見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

大晦日所感2010・今年もお世話になりました

2010-12-31 21:04:31 | 日常生活
2010年もあと数時間、老親の実家(東京)にて。まだ記事にしていない「見たもの」「読んだもの」もあるのだが、年越し蕎麦も食べちゃったし、今夜はのんびりしようと思う。

今年は3年ぶりに職場が変わり、埼玉から東京都内に戻ってきた。

行けと命じられたところで仕事をするのは宮仕えの定めだが、今回は、いい籤を引いたと思っている。おかげさまで、久しぶりに心落ち着いた年の暮れ。

賃貸暮らしは4物件目。いつもパッと契約してしまうので、いいところも悪いところもあるが、あとは適応するだけ。今回の場合、

・木造アパートから鉄筋マンションに住み替えたら、やっぱり静かである(多少、上の階の物音は聞こえる)
・部屋が暖かくて、ほとんど暖房が要らない(埼玉と東京の差?木造と鉄筋の差?1階と2階の差?)
・よって、ガス代と電気代が安くて済む。冷蔵庫とテレビを省電力型に買い換えた効果もあるのかな。
・お風呂が大きくて、手足が伸ばせて嬉しい。
・ただし、シャワー設備が古くて、湯量が弱い。湯温調節にも苦労したが、だいぶコツが分かってきた(中国のホテルみたいw)

今年一年、このブログをお訪ねいただき、いろいろなことを教えてくださった皆様、ありがとうございました。

gooブログを「アドバンス」に乗り換えてから、閲覧履歴を逆にたどることができるようになり、意外なところからリンクを貼っていただいているのを知って、恐縮することがあった。

Amazonアソシエイトを利用し始めたところ、月に数冊程度ではあるが、私が記事に取り上げた本を購入してくれる方がいる。これは嬉しい。売り上げを伸ばそうとは思ってないが、「いい本」の情報を、少数でも共感してくれる人に届けられたら嬉しいと思う。

↓玄関のクリスマスリース(※もとの状態)を正月仕様にしてみた。


もちろん「一夜飾りはよくない」という亡き祖母の教えを守って、30日から正月仕様である。
では、どうぞよいお年を。
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化け文字:書家・柿沼康二の挑戦状(岡本太郎記念館)

2010-12-30 23:58:59 | 行ったもの(美術館・見仏)
岡本太郎記念館 『化け文字~書家・柿沼康二の挑戦状~』(2010年11月3日~2011年2月20日)

 一度行ってみたいと気になっていた岡本太郎記念館で、これも気になっていた書家・柿沼康二さんの展覧会をやっているので見てきた。柿沼さんの名前は、はじめ、大河ドラマ『風林火山』に題字を提供した書家として覚えた。雑誌『Pen』の「特集・書のチカラ」で、今でも臨書を日課とし、古典の骨格に学びながら、全く新たなアートパフォーマンスにも挑むアーティストであることを知って、感銘を受けた。館内は、全面的に写真撮影OK。

↓変容する「風林火山」。柿沼康二作品。


↓静謐な「月夜」は、岡本太郎作品。


↓「雲月#1」。「#2」もある。柿沼康二作品。


↓おまけ。岡本太郎アトリエにて。欲しいなあ、このテーブルウェア。


柿沼康ニ公式サイト
作品集あり。
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不折コレクション、ベストセレクション。(書道博物館)+通り過ぎの子規庵

2010-12-30 12:24:08 | 行ったもの(美術館・見仏)
台東区立書道博物館 開館10周年記念『不折コレクション、ベストセレクション。』(2010年10月9日~12月23日)

 開館10周年を記念して、館蔵の中村不折コレクションから、選りすぐりの中国書画や古写経などを展示。いやほんとに、区立の博物館に、こんなにすごいものがあっていいのかと唸るようなセレクションである。1・2階吹き抜けの大きな展示ケースを飾るのは『広開土王碑』の第1面、第2面。しみじみヘンな字体は「古隷」と言うそうだ。調べると、「波磔(はたく)がない」とか「篆書の円折を省いて直とし横とした」とか、難しい説明が並んでいるが、要するに、マッチ棒を並べて作ったような、単純素朴で、遠目にも読みやすい字体である。大きな石碑に長文を刻むにはふさわしかったのだろう。

 『急就章塼』は、後漢時代(3世紀)の塼(せん、焼成レンガ)に文字学習のテキストの冒頭を刻んだ珍しいもの。当時の文字資料としては多数の竹簡が知られるが、幅の狭い竹簡に書かれる場合とは、書体が全く異なる。文字の姿って、メディアに影響(制約)される点が大きいのかなあ、と思う。

 いつもは「書」に特化したこの博物館の展示だが、今回は絵画も出ていた。米芾って画も描くひとだったのか、と今さら再認識。筆の腹を押しつけた点描で山容を描いている。こんな描き方をする画家が日本にもいたなあ、と思ったが、村上玉堂だったかしら(訂正:浦上玉堂)。明代の画家、辺文進の花鳥図は、鳥の表情(目つき、及びポーズ)が人間くさくて、親しみが持てる。いろいろ調べていたら、台湾の故宮博物院の楽しいサイトが見つかった。→辺文進三友百禽特展(日本語解説も詳しい)。

 中村不折記念室には、正岡子規の書(俳句、手紙)も。『遼左画稿乙集』は、不折が子規とともに日清戦争に従軍記者として清国に渡った際のスケッチ集である。展示箇所には、中国の看板、風景、雑器などが細密な筆で写されていた。素麺屋の看板に「上々面々 蹙雪欺霜」とあるのが面白い(不折も面白かったのだろう)。大連の天后宮と読めるスケッチもあった。

 この日(12/23)、斜め向かいの子規庵では、今年も蕪村忌(12/24)に合わせて、子規の好きだったココアの振る舞いが行われていたが、人が多そうだったので遠慮する。塀にはられた『坂の上の雲』の大きなポスターを横目に、静かになったらまた来ることにしよう、と思う。余談だが、先日読んだ『チョコレートの世界史』によれば、ココアは、森永製菓がロウントリー社と提携して輸入販売していたという。森永が国産ココアの製造を始めるのは1919年だそうだから、子規が飲んだのはロウントリー社製だろう。まだ滋養強壮に効く「薬品」という認識が強かったのかもしれない。
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カルメン/プラシド・ドミンゴ in films オペラ映画フェスティバル2010(写真美術館)

2010-12-29 23:57:52 | 見たもの(Webサイト・TV)
写真美術館 『プラシド・ドミンゴ in films オペラ映画フェスティバル2010』(2010年12月4日~12月26日)

■カルメン(フランチェスコ・ロージ監督、1983年)

 26日(日)に鑑賞。前日、3作品を見たというのに、頑張ってまた行ってしまった。この作品は1983年製作(1984年説あり)。日本公開は1987年らしい(Wiki)。当時、まだ20代だった私には、この映画の男女の生々しさは、よく分からなかったな。今見ると、生唾飲み込むようなスゴさがある。

 カルメン役のミネゲス=ジョンソンは、奔放なようで、意外と「弱い女」のカルメンを演じている感じがする。すがるドン・ホセを振り払うクライマックス・シーンで、ときどき垣間見せる、眉をひそめるような表情が、単に腕を掴まれ、引きずられるという物理的な暴力への抗いだけでなく、まだ心の底にドン・ホセへの愛情が残っているように感じさせるのだ。歌い方が弱い(よく言えば、陰影に富んで、女らしい)所為もあるだろうか。もっときっぱりとドン・ホセを振るカルメンもいるよな、と思って見ていた。

 エスカミーリョ役のライモンディは、2008年に、同じジョセフ・ロージー監督の映画『ドン・ジョバンニ』を見て、いたく気に入ったバリトン歌手だが、エスカミーリョとしては、ちょっと老けすぎている感じがした。もうちょっと若くて肉食系の歌手のほうがハマるように思う。闘牛場の場面も熱演(さすがに牛に正対するシーンは吹き替えだが)。あと、些細なことだが、ライモンディ、ドミンゴが、普通に馬に乗るシーンがあって感心してしまった。今の日本の若い俳優って、時代劇を撮ろうにも、満足に馬に乗れない…という話を聞いていたので。

 どの場面も華やかで、ドラマティックで、どことなくエキゾチシズムの視線も感じられて、面白いオペラだ。アリア、合唱、管弦楽曲など、多彩な聴きどころがあって飽きない。154分は長いと思っていたが、全く問題なかった。また来年の企画が楽しみである。
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ワーキング・クラスと社会起業/チョコレートの世界史(武田尚子)

2010-12-29 00:44:32 | 読んだもの(書籍)
○武田尚子『チョコレートの世界史:近代ヨーロッパが磨き上げた褐色の宝石』(中公新書) 中央公論新社 2010.12

 カカオ豆は中南米原産。クリオロ種、ファラステロ種、トリニタリオ種の3種がよく知られている。カカオに含まれるテオブロミンは、カフェインによく似た分子構造を持っている。カカオ豆の重量の半分は油脂で、この点がコーヒー豆と大きく異なる。等々、冒頭には、多くの図表・写真を交えて、チョコレートの原材料であるカカオ豆の博物誌が語られる。カカオの実がどのように樹になり、どのように収穫されるか。どのような加工プロセスを経て、ココア・パウダーやチョコレートが生成されるのか、知らないことばかりで、興味深く読んだ。たまには、こういう自然科学分野の読みものもいいなあ、と思いながら。

 記述は歴史に従って進む。15世紀まで、カカオはマヤ・アステカ社会で生産・消費されていたが、16世紀、メキシコの人々にカカオを飲む習慣が広まり、1630年代にはスペイン本国にも輸出されるようになった。17世紀には、白人のカカオ商人が成長し、アフリカから黒人奴隷の労働力を買い入れ、カカオや砂糖を生産してヨーロッパに輸出する、大西洋三角貿易が栄えた。

 カカオ以外にも、新世界から到来したさまざまな新しい食品が、徐々にヨーロッパに根付いたのが17世紀である。その際「薬品か食品か」「液体か固体か」が問われたのは、断食期間に摂取可能か否か、という宗教的判断に大きな関わりがあったからだという。なるほど。

 19世紀に入ると、現在の私たちにも親しい会社の名前があらわれる。ひとつは、1815年にライセンスを取って、オランダのアムステルダムでココアの製造・販売を始めたコンラート・ヴァン・ホーテン。イギリスでは、19世紀中葉、「のちにイギリスを代表するココア・チョコレート・メーカーに成長していった」フライ家、キャドバリー家、ロウントリー家が出現する。ちなみに、19世紀後半、イギリスでは砂糖の消費量が急速に拡大し、ほかのヨーロッパ諸国に見られないほどの「甘いもの好き」国民になっていった。背景には、産業の近代化によって増加した工場労働者が、効率よくカロリーを摂取する必要があったと考えられている。甘いもの=贅沢嗜好品という思い込みが正されて、目からウロコだった。

 上述の三家は、いずれもクエーカー教徒で、同じ信仰をもつ仲間として協力し合い、ともに産業資本家として成長していった。ヨーク市を拠点に成長したロウントリー社は「キット・カット」のオリジナル・メーカーである。社長のベンジャミン・シーボーム・ロウントリーは、ヨークの貧困層の実態を調査し、著作を刊行するとともに、自社工場で試みた福祉プログラムは、イギリスの福祉政策の源流となった。以下、今ふうに言えば「社会起業家」としてのロウントリー社の試みが詳しく紹介されている。

 イギリスでは、アメリカ式の「科学的管理」をそのまま応用するのではなく、労働意欲や疲労など「人間的要因」を視野に入れた生産システムが追求された。もう少しあとの章段に出てくるのだが、イギリスでは、午後の長い労働時間に「ブレイク(休憩時間)」を設けて、紅茶と甘いもので栄養補給するのは、ワーキング・クラスが獲得した慣習的な権利の一つであるという。そうか。そう聞くと、昨今、批判の多い勤務時間中のおやつタイムも(業務に支障がない限り)あっていいよねえ、と思う。ほかにも、住居対策や年金制度の整備など、同社が労働者(被雇用者)を奴隷ではなく「人間」として扱い、労働を通して豊かな人生を実現させようとした理想が感じられる。また、増大する女性工場労働者のために設けられた教育プログラムは、日本の同時代の状況(よくは知らない)と類似するところもあるように思えて、興味深かった。

 以上のように、本書は、平板なチョコレートの博物誌にとどまらず、ヨーロッパ社会の諸相、特に19世紀イギリスの産業資本家と労働者の実態に迫る、スリリングな読みものになっている。その秘密は、「あとがき」によれば、著者がヨーク大学で出会った、ロウントリー家関係の膨大なアーカイブ・コレクションにあるらしい。

 最後に、今日、イギリスのスイーツ業界は、グローバル(アメリカの)産業資本による再編が進む一方で、フェア・トレードに関する意識も高まっていることを付け加えておこう。
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歳末スイーツ2010

2010-12-27 23:11:07 | 食べたもの(銘菓・名産)
今年のお気に入り、スターバックスのクリスマスツリーデニッシュ。


24日、職場のお三時。同僚お手製のケーキと、いただきもののチョコレートケーキ。


27日(今日)、友人と代々木上原で忘年会。デザートのバニラアイス+芋餡の最中。


さあ、明日は仕事おさめだ!

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トスカ、椿姫、カヴァレリア・ルスティカーナ/プラシド・ドミンゴ in films(写真美術館)

2010-12-26 01:51:08 | 見たもの(Webサイト・TV)
写真美術館 『プラシド・ドミンゴ in films オペラ映画フェスティバル2010』(2010年12月4日~12月26日)

■トスカ(ジャンフランコ・デ・ポジオ監督、1976年)

 朝、上映に間に合う時間に起きることができたので、当日券を求めて飛び出していった。見てよかった。なんと、歌劇「トスカ」の舞台に設定されている3つの歴史的建造物、第1幕:サンタンドレア・デッラ・ヴァッレ教会、第2幕:ファルネーゼ宮殿、第3幕:サンタンジェロ城が、そのまま撮影に使われている。出演者たちには申し訳ないが、この映像美は、本作の最大の魅力である。私は、20年くらい前のイタリア旅行で、この3箇所を全て見てまわった。教会や宮殿の内装(壁画)の美しさにびっくりした覚えがあるが、もし、ローマに行く前にこの映画を見ていたら、この祭壇にアンジェロッティが隠れたのか、とか、この床にトスカが跪いて…とか、いちいち感無量だったろうと思う。

 物語は1800年、ナポレオン軍がオーストリア軍(ハプスブルク家)に決定的な勝利を収めた日を背景にしている。日本なら寛政年間、若冲の亡くなった年だ。そう思うと、当時の建築や障壁画を使って映画を撮るって、そんなに無理ではなさそうな気がする。

 映像美と並んで、私を魅了したのが、スカルピアを演じるシェリル・ミルンズ(バリトン)。表情の乏しさが、かえって権力欲そのものみたいな冷血さを感じさせて、ぞくぞく来る。「トスカ」は、テノールやソプラノを聴くオペラじゃないんだなあ。スカルピアがいいと締る。

■椿姫(フランコ・ゼッフィレッリ監督、1982年)

 2008年の『オペラ映画フェスティバル』でも見たが、何度でも見たくなる作品である。これだけは前売券を買っておいてよかった。開場前に当日券は売り切れてしまった。豪華絢爛な衣装、調度品。第3幕の夜会に登場する、ボリショイ・バレエのプリンシパル、ワシーリエフと、プリマのマクシーモワのダンスが圧巻なのに、それを上回る緊張感に満ちた歌唱をドミンゴとテレサ・ストラータスが繰り広げる。奇跡の名作だと思う。クライマックスでは、今回も会場のあちこちからすすり泣きが聞こえた。

■カヴァレリア・ルスティカーナ(フランコ・ゼッフィレッリ監督、1982年)

 「カヴァレリア・ルスティカーナ」は、歌劇自体もしばらく聴いていなかったので、さてどんな話だったっけな?と手探りするような気持ちで見ていた。物語は単純だが、シチリア島の、土臭い農村風景が美しい。行ってみたくなる。ヒツジや驢馬も多数出演。イエス像やマリア像が細い坂道を練り歩き、山上の教会へ運び込まれる復活祭の行列、特徴的な民族衣装に着飾った女性たち。画像検索で調べてみたら、アルバニア系の住民が多い、ピアナ・デル・アルバネシ(アルバネーゼ)という町を舞台に選んでいるようだ。

 それにしても本日(クリスマス)の〆めが、このヴェリズモ・オペラか、とプログラムの皮肉さにちょっと苦笑してしまった。でも、主人公の無分別、浅はかさと同居する優しさには、「トスカ」「椿姫」みたいな崇高な愛の物語とは別の意味で泣ける。

T&K TElEFILM(ティアンドケイ・テレフィルム)-オペラ映画
各作品について詳しい。
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奈良にゆかりのひとびと、再び/大和古物漫遊(岡本彰夫)

2010-12-25 03:52:21 | 読んだもの(書籍)
○岡本彰夫『大和古物漫遊』 ぺりかん社 2003.2

 春日大社権宮司にして、大和の歴史と古物(骨董)を愛される岡本彰夫さんのエッセイ、2冊目。新刊の棚で『大和古物拾遺』(2009)を発見したのが御縁のはじまり。同書には、先行作の『大和古物散策』『大和古物漫遊』は「いずれも初版で絶版になった」と書いてあったので、残念なことをした、と思っていたら、先日、新宿のジュンク堂で本書を見つけた。絶版になっても、まだ大きな書店には在庫がある様子。よかった。

 本書もまた、さまざまな古物を語りながら、それに関わったひとびとについて語るスタイルに変わりはない。最近、気になっている幕末の画家、冷泉為恭について1章が設けられていて興味深かった。誤解から尊王攘夷派に命を狙われ、長州藩士に殺害された、というのは、Wikiで読んだばかりだが、首を落とされ、大阪南御堂(真宗大谷派難波別院。今度行ってみよう)の石燈籠の火袋の中にさらされた、というのは初めて知った。酷いことをする。

 これも最近気になった人物(※歴博『武士とはなにか』参照)の川路聖謨が、奈良奉行をつとめたことがあるというのは初耳だった。多くの善政を施し、かつ天皇陵の修補にも努力を重ねたそうで、いまだに奈良の識者は、名奉行というと川路聖謨と答えるという。へえー。

 かと思えば「美術院」の1章は、岡倉天心が設立した日本美術院(※山種美術館『日本美術院の画家たち』参照)の第二部(修理研究部門)が、のち、本拠を東大寺大仏殿の裏手の勧学院に置いて、美術院と改称したことを語る。「今も美術院では厳かに天心祭(9/2天心忌)が行われている」のだそうだ。

 本書で初めて知った人物には、尼寺・円照寺六世を継がれた伏見宮文秀女王がいる。写真図版の筆跡があまりにも「雄渾」で呆気にとられた。大僧正か、陸軍大将の筆跡と偽っても遜色なさそうだ。神様に見せる画を描くことを願い、不遇のうちに没した画家、不染鉄(ふせん てつ)は、没後20年、奈良県立美術館が遺作展を催したことで知られるようになった。篆刻家、楠瀬日年(くすせにちねん)も世に忘れられた人物だが、春日大社の社印は大半が日年の作だという。私のご朱印帖にも彼の彫った印影が押されているはずだ。

 著者の本職である宮司のお仕事が垣間見えるのも本書の面白さ。春日大社では、唐菓子をつくることが出来ないと、一人前の神職とは見なされないそうだ。あるいは、大神様が人間の所業を嫌われると、春日山の木々が一斉に枯れる(史上に13回ある!)、そのときは宮中から楽人を遣わ、7日間の御神楽を奏する定めで、その中には、音を出さない「秘曲」を含むのだそうだ。日本の床しい伝統は、われわれ俗人のあずかり知らないところで、黙々と守り伝えられているのである。
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鳩山由紀夫・小沢一郎を語る/沈む日本を愛せますか?(内田樹、高橋源一郎)

2010-12-23 23:00:06 | 読んだもの(書籍)
○内田樹、高橋源一郎『沈む日本を愛せますか?』 ロッキング・オン 2010.12

 背にも表紙にも二人の名前しかないのだが、読み始めたら「内田」「高橋」の間に入るダッシュ(―)のインタビューアーの態度があまりにも大きい。誰だよ、コイツ、と思って「まえがき」を見たら、渋谷陽一さんだった。つまり実質的には、内田樹(1950年生)、高橋源一郎(1951年早生まれ)、渋谷陽一(1951年生)の鼎談と考えたほうがいい。

 本書は、2009年4月から2010年8月まで、雑誌「SIGHT」で、国内政治の時事トピックを素材に語られた連続対談、いや鼎談集である。2009年8月の政権交代を挟み、戦後政治の大転換があったようで、実は何も変わらなかったようでもある1年半。マスコミに登場する政治評論家や政治学者の言葉が、ことごとく的外れな印象で(例外は山口二郎さんの著書『ポピュリズムへの反撃』くらいか)、いや、そうじゃないだろ、と苛立っていた私には、読むほどに腑に落ちて、非常にスッキリした。

 いちばん我が意を得たと思ったのは、普天間基地に関して「迷走」した鳩山政権を、待っていたかのように袋叩きにしたメディアについてである。どう考えても、アメリカも沖縄県民もその他の日本国民も、みんなが満足する解などあるわけがなかった。にもかかわらず、自民党時代と相も変わらず、面白おかしく総理の無能をあげつらったマスコミの態度が、私にはそらぞらしく感じられてならなかった。

 内田樹さんによれば、鳩山総理が沖縄に行って態度を変更したとき、「アメリカの、沖縄の海兵隊に抑止力があるということを勉強しました」と語っているそうだ。米軍が韓国やフィリピンからは撤収できても沖縄からは撤収できない理由、それは沖縄に「抑止力」すなわち核があるからに他ならない。けれど、メディアはそのことに絶対に触れない。

 メディアは、沖縄の人々が鳩山総理に対して怒っている、という報道に終始した。しかし、沖縄の人々は、総理個人にではなく、政権が交代しても変えられない日本の統治システム(アメリカと官僚制とマスコミがつくっている)、さらには共犯者である日本人全体に対して怒っていたのではないか。そして、われわれが、普天間問題に関して「俺たち共犯なんじゃない?」と気づいたことは、とりあえず、よかったのではないか。――同感である。でも、当時、私の周囲には、マスコミの尻馬に乗って、鳩山さんダメだねえ、と憤慨している人が多くて、私は自分の感じ方に自信が持てなかったのだが。

 政治家が公約を完全履行できなかったときに「うそつき!」と責め立てることはたやすい。しかし、有権者には、選んだ政治家をサポートする責任がある筈で、われわれが面倒がって政治を「丸投げ」してきたことが、日本の政治の劣化の原因なのではないか。…これは耳が痛い。しかし、それは日本が主権国家ではないからで、僕らにアメリカの統治者を選ぶ権利があったら、もっと真剣に政治にかかわっただろう(内田さん)というのは、戦後政治の宿痾をえぐるような指摘で、スッキリを通り越して、ヒヤリとした。

このほか、思わず膝をうった、見事な「見立て」のいくつかを挙げておく。
・政権交代によって、本当は1980年頃に終わっていた「戦後」の延命装置が外された。
・小泉純一郎の本質は反米独立である(養老孟司先生の説)。アメリカに過剰迎合することで、間違った政策を推進させ、アメリカの没落を準備した。小泉政権以降、日本国民の中にあったアメリカへの敬意がほとんど消えてしまった。→これはすごい! 考えてもいなかった深読み。
・小沢一郎はダライ・ラマの後継者探しのように、死せる自民党の転生先を探しに行って民主党(鳩山由紀夫)に出会った。
・小沢一郎は吉本隆明に似ている。彼の仮想敵は知識人である。
・声なき農民、ナロードニキの小沢一郎と、友愛主義者の貴族、鳩山由紀夫が手を組んだ構図は、ロシア革命的である。

 まだまだあって、とにかく面白い。日本の現代政治を語るには、政治学の言語よりも文学の言語のほうがぴったりくるのかもしれない。ぐるぐると同じことを何度も、余談や冗談も含めて語っているうちに、とんでもない本質がぬるりと浮かび上がってくる。針にかかった沼のナマズみたいに。ヘンな連想だけど「道行き」とか「国褒め」という文学形式を思い出した。
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日本美術の豊かな水脈/日本美術院の画家たち(山種美術館)

2010-12-22 21:28:50 | 行ったもの(美術館・見仏)
山種美術館 『日本美術院の画家たち-横山大観から平山郁夫まで-』(2010年11月13日~12月26日)

 日本美術院は、明治31年(1898)、東京美術学校を排斥され辞職した岡倉天心と、彼に連座した美術家たちによって創設された在野の美術団体。以後、資金の欠乏、内紛、綱紀の乱れなどが原因で沈滞、茨城県五浦への移転の低迷期を経て、天心の一周忌にあたる大正3年(1914)、横山大観、下村観山らによって再興された。場所は谷中三崎坂南町52番地の現所在地である(Wikiおよび展覧会趣旨より)。

 岡倉天心って、ほんとに面白い男だ。私は芸大美術館の『岡倉天心-芸術教育の歩み-』で、東京美術学校の校長就任~辞職まではじっくり学んだが、その後の日本美術院時代は、ワタリウム美術館の『岡倉天心展』を見たとはいえ、あまりよく分かっていなかった。今回、展示の冒頭に日本美術院の「院歌」や「三則」が紹介されており、これを見ると、岡倉天心ってどこまでも岡倉天心だなあ…と可笑しくなる。三則の第二「日本美術院ハ芸術ノ自由研究ヲ主トス、故ニ教師ナシ先輩アリ、教習ナシ研究アリ」はまだしも、院歌に云う、「谷中うぐいす初音之血に染む紅梅花 堂々男子は死んでもよい/奇骨侠骨開落栄枯は何のその 堂々男子は死んでもよい」だもの。熱い、熱すぎる。

 さて、作品では小林古径の「清姫」連作に見入る。同じ伝説を扱った京博の『日高川草紙』を思い出したが、古径筆のほうがずっと可憐。前日にオペラ映画『道化師』や『カルメン』を見たばかりで、西洋の恋愛悲劇は「追う男→拒む女」が典型なのに、日本(東洋)は「追う女→逃げる男」だなあ、と考えたりした(吉備津の釜、牡丹燈籠とか)。

 速水御舟の『翠苔緑芝』は目のさめるような面白い作品。全面金屏風に、ゴルフのグリーンのように緑色の島が点在し、右隻は枇杷の黄、躑躅の朱、黒猫の黒がアクセントになっている。左隻には紫陽花の青と純白のウサギの白。あまりにも装飾的。御舟は、後世、自分の名が忘れられてもこの作品は面白いと言ってもらえるだろう、と語っていたそうだ。江戸時代の琳派の作品に、ときどき、作者は分からないけど、無類に面白いものがあることを思い出す。

 あまり意識したことのなかった画家だが、小茂田青樹の静謐な自然描写にも惹かれた。奥村土牛の『鳴門』や『城』は、完成品と画稿を見比べることができるのが一興。森田曠平の『ナイチンゲール』は、アンデルセン童話を絵巻仕立てにしたもので、古代中国風の挿絵がミスマッチ(で面白い)と思ったが、調べたら原作に「中国の王さま」とあることが分かって、興味深かった。会場では、けっこう若い観客を見たが、日本画の装飾性(大胆な省略やデフォルメを許すところ)って、受け入れやすいのではないかと思う。

※参考:日本美術院ホームページ
なかなか情報豊富。特に、古田亮氏の「日本美術院史外伝」と佐藤道信氏の「日本美術院外伝」は読み応えあり!
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