見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

平戸の南蛮菓子カスドース

2009-05-29 00:10:30 | 食べたもの(銘菓・名産)
 先週末、五島美術館の『松浦家とオランダ残照』を見に行って購入(蔦屋製)。ただし、松浦章氏(松浦家41代当主)の講演会会場で売られていたので、当日のみの限定販売かもしれない。



 2004年に平戸に行ったときも、お土産で買ったはず(このときは湖月堂か。店舗の写真に見覚えがある)だが、全く味の記憶がなかった。写真では分かりにくいが、「焼き上げたカステラを冷ました後に、短冊型に切って乾燥させたあと、溶いた卵に浸して煮立てたシロップでカラリと揚げ、最後にグラニュー糖をまぶして出来上がる」手の込んだお菓子。カステラの天麩羅である。十分な甘みと軽い食べ応えが美味。
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時空を超えて/江戸の天文学者、星空を翔ける(中村士)

2009-05-28 00:10:42 | 読んだもの(書籍)
○中村士『江戸の天文学者、星空を翔ける:幕府天文方、渋川春海から伊能忠敬まで』(知りたい!サイエンス) 技術評論社 2008.6

 江戸時代の天文学者や知識人たちは、限られた情報源をもとに、どのように西洋天文学を学び取っていったのか。それは苦難の連続であるけれど、知る喜びにあふれた、楽しい歴史でもある。

 本書の特色は、国立天文台で実際に観測や研究に従事した著者らしく、具体的な儀器(装置)に即した記述が豊富なことだろう。たとえば、「円弧上に精密な目盛を刻む」ことは、非常に高度なテクニックだった。ヨーロッパでは、1774年に目盛自動刻印機(!)が発明されて、天文測量装置の価格は大幅に下がったという。一方、伊能忠敬の内妻お栄は「象限儀の目盛などは見事に仕上げます」と伝えられている。これ、普通の人なら「漢文の素読を好み」「算術もできます」には注目しても、「目盛」云々の価値は分からないと思う。それから、オクタント(八分儀)やセキスタント(六分儀)の使用法で、いちばん難しかったのが、副尺(最小目盛以下の数値を読み取る仕掛け)の原理を理解することだったというのも。たかが目盛と侮れない。

 望遠鏡の製作には、レンズを滑らかな曲面に磨き上げる技術がなくてはならない。日本には、オランダ人とは別に、長崎に来航した中国人から、レンズ磨きの技術が伝わっていたのではないか、と著者は考える。なぜなら、京都の万福寺には、隠元とその弟子たちがもたらした水晶の丸い文鎮や印材が多数残されているが、これらの製造技術は「レンズ磨きの技術そのもの」なのだという。えー!考えてもみなかった。

 古い中国製の望遠鏡は、紙筒を糊で固めた「一閑張り」という技法で作られており、これは、その後、日本の望遠鏡の伝統的製法として定着する。飛来一閑(ひきいっかん、1624-1644)は浙江省杭州の出身。茶道にかかわる千家十職の一でもある。茶道具三昧で覚えた用語と、思わぬところで巡り会って、びっくりした。

 登場人物も多士済々。日本初の国産暦である貞享暦の作成者・渋川春海(1639-1715)や、反射望遠鏡を作った国友藤兵衛(一貫斎、1778-1840)が、その技術力だけでなく、愛される人柄や広い人脈によって、大きな事業を成したのに対して、孤高を好んで、地方に埋もれた技術もあったことは感慨深い。幕府の天文方が、組織全体を統括する「長」を置かない、合議制の組織であったというのも。8代将軍吉宗(1684-1751)の天文マニアぶりはよく知られているが、儒学者の佐藤一斎や松崎慊堂、紀行文で知られる橘南谿なども、天体観測を楽しんでいたことは初めて知った。

 「エピローグ」にいう、天文観測の楽しみは、精巧な大望遠鏡で観測することにあらずして、「皆でわいわい言いながら小望遠鏡で夜空を眺め、宇宙について語り合うに限る」という一文に共感する天文ファンであれば、江戸の天文学者たちは、今なお近しい仲間に感じられるはずである。
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慌てず、騒がず/デジタル社会はなぜ生きにくいか(徳田雄洋)

2009-05-27 20:11:50 | 読んだもの(書籍)
○徳田雄洋『デジタル社会はなぜ生きにくいか』(岩波新書) 岩波書店 2009.5

 「わかりにくい操作、突然の不具合、巧妙な詐欺など、デジタル化社会に生きる困難は確実に深まっている」というのが本書の前提である。そして、2つのとらえ方が示される。ひとつは、デジタル社会には、失うものより得るもののほうが多いという楽観論。もうひとつは、得るものの総量と失うものの総量は等しいという悲観論。これらの見方は正しいだろうか?という問題提起を受けて、デジタル社会の具体的な観察に入る。「デジタルテレビ」「デジタルカメラ」「携帯電話」などの情報機器が抱える問題点、「銀行」「鉄道の駅」「空港」などで起こり得るトラブルなど。特に目新しい情報はなくて、あーあるよな、という、既知の、あるいは想定内の記述だった。

 最終的に、著者の結論は以下のとおり。デジタル社会では、送り手、伝え手、受け手の間の知識伝達が重要である。知識伝達が不全の場合は失うものが大きく、知識伝達が十分であれば、得るものが優勢となる。それゆえ「著者も含めて、送り手と伝え手の責任は大きい」というのは、コンピュータ科学者として、とても誠実な発言だと思う。けれでも、もっぱら知識の「受け手」である一般読者は、何をどうすればいいのか。「知識伝達」自体がデジタル技術に依存しており、デジタル社会に適応した者でなければ、十分な知識を得ることができない現代では、同語反復の結論なんじゃないか、と思った。

 いくぶん丁寧な状況分析として、デジタル社会特有の困難は「変化が速いこと、一人で直接操作させられること、機器が多機能なこと、見かけが単純で本物と偽物の区別がつきにくいことによってひき起こされる」という記述がある。でも「変化の速さ」という点では、明治維新や終戦の前後に起きたドラスティックな社会構造の変化(想像に拠る)とか、1970~80年代の消費社会における目まぐるしい流行の移り変わりに比べれば、80年代に覚えたキーボード操作や、90年代半ばに覚えたウェブ操作で、今でも何とか渡っていけるデジタル社会を、私はそんなに「変化が速い」とは思わない。同じ基本操作で、引き出せる情報がどんどん増えているのだから、なんとありがたい社会だろうかと思っている。「一人で直接操作させられること」を負担に感じるタイプは、なるほど、デジタル社会に不向きかもしれない。私は幸いにして、多すぎる共同作業より、こっちのほうが好きだ。なので、デジタル社会に過大な期待は持っていないが、そんなに「生きにくい」という実感もない。

 結論に先立って著者は、デジタル社会を生きるための、今日からでも実践できる「心構え」5項目を示している。(1)半分信用し、半分信用しない。(2)必要な知識や情報を得て、自分を守り、他人の立場を尊重する。(3)自分ですることの境界線を定める。(4)利用することと利用しないことの境界線を定める。(5)危険性を分散し、代替の方法を持つ。これらは「平凡な真理」であるが、よく分かる。というか、この5項目が身についていれば、社会がどんなふうに変貌しても、さほど嘆くことはないのである。
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子どもの王様/手塚治虫展(江戸東京博物館)

2009-05-26 22:25:30 | 行ったもの(美術館・見仏)
江戸東京博物館 生誕80周年記念特別展『手塚治虫展-未来へのメッセージ』

 手塚治虫(1928-1989)の生誕80周年を記念する特別展。1993年に開館した江戸博は、何がやりたいのか、よく分からない博物館だったが、2004年の『大(Oh!)水木しげる』→2007年の『文豪・夏目漱石』→今回の『手塚治虫』という、近現代の国民作家シリーズ(※私が勝手に名付けてみた)は、いい企画だと思う。この線で行くと、次は司馬遼太郎あたりかな?なんて、私は勝手に妄想している。

 本展は、まず「総合展示ゾーン」で、手塚の生い立ちと生涯をたどる。手塚の生涯は、本人や編集者によって何度も語られているので、新しい発見は少ない。昆虫採集に熱中した少年時代も、深甚な影響を与えた戦争体験も、既知のことである。本当は、手塚が自伝的な作品で語っている自分の人生と、事実との「齟齬」が発見できれば面白かっただろうと思うが、そこまで丁寧な読み込みはされていない。ただ、少年時代に描いたマンガや、中学時代の昆虫手帳など、多数の肉筆資料が今日に残っていることは、奇跡のように思う。あの戦争をよくぞ潜り抜けたものだ。

 後半生では、1960~70年代、劇画全盛の中で「手塚マンガはもう古い」と罵倒され、ノイローゼになるほど悩みながら、70年代後半、『ブラック・ジャック』『三つ目がとおる』で完璧な復活を遂げ(しかも基本的な絵柄は変えずに)、以後、最晩年まで第一線から引かなかった。私は、このことを背筋が凍るくらい「すごい!」と思うのだが、本展では、案外さらりと片づけられている。「作家」としての手塚治虫の偉大さが正しく評価されるには、まだあと50年くらいの年月が必要なのかもしれない。

 会場では「音声ガイド」というものを初めて使ってみた。手塚の長男・真氏を案内役に、鉄腕アトムとブラック・ジャックが合いの手を入れている。懐かしい「マグマ大使」や「リボンの騎士」の主題歌がバックに流れる。これは聴き得であると思う。

 私は『20世紀少年』の浦沢直樹さんと同世代なのだが、自分は二重の意味で「手塚治虫の子ども」であると思う。60~70年代、自分の中の、最も早熟な部分は、手塚マンガの哲学的なテーマ「人間とは?」「生命とは?」等に鋭く反応していた。一方で、子どもの部分は、手塚アニメの音や動きの楽しさを無条件に受け入れて育った。

 会場には、『鉄腕アトム』(1963~66年)のオープニングが流れており、当時を知る大人ばかりでなく、いまの中高生や、小学生までもが、白黒フィルムを食い入るように眺めている様子が感慨深かった。言うまでもなく、作詞は谷川俊太郎である。それから、日本初のテレビ用カラーアニメ『ジャングル大帝』(1965~66年)のオープニングも、どうしてここまで頑張るかというほど美しい。作曲は冨田勲。

 我ら「20世紀少年」の子ども時代、日本はまだ貧しかった。けれども私たちは幸福なことに、マンガやテレビという、一見ジャンクなメディアを通じて、豊かな本物の文化をたくさん贈られて育った。そして、戦後の子ども文化圏の中心に、北極星のように輝き、慈父のように君臨していたのが、手塚治虫なのではないかと思う。
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平戸のお殿様/松浦家とオランダ残照(五島美術館)

2009-05-25 22:45:59 | 行ったもの(美術館・見仏)
五島美術館 平戸・オランダ通商400周年記念特別展『松浦家とオランダ残照』(2009年5月16日~6月21日)

 ポスターを見て、五島美術館にしては変わったテーマだな、と思った。書画・茶道具など美術品が中心で、歴史資料を扱うのは珍しいと思ったのだ。私が長崎県の平戸を訪ねたのは2004年の冬の1回切りだ。けれども、長崎市には今年の2月にも行ったし、氏家幹人氏の『殿様と鼠小僧』で松浦静山のことを読んだばかりでもある。近世日本の対外交易史には、ずっと興味を持っている。ということで、この展覧会、ぜひとも行こうと思っていた。

 23日(土)は14時から、松浦家41代当主の松浦章氏による「平戸・松浦家について」という講演が予定されていた。聞いてもいいし、聞かなくてもいいし、くらいのつもりで13時過ぎに到着したら、講演会場の前には長い列。「もうお席はないかもしれません」と言われると、俄然、並んでみたくなるのが人情である。ほんとに立席になるところ、替わってくれた人がいたので、隅のほうに座ることができた。講演では、まず平戸の名所をスライドで紹介。徐々に記憶がよみがえった。やっぱり、ご先祖代々の墓守りは大変なのですね。

 松浦清(静山)の11女・愛子は中山氏に嫁して慶子を産み、慶子は孝明天皇の典侍として明治天皇を産んだ。そんな関係もあって、現在、松浦史料博物館となっている松浦家の屋敷は、明治維新のとき、何かあったら明治天皇を迎え取ることができるように作られており、さらに危険が迫ったときは天皇を呂宋に逃がす(!)計画があったという。ウソかマコトか、南北朝の再現、いや日本版鄭成功になっていたかもしれないのだな。

 展示会場で印象的だったのは『孔雀之図』。写実と装飾性が同居する、南蘋派らしい作品。「徐皥晋」という作者名を見て、てっきり中国人だと思ったら、本名・久間貞八(1752-1813)という日本人だそうだ。『蛺蝶譜』という、きわめて精密な博物図譜も同じ作者の筆と推定されており、博物画と南蘋派の親近性を感じさせた。

 オランダ語訳『日本誌』第2版は1733年刊行。著者のケンペル(1651-1716)は、出島のオランダ商館に勤務したドイツ人医師。没後、まず英訳版『日本誌』が出版され(ふーん、そうなんだ)、のち、フランス語、オランダ語、ドイツ語等に訳された。天明2年(1782)、長崎視察の折に同書を発見した清(静山)は、値を問わず、これを購入したという。そりゃあ、びっくりしたろうなあ。また、オランダ語(たぶん)の聖書注釈書『字議的・実践的聖書釈義』(1741年刊)は、こんなものが平戸藩に伝わっていることに私はびっくりした。いつごろ日本に入ったんだろう。寛永の禁書令(寛永7=1630年)は漢訳洋書の輸入を禁止しているはずなのに、洋書原本はよかったのだろうか?

 『唐船持渡禁制書目』は、1枚紙に大きな文字で書かれた禁制書リスト。手元の出品目録に天明6年(1786)とある。冒頭の第1行には「天文略 十慰」とあり、これは2つの書名を列挙しているようだ。「十慰」は景教(ネストリウス派)に関連する文献らしいが判明せず。いろいろ調べていたら、中国語(簡体)の江戸時代の禁書に関するサイトが検索にひっかかってきて、親ページを探ると、日本史好きの中国人が作っているらしかった。興味深い。

 展覧会に戻って、松浦静山描く『河太郎図』は黄桜の河童みたいでかわいい~。『百菓之図』では、今なお平戸の名物となっているカスドースに注目。この日は講演会のあと、松浦家を宗家とする鎮信流のお呈茶があり、お茶菓子にカスドース(蔦屋製)をいただいた。
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雪村の竹林七賢図屏風/名品展(畠山記念館)

2009-05-24 22:48:57 | 行ったもの(美術館・見仏)
畠山記念館 春季展 開館45周年記念『畠山記念館名品展-季節の書画と茶道具』(2009年4月11日~6月21日)

 16日から始まった後期を見てきた。前期で味をしめたので、この日も展示室でお抹茶をいただき、心豊かに鑑賞。正面には、伝・趙昌筆『林檎花図』(国宝・南宋時代)。何だか、いっぱしの茶人になった気分である。

 宗達筆『蓮池水禽図』の季節は、たぶん五月の末か六月だろう。ぼやぼやした水墨のにじみが湿気の多さを、しかし、気持ちのよい涼しさを感じさせる。硬く閉じた蓮の蕾、薄いレースのようにたよりない蓮の葉が、水蒸気に霞む。その下で、元気よく水を足掻き立てる水鳥のやんちゃな姿。水に濡れて逆立った頭の羽毛が、いたずら坊主みたいで可愛い。あらためて気づいたけど、同じ宗達の『蓮池水禽図』でも、京博のもの(水鳥が2羽)とは違うんだな。

 『継色紙』(末の松山)は久しぶりだ。前に見たときは「本心がフクザツに揺れ動いている感じ」なんて書いているが、今回は、揺れ動きながらも、全体としては、左下がりに行頭が下がっていくのが気になった。表面上の言葉は激しいけど、だんだんテンションは下がっていくように感じられる。

 さて、前期は渡辺始興の『四季花木図屏風』が展示されていた奥の展示ケースは、雪村周継筆『竹林七賢図屏風』に替わっていた。これは楽しい。ネットに画像はあるけれど、実際に屏風の前に立ってみないと、こんなマンガみたいな人物たちを、ほぼ等身大にでかでかと描いた楽しさは伝わってこないと思う。左隻の端の、真上を仰いだ人物が面白いので、ついそっちに引き付けられてしまうが、ここは、定石どおり、右隻から視線を走らせたい。そうするとムズカシイ顔の男を、もう1人の男が抱えるようにして「ま、ま、入って入って」という感じで、自然と視線が画面中央に誘導されていく。いずれも、隠者とは思えない、役者のような生き生きした表情。マンガの「吹き出し」を描き加え、セリフを加えて悪戯してみたくなる。左から2人目、「げー!マジかよ」なんてふうに。そして最後は、何を見つけたのやら、天空に消えていく視線。

 『竹林七賢図』にもいろいろあって、私は蕭白の同名作品(三重県立美術館)の冷え冷えした孤独感も好きだが、雪村の描く七賢図は、白雪姫を取り巻く7人の小人みたいに仲がよさそうで、本当に楽しそうだ。気になって、2002年の『雪村展』(千葉市美術館他)の図録を引っ張り出してみたら、もっと楽しそうな『竹林七賢酔舞』なんて作品もあるのだな、雪村には。なお、屏風の7人は、右端から、嵆康(けいこう)、向秀(しょうしゅう)、山濤(さんとう)、劉伶(りゅうれい)。左隻は、阮咸(げんかん)と王戎(おうじゅう)、阮籍(げんせき)に比定されているそうだ。晩年、福島県の三春での作。好きな画題を好きなように描いている感じがする。羨ましい。
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淫蕩なヴィーナス/ナナ(エミール・ゾラ)

2009-05-23 23:58:33 | 読んだもの(書籍)
○エミール・ゾラ著、川口篤・古賀照一訳『ナナ』(新潮文庫) 新潮社 2006.12(1956-59年刊の合冊新装版か)

 お手軽な新書ばかり読んでいると、少し「腹持ちのいい」小説が読みたくなるものだ。原著は1879年刊。第二帝政期(1852~1870)のパリ。ヴァリエテ座の『金髪のヴィーナス』の舞台で、全裸と見紛う肉襦袢姿を披露した新人女優のナナは、たちまち圧倒的な人気を博す。多くの男たちが彼女の肉体に跪拝し、財産を投げ出し、破滅していく。初めは、ただ自分の肉体の魅力を誇り、情にほだされやすい温柔な心の持ち主だったナナ(情夫の暴力にも耐えていた)は、次第にサディスティックで淫蕩な喜びに目覚めていく。

 いや、すごいな。本当の「小説」とはこんなにも凄いものか、と久しぶりに思った。並みの「事実」(ノンフィクション)など及びもつかない。本場の「自然主義」って、こんなにも悪魔的魅力を備えた文学だったのか、とあらためて知った。ヘンな話、日本文学で『ナナ』の直系といえるのは、たぶん永井荷風と谷崎潤一郎なんじゃないだろうか。

 物語の冒頭、多数の登場人物が(彼らの紹介を兼ねて?)ナナの家に会して、乱痴気騒ぎを繰り広げる。ここは、なかなか物語が進行しないので、私はちょっと飽きたが、まあ、グランド・オペラの第1幕みたいなものだろうと思って、辛抱して読み続けた。喧騒と倦怠の一夜が開け、ナナとその仲間たちが、古い僧院の跡を見に行こうと馬車に乗って出かけてゆき、小さな木橋で、堅気の人々とすれ違う場面は印象鮮烈である。そして、行き着いた先で、若い頃は恋と乱行に明け暮れながら、男たちから搾り取った金で広大な館の主人となり、静かな余生を送る老婦人イルマの姿に、ナナは何か霊感に似た衝撃を受ける。このへんから、物語に陰影が加わり、俄然、面白くなる。

 ナナに翻弄される男たちの中でも、最も悲惨で、それゆえ、一種マゾヒスティックな幸福さえ感じさせるのは、ミュファ伯爵。裸で四つん這いになって熊の真似をさせられるところは、『痴人の愛』の先行例だ、と思った。初心な若者ジョルジュは、ナナに母親のような愛情を注がれるが、一人前の男と認めてもらえず、絶望から自殺してしまう。ナナに愛情を抱きつつも、理性を保ち、別の女性と結婚して破滅をまぬがれる、昔馴染みの情夫ダグネ。男たちとナナの間に見え隠れする、街娼から伯爵夫人まで、ナナを慕い、羨み、敵対する女たち。人々の交錯を取り巻いて、無比の大都会「パリ」の姿が鮮鋭に立ち上がってくる。永井荷風が、熱病のようにフランスに憧れた気持ちがよく分かる。

 1870年、フランスがプロイセンに宣戦布告したその日に、ナナは天然痘で息を引き取った。男たちは伝染を恐れて、誰ひとり病床に近づかない。ナナの最期を看取ったのは、ただ女たちだけだった。耳に残る群衆の「ベルリンへ!」の声は、オペラの演出のようだ。冷酷な結末は『椿姫』の終幕を思い出させる。

 こうして、ナナの肉体は、懲罰のように醜く変貌し、ひからびていく。けれども、その輝かしい裸身の幻影は、なお読者を惑わせ続けるように思う。

■登場人物総覧 - 第9巻『ナナ』(朝倉秀吾によるエミール・ゾラとフランス文学のサイト)
http://www.syugo.com/3rd/germinal/lecture/rougon-macquart/volume09/people.html
読んでる途中、これ(人物総覧)が欲しかった!(外国人名は苦手なので)
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フェイク?/雪舟とその流れ(千秋文庫)

2009-05-20 22:15:46 | 行ったもの(美術館・見仏)
千秋文庫 『雪舟とその流れ-佐竹家狩野派模写絵展』(2009年5月7日~8月11日)

 仕事の都合で、ときどき土日出勤が入り、振替休を貰う。そんなときのために、月曜に開いている美術館・博物館の情報は重要だ。ひとつがここ、千秋文庫である。2007年に中国絵画の模写を中心とする展覧会を見に来て、これが結構、楽しめた(→記事)。なので、ぜひ今回も見てみたいと思ったのである。

 今回は雪舟はじめ、室町時代の作品の模写を主に展示しており、中国絵画ほどの違和感(トンデモ感)はなかった。ただ、「雪舟」と聞いて、私などが反射的に思い浮かべる山水画は少なく(『天橋立図』くらい)、雪舟筆『唐子』とか雪舟筆『杏壇孔子図』3幅対とか、ほんとにそんな原画があるの?と疑いたくなるものもあった。いや、あるのかも知れないが…。

 明兆(兆殿司)の模写は、原本の持つ、品のある親しみやすさをよく伝えていると思う。『蝦蟇鉄拐図』双幅は狩野洞、『十六応真図』は菅原洞斎(-1821没)による模写。明兆の作品は、いつ何を見ても、従者の小動物が可愛くて心惹かれる。蝦蟇から龍虎まで。

 雪村の模写は小品、大作、取り混ぜて、一番よかったなあ。錦絵みたいに画面いっぱいに描かれた『鍾馗』は魅力的だった。体に似合わず、小さな足の爪先に、うんと力が籠っていて可愛い。山雪の『布袋』は、へえーという感じ。この画家らしい、知的で幾何学的構成が感じられる。英一蝶の鶏・ツバメ・叭叭鳥の3幅対は、ほのぼのとして慕わしい。と、ここまで書いて思うのは、知らず知らず、私は作者の名前に幻惑されているのかなあ…。

 初めて名前を覚えた画家は、秋月(等観)。素朴な素人臭さが面白いと感じた。いや、これは模写の感想なので、原画に同じ感想を持つかどうかは分からない。ややこしい展覧会である。
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アレンジ大成功/文楽・ひらかな盛衰記

2009-05-19 00:48:59 | 行ったもの2(講演・公演)
○国立劇場 5月文楽公演『ひらかな盛衰記』

 二段目「梶原館の段」「先陣問答の段」「源太勘当の段」と四段目「辻法印の段」「神崎揚屋の段」「奥座敷の段」の半通しの上演。舞台が始まると、ああ、むかし見た演目だなあと思い出したが、記憶は薄かった。

 梶原源太景季は、源頼朝の臣。宇治川の先陣争いでは佐々木高綱に一歩遅れを取り(平家物語)、一ノ谷の戦いでは箙(えびら)に梅の枝を挿して奮戦する(源平盛衰記)など、「源平合戦期における代表的な色男」(Wiki)として華やかな逸話を残している。これらの伝説を、江戸人好みに脚色して作られたのが本作である。

 いやーほんとに、江戸のクリエイターたち(本作は文耕堂ほか複数人の合作)の発想力には舌を巻く。「箙に梅の枝」という、よく知られた景季のエピソードを換骨奪胎して、傾城梅ヶ枝という「オリジナルキャラ」を創り出してしまうのだから。恋人のために進退窮まった梅ヶ枝は、なんと直截にも「アア金がほしいなァ」とつぶやく。恋人のためなら廓勤めもするけれど、どんな悲しい目を見るかも分からない。可憐な少女の口から漏れる「それも金故。何を云ふても三百両の金が欲しい」という科白には、鬼気迫るものがある。本作の初演は元文4年(1739)だそうだが、既に成熟した貨幣経済の時代が背景にあったことを感じさせる。

 本作は、梅ヶ枝の他にも、姉のお筆、景季母の延寿など、気の強い「女性オリキャラ」が揃って大活躍をする。主人公のはずの景季は、武将なのか何なのか、分からないくらい影が薄い。なんだか最近の大河ドラマを髣髴とするなあ。やっぱり、江戸時代にも、女性ファンはこういう創作をキャーキャー喜び、男性たちは、軍記物語の梶原景季と違いすぎる、とか文句を言っていたのかしら。

 チャリ場の「辻法印の段」を語った豊竹咲大夫さん、安定しているなあ。どの段を語った大夫さんも熱演だった。むかしは(玉男さん、蓑助さん、文雀さんの全盛時代)どうしても人形に注目していたが、最近は、耳も目も大夫さんと三味線に釘付けになってしまうことが多い。圧巻は切の「神崎揚屋の段」を語った豊竹嶋大夫さん。登場するや、爆発するような声量と熱演で会場を圧倒した。77歳って、信じられない! ほとんど舞台に目を向けず、ひたすら本を注視して語り続ける。床本をがばと食ってしまいそうな勢いだった。大夫さんって、むかしからあんなオーバーアクションだったかしら? 最近の傾向? 拍手を贈る時間が短すぎて、文楽にも、オペラみたいにカーテンコールがあったらいいのに、と思った。

■トピックス:国立劇場5月文楽公演『ひらかな盛衰記』 豊竹嶋大夫77歳の挑戦!初役の「神崎揚屋」
http://www.ntj.jac.go.jp/member/pertopics/per090409_1.html
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気になるTV番組「遥かなる絆」そして「蒼穹の昴」

2009-05-18 11:52:51 | 見たもの(Webサイト・TV)
■NHKドラマ『遥かなる絆』(2009年4月18日~5月23日、全6回)

 たまたまチャンネルを合わせたときに番組宣伝をやっていて、へぇー韓流びいきのNHKが、めずらしく中国を舞台にしたドラマを作るのか、と思って見始めた。実話をベースにした重みが感じられて、毎回泣かされている。正直なところ、あまり華のある俳優さんがいない分、「無名の人々」に実在感があり、力みすぎない演出もよい。主役には華流スターのグレゴリー・ウォン(王宗堯)を引っ張り出してきているけど、コントみたいな七三分けが意外とハマっていて、よかった。

 グレゴリー・ウォンの南方訛りが気になるとか、鈴木杏の中国語が下手すぎるという意見もあるが、脚本がいいので、まあ脳内補正できる範囲だと思う。むしろ、大躍進から文化大革命に至る中国国内の混乱を、どう描くのかと思っていた点が、ちょっと期待はずれだった。実際、ドラマの舞台は辺境なので、あまり波及しなかったのかな(私が見逃したかも)。私は14年前の『大地の子』を見ていないので、日本のテレビで「娘(にゃん~)=お母さん」なんていう庶民の中国語が聞けるだけで感慨深い。私は長いこと、大学の第二外国語で習った「媽媽(mama)」しか知らなかった。週末の最終回まで、しっかり見届けたい。

■NHKドラマトピックス:清朝末期を描く「蒼穹の昴」が登場!(2009/4/23)

 これにはびっくりした。中国清朝末期を舞台とする浅田次郎の小説『蒼穹の昴』が、来年(2010年)BShiとNHK総合で、43分×25回の連続ドラマとして放映されるという。うわ~微妙。原作の素晴らしさは論を俟たない。1996年刊行、私が読んだのは2001年頃だったと思うが、今なお新しい読者の熱い支持を獲得し続けており、浅田次郎氏の代表作と言われるのも納得できる。しかし、ドラマとして成功するかどうかはNHKの手腕ひとつ。最近、NHKのドラマは、出来・不出来の差が激しいので、大コケしないよう、祈りたい気分である。ネット記事によれば、中国でも同時期に放映されるらしいし…。

 李春雲(チュンル)を演じる余少群は、『花の生涯~梅蘭芳~』で、若手時代の梅蘭芳を演じた俳優さん。伝統芸能「越劇」の出身だそうだ。これはなかなかいい配役。梁文秀役は周一囲(※正確には周一圍)。西太后を田中裕子って、中国人的にはどうなんだろう?と思ったら「あの阿信(おしん)が西太后に!」って、わりと好意的な迎えられかたのようだ。5月に入って、中国ロケも動き出したらしく、中華芸能サイトにも『蒼穹の昴』の記事が載り始めた。動向を見守りたいと思う。

※参考:新浪網:電視劇『蒼穹之昴』専題(簡体中文)
http://ent.sina.com.cn/f/v/cqzm/index.shtml
写真多数。この本格的な清朝古装劇が日本のテレビで見られると思うと、う、嬉しい。

※参考:卓越Amazon.cn:蒼穹之昴(上、下)(簡体中文)
中国語訳は、2001年、長江文芸出版社から出ている。どのくらい読まれているのかな。
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