見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

風俗画、肉筆浮世絵、春画まで/浮世絵の別嬪さん(大倉集古館)

2024-04-30 21:27:02 | 行ったもの(美術館・見仏)

大倉集古館 特別展『浮世絵の別嬪さん-歌麿、北斎が描いた春画とともに』(2024年4月9日~6月9日)

 本展は、いわゆる版画ではなく肉筆浮世絵に焦点をあて、17世紀の初期風俗画と岩佐又兵衛から始まり、菱川師宣、喜多川歌麿や葛飾北斎をはじめとした数々の著名な浮世絵師たちの活躍を、肉筆美人画を通じて幕末までたどる。また、艶やかで美しい春画の名品も合わせて紹介する。

 大倉集古館には、そんなに熱心に通っているわけではないが、浮世絵をテーマにした展覧会は珍しいように思う。いま「これまでの展覧会」のリストをざっと見てみたが、関連するのは2007年の『江戸の粋』くらいだろうか。実は、今回の展示先品(約90件)、「大倉集古館」と記載されているのは1件しかなく、あとは他館からの出陳でなければ「個人蔵」なのである。大倉家の私的なコレクションなのか、全く違う所蔵者がいるのかはよく分からない。

 無款の『遊楽図屏風』(17世紀前~中期)は秋の山野で音楽と散策を楽しむ男女を描く。高い位置で結んだポニーテールみたいな女性の髪型が近世初期らしくてよい。同じく無款で、立ち姿の別嬪さんをひとりずつ縦長の画面に描いた『役者と美人図』2幅は、いわゆる『寛文美人図』のカテゴリーに入ると思ったが、1幅は「役者」すなわち男性を描いている。また『邸内遊楽図』(摘水軒記念文化振興財団)の2図は、もっぱら若衆たちを描いており、作者あるいは制作依頼者の理想とする虚構の世界なのではないか、という解説が添えられていた。なるほど、江戸の「別嬪さん」は女性に限らないのだな、と納得した。

 私は、頭髪を小さくまとめた小顔の女性の図がかわいいと思う。時代が下ると、左右を大きく膨らませた髪形が普通になり、遊女は、ごしゃごしゃと簪(芳丁/よしちょう、というのか)を前髪に指すようになるのはあまり好きではない。18世紀前期の、懐月堂安度や宮川長春はかなり好き。安度『立美人図』(千葉市美術館)には惚れ惚れした。肉付きのよい身体を大きくひねった姿態に匂い立つ色香がある。たっぷり着物を着込んで、首から下は一切肌を見せていないのに色っぽいのだ。

 地下1階は「めくるめく春画の名品」の展示にあてられている。前期展示は9件で1件を除いて個人蔵。チェックはないが、15歳未満の鑑賞を制限する旨の掲示がされている。鳥文斎栄之『源氏物語春画巻』は、王朝風俗の男女が交歓する図だが、男性は全裸になっても烏帽子は脱いでいないので、笑ってしまった。国貞の『金瓶梅』は登場人物を日本ふうに置き換えたもの。やっぱり春画でも何らかのキャラ設定があるほうが、想像が広がって面白いんだろうな。

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受け継がれる美意識/王朝文化へのあこがれ(五島美術館)

2024-04-29 21:18:20 | 行ったもの(美術館・見仏)

五島美術館 春の優品展『王朝文化へのあこがれ』(2024年4月6日~5月6日)

 同館の春の優品展は、だいたい古筆や歌仙絵が中心で、大型連休に合わせて国宝『源氏物語絵巻』が展示される。近年、混雑は嫌で『源氏』原本の展示期間を避けていたのだが、今年は久しぶりに展示期間に訪ねてみた。今日は朝からお茶会もあって、第1展示室に入ろうとしたら、びっくりするほど混んでいた。

 幸い、第2展示室はまだ人が少なかったので、順番を変えて、こちらから見ることにした。同館が所蔵する『源氏物語絵巻』全点に復元模写も添えられて展示されていた。原本と復元模写を並べて見たのは久しぶりで、おもしろかった。柱や梁・縁側など家屋の描写が意外としっかりしていて狂いがないと感じた。「鈴虫」「夕霧」に描かれた男子は冠を被っているが、復元模写では額の部分が透けている。原本もそうなのだが、これは作者の工夫(額を描いたあとで上から冠を描く)に経年劣化で冠の絵具が剥げたのか、よく分からない。「御法」の光源氏は烏帽子を被っているが、これは透けていない。大河ドラマでは透ける烏帽子の使用が多いので気になるのだ。

 第2展示室には、藤原道長筆『金峯山埋経』(紺紙金字、上半分のみ=地下水に浸かって破損したんだっけ?)や、伝・大弐三位(紫式部の娘、賢子)筆の家集断簡『端白切』なども出ていた。『銅製経筒』(12世紀)は、道長の埋経をイメージさせるための展示だと思うが「平治元年己卯九月廿日庚子」という銘文について「年と日の両方に干支を入れる例はあまりない」ので後世の偽銘だろう、と片付けられていて苦笑してしまった。

 第1展示室へ戻ると、鴻池家旧蔵の『手鑑』など名品が目白押しである。そんな中で、ん?これは記憶にないと思ったのは、藤原定信筆『石山切(貫之集下)』で、料紙は石山切らしい継紙ではなく、全体にキラキラした銀泥(?)の模様が散らされている。令和5年度(2023)に書家・高木聖雨氏から寄贈を受けたものだそうだ。本展には、同資料を含め、高木氏から寄贈された書跡6点が展示されている。

 古筆は、はじめに古今和歌集、次に和漢朗詠集がまとめて並べてあった。古今集の伝承筆者は紀貫之が多く、和漢朗詠集は公成と公任に仮託されたものが多い。私が好きな作品は『継色紙(めづらしき)』で伝・小野道風筆。これは軸物にするとき、左右の高さをズラして貼ったセンスが抜群によい。『今城切』の書跡も好きだなあと思ったら、絵巻でおなじみ、藤原教長と見られていた。伝・藤原定頼筆『下絵古今集切』の、おおらかでさっぱりした書風も好き。そういえば本展は、全ての古筆に全文翻刻が添えられていたように思う。鑑賞の助けになって、とてもありがたかった。

 後半には『源氏物語図屏風』(江戸時代)や『山水屏風』(室町時代)に加え、いつもの歌仙絵、歌合絵、白描絵巻断簡、『沙門地獄草紙断簡・火象地獄図』や『駿牛図断簡』など、盛りだくさん。王朝文化へのあこがれを受け継いだ宗達や光琳、冷泉為恭、松岡映丘『祭の使』(これは頼道かな)も展示されていた。

 中央列の展示ケースでは『白描絵料紙梵字陀羅尼経断簡』(鎌倉時代・13世紀)が目を引いた。陀羅尼経の下に『伊勢物語』65段「笛を吹く男」が描かれており、伊勢物語絵として最も古いものと考えられているという。また「王朝文化へのあこがれ」の中に堂々と漢籍写本が並んでいたのも、当然とはいえ、おもしろかった。『史記』(大江家国筆、1073年)の「孝景本紀」(漢・景帝)は天文の記事が目立った。『白氏文集』(金沢文庫本)は「琵琶引」(琵琶行)の箇所が開いており、冒頭の「潯陽江頭夜客を送る」が読めた。

 同館にしてはめずらしく、係員がお客さんに「少しずつお進みください」と声をかけるような人の入り方だったが、いつまでも展示室で遊んでいたいような展覧会だった。

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2024黄金週はじまる

2024-04-28 22:32:46 | なごみ写真帖

2024年の大型連休が始まった。コロナ禍も一段落して、久しぶりの海外旅行を計画しようかとも思っていたのだが、時機を逸してしまった。新幹線は全席指定だし、ホテルはどこも高いし、その上、1ドル=158円を突破する円高…。

結局、連休はじっとして、5月の中旬以降の週末に、関西の展覧会めぐりに行ってこようと思っている。

近所の小さな公園(臨海公園)の緑地帯の野草。

亀戸天神のフジ。今日行ってみたら、花の残っている枝はわずかで、もう遅かった。

ホームセンター「コーナン」江東深川店の垣根のツツジ。

今日は衆議院補欠選挙の投票日で、私の選挙区・東京15区は、満足のいく結果で嬉しかった。このところ、うんざりするような選挙戦を見せられてきたが、終わりよければ全てよしと思うことにしよう。

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古墳、治水から現代の再開発まで/大阪がすごい(歯黒猛夫)

2024-04-24 22:28:40 | 読んだもの(書籍)

〇歯黒猛夫『大坂がすごい:歩いて集めたなにわの底力』(ちくま新書) 筑摩書房 2024.4

 私は東京生まれで箱根の西には暮らしたことがないが、ときどき大阪の本が読みたくなる。著者は大阪南部、岸和田市育ちで、大阪に拠点を置くライター。60年以上、ずっと大阪で暮らしてきたという自己紹介を読んで、ああ、こういう人もいるんだなあ(むしろ、こういう人生が標準的?)と感慨深く思った。

 はじめに「水の都の高低差」では、7万年前の氷河期から、約7000年前の「縄文海進」を振り返り、生駒山地・大阪平野・上町台地・大阪湾など地形の成り立ちを確認する。上町台地の高低差を実感できる「天王寺七坂」は、今年の正月、生國魂神社そばの真言坂を歩いたことを思い出した。大阪平野を生み出した淀川は、古来、洪水で人々を悩ませてもきた。仁徳紀には「茨田堤(まんだのつつみ)」の記事があり、豊臣秀吉は「文禄堤」を築き、江戸時代には河村瑞賢が安治川(あじがわ)を開削した。なるほど~私は治水の話が大好きなのだが、大阪についてはあまりよく知らなかった。これはもっと知りたい。

 「なにわヒストリア」では巨大な古墳がつくられた古墳時代から、太閤秀吉に整えられた近世の大阪までを通観。高槻市の今城塚古墳公園の「埴輪祭祀場」はちょっと行ってみたい。「『商都・大阪』興亡史」は今につながる近現代だが、ここでも治水の話題があり、淀川に蒸気船を通すために行われた「粗朶沈床」という工法は、中国ドラマ『天下長河』で見た黄河の治水方法に似ている気がする。旭区の淀川河畔に「城北(しろきた)ワンド」という遺構が残っているとのこと。ぜひ見たい。

 「私鉄の王国」では、著者が考える大阪と東京の鉄道の違いがいろいろ挙げられているが、関東に「新快速」がないことに驚かれてもなあ…。大阪圏は、京都、大阪、神戸という拠点を高速運転で連結することに利便性があるけれど、東京は「中心圏」が巨大すぎ、横浜も千葉もさいたまも、全く釣り合わない。都市圏の構造が全く違うのである。

 「キタとミナミ、そしてディープサウス」は、大阪の町(地域)ごとの特徴と歴史を語る。西成、釜ヶ崎と呼ばれる地域にはさすがに行ったことがない。大阪の「五大色町」も興味深く読んだ。飛田は名前だけ知っていたが、ほかに松島、今里、信太山、滝井。すべて「新地」がつくところに歴史を感じる。大正区の「リトル沖縄」は、観光で訪ねるのに比較的ハードルが低いかもしれない。いつか行ってみたい。

 「未来都市・大阪」では、あえて「負の遺産」となった過去の再開発事業と、現在進行中の再開発エリアを歩く。「うめきた」で大規模再開発が進行中であることは、年に数回大阪に行くだけの私も認識している。阿倍野も大きく変貌した。変わり過ぎた風景を見て、大阪育ちの著者は「ここまですんのか?」という言葉が口をついて出たという。東京育ちの私が、いまの渋谷駅前に感じる気持ちみたいなものかな。関西空港に直結する「りんくうタウン」は、企業誘致が伸び悩み、負の遺産になりかけたが、最近、活気が戻ってきているという。頑張ってほしい。

 私が仕事や観光で大阪府を訪れるのは、大阪市でなければ、茨木、箕面、池田など北部地域が圧倒的に多いが、実は、堺、河内長野、貝塚など、南部が好きなのである。最近、久しぶりに訪ねて気になっているのは泉佐野市。著者が私鉄沿線の住民気質を論ずる中で、南海本線の通る泉州地方の海岸側は、江戸時代から商工業で栄えており、明治になると紡績業や海運業で繁栄したので、地方からの移住者も多く、他者を排斥する意識が低い、というのをおもしろいと思った。

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ゆるくて、やさしい中国/古染付と中国工芸(日本民藝館)

2024-04-22 22:22:56 | 行ったもの(美術館・見仏)

日本民藝館 『古染付と中国工芸』(2024年3月30日~6月2日)

 古染付とは、明代末期の中国・景徳鎮民窯で、日本への輸出品として作られたやきものを言う。だが、染付(そめつけ)という柔らかな和語の響きからも、私はこれが中国産であることを忘れてしまいがちだ。今回、玄関に入ると、左手の壁には「大空合掌」の泰山金剛経拓本と鄭道昭の山門題字。右手には殷比干墓、楊淮表記摩崖(なんのことやらメモだけ取ってきて、調べながら書き写している)。見上げると、大階段の2階の壁には『開通褒斜道刻石(かいつうほうやどうこくせき)』の拓本が左右に並ぶ。そうか、古染付って中国の工芸だったな、と気づいて、なんだか嬉しくなる。

 大階段の踊り場中央には、呉州赤絵(漳州窯)の『人物山水文皿』。赤いチェックのような文様の帯でぐるりと縁取られた中型の皿で、人物とも山水ともつかない、青緑色のかたちが飛び交っている。階段下の展示ケースには、古染付のうつわに混じって、漢代の印文磚、唐代の加彩陶俑(舞楽女子)、明代の小さな明器の馬など。どれも素敵。

 心を躍らせながら、2階の大展示室へ。細かいことは気にしない、自由でおおらかな気風で描かれた、達磨、羅漢、道士や漁夫など。動物では『古染付栗鼠文中皿』のタワシをつなげたようなリス。『双鹿文皿』の四つ足に全く力のないシカ。『遊兎文小皿』の3匹列になったウサギ。私の大好きな『蓮池釣人図鉢』は大階段裏の展示ケースに出ていた。

 大展示室は、壁沿いの展示ケースの作品が全て撮影可だった。気に入った作品三選。

 古染付は明代のやきものだが、今回、清代~現代(20世紀)の民窯が多く出ていたのが珍しくておもしろかった。黄釉、飴釉、鉄釉などで、小さめの器形が多い。官窯の超絶技巧とは全く異なる「民藝」の温かみを感じた。

 併設展、2階の「墨の表現」では海北友松筆『黄山谷愛蘭図』が目を引いた。黒い頭巾を被った白衣の人物が俯いて立っている。「日本の磁器」には染付に類似した人物文のうつわも出ていたが、自由と軽妙さが物足りない感じ。「螺鈿・華角工芸と朝鮮陶磁」は、華角工芸(牛の角を薄く剥いで作った透明な板の裏側に彩色をする)の箱に、象や牛などさまざまな動物が描かれていて可愛かった。あと、各展示室で横に寝かせた冊子や軸物を抑えるのに使われている卦算(けさん)が卵殻貼りでオシャレだった。ほかに「河井寛次郎と棟方志功」。

 1階の「スリップウェア」には、グレゴリオ聖歌の楽譜や聖人図など西欧の工芸が多数。「北陸の手仕事」には、石川県の陶磁や漆器、新潟県の織物など。入口に黒い木製の『銭箱』が置いてあって、能登半島地震の災害義援金を受け付けていたので、ミュージアムショップで冊子『民藝』を購入して、五千円札を崩して寄附させてもらった。

 最後の部屋は、1月31日に鬼籍に入られた柚木沙弥郎氏の特集で、柚木氏の写真が掲げられていた。しかし「追悼」という悲しい言葉を吹き飛ばしてしまうような、明るくパワフルな染色作品の数々。こういう布をまとって死出の旅路に出ることができたらいいな、と思ってしまった。

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現地調査から見えるもの/中国農村の現在(田原史起)

2024-04-21 22:38:58 | 読んだもの(書籍)

〇田原史起『中国農村の現在:「14億分の10億」のリアル』(中公新書) 中央公論新社 2024.2

 著者の専門は農村社会学。20年にわたり、中国各地の農村に入り込んでフィールドワークを実践してきた経験をもとに本書は書かれている。

 中国の農民とは、どういう思考様式を有する人々なのか。はじめに著者は、歴史的経緯を振り返って言う。欧州では13世紀頃まで、日本は150年前まで封建制が存在していた。ところが中国は紀元前3世紀で「封建制」は終焉を迎え、皇帝が直接、民に向き合う「一君万民」的な政治体制が形成された。皇帝の意思を代行するのは官吏である(建前としては実力があれば=科挙に合格すれば、誰でも「官」になれる)。官僚が派遣される最末端単位は「県城」で、周辺の農村を統括した。農民は県より上の政府に直に接する必要はない。ここから「専制君主を戴きながらも、中国農民には思いのほか『自由』な一面が生まれた」というのは、とても共感できる。

 ある程度自由で、流動性が高い社会であることの反面として、最後に頼れる血縁が重視され、強い家族主義が生まれた。1990~2000年代に多くの農民工(出稼ぎ)が出現したのも、家庭内労働力を遊ばせず、家族全体で豊かになろうという「家族経済戦略」から説明がつくという。これも分かる。また、農民は豊かな都市住民に出会っても、彼我を引き比べようというメンタリティはなく、むしろ隣近所の農民どうしの格差・優劣を気にするという。これも分かる気がした。中国農民には、都市住民が自分と同じ「中国人」だという意識は希薄なんじゃないかなあ。

 ところで中国農村には、村幹部(村民委員会)という特異な集団が存在し、もしかすると国政よりは民主的(?)な選挙が行われている。この段で、なぜ中国は(国政レベルで)競争的な代議員選挙が根付かないかについて、著者が紹介している章炳麟の説が興味深かった。議会制はむしろ封建制や身分制と相性がよい。身分というものが中間集団として働き、「自分たちの(集団の)代表を議会に送り込みたい」と考えるからである。しかし中国には、少なくとも章炳麟の時代には、家族主義を超えるような中間集団は存在しなかった。一方、「世界最大の民主主義国」インドでは、「カースト」が政治的利益の分配における中間集団の役割を果たしてる、という著者の指摘も、たいへん腑に落ちた。

 そんなわけだが、本書に登場する農村基層幹部の人々(男性も女性もいる)は、逞しく、有能である。村民のことを知り尽くし、公共的な問題解決のため、知恵を絞り、全人格的な感覚を動員し、臨機応変に立ち回る。私は『大江大河』とか『県委大院』とか、中国ドラマで見て来た基層幹部のあれこれを思い出していた。中央政府は、少しずつ農村に対する財政支出を増やしているというけれど、開放以後の中国農村が「発展」を続けてきたのは、個々の家族の競争的な経済戦略と、「縁の下の力持ち」である基層幹部の努力の賜物なのだろう。

 気になるのは、習近平政権が「県城の都市化」すなわち、県城の農村部に居住してきた農民を、最終的には小都市である県城の市民として吸収していく政策を打ち出しているという情報である。実は、今、2022年制作の『警察栄誉』というドラマを見ているのだが、ここでも同じような社会状況が描かれていた。社会の再編成に向けて、当然、さまざまな軋轢が起きるだろうなあと思う。

 外国人による中国農村調査がなぜ「失敗」するか、「飲酒」や「宴席」の意味など、著者の実体験に即したコラムも面白い。コラムだけ立ち読みしてもいいんじゃないかと思う。

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虚構の遊楽世界/大吉原展(藝大美術館)

2024-04-19 23:17:48 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京藝術大学大学美術館 『大吉原展』(2024年3月26日~5月19日)

 「江戸吉原」の約250年にわたる文化・芸術を、海外からの里帰りを含む美術作品を通して検証し、仕掛けられた虚構の世界を紹介する展覧会。

 備忘のために書いておく。私がこの展覧会の開催を知ったのは年末年始くらいだったと思う。いまネットで検索すると、同館が2023年11月30日に公開したプレスリリースが残っている。おもしろそうだなと思う反面、ショッキングピンクのポスターとウェブサイト、「江戸アメイヂング」という軽いノリの副題には、やや不安を感じた。さらに2月1日付けのプレスリリースでは、花魁道中を見物できる「お大尽ナイト」というVIPチケットの発売が取り上げられている。これを知ったときは、かなり嫌な感じがした。遊郭文化の記憶が今も一種の観光資源になっていることは知っていたが、国立大学の博物館がそういう「消費」に加担する姿はあまり気持ちのいいものではなかった。

 同じように感じた人が多かったのかどうかは分からない。SNSで急速に批判の声が高まり、同館は、2月8日に「『大吉原展』の開催につきまして」という説明文書を公表して「本展では、決して繰り返してはならない女性差別の負の歴史をふまえて展示してまいります」と釈明した。公式サイトもいつの間にか書き換えられ、ショッキングピンクの展覧会ロゴは、お葬式みたいなグレーに修正された。当初はイケイケだった英語タイトル「Yoshiwara: The Glamorous Culture of Edo's Party Zone」が、何の工夫もない「Yoshiwara: Utamaro, Hiroshige, Hokusai」に変わっていたのには苦笑した。

 さて、見て来た内容であるが、展示品のほとんどは浮世絵である。大英博物館所蔵の勝川春潮『吉原仲の町図』や、米国ワズワース・アテネウム美術館所蔵の喜多川歌麿『吉原の花』(どちらも肉筆)を見ることができたのは眼福と言うべきだろうか。歌麿の『青楼十二時』シリーズは、国内外の美術館から集めて揃えたもので、ふだんあまり浮世絵を見ない私にも、歌麿美人画の魅力がよく分かった。最近、千葉市美術館で大量に見た鳥文斎栄之の作品が出ていたり、来年の大河ドラマが待ち遠しい蔦屋重三郎の出版物『吉原細見』が出ていたのも目を引いた。

 「吉原の近代」のセクションには、高橋由一の『花魁』(最近、修復されたそうだ)、明治~大正の写真絵葉書があり、鏑木清方の『一葉女史の墓』と『たけくらべの美登利』が出ていたのは嬉しかった。後半の展示を見ながらしみじみ思ったのだが、私は「大門の見返り柳」も「お歯黒どぶ」も、それから吉原の四季の風物「玉菊燈籠」も「俄」も『たけくらべ』で覚えたのである。

 3階の会場は、低い瓦屋根と格子窓のモックアップで吉原の街並みを再現したつもりらしかったが、人が多過ぎて、あまり雰囲気が出ていなかったように思う。「花見」「玉菊燈籠」「八朔」「俄」など吉原の四季を紹介する展示はおもしろかった。吉原遊郭のメインストリート・仲之町には、開花時期だけ、数千本(ほんとか?)の桜が植えられたという(参考:和楽Web, 2022/3/23)。辻村寿三郎らによる江戸風俗人形を配した妓楼の立体模型は、台東区立下町風俗資料館の所蔵だという。同館は、いま休館中なのだな。2025年3月にリニューアルオープンしたら行ってみよう。

 まあ面白いものもあったけれど、遊女の悲惨な境遇を示す「遊女かしく」のエピソード(歴博の展示で見た)などは、小さなパネルで紹介されているだけで、とってつけた感を免れなかった。いまさらだが、私が怒りを感じたのは、最初のプレスリリースで、大学美術館教授の古田亮氏が「近代になって鏑木清方が酒井抱一を慕い樋口一葉の『たけくらべ』を愛読したことに感じ取れる江戸情緒への憧憬は、吉原が育んだ世界と切り離すことができません」と語っていたことである。このひとは『たけくらべ』を読んでるのかなあ、あそこに描かれたものを「江戸情緒への憧憬」と言ってしまうのは、大変不満である。

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地獄極楽図の隠れた名品/ほとけの国の美術(府中市美術館)後期

2024-04-17 22:29:44 | 行ったもの(美術館・見仏)

府中市美術館 企画展・春の江戸絵画まつり『ほとけの国の美術』(2024年3月9日~5月6日)

 3月に前期を見た展覧会、2回目は半額割引の制度を利用して、後期を見て来た。冒頭の京都・二尊院『二十五菩薩来迎図』が撤収かな、と勝手に思っていたら、ここはそのまま。次の一角、敦賀市・西福寺の『観経変相曼荼羅図(当麻曼荼羅)』など、地方に伝わった仏画の逸品が並んでいたところが、ガラリと展示替えになって、金沢市・照円寺の『地獄極楽図』18幅が、まさに所狭しと並んでいた。噂には聞いていたけれど、色鮮やかで(むしろケバケバしくて)圧が強い。作者も制作年も不明だが、江戸時代終わり頃の作と見られている。

 18幅の構成は、はじめに源信和尚図。数珠と尺(?)を持って斜め右向きに椅子に座る図は、典拠の図像があるようだ。黒い衣にやたら派手な袈裟をまとっている。続いて、天道、人道×2幅、阿修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道。人道の1枚目は栄枯盛衰(上臈女房と枯野の老婆)、生老病死の四苦をあらわし、2枚目は死者の九相図。阿修羅道は戦いだけでなく天災の苦しみも描かれている。地獄道は閻魔王による裁きの場だが、なんとなく和風の書記官がいるのが気になった。

 次に地獄図6幅は、等活地獄、黒縄地獄、衆合地獄、大叫喚地獄・叫喚地獄、大焦熱地獄・焦熱地獄、阿鼻地獄。黒と赤を基調としたダイナミックな画面に、わずかに緑や青が入る。炎や熱線の輝く赤に対して、切り刻まれる亡者が流す血潮には、ベタつくような深紅が用いられている。月岡芳年や落合芳幾の「血みどろ絵」の赤と同じだ。どんぐり眼の鬼たちは、マンガのキャラクターのようで意外とかわいい。なお、本作の地獄図は、版本『平かな絵入往生要集』の挿絵を換骨奪胎して、大画面に再構築している、という指摘もおもしろかった。

 続いて極楽図4幅は、聖衆来迎楽、聖衆倶会楽・引接結縁楽・快楽無退楽、五妙境界楽・身相神通楽・蓮華初開楽、増進仏道楽・随心供会楽・見仏聞法楽。描かれている風景は特に珍しくない極楽図なのだが、明るく朗らかな色彩感覚が自由すぎてびっくりした。いや、我々が退色した状態で見ている古い極楽図も、本来はこんな感じだったのかしら。

 ロビーでは、この地獄極楽図でお坊さんが絵解きをするビデオが放映されていた。照円寺、次に金沢に行ったら訪ねてみたい。日本には(地方のお寺には)まだまだ、私の知らない名品が隠れているのかなあ、と思うとわくわくする。

 後半も微妙に展示替えがあったが、来た、来た!とテンションが上がったのは、曾我蕭白の『雪山童子図』。木の上には、福々しい白い肉体に緋色の腰布の童子。下には全身青色の鬼。童子は自分の体を鬼に与えるために飛び降るところ。けれども、決然として喜びにあふれた童子の尊さに比べ、醜怪な鬼が哀れに見えてくる。そう思って解説を読んだら、この鬼は帝釈天の化身で、童子を空中で受け止め、敬礼したという話だった。いや、全然忘れていたが、この鬼、どう見ても帝釈天の面影はないなあ…。

 私はこの作品を見ると、自動的に2005年の京博の曾我蕭白展を思い出して「円山応挙が、なんぼのもんぢゃ」の名コピーが浮かんでしまう。久しぶりに20年後に東京で(しかも?府中で!)見ることができて嬉しかった。また、昨年、奈良博の特別展『聖地 南山城』で、この『雪山童子図』の典拠ではないかと推定される、大智寺(木津川市)の『悉達太子捨身之図』を見たことも思い出したので、ここに再掲しておく。

 そのほか、印象に残ったものに中林竹渓の『観音像』がある。背景を黒一色にした美麗な観音さま。名古屋市・西来寺の『八相涅槃図』は、何度か見ているが、水の生きものが参列しているのが珍しい。鯨は珊瑚を咥えている。蘆雪のやんちゃなわんこをたくさん見ることができたのも嬉しかった。『枯木狗子図』の2匹が肩を寄せ合う後ろ姿の愛らしさ。これは初見のような気がするのだが、こんな名品を見つけ出してくれたことに大感謝である。

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ICE STORY 2nd “RE_PRAY” TOURディレイビューイング

2024-04-16 23:11:39 | 行ったもの2(講演・公演)

「Yuzuru Hanyu ICE STORY 2nd “RE_PRAY” TOUR」宮城公演ディレイビューイング(2023年4月13日16:00~、TOHOシネマズ日本橋)

 土曜日、羽生結弦くんの単独公演をディレイビューイングで見てきた。見ていた時間だけ、魂が別世界に跳んでいたような気分で、感想がうまく言葉にならないのだが、書いてみる。

 プロに転向した羽生くんが「プロローグ」「GIFT」という単独公演を成功させてきたことは知っていた。私は、FaOI(ファンタジー・オン・アイス)をはじめ、彼の出演するアイスショーをずっと見てきたけれど、単独公演は、コア中のコアな羽生ファンのためのものだから、私はいいかな、と言う気持ちで遠慮していた。しかし今回、3度目の単独公演となる「RE_PRAY」ツアーは、そのキービジュアル(羽生くんのモノクロ写真)が好みだったのと、SNSに流れてくる感想(ロバート・キャンベル先生からも!)が只事でない感じだったので、ディレイビューイングのチケットを取ってしまった。ツアー最終(追加)公演の千秋楽である4月9日宮城公演の録画上映である。座席は自動指定だったが、ほぼ中央で、ショートサイドのリンク際みたいな、最高のポジションだった。

 舞台には旧型のテレビを思わせるような枠付きの、大きなスクリーンが設置されている。そこには、ゲームのコントローラーを握った羽生くんの映像が映し出されるかと思えば、ゲームそのものの画面になって、ドット文字のメッセージや、ドット絵のキャラクター(さまざまな衣裳をまとった羽生くん自身)が表示される。ゲームの進行に従って、選択を迫られ、素材を集め、敵を倒し、どんどん強くなっていく主人公。前半は真っ白なフードつきコートで登場した「いつか終わる夢」のあと、「阿修羅ちゃん」「鶏と蛇と豚」「MEGALOVANIA」「破滅への使者」など、強くて悪そうな羽生くんが盛りだくさん。

 椎名林檎の「鶏と蛇と豚」は、仏教の「三毒」を意味する動物で、真っ赤な背景に象徴的な三角形が浮かぶ中、貴婦人のような黒レース衣装の羽生くんが登場する。曲のイントロは般若心経なのである。羽生くん、晴明でなくて空海も演じられるわ、と思ってしまった。

 「MEGALOVANIA」は、無音の中で、スケート靴のブレードを氷に突き立てるような荒々しいステップから始まる。鍛えられた肉体の魅力を引き立てる衣装で、すっかり大人の男性になったなあ、としみじみ思ったのに、休憩後の後半では、再び永遠の少年の顔で登場するので、どうなってるの?と目を剥いた。

 「破滅への使者」は、競技プログラムと同様、6分間練習からスタートする。会場に漂う緊張。見慣れたティッシュケースのプーさんが映るのがうれしい。そしてこのプログラムを完璧にクリアしたにもかかわらず、ゲームから「データをセーブできません」と告げられ、混乱と困惑のうちに前半が終了する。ライブでは休憩30分だったようだが、ディレイビューイングは10分だった。

 後半。主人公は再びゲームの世界へ向かうが、前半とは異なる選択をする。自分のまわりの命を潰さない選択。主人公は深い水の中に落ちていく。「いつか終わる夢:re」「あの夏へ」「天と地のレクイエム」「春よ来い」など清冽なプログラムが続く。最後は「春よ来い」で、私はこのプログラムを見るたびに、世界に春をもたらすための祈りのように感じる。そしてスクリーンのドット文字「RE_PLAY」(再生)が「RE_PRAY」(祈り続ける)に変わって終了。

 まず、ほとんど休憩なし(あっても衣装替えの時間くらい)で、10曲近くを連続で滑り切る体力が化けものだと思った。しかもそれぞれ難易度の高いプログラムを完璧に。

 このあと、Tシャツ姿でマイクを持った羽生くんが、楽しそうにリンクをまわりながらお喋り。あ~これで終わりか~と思ったあとに「SEIMEI」「Let Me Entertain You」「ロンド・カプリチオーソ」「私は最強」と次々繰り出されるアンコール。本人はよほど名残惜しかったのか「終わりたくない」なんて言っていたけど、もう身体を休めなさい、と母親気分でハラハラしていた。

 しかし本当に素晴らしい体験だった。世界中の、フィギュアスケーターだけではなくて、様々な分野のアーティストに見てもらいたいと思う。次回の羽生くん単独公演が発表されたら、おそらく現地チケット争奪戦に参加することになるだろう。

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同時代の日本画を見る/第79回 春の院展(日本橋三越)

2024-04-14 23:02:13 | 行ったもの(美術館・見仏)

日本橋三越本店 『第79回 春の院展』(2024年3月27日~4月8日)

 先週末の話になるのだが、日本橋の三越デパート前を通りかかったら「春の院展」という大きなポスターが出ていた。私は小学生の頃、近所の絵画教室に通っていた。大きな画用紙(学校で使うものの倍サイズだった)にクレヨンで絵を描く教室だったが、先生は日本画家だった。私の祖母と、先生のお母さん(和装小物や裁縫道具を商うお店=糸屋を経営していた)の間に近所付き合いがあったこともあって、その後、先生が名古屋に引っ越してしまったあとも、ずっと「院展」の招待券をいただき続けた。

 日本美術院展覧会(院展)は、公益財団法人日本美術院が主催運営する日本画の公募展覧会である。むかしの院展は上野の東京都美術館で開催されていたのに、今はデパートが会場なのかしら、と思ったら、秋の院展(再興院展)は、今でも東京都美術館で開催されており、春の院展は、1945年に日本橋三越で開催された「日本美術院小品展」が始まりなのだそうだ。

 確かに比較的小画面の作品が多いように思った。しかし出品総点数は300点を超える。そうそう、こういう大規模展覧会を見ることで、テキトーに流し見をしながら、自分の好きな作品を見つけるスキルをつけたものだ。

 会場案内図が置かれていなかったので、お世話になった先生の作品をどうやって見つけようか、途方にくれかけたのだが、QRコードを詠み込むと、作品リストと会場マップのPDFファイルを読み込むことができて、無事、見つけた。田渕俊夫先生の『運河』である。これはアムステルダムの風景だろうか?

 ほかに気に入った作品は、斎藤満栄氏(同人)の『辻が花(藤)』、井手康人氏(同人)の『不二』。人物画では、小林司氏の『偲ぶ』。加藤裕子氏の『まごころに包まれて』は、日本橋三越1階の天女(まごころ)像をモチーフにしたものだとすぐに分かった。現代日本画、もっと積極的に見るようにしていきたい。

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