〇大木毅『独ソ戦:絶滅戦争の惨禍』(岩波新書) 岩波書店 2019.7
出版された当初、興味はあったのだが、西洋史はよく知らないからと二の足を踏んでいた。そうしたら「新書大賞2020」で第1位に輝いたというニュースが飛び込んできたので、遅ればせながら読んでみた。私のように、第二次世界大戦の欧州戦線について基礎知識を持たない者でも、あまり苦労なくついていける良書だった。
独ソ戦とは、1941年6月にナチス・ドイツとその同盟国軍が、独ソ不可侵条約を破ってソ連に侵攻し、1945年まで続いた戦争である。北はフィンランドから南はコーカサスまで数千キロにわたる戦線において数百万の大軍が激突し、ジェノサイドや捕虜虐殺など無意味な蛮行が繰り返された。
本書はまず、戦端が開かれる前の両国の指導者の状況から書き起こす。スターリンのもとには、独ソ戦近しの情報が多数上がっていたが、スターリンはこれを信じず、警戒を怠っていた。一方、ヒトラーとドイツ国防軍は、ソ連の軍事力を過小評価し(民族的な蔑視に基づく)、ずさんで傲慢な作戦計画を実行に移す。
緒戦に大勝利を収めたドイツ軍は、「電撃戦」(装甲部隊の「突進」によって敵陣地を混乱させる)によって圧倒的な勢いで東進した。しかし劣悪な道路、広がる湿地帯は、装甲集団の移動に不利で、ドイツ軍は次第に消耗していく。加えて、ソ連の鉄道はヨーロッパ標準軌と軌間が異なるため、鉄道による補給も困難だった。こういう記述は、火器の優劣だけで戦争を考えてはいけないということを教えてくれる。
8月、ヒトラーは軍をキエフへ南進させ、コーカサスの油田・資源地帯を奪取する。著者によれば、ドイツのソ連占領において特徴的なのは一元的に責任を持つ監督省庁がなかったことだという。しばしば決断を回避するヒトラーの下で、国防軍やさまざまな省庁が占領政策をめぐる闘争を繰り広げた。ナチスについて、もっと統制された集団のイメージを持っていたので、やや意外だった。もっとも、占領者側の内部対立の結果、占領地住民は何重にも搾取されたというのはやり切れない。
一方、ソ連は「大祖国戦争」の名で国民を動員し、檄を飛ばした。その結果、ソ連側でも対独戦はイデオロギー戦争と認識され、多くのドイツ軍捕虜が虐待、重労働によって命を落とした。
1941年冬のドイツ軍のモスクワ攻略作戦は極寒と悪天候により中止。しかしスターリンの総反攻も失敗する。膠着する戦況。1942年夏から秋にかけて、ドイツはスターリングラード奪取に戦力を集中する。その結果、長い東部戦線は同盟国軍の貧弱な戦力に委ねられた。
1942年冬から1943年春、ソ連軍は「作戦術」に基づく連続攻勢をかける。このへんまではまだ「普通の戦争」の範疇だったのが、だんだん読むのが辛くなる。東部戦線の将校から退却を懇願されてもヒトラーは死守あるのみで認めようとしない。ついに南方軍がドニエプル川を渡って退却するにあたっては「焦土作戦」が実行された。あらゆる施設、機械、家畜、物資が収奪または破却され、数十万人の住民が強制移送された。一方、祖国を解放し、ドイツ本土に踏み入ることになったソ連軍将兵も、敵意と復讐心のままに略奪や暴行を繰り広げた。そして1945年4月、ベルリンは陥落し、ヒトラーは地下壕で自殺する。
あまりにも悲惨で野蛮で、言葉にならない暴力の連鎖である。ドイツが遂行しようとした対ソ戦争は、戦争目的を達成したのちに講和で終結するような19世紀的戦争ではなく、人種主義に基づく世界観戦争であり、「敵」と定められた者の生命を組織的に奪っていく絶滅戦争であったと著者はまとめている。このような「20世紀的戦争」は、二度と繰り返してはならないし、その芽を摘むための努力を怠ってはならないと思う。
そして思うのは、人類は普通に野蛮なのだ。たとえ抽象的な観念を理解する知性はあっても、それだけでは暴力性を制御できない。民族や思想の異なる集団を「生かしておけない敵」と認識したところから、容易に際限のない暴力の連鎖が始まる。おそらく旧日本軍も、戦場のドイツ軍と同程度に野蛮だったはずだと思う。
本書は、ドイツ軍・ソ連軍の軍事作戦とその結果をマクロな視点で追いながら(地図がとても有効)、兵士や捕虜の置かれた悲惨な状況を具体的な証言で紹介しており、この戦争を立体的に捉えることができた。両国内の政治権力闘争は背景程度にとどめ、純粋に作戦行動として戦争を記述する著作というのをあまり読んだことがなかったので、私には新鮮だった。日本のアジア・太平洋戦争についても本書のような著作はないだろうか。