見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2020門前仲町ランチとテイクアウト

2020-04-26 21:27:04 | 食べたもの(銘菓・名産)

 在宅勤務のささやかな楽しみはランチ。混み合う昼休み時間を外して、近所に食べに行ったり、テイクアウトメニューを買ってきたりしている。門前仲町在住3年になるが、これまで日中に在宅することが少なかったので、全く知らなかったお店を新たに開拓できて、ちょっと楽しい。

ゆであげ生パスタ「ポポラマーマ」:ずっと気になっていたけど、初めて入ったのは昨年暮れ。やっぱり、コンビニのパスタとは段違いに美味しい。今月は週1回くらい通っている。ドリンクバーの生ジュースでビタミンも補給。

そば処「たぐり庵」:仕事帰りに、どうしても今夜は美味いそばが食べたい!というときに寄るお店を探して見つけた、お気に入りのお店。そばつゆの味が、東京育ちの私の舌に合う。お得だというランチメニューを初めて体験。天丼はごはん少なめにしてもらったが、普通盛りでもいけたかも。

とりサンド「アンマール」:ここも以前から好きなお店なのだが、平日の営業時間が短いので、めったに行ける機会がなかった。初めてのチキンカレーをテイクアウト。けっこうスパイシーで、ごはんが適量。スコーンも美味しかった。次回は久しぶりのとりサンドにしよう!

「竹とんぼ」:もと洋食屋、現在は串揚げ屋さんらしい。テイクアウトの看板を見てカツサンドを頼んだら、注文を聞いてからつくってくれた。雰囲気のある店内。営業再開したら食べに行きたい。

「日本橋弁松総本店」永代工場:歌舞伎座前の弁当屋・木挽町辨松の廃業のニュースの関連で、それとは別会社「日本橋弁松」の工場がうちの徒歩圏にあることを初めて知った。しかも土日は販売もしていると聞いて買いに行った。この濃い甘辛味は東京の味だなあ、と満足。

「西安麺荘 秦唐記」:週に1回くらいは本格的な中華が食べたくて、金曜日の夕食は、永代橋をわたって新川まで、ヨウポー麺(ビャンビャン麺)をテイクアウトしに行った。10分ほど歩くので、少し麺が硬くなって、くっついてしまった。やっぱり、お店で食べる出来立てには及ばないけど、今は仕方ない。

※「勝手に応援プロジェクト」もよろしく!

■(おまけ)つねまつ久蔵商店:土曜の夜は、月島の日本酒立ち飲み屋さんで「大人のたまごどうふ」。

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新型コロナ禍・在宅勤務3週目

2020-04-25 15:23:39 | 日常生活

 在宅勤務3週目が終了。

 今週は、月、火、金と職場に出てみた。ただし、いずれも短時間のみ。「出勤」を理由にパソコンの前を離れて、明るい日の光の下に出ると気分転換になる。また戻って、夕方まで在宅勤務を続ける。今週は課題が少し片付いてきて、ほっとしている。連休前に終わらせたかった仕事は、なんとか目途が立ってきた。

 在宅の環境もだいぶ整ってきた。「家ですごそう」というけれど、数年前だと、朝起きて出勤するまで1時間、帰宅して寝るまで1、2時間みたいな生活(現在はかなり改善)だったので、そもそも最低限の「住環境」しか維持していなかった。モノが散らかっていようが、ゴミが落ちていようが、寝られればいいくらいの。週末は今しかないと思って、外を出歩くことを優先していた。

 それが、在宅時間が増えたので、先週末は風呂場とベランダの掃除、カーペットラグの洗濯、今日は換気扇も掃除してしまった。明日はエアコンを掃除しようと思っている。いつかやろうと思っていたことが片付いて、だんだん部屋の居心地がよくなっていく。

 ノートPCのキーボードも久しぶりに掃除した。あと、自宅PC用にMS Officeの最新版(Office Home & Business 2019)を購入してしまった! 3年前に今のPCを購入した当初は、基本、家で仕事はしないので無料アプリで十分と考えており、足りない機能は、CD-ROMで持っている2007年版のOfficeをインストールしてしのいでいたのである。最新版を入れたら、やっぱり格段に作業がしやすくなった。もともとPC自体の性能は自宅のほうがいいので、もはや断然職場より自宅である。

 仕事で使う電子ファイルもだいぶ持ち帰ってきた。最初は職場の規定を気にして、すぐ必要なものだけ厳選して持ち出していたのだが、たまに職場で作業したりすると、どこにあるファイルが最新か分からなくなる。もう、フォルダの構造ごと全コピーして自宅PCに移築し、当面、こっちをメインとすることに決めた。

 こうして徐々に在宅勤務の環境がよくなってきた。当分、以前の勤務体制に戻らなくてもいいかなあ、と思い始めた3週目である。

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不撓不屈の立憲君主/エリザベス女王(君塚直隆)

2020-04-22 23:16:42 | 読んだもの(書籍)

〇君塚直隆『エリザベス女王:史上最長・最強のイギリス君主』(中公新書) 中央公論新社 2020.2

 君塚先生の本は、2年前に『立憲君主制の現在』を読んだことがある。20世紀の後半に共和制に転じたエジプト、イラク、イランに始まり、イギリス、デンマーク、オランダなど、ヨーロッパ各国の君主制について論じた著書である。その中でも、やはりイギリス王室の歩みがいちばん面白かった。

 本書は、在位68年に及ぶ現在の女王陛下、エリザベス2世(1926-)の人生を振り返りながら、第二次世界大戦後のイギリスと世界の歴史をひもとく物語である。人生のどの段階もドラマチックで、退屈とか停滞の時期がない。

 第一次世界大戦(1914-18)終結後、イギリスは大衆民主政治の時代を迎えるとともに、経済の悪化に苦しみ、社会主義運動や労働運動が活発化していた。1926年、国王ジョージ5世の次男アルバート王子(のちのジョージ6世)とエリザベス(母)の間に生まれたのがエリザベス(幼名リリベット)である。1936年、ジョージ5世の崩御により、王位は長男のエドワード8世に継承される。ところが、エドワード8世は「王位を賭けた恋」によって王室を離脱、弟のジョージ6世が即位し、10歳のリリベットは王位継承者としての修業を始めることになる。

 12歳で舞踏会にデビューしただけではなく、13歳からイギリス国制史を学び始めるのだから、王位継承者の責任は重い。第二次世界大戦中は、15歳で近衛歩兵の連隊長に任ぜられ、18歳でイギリス陸軍の婦人部隊に入隊する。軍用トラックで物資を運送することを任務とし、大型自動車の整備や修理を修得する。ああ、だから昔見た映画『クイーン』(2006年)のエリザベス女王は四駆を運転していたのか。

 戦後、結婚して出産。1952年、父王の死によって25歳で即位する。若いなあ。最近は長寿命化で若い元首を見ることが少ないので、びっくりする。女王治世下の最初の首相がチャーチルで、さりげなく注釈に「孫のような年齢の若く美しい女王に淡い「恋心」を抱いていたとも言われる」と記されているのが小説のようでときめく。

 即位後のエリザベスは、旧敵国との和解をひとつずつ果たし、イギリスのEC加盟を実現し、コモンウェルス(英連邦)の国々、特にアフリカの安定と民主化に尽力する。その一方、北アイルランド紛争に苦しみ、コモンウェルス嫌いのサッチャーとは性分が合わなかったが、実力は評価していた。

 1990年代はイギリス王室のスキャンダルが相次ぎ、チャールズとダイアナの離婚(1996年)、ダイアナの死(1997年)によって、王室支持率が急落する。このへんは君塚先生の前著とも重なるが、国民は王室が「慎ましく」行っていた慈善活動を全く認知しておらず、少々軽薄でもアピール上手なダイアナのやりかたのほうが支持を得ていた。そこからエリザベスは学んでいく。このとき既に在位40年以上、齢70を超えても「すぐに失敗から学び取れる君主」は退勢を挽回するのだ。この頭脳と行動力には本当に目を見張る。

 21世紀のイギリス王室は矢継ぎ早に改革を進めていく。まずチャールズ、次いでエリザベスの宮廷がウェブサイトを立ち上げ、年間の公務の詳細、パトロンをつとめる各種団体のリスト等を公開した。それから王室の歳費が、国民の税金ではなく、王室が有する所領の収入で成り立っていることも明らかにした。やっぱり情報公開は、信頼を生むための最善の方法だと思う。YouTubeやTwitterも活用。エリザベス女王は2回だけ、自らツイッターに書き込んだことがあるそうだ。それから「男子優先の長子相続」と「カトリックとの婚姻禁止」を改めたことも感銘深いので(前著の感想に続き)再掲しておく。ポジティブな意味で「転がる石に苔は生えない」リーダーだと思う。

 国民からの支持は回復し、歴史と経験を踏まえた王室外交でも成果をあげる。アイルランドとの関係も、70-80年代が嘘のように回復したんだなあ。ウィリアム王子とキャサリン妃の一家も好感度が高い。一方で、ハリーとメーガン夫妻の問題、EU離脱の後始末など、女王陛下の苦労も続く。本書の範囲外になるが、今月初めには、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、国民に結束を呼びかけている。

 昨日4月21日に94歳の誕生日を迎えられた女王陛下、たぶん胸中にあるのは、即位前の1947年、21歳の誕生日にラジオで語ったスピーチ「私の人生は、それが長いものになろうが短いものになろうが、私たち皆が属する帝国という大いなる家族への奉仕に捧げられることをここに宣言いたします」という思いだろう。稀有の人生である。どうか、このコロナ危機の終息を見届けて、長生きなさってください。

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もしも明日がなかったら/中華ドラマ『我是余歓水』

2020-04-20 23:26:35 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『我是余歓水』全12集(東陽正午陽光影視、2020)

 次に見るドラマを探していたら、大好きな俳優・郭京飛さんの主演する新作ドラマの情報を見つけた。今ちょうど古装ドラマに見たいものがないし、定評のある東陽正午陽光の制作だし、全12集と短いし、コミカルな役柄の郭京飛さん好きだし、ということで、特に予備知識もなく見始めた。

 余歓水は妻と八歳の息子との三人暮らし。電気ケーブルの販売会社に勤めるサラリーマン。勤務成績は思わしくなく、対面を取り繕おうと嘘をついては失敗ばかり。あるとき、余歓水は、上司の趙経理(部長)と魏総経理(社長)、秘書の梁安妮が、高級ホテルの個室で飲んでいるところに遭遇し、ビールを持参して機嫌をとろうとする。実は非合法な儲け話の相談をしていた三人は大慌て。しかも余歓水を追い出したあと、機密データの入ったUSBが紛失していることに気づく。

 余歓水は妻に離婚を切り出され、さらに病院で末期の胰腺癌(膵臓がん)と診察され、余命3~5ヶ月と宣告される。絶望した余歓水は、臓器売買組織に角膜を提供する契約を結び、大金を手に入れる。もはや恐れるものがなくなった余歓水。会社での態度も一変し、魏社長ら三人組は、これは我々のUSBを手に入れたからに違いないと焦る。

 あるとき、街中で、道を譲る・譲らないから始まった刃傷沙汰に出くわした余歓水は、刃物を持ったやくざ者・徐大砲に絡まれていた男を救い、逆に徐大砲を死に追いやる。この「見義勇為」的行為によって、余歓水は公安局に顕彰され、10万元を贈呈される。さらにテレビで末期癌を告白したことで、時の人に祭り上げられる。

 ところが癌は誤診だったことが判明。余歓水は普通の生活に戻りたいと考えるが、金ヅルをつかんだテレビ局はこれを許さないし、魏社長らも信じない。さらに闇の臓器売買組織からの督促も。余歓水は、臨終関懐(終末期ケア)組織でボランティアをしている女学生・栾冰然の誘いで、2泊3日のキャンプ旅行に出かける。魏社長ら三人組は、この機会に余歓水を殺害して口封じをしようと追跡する。

 余歓水と栾冰然が立ち寄った山の中の食堂で働いていたのが徐二砲。徐大砲の弟分だ。兄貴の仇を見つけた徐二砲は、余歓水と栾冰然、近くにいた西洋人カップルのキャンパー、魏社長ら三人組も捕まえて、誰から命を取ろうかと凄む。余歓水は、臓器売買組織の存在を教え、我々を無傷で売れば大金が手に入ると勧めて時間を稼ぎ、助けを待つが…。

 最後は、徐二砲が「ゲームをしようぜ!」と促し、囚われの七人(特に趙部長、魏社長、梁安妮の三人)が必死で自分を助けるべきと饒舌を振るい、さらに「最も卑劣な人間は誰か」を競う告白ゲームが始まる。まるで不条理劇! そうなのだ。このドラマ、現代社会に生きる凡庸な一般人を主人公にした、ドタバタコメディのようでありながら、哲学的なテーマがずぼっと埋め込まれているのである。笑えるし泣けるが、どこか気味の悪い(褒めている)ドラマだった。

 結局、余歓水が生きのびたのかどうかも、曖昧な終わり方になっている。事件後、栾冰然と幸せな結婚生活をスタートさせたらしい余歓水の姿が流れるが、「これは夢かもしれない。自分はもう死んでいるのかもしれない」という独白がかぶさる。「もしも明日がなかったら、全てはもっと簡単なのだ」とも。「如果没有明天」は原作小説のタイトルである。主人公が余命半年と宣告されたとき、それが誤診だと分かったとき、キャンプ場で絶体絶命の窮地に陥ったとき、何度もこのフレーズが脳裏をよぎっていたが、最後にあらためて「もしも」の帰結を考えさせられた。

 俳優さんは東陽正午陽光の作品でおなじみの顔が多かったが、なんといっても徐二砲! 張隽溢(張念驊)さん、『瑯琊榜之風起長林』では岳将軍の副将・愉快な譚恒を演じた。本作では無口で狂暴なやくざ者(片足を引きずっている)の役だが、時々愛嬌のある表情を見せる。自己保身の塊のような小人物・魏社長を演じたのは憑暉さん。ああ『大江大河』の程開顔のお父さん、実直な技術者の程工場長か! みんな振り幅が大きくて素敵。登場シーンは少ないのに印象強烈だった口罩男(マスク男)の梁大維さんも覚えておこう。

 編劇(脚本)は王三毛、磊子の親子コンビで『都挺好』と同じだという。納得。これも日本で放映してほしいドラマだが、難しいだろうなあ。

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閻魔王の慈悲/スーパー歌舞伎「新版 オグリ」

2020-04-19 22:21:53 | 見たもの(Webサイト・TV)

松竹チャンネル 南座スーパー歌舞伎II『新版 オグリ』(配信:2020年4月13日~4月19日)

 気の滅入るニュースばかり耳にするこの頃だが、たまには嬉しい話もあるものだ。YouTubeの松竹チャンネルは、新型コロナウイルス感染症の影響で中止となった3月公演の映像を、期間限定で無料配信する取組みを開始した。『新版 オグリ』は、本来、京都南座で3月4日~26日に公演されるはずだった。昨年秋は東京・新橋演舞場で公演があって、行きたかったのだが、予定が合わずに見逃してしまった作品だ。いつかシネマ歌舞伎で公開されたら見に行こうと思っていたところ、こんなに早く機会がめぐってきてとても嬉しい。

 小栗判官はダブルキャストで、フルバージョン(市川猿之助:3時間10分)とハイライトエディション(中村隼人:1時間44分)が公開されており、とりあえずフルバージョンを見た。物語は、常陸の国で小栗判官と仲間たちが自由気ままな暮らしを楽しんでいるところから始まる。小栗党の一人が横山修理太夫の娘・照手姫を略奪してくる。照手は望まない結婚を迫られているため家に帰りたくないと言い、小栗はこれに同情する。横山は小栗を陥れようと荒馬・鬼鹿毛を贈呈するが、小栗は難なく乗りこなしてしまう。照手は小栗判官に惚れて、二人は夫婦の契りを結ぶ。しかし横山党は夜討ちをかけて小栗党を全滅させ、照手は檻に入れられて相模川に流される。

 照手は塩焼きの老夫婦に助けられたが、媼に嫌われて青墓の遊女屋へ売られてしまい、小萩と名を変え、下女として黙々と働いた。一方、地獄に赴いた小栗とその一党は、閻魔大王の軍勢と大立回りの末、地上に戻される。哀れな餓鬼阿弥の姿となった小栗は、遊行上人によって土車に乗せられ、回向の人々に車を引かれて美濃の青墓へ至る。小萩は餓鬼阿弥の正体を知らず、大津の宿まで土車を引いて次の者に託す。通りがかりの者に聞いた、熊野の湯は万病を治すということづけを添えて。

 ついに熊野にたどりつき、湯壺に身を投じた小栗は、薬師如来の導きで蘇り、閻魔王夫妻の配慮で天馬に乗って照手のもとへ急ぐ。美濃国守として青墓に戻った小栗は、照手や遊行上人、小栗党の面々と再会を果たす。

 衣装や演出はかなり無国籍で現代的だった。舞台背景は、映像の投影によって、大道具の転換では不可能な効果を出していた。また鏡を多用していたのも面白かった。圧巻は地獄に赴いた小栗党の派手な立ち回りと大量の「本水」の使用。舞台でこんなことができるの?!と驚いた。私はあまり日本の演劇を見ないので的外れな感想かもしれないが、中国の舞台芸術にテイストが似ている気がした。ただ、意表をついた派手な演出の連続にもかかわらず、「まだまだ」と思ってしまうのは、私の基準が、伝・岩佐又兵衛の『小栗判官絵巻』にあるからである。あの想像力の奔放さに比べると、この舞台ではまだ物足りない。たとえば鬼鹿毛は、もっともっと巨大なほうがよかったなあ。

 セリフまわしはほぼ現代語だったが、その中にあって、猿之助の節回しはいかなるときも歌舞伎仕様なので、ああこの作品はやっぱり「歌舞伎」なんだと感じることができて、好ましかった。しかしこのときの猿之助、顔がパンパンに膨らんでいて、別人かと思った。これで餓鬼阿弥を演じるのかとハラハラしたが、そこは演技力でいちおう餓鬼阿弥に見えた。絵巻の餓鬼阿弥は全身黒く萎びた姿なのだが、やっぱり歌舞伎の主人公はつねに白塗りでないといけないんだろうか。

 小栗の物語の主題は、武芸に優れ、恐れ知らずだった若者が、他人の手を借りずに生きられない餓鬼阿弥の境涯に落とされ、仏と人々の慈悲で再生するところにあると思う。ただ、そのことを古典物語は読者の推量に任せるが、この脚本は、はっきり主人公に主題を明言させている。「真に求めるべきは、ひとりよがりの喜びではなく、多くの人たちの幸せだったのだ」云々。このへんは好みが分かれるだろう。それと、この脚本だと小栗は登場したときから仲間思いの棟梁で、あまり「ひとりよがりの喜び」を追求していたように見えない。そこは都落ち以前の、もう少し傲岸不遜な小栗の姿を見せるべきだと思うのだが、現代人の好みに合わないのかもしれないなあ。

 なお、本作が『新版』を冠しているのは、1991年初演の『オグリ』と大きく内容が異なるためだという。初演の『オグリ』の脚本(原作)は梅原猛著作集に入っているそうで、どのくらい違うかちょっと気になっている。

※参考:塩見鮮一郎『中世の貧民:説経師と廻国芸人』(文春新書 2012.11):「をぐり」伝説について、私のいちばん好きな解説本。

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新型コロナ禍・在宅勤務2週目

2020-04-17 23:57:02 | 日常生活

 在宅勤務2週目が終了。

 4月13日(月)は大雨に心が折れて、朝、ゴミ出しに外に出たあと、ついに一歩も屋外に出なかった。週末に食料を調達してあったので支障はなかったけれど、一年に一度あるかないかの経験だった。

 在宅勤務にはだいぶ慣れてきた。自宅のPCは3年前に買ったもので、キーボードとかOSとか、実は職場のPCより新しくて使いやすいことに気づいた。ネットワーク環境にも問題がない。ただOfficeのバージョンアップをずっと怠っていたので、この際、更新しようと考えている。あと自宅の机と椅子が全然仕事向きでないので、在宅勤務が長期に続くなら、まともな椅子を買うべきか、それともコタツを出して、床に座って仕事をするか(でも座椅子がほしい)、やや真剣に悩み始めている。

 基本的には文書等をPCで作成しながら、メールで同僚と打合せをしている。職場では時間を決めて個々の打合せに集中できるが、メールだと何組もの打合せが同時進行になるので、これを捌くのがなかなかしんどい。1日の仕事が終わるとかなり疲れる。たぶん同僚たちも同じらしく、夕方6時頃でパタッとメールが減るのは大変よろしい。しかし、そのあとも少ないメールを気にしてしまうので、結局、仕事終わりが曖昧で、読書時間が全然取れていない。電車の中がいちばん読書に集中できるのだが、平日も週末も電車に乗れないのがつらい。

 私は自分の仕事と同時に、人の仕事を調整したりチェックしたりする立場なのだが、在宅勤務で困るのは、ひとりに負荷が集中しているとき、別の誰かに「ちょっと〇〇さんを手伝って」という指示が難しいこと。職場で顔を合わせていれば、簡単にできることなのだけど。

 今週は2回、火曜と今日金曜に職場の様子を見に行った。幸い、私の通勤経路は、オフピークの時間帯なら混雑を気にする必要がない。やはり事務室には数人が出勤していた。今日はオンライン会議の予定があり、自宅からつなぐかどうか迷ったのだが、職場からにした。カメラなしでよいということが分かったので、次回は自宅から参加してみようと思う。

 通勤なしの生活が続くと体力が落ちる上に、残された最大の楽しみが食べることなので、じわじわ体重が増えるという、健康上の不安を感じ始めた2週目だった。

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日本人の見た近代/台湾の歴史と文化(大東和重)

2020-04-12 20:17:24 | 読んだもの(書籍)

〇大東和重『台湾の歴史と文化:六つの時代が織りなす「美麗島」』(中公新書) 中央公論社 2020.2

 私はもともと中華圏好きなので、台湾にも興味はあった。初めて台湾に旅行したのは2000年代の初めだったと思う。それからしばらく間が空いて、この数年、毎年台湾旅行を繰り返すようになって、確かに中華圏の一部であるが、それ以上に独特なこの国の文化と歴史に、今とても関心を持っている。

 本書は主に17世紀のオランダ統治から近現代までの台湾の歴史を、その前史となる先住民族文化も含めて語ったものである。著者の専門は文学で、最初に「歴史の専門家ではない」と断り書きがあるように、客観的で網羅的な歴史地理の概説書ではない。著者は、日本人(日本統治時代の台湾で生まれた人々を含む)が見た、日本語で書き残された台湾に拘りながら、この国の歴史と文化を紹介していく。やや情緒的な記述が多く、好き嫌いが分かれるかもしれないが、具体的な「場所」の記憶と結びついたエピソードが多くて興味深かった。

 たびたび登場する人物には、民族考古学者の國分直一(1908-2005)、作家の葉石濤(1925-2008)と新垣宏一(1913-2002)、歴史学者の前嶋信次(1903-1983)、兄弟ともに東京帝国大学で学んだ王育霖(1919-1947)と王育徳(1924-1985)などがおり、彼らは全て台湾南部に縁がある。それは当然で、台湾はまず南部から開けた。

 第3章は、オランダ守備隊と鄭成功の戦いの舞台となった港町安平の盛衰を語ったもの。私は2016年に2時間くらい滞在しただけだが、懐かしかった。安平古堡の東側が古い街並みだったのか。もう一度訪ねて、狭い路地に迷い込んでみたい。銘菓・塩酸甜(キャムスイテン:フルーツの砂糖漬け)も覚えておこう。そして、恋愛問題に悩む佐藤春夫がひと夏を台湾で過ごし、安平と台南を舞台に「女誡扇綺譚」という小説を書いていることも初めて知った。

 第4章は、さまざまな証言に基づき、歴史と信仰の息づく古都台南を紹介する。本書の白眉と言ってよいだろう。台南は街中に古い廟や寺があって、週末はどこかの廟で必ず祭りがあるという。私は台南も正味3時間くらいの滞在だったが、故郷を思うような懐かしさが込み上げてくる。「地球の歩き方」を参考にした個人旅行で、赤嵌楼、孔子廟、延平郡王祠などのほか、路地裏の小さな廟もいくつかまわったが、ああ、やっぱり本書を持って再訪したい! 海峡を渡ってきた移民たちにとって、信仰がとても重要だったこと、閩南(福建)系の廟は装飾多く華やかだが、客家は質朴を好むというのは、分かる気がする。

 そんな台南にも動乱の時代がやってくる。1895年、下関条約によって日本への台湾割譲が決まるが、台湾島民は台湾巡撫の唐景崧を総統に奉じ、「台湾民主国」の独立を宣言する。その後、大将軍・劉永福が台南において台湾民主国の再興を画策するが、日本軍の南下を阻止できず、抵抗は終わった。このへんの歴史はよく知らなかった。今度、台湾に行ったら気を付けて旧跡などを探そう。

 1910年代には「大正デモクラシー」の影響もあって、台湾統治が武断から文治に変化した。民族運動に対する監視は厳しかったが、台湾人の生活に対する干渉は弱く、伝統的な信仰や生活習慣は保たれた。それでも、当時の中学生の記憶の中にさえ、日本人から本島人への差別はあったし、1915年には抗日武装蜂起の西来庵事件が台南で起きている。

 やがて戦争が始まり、皇民化運動が強化されると、台南でも台北でも伝統的な廟の祭りが縮小化された(戦後に復活できて本当によかった)。もっと悲惨なのは、台湾の人々が大日本帝国軍の兵士や軍属として戦場に送られたことだ。山岳地帯に慣れた先住民族の若者たちは高砂義勇隊となった。しかも、戦後、日本政府は長く元兵士に補償をしなかった。恥を知れと言いたい。

 台湾人元日本兵への補償運動に尽力したのが、日本の大学で教鞭をとった言語学者の王育徳である。王育徳の兄・王育霖は、台北で二・二八事件に巻き込まれ、そのまま行方不明になった。台南で二・二八事件の処理委員会委員を務めた弁護士の湯徳章(1907-1947)は、国民党政府に敵対するものとして、台南の大正公園で銃殺された。私、このロータリー広場(湯徳章紀念公園/民生緑園)は側を通っていると思う。何も知らずに。

 台湾、風景はあんなに美しいのに、近現代の歴史は本当に苛酷だと思う。でも未来をあきらめない人々がいたから、いまの民主台湾があるのだと思う。

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新型コロナ禍・在宅勤務1週目

2020-04-10 23:47:05 | 日常生活

 中国・武漢で発生した新型肺炎のニュースに最初に接したのは、いつだっただろう。今年の正月、私は台湾に旅行していたが、何も噂は聞かなかった。武漢が人の出入り制限を始めたのは1月23日だそうで、武漢出身の俳優・王凱(ワンカイ)が「武漢加油」とエールを送ったとか、「大江大河2」の撮影が中止になったなどの情報に接したのはこの頃だと思う。1月末から2月初めにかけての武漢の火神山医院の建設は、面白がってネットで見ていた。

 2月半ばには、中国以外の各国で感染者が確認され、日本も対岸の火事では済まなくなってきた。この頃、私の職場でも3月に予定されていたイベントのいくつかに中止や延期の決断が下された。3月半ば過ぎには幹部層の対策タスクフォースが立ち上がり、出勤自粛の可能性があることが示唆された。準備を整えよと言われても、必要な資料の多くが紙で保存されているので、これでどうやって在宅勤務ができるんだろうと困惑していた。

 ところが事態はどんどん加速し、新年度早々、まだ着任者との顔合わせも済まない4月7日(火)、政府の緊急事態宣言と平仄を合わせるように、職場でも「明日から在宅勤務を原則」という指示が下った。

 翌日4月8日(水)はいつもより晩く起きてメールをチェックし、職場からウェブ会議に参加するため、昼前に出勤してみた。けっこう同僚が来ていたので、対面で別の打ち合わせをし、持ち帰り可能な資料をなるべく持って帰った。9日(木)は1日在宅勤務のつもりだったが、必要な電子ファイルが職場のPCにしかないことに気づいて、お昼時にちらっと職場に顔を出した。やっぱり事務室には数人が来ていた。そして今日10日(金)は、ついに終日在宅勤務を通した。

 幸い自宅にPCとネット環境があるので、最低限の在宅勤務はできる。しかし全ての案件をメールベースでまとめるのはなかなか辛い。それから、仕事の開始と終了をはっきりさせにくいのも精神衛生上よくない。とりあえず朝起きたら、顔を洗い、歯を磨き、外に出ていける服装に着替える。近所のカフェや飲食店がまだ開いているので、朝食と昼食は、息抜きに外へ出ることにしている。ただ夕食のあとは、結局だらだらとメールに応えていたりして、終わりがないのがよくない。さあ仕事が終わった!週末だ!というワクワク感が全くないのもよくない。

 今週は天気がよかったので、仕事のかたわら、布団を干しておけたのは嬉しかった。明るい時間に家のまわりを歩くのもふだんの平日にはできないことで、ご近所さんの花壇の花が美しかった。

 それにしても在宅勤務、まだ1週目(というか3日目)である。このあと、どういう事態になるか、時々記録して行こうと思う。

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薄暗がりの不安/小川洋子と読む内田百閒アンソロジー

2020-04-09 22:20:02 | 読んだもの(書籍)

〇内田百閒、小川洋子『小川洋子と読む内田百閒アンソロジー』(ちくま文庫) 筑摩書房 2020.2

 新型コロナウイルス感染症の影響で、とうとう緊急事態宣言が発せられ、仕事は原則在宅勤務となった。まだ近所のお店は開いているし、この数日、天気もいいので、それほど気持ちは落ち込まないが、なんとなく胸の奥に不安が忍び込んでいる感じがする。それなら、もっと不安な小説に耽溺してしまえばいいのではないか。そう意識したわけではないが、書店で目についた本書を思わず買ってしまった。

 撰者の小川洋子さんは「生涯、百閒以外、読んではならない」と言われても受け入れるだろうと公言する百閒ファンだそうだ。本書は、作品のあとに小川洋子さんの短いコメントがついている。批評や解説ではなく感想のようなもの。最初は邪魔だと思ったが、そこに注目するか!やっぱり!みたいなファンどうしの目くばせができて、だんだん楽しくなった。

 収録作品は「旅愁」「冥途」「件」「尽頭子」「蜥蜴」「梟林記」「旅順入城式」「鶴」「桃葉」「柳撿挍の小閑」「雲の脚」「サラサーテの盤」「とほぼえ」「布哇の弗」「他生の縁」「黄牛」「長春香」「梅雨韻」「琥珀」「爆撃調査団」「桃太郎」「雀の塒」「消えた旋律」「残夢三昧」。幻想的な短編小説の名作を中心に、少年時代の思い出、弟子や周りの人々の思い出、本格的な創作、ユーモア身辺雑記など多様な作品がとられている。創作童話「桃太郎」も挿絵入り(谷中安規画伯!!)で収録されていて嬉しい。

 私は、1980年代に旺文社文庫が刊行した内田百閒全著作シリーズ(田村義也さん装丁)を全冊買って全冊読んだ百閒ファンであるから、本書の収録作品はもちろん全て読んでいる。だが、題名を見るだけで鮮明に思い出すものもあれば、読みながら次第に内容を思い出すものもあった。知っていると思って読み進むうちに、全く記憶にない表現を見つけてハッとなったものもある。

 「冥途」「件」「旅順入城式」「鶴」「サラサーテの盤」などは、問答無用で好きな作品。いつも主人公には百閒先生の姿を想像しながら読むのだが、「サラサーテの盤」だけは映画『ツィゴイネルワイゼン』の印象が強くて、主人公を藤田敏八、その友人・中砂を原田芳雄で想像することしかできない。「鶴」は文章が好きすぎて、何度か声に出して朗読してみたことがある。私は本当に百閒の文章が好きで、緩急のリズムがとても合うのだ。

 「とほぼえ」は、風の中で素早く位置を変える犬の声のイメージだけ覚えていたが、道具立てが何もかも巧い(少し巧すぎるか)怪談である。「尽頭子」も怪談だが、どこか滑稽な感じが好きだった。このジャンルには、個人的に採ってほしかった作品があって、見知らぬ盲人が自分の行先に先回りをするというものである。題名を思い出せないのだが『旅順入城式』の「先行者」だろうか。

 幻想小説以外だと、宮城道雄氏の鉄道事故死を淡々と描いた「東海道苅谷駅」も好きだった。本書収録の「旅愁」にも宮城さんは登場するのだが。弟子で飛行家の中野勝義の死を描いた「空中分解」も記憶に残っている。「長春香」もそうだが、百閒は、親しい人の死を悼むために書いた文章(小説と随筆の間くらい)に心打たれるものが多い。芥川や、漱石先生について書いた作品もあったはずだ。

 鳥の話も欲しかったし、猫の話も欲しい。なんだか本書の感想にならず、本書に採られなかった作品のことばかり書いているが、「残夢三昧」を最後に配して、最後の行で、しくしく泣いている猫のノラの姿を見せてくれたのは撰者の配慮ではないかと思う。小川洋子さん、百閒の生家から歩いて五分もかからないところに住んでいたのだそうだ。うらやましい。

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20世紀的絶滅戦争の経験/独ソ戦(大木毅)

2020-04-05 22:56:01 | 読んだもの(書籍)

〇大木毅『独ソ戦:絶滅戦争の惨禍』(岩波新書) 岩波書店 2019.7

 出版された当初、興味はあったのだが、西洋史はよく知らないからと二の足を踏んでいた。そうしたら「新書大賞2020」で第1位に輝いたというニュースが飛び込んできたので、遅ればせながら読んでみた。私のように、第二次世界大戦の欧州戦線について基礎知識を持たない者でも、あまり苦労なくついていける良書だった。

 独ソ戦とは、1941年6月にナチス・ドイツとその同盟国軍が、独ソ不可侵条約を破ってソ連に侵攻し、1945年まで続いた戦争である。北はフィンランドから南はコーカサスまで数千キロにわたる戦線において数百万の大軍が激突し、ジェノサイドや捕虜虐殺など無意味な蛮行が繰り返された。

 本書はまず、戦端が開かれる前の両国の指導者の状況から書き起こす。スターリンのもとには、独ソ戦近しの情報が多数上がっていたが、スターリンはこれを信じず、警戒を怠っていた。一方、ヒトラーとドイツ国防軍は、ソ連の軍事力を過小評価し(民族的な蔑視に基づく)、ずさんで傲慢な作戦計画を実行に移す。

 緒戦に大勝利を収めたドイツ軍は、「電撃戦」(装甲部隊の「突進」によって敵陣地を混乱させる)によって圧倒的な勢いで東進した。しかし劣悪な道路、広がる湿地帯は、装甲集団の移動に不利で、ドイツ軍は次第に消耗していく。加えて、ソ連の鉄道はヨーロッパ標準軌と軌間が異なるため、鉄道による補給も困難だった。こういう記述は、火器の優劣だけで戦争を考えてはいけないということを教えてくれる。

 8月、ヒトラーは軍をキエフへ南進させ、コーカサスの油田・資源地帯を奪取する。著者によれば、ドイツのソ連占領において特徴的なのは一元的に責任を持つ監督省庁がなかったことだという。しばしば決断を回避するヒトラーの下で、国防軍やさまざまな省庁が占領政策をめぐる闘争を繰り広げた。ナチスについて、もっと統制された集団のイメージを持っていたので、やや意外だった。もっとも、占領者側の内部対立の結果、占領地住民は何重にも搾取されたというのはやり切れない。

 一方、ソ連は「大祖国戦争」の名で国民を動員し、檄を飛ばした。その結果、ソ連側でも対独戦はイデオロギー戦争と認識され、多くのドイツ軍捕虜が虐待、重労働によって命を落とした。

 1941年冬のドイツ軍のモスクワ攻略作戦は極寒と悪天候により中止。しかしスターリンの総反攻も失敗する。膠着する戦況。1942年夏から秋にかけて、ドイツはスターリングラード奪取に戦力を集中する。その結果、長い東部戦線は同盟国軍の貧弱な戦力に委ねられた。

 1942年冬から1943年春、ソ連軍は「作戦術」に基づく連続攻勢をかける。このへんまではまだ「普通の戦争」の範疇だったのが、だんだん読むのが辛くなる。東部戦線の将校から退却を懇願されてもヒトラーは死守あるのみで認めようとしない。ついに南方軍がドニエプル川を渡って退却するにあたっては「焦土作戦」が実行された。あらゆる施設、機械、家畜、物資が収奪または破却され、数十万人の住民が強制移送された。一方、祖国を解放し、ドイツ本土に踏み入ることになったソ連軍将兵も、敵意と復讐心のままに略奪や暴行を繰り広げた。そして1945年4月、ベルリンは陥落し、ヒトラーは地下壕で自殺する。

 あまりにも悲惨で野蛮で、言葉にならない暴力の連鎖である。ドイツが遂行しようとした対ソ戦争は、戦争目的を達成したのちに講和で終結するような19世紀的戦争ではなく、人種主義に基づく世界観戦争であり、「敵」と定められた者の生命を組織的に奪っていく絶滅戦争であったと著者はまとめている。このような「20世紀的戦争」は、二度と繰り返してはならないし、その芽を摘むための努力を怠ってはならないと思う。

 そして思うのは、人類は普通に野蛮なのだ。たとえ抽象的な観念を理解する知性はあっても、それだけでは暴力性を制御できない。民族や思想の異なる集団を「生かしておけない敵」と認識したところから、容易に際限のない暴力の連鎖が始まる。おそらく旧日本軍も、戦場のドイツ軍と同程度に野蛮だったはずだと思う。

 本書は、ドイツ軍・ソ連軍の軍事作戦とその結果をマクロな視点で追いながら(地図がとても有効)、兵士や捕虜の置かれた悲惨な状況を具体的な証言で紹介しており、この戦争を立体的に捉えることができた。両国内の政治権力闘争は背景程度にとどめ、純粋に作戦行動として戦争を記述する著作というのをあまり読んだことがなかったので、私には新鮮だった。日本のアジア・太平洋戦争についても本書のような著作はないだろうか。

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