○北海道博物館 開館記念特別展『夷酋列像 蝦夷地イメージをめぐる人・物・世界』(2015年9月5日~11月8日)
今年8月、初めて北海道博物館を訪ねたときに、この展覧会の開催を知った。江戸後期の画人、蠣崎波響(かきざき はきょう、1764-1826)が12人のアイヌの首長を描いた『夷酋列像』は、きわめて美麗で特異な作品である。しかし、国内で見られるのは模写のみで、原本は海外(フランスのブザンソン美術考古博物館)にあるということは、なんとなく認識していた。本展では、蠣崎波響筆のブザンソン美術考古博物館所蔵本と国内各地の諸本を一堂に集めるという。
これは見逃すわけには行かない!と思って、会期中の自分のスケジュール帳を眺め、ここなら行ける、という週末に、羽田-札幌(新千歳)往復をさっと予約してしまった。土曜の夕方に東京を発ち、札幌の観光は1日のみ。午前中に植物園をちょっと散歩したが、基本的にはこの展覧会だけ見られれば満足、という週末旅行だった。
さて、2度目の北海道博物館。特別展目当てのお客さんが予想外に多く、チケットを買うためにカウンターに列ができていた。会場の特別室も大賑わいである。原本『夷酋列像』は、そんなに大きい作品ではないので、近寄って見られないのではないかと心配したが、それは杞憂だった。はじめに粉本(模写)や関係資料が少し出ていて、そのあと、展示室にしつらえた壁面に、額に入った『夷酋列像』が1点ずつ掛けてあった。展示ケース越しでないので、かなり至近距離で、舐めるように見ることができる。嬉しい。松前藩の家老、松前広長による「序」が2枚。そのあとに11枚のアイヌ像。本来は12枚あったことが粉本から分かるが、ブザンソン美術考古博物館には11人分しか伝わっていない。そして、同博物館に入った経緯は全く不明で、1984年に「発見」されたのだそうだ。
色彩は非常に鮮やかで、描写は細密である。保存状態もよい。いずれも(黒髪と白髪のちがいはあるが)蓬髪、長い髯。靴を履いているものといないものがいるが、剥き出しの脛や足の甲は毛深い。はっきりした眉は一文字につながっており、鼻も頬骨も高い。普通の日本人の肖像に比べて、顔が小さく手足が長く描かれているので、異様な長身に見える。それから(会場の解説にあったが)三白眼が強調されている感じがする。龍や吉祥文を散らした中国服(清朝の官服)を着ているイメージが強かったが、それ以外に、西洋風(ロシア?)のコートを羽織っていたり、いわゆるアイヌ模様の衣だったり、それらが重層していたりする。
まず原本と模写をめぐる物語が面白い。模写がどんな人によって作られ、どこに伝わったか。平戸の松浦家は距離的にはるかに離れているようで、異国への強い関心から納得がいく。松代藩の真田家には、白河藩主・松平定信を介して伝わったようだ。水戸藩の副本を熊本藩の細川斉茲が借用模写したというのは(記録があるのかな?)「現存確認できず」の状態だそうだ。永青文庫から出てこないかな。
波響は、1791年(寛政3年)『夷酋列像』を携えて上洛し、京都で高山彦九郎や皆川淇園や大典と交友する。大典って伊藤若冲の師である相国寺の大典和尚か~。また『夷酋列像』制作以前に、大坂の木村蒹葭堂のもとも訪れている。現代人が考えるより、意外とフットワークが軽いのだ。
さらに面白いのは、同時代のさまざまな絵画、南蘋画や南蛮画が展示されており、なるほど似てるな~と思う部分がある。もっと単純に、青龍刀をひっさげた関羽図とか中国画の神仙図は、確実にイメージの源泉と思われる。私は伝統的な羅漢図も入れてもいいと思う。波響もいろいろな絵を勉強した人で、墨画の南蛮騎士の図(西洋の銅版画の写しか)が11図も残っているのには驚いた。
後半では、『夷酋列像』に描かれた衣服や装飾品の実物を見ることができる。中国服に陣羽織に朝鮮毛綴の敷き物、アザラシ皮の靴、ラッコの毛皮。弓矢、刀剣。アイヌの人々が儀式の祭具として珍重した鍬形も。さすが北海道博物館と思ったら、平戸の松浦史料館が蝦夷弓・蝦夷矢を持っていたりするのも面白かった。
実は出発当日の朝、ネット上で「夷酋列像展は大阪の民博にも巡回する」という情報を見つけた。え!なんと。北海道博物館で案内のおじさんに「巡回あるんですか?」と聞いたら、チラシを持ってきてくれて、国立歴史民俗博物館(千葉):2015年12月15日~2016年2月7日、国立民族学博物館:2016年2月25日~5月10日という予定を教えてくれた。ホームページに載せてほしかったなあ。でもまあ、これは北海道で見るべき展示でしょ、と負け惜しみでなく言っておく。帰りの飛行機がなぜか欠航になって、振替便まで2時間半待たされたけど、それでも行ってみて満足。
今年8月、初めて北海道博物館を訪ねたときに、この展覧会の開催を知った。江戸後期の画人、蠣崎波響(かきざき はきょう、1764-1826)が12人のアイヌの首長を描いた『夷酋列像』は、きわめて美麗で特異な作品である。しかし、国内で見られるのは模写のみで、原本は海外(フランスのブザンソン美術考古博物館)にあるということは、なんとなく認識していた。本展では、蠣崎波響筆のブザンソン美術考古博物館所蔵本と国内各地の諸本を一堂に集めるという。
これは見逃すわけには行かない!と思って、会期中の自分のスケジュール帳を眺め、ここなら行ける、という週末に、羽田-札幌(新千歳)往復をさっと予約してしまった。土曜の夕方に東京を発ち、札幌の観光は1日のみ。午前中に植物園をちょっと散歩したが、基本的にはこの展覧会だけ見られれば満足、という週末旅行だった。
さて、2度目の北海道博物館。特別展目当てのお客さんが予想外に多く、チケットを買うためにカウンターに列ができていた。会場の特別室も大賑わいである。原本『夷酋列像』は、そんなに大きい作品ではないので、近寄って見られないのではないかと心配したが、それは杞憂だった。はじめに粉本(模写)や関係資料が少し出ていて、そのあと、展示室にしつらえた壁面に、額に入った『夷酋列像』が1点ずつ掛けてあった。展示ケース越しでないので、かなり至近距離で、舐めるように見ることができる。嬉しい。松前藩の家老、松前広長による「序」が2枚。そのあとに11枚のアイヌ像。本来は12枚あったことが粉本から分かるが、ブザンソン美術考古博物館には11人分しか伝わっていない。そして、同博物館に入った経緯は全く不明で、1984年に「発見」されたのだそうだ。
色彩は非常に鮮やかで、描写は細密である。保存状態もよい。いずれも(黒髪と白髪のちがいはあるが)蓬髪、長い髯。靴を履いているものといないものがいるが、剥き出しの脛や足の甲は毛深い。はっきりした眉は一文字につながっており、鼻も頬骨も高い。普通の日本人の肖像に比べて、顔が小さく手足が長く描かれているので、異様な長身に見える。それから(会場の解説にあったが)三白眼が強調されている感じがする。龍や吉祥文を散らした中国服(清朝の官服)を着ているイメージが強かったが、それ以外に、西洋風(ロシア?)のコートを羽織っていたり、いわゆるアイヌ模様の衣だったり、それらが重層していたりする。
まず原本と模写をめぐる物語が面白い。模写がどんな人によって作られ、どこに伝わったか。平戸の松浦家は距離的にはるかに離れているようで、異国への強い関心から納得がいく。松代藩の真田家には、白河藩主・松平定信を介して伝わったようだ。水戸藩の副本を熊本藩の細川斉茲が借用模写したというのは(記録があるのかな?)「現存確認できず」の状態だそうだ。永青文庫から出てこないかな。
波響は、1791年(寛政3年)『夷酋列像』を携えて上洛し、京都で高山彦九郎や皆川淇園や大典と交友する。大典って伊藤若冲の師である相国寺の大典和尚か~。また『夷酋列像』制作以前に、大坂の木村蒹葭堂のもとも訪れている。現代人が考えるより、意外とフットワークが軽いのだ。
さらに面白いのは、同時代のさまざまな絵画、南蘋画や南蛮画が展示されており、なるほど似てるな~と思う部分がある。もっと単純に、青龍刀をひっさげた関羽図とか中国画の神仙図は、確実にイメージの源泉と思われる。私は伝統的な羅漢図も入れてもいいと思う。波響もいろいろな絵を勉強した人で、墨画の南蛮騎士の図(西洋の銅版画の写しか)が11図も残っているのには驚いた。
後半では、『夷酋列像』に描かれた衣服や装飾品の実物を見ることができる。中国服に陣羽織に朝鮮毛綴の敷き物、アザラシ皮の靴、ラッコの毛皮。弓矢、刀剣。アイヌの人々が儀式の祭具として珍重した鍬形も。さすが北海道博物館と思ったら、平戸の松浦史料館が蝦夷弓・蝦夷矢を持っていたりするのも面白かった。
実は出発当日の朝、ネット上で「夷酋列像展は大阪の民博にも巡回する」という情報を見つけた。え!なんと。北海道博物館で案内のおじさんに「巡回あるんですか?」と聞いたら、チラシを持ってきてくれて、国立歴史民俗博物館(千葉):2015年12月15日~2016年2月7日、国立民族学博物館:2016年2月25日~5月10日という予定を教えてくれた。ホームページに載せてほしかったなあ。でもまあ、これは北海道で見るべき展示でしょ、と負け惜しみでなく言っておく。帰りの飛行機がなぜか欠航になって、振替便まで2時間半待たされたけど、それでも行ってみて満足。